2017年04月22日

けものフレンズは何話が好きですか

 みなさんは『けものフレンズ』全12話でどのエピソードが好きですか?
 私は第1話「さばんなちほー」、第3話「こうざん」、第11話「せるりあん」から第12話「ゆうえんち」に掛けてが特にお気に入りです。


 1話については以前の記事であらかた書いています。とにかく密度が尋常じゃない。
けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲
 新しいフレンズとの出会い、ちほーの冒険とフレンズの特徴の紹介、セルリアンとの戦い、別れと素敵な旅立ち……。町山智浩は映画作家の処女作にはその人の資質がすべて詰め込まれていると言っていましたが、それにも似て『けものフレンズ』の1話にはこのアニメの要素がすべて登場しています。
 この作品の各エピソードは、2話から9話では主に冒険旅行とフレンズとの交流、10話から12話の前半に掛けてはSFミステリーとセルリアンとのシリアスバトルが描かれていて、トーンがわりかし分かれているんですよ。にもかかわらず、それが空中分解せずに一つの流れ・一つの作品として成立しているのは特筆に値するところです。そこに視聴者の導き手たる1話が果たしている役割はかなりの比重があると思います。
 あと、1話の最後にオープニング曲「ようこそジャパリパークへ」が流れますが、言ってみればこの曲も作品全体の縮図なんですよね。オーイシマサヨシ謹製のドラマティックな曲展開に、ジャパリパークへの(ダイナミック)入園(あの映像的没入感!)、三人の主人公であるかばんちゃん・サーバル・ボスの集い、フレンズとの出会い、ジャパリバスでの冒険旅行、夕暮れの海辺と意味深な素材による明らかな別れの示唆、そして導入部と逆の構図での、フレンズたちに見送られてのパークの退園……というストーリー性を持った映像が被さってきて、もはや一つの世界観として成立しています。サビ2「ウェルカムトゥようこそジャパリパーク――」でバスが跳ねる躍動感と冒険感、Cメロ「夕暮れ空にそっと指を重ねたら――」のしっとりとした切なさ、Dメロ「ララララ ララララララ――」の上方にパンするカメラとともに募るもの寂しさと来たらと、ありません。個人的な欲を言えば、最終話ではOPのシルエット完成版を流してもらいたかったですね。いやしかし、スナネコはんの「ぼくのフレンズ」2番も凄まじい破壊力だったし、う~ん。
 1話はニコニコ動画であまりにも繰り返し見すぎたので、いろいろ感覚が麻痺しています。


 3話は後追い組である私が「これは確かに並じゃあない、みんなが騒ぐわけだ」とひとりごちた回なので、ことさら思い入れがあります。
 この話の何が凄いかって、荒れた人工施設(ロープウェイのりば)の探索、(次第にお約束のギャグになってくる)ボスのフリーズ、新たなフレンズであるトキとの出会いと習性の紹介、高山の踏破(飛んでだけど)、ジャパリカフェの発見ともう一人のゲストキャラであるアルパカ・スリとの出会い、客足のないカフェという問題の発覚、かばんちゃんの叡知の発揮とフレンズとのアクティビティ、ショウジョウトキの到来という鮮やかなオチ、バッテリー充電のクエスト達成、下山からの、もう一人の相棒とも言えるジャパリバスの劇的発進(「う゛っ!」「……」「危ないよ~」)、Cパートでのばすてきコンビの本格始動というように、イベントがこれでもかと用意されているにもかかわらず、これっぽっちもせわしなくないのが凄いんですよ。1話から続くのんびりとした空気はそのままに、かばんちゃんたちにこれだけの動きをさせているのは地味にとんでもない。たつき監督のタスク管理能力、構成力、間の演出力の高さがもっとも表れているのがこの話ではないでしょうか。
 3話はエピソード単体での完成度もずば抜けていると思います。まずストーリーラインがシンプルでかっちりしているのがグーです。かばんちゃん(並びにヒト)の能力である「コミュニケーション能力が高い」(ハカセ)「困っている子のためにいろんなことを考えつく」(サーバル)がこれ以上ない説得力を以て発揮されているもよい。そして、話の結びで、仲間を捜しているというトキの問題と、カフェにお客さんが来ないというアルパカの問題が、カフェのシンボルとトキの歌声に注意を引かれたショウジョウトキが訪れたことによって同時に打開されるさまがあまりもドラマチックで、言葉を失ってしまいました。あそこのシークエンスを出来すぎだ、ご都合主義だと捉える人ももちろんいるかと思いますが、それはフィクションに対する受容度の問題でしかないでしょう。私はただただ、すがすがしさと作劇の見事さに打ちのめされていました。
 経年劣化した人工物の背景と、それを利用した牧歌的生活というアンビバレンスな日常感も心地よいですね。『ヨコハマ買い出し紀行』や『少女終末旅行』などを例に挙げるまでもなく、荒廃した世界での旅・日常(ポストアポカリプス)というのは、われわれを惹きつけて止まないものです。ある種の原風景なのでしょうか。
 そして、ゲストキャラのトキとアルパカは二人ともが抜群にキャラが立っていますね。自分の世界を持っていて、おそろしくマイペースだけれどやっぱりしたたかで優しくい。私の中でのフレンズのイメージは、けっこうな比重でこの二人に作られていると思います。それに加えて、あの最っ高に変な声が最っ高に素晴らしいじゃあありませんか! 私は『けものフレンズ』をある種の人形劇だと捉えているふしがあるのですが、劇において一度聞いたら忘れられない声というのは得がたいストロングポイントですよね。3話から4話にかけては変声声優のつるべ打ちといった勢いで、耳があまりにも楽しすぎます。
 もう一つおまけに、このエピソードは○○おにいさん・おねえさんの解説まで面白いなのがずるい。「ふ~ん、アルパカってイメージに反して縦社会のルールが……ないんか~い!」



 11話。泣いた、泣いたよ、泣きましたとも。思いっきり早起きしちゃいました。最大瞬間風速は、一度木からずり落ちかけたかばんちゃんが、誰もがあの人のものだとわかるかけ声と共に駆け上がるところでした。
 SFミステリーとしての山場で、1話から常に漂っていた不穏がついに頂点に達する前半パートから、巨大セルリアンとの正面対決へと流れ込む後半パート、無情に潰されるかばんちゃんという衝撃の幕引きまで、ひっきりなしの怒濤の展開で息つく暇もなし。そんな中で、ボスとの初めての血の通った会話、不測の事態での華麗なハンド切り(ぱっかーん)、かばんちゃんの木登り、カバのダメ出し「あなた泳げまして?」「空は飛べるんですの?」「じゃあ足が速いとか?」を真っ向から打ち破ってのダイブ、という今まで積み上げてきたものが一気呵成に襲いかかってくる演出と相まって、私の心はしっちゃかめっちゃか、どったんばったん大騒ぎでした。続く12話の、サーバルを冷遇していたように見えたボスとの本音での会話、フレンズ全員集合からの怒濤の加勢、映像的にも息を呑む美しさの、サーバルちゃんのエンチャントファイア紙飛行機、そしてラストの、一目で1話のリプライズとわかるお別れまで含めて、あまりにも丁寧で堅実な仕事です。ヘラジカ監督の作劇の姿勢、奇をてらわず実直に一つ一つ伏線や前振りを積み重ねていくスタイルって、今の市場では逆に珍しいんでしょうか。
 あと、シリアスパートのゲストキャラ代表であるヒグマが、巻きの展開の中でキャラが確立されていて地味に凄いと思いました。あの進退窮まる状況の中で、かばんちゃんたちやハンターの同僚たちにあえて逃げる選択肢を残すところに、ぶっきらぼうなやさしさやハンターとしての誇りがにじみ出ていてぐっときました。対決の後にハカセたちにいじられるポジションに収まっていたのもおいしいですね。
 最後に、11話から12話に掛けてをリアルタイムで触れられたのは本当によかったです。私は11話放映直後にニコニコ動画1話を見たのですが、冒頭から阿鼻叫喚のコメントが溢れ、たつき許さねぇという怨嗟の声とたつきを信じろという祈りの声がクロッシングしていました。そして、戦闘力として真っ当なカバはいいとして、シマナメクジから第3の壁の向こうにいるしんざきおにいさんまでありとあらゆるものに助けを求めるコメントが溢れていて、少し笑ったのをよく覚えています。んで、サーバルちゃんが木登りを教えてくれるところで、予測はしていたのにやっぱりぼろぼろ泣いてしまいました。
 12話の放映後の1話は一転して、「たつきありがとう」と監督を賛美するコメントや、森羅万象に感謝を捧げるコメントで一新されていたので、またまた笑ってしまいました。あの時の一体感、ライブ感は、例えようがなく心地よかったですね。『けもフレ』は動画コメントの文化や匿名掲示板・SNS文化とも奇跡的にマッチしたアニメだったと思います。

 以上、長々と語ってしまいましたが、みなさんのひいきはどのエピソードで、どのフレンズでしたか? 『けものフレンズは』はそれをいろんな人に聞いてみたくなるアニメでした。

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2017年04月06日

スティーヴン・キング『IT』リメイク版のトレイラー


 個人的にはスティーヴン・キングのマグナム・オーパス(最高傑作)であり、あらゆるホラー・エンターテイメントの極致だと思っている『IT』の再映像化のトレイラーがyoutubeに上がっていました。映像を見る限りでは、雰囲気は最高に良さそうです。辞典みたいに分厚い原作のため、尺の問題はついて回るものの、なかなか期待できそうじゃあないですか。
 『IT』の原作はこのサイトのサイドバナーでずっと宣伝していたりします。読んでください。単行本上下巻、文庫本全4巻。
IT〈1〉 (文春文庫)
スティーヴン キング Stephen King
4167148072

2017年03月22日

かばんちゃん=カーバンクルのフレンド説

 11話「せるりあん」におけるボスの八面六臂の活躍を見て思いついた珍説。

16世紀(大航海時代)に、南米で目撃されたと言われる未確認生物。
頭部に赤い宝石のような物体が付いており、この石を手に入れた者は幸運や富を得るとの言い伝えがある。
小動物風であるとされるが、詳細は不明。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB


 その発想は、かあばんくるという語呂合わせと、彼女の前任者でありひょっとすると前世かもしれないミライさんが創り出したのだがボス=ラッキービースト(幸運の幻獣)だから、という安直なものである。想像上の生き物であるツチノコがアニメ本編に登場していることは、この説の数少ない補強材料の一つだ。この説の信憑性はさておき、かばんちゃんがその「楽しいことを思いつく」能力で、ジャパリパークのフレンズたちに「たのしーっ!」「すっごーい!」というとっておきの幸運をもたらしたのは疑いようのない事実だろう。
 かばんちゃん=文明の象徴たるかんばんとのダブルミーニング説もおまけででっち上げておくので、もし当たっていた場合は褒めたってください。

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2017年03月19日

観測範囲でけもフレの打率がもの凄いことに気付く

 『けものフレンズ』の最後2話はまっさらな状態で観たいのです。なのでくれぐれも、ネタバレしやがらねーようおねげーするですだよ。あらすじすら見たくないんですよ。
 『咲-Saki-』は白糸台過去編が一区切り付きましたが、面白かった。最近だと『シノハユ』でも思いましたが、りつべは短いスパンの中でキャラに魅力を持たせる技術に長けていますね。私は特に渡辺が好きです。
 ポケモンは今まで主にフリーバトルしかやっていなかったのですが、サンムーンのシングルレートで初めてレート1600に到達しましたC(^o^C)。育成や対戦そのものに掛ける時間の限界で、私にはこの位が限度でしょう。
 私は映画のジャンルのうちミュージカルとすこぶる相性が悪い人間で、この前付き合いで見に行った『ラ・ラ・ランド』もあんまり面白くなかったのですが、音楽はいまだに頭の中ででハードリピートしています。人はなぜこんなにも「同じフレーズのリフレイン」という演出に弱いのでしょう。

ポストアポカリプスとは (ポストアポカリプスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 ポストアポカリプスとは (ポストアポカリプスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

フィクションにおけるジャンルの一つである。「終末の後」と示す通り、何らかの原因により人類文明が壊滅した後を舞台とする。




 違和感ゼロ。1話の小ネタがこの動画一本でだいたいわかるのがすっごーい! ですね。
 あと、これを思い出しました。わかっちゃあいましたが二期決定おめでとうございます。



 懐かしい空気とDメロの謎の感動。


 本当に楽しそうにゲームするおねえさんですね……。自分でもやり込んでいて、RTAなどで最適化され尽くした動きに慣れているだけに、ゲームに不慣れな人がプレイした所感が新鮮でした。そんな人のガチャプレイでもクリアできるように設計されているのが真に「万人受け」なのかしらん。

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2017年03月08日

けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲


 脱力けものギャグベンチャーアニメ『けものフレンズ』がちまたの評判に違わず面白い。劇中で繰り返されるフレーズ「たーのしー!」「すっごーい!」とともに熱病のように広まった作品だが、その面白さを表す言葉としてもこれ以上的確なものはない。ちなみに私は、評判を聞いて観た1話のガクガクFPS・へっぽこ物理演算の「かりごっこ」で一度脱落し、リベンジで(ニコニコのコメントの助けを受けつつ)1話を完走した後に面白くなってきたクチである。大多数の人と同じだろう。

ほら 君も手をつないで大冒険
 『けものフレンズ』をジャンルに当てはめれば、萌え擬人化やゆるふわギャグアニメに分類されるだろうか。人をある程度選ぶはずのジャンルものが層を問わず広まったのは、バディもののロードムービーとしても、SF(すこしふしぎ)としてもよく出来ているからだと思う。基本を抑えているのだ。このアニメは大いにへんちくりんではあるが「斬新な」「新感覚の」という形容を耳にするとどうにも違和感を覚える。むしろ、目的地に向かう途中で様々な問題(を抱えた人)に遭遇する、問題を知恵と勇気で解決する、新たなキーアイテムや情報を得る(読者視点では設定や世界観が少しずつ開示される)とともに仲間が増えていくという構成は、SF冒険譚として清々しいくらい王道的だ。別働隊(アライグマとフェネック)が別視点からことの真相に迫っていく構成も、実に少年心をくすぐる。各話のプロットもシンプルそのものだが、それらが説得力と訴求力を持ち得ているのは、主人公たるかばんちゃんのスキルが展開に自然と活かされていること、最良の相棒であるサーバルの優しさとけなげさ、フレンズのおおらかさによって形成される空気がこの上なく心地よいことが大きな要因ではないだろうか。単純明快なのはよいことだ、というところで次節の話題に繋がる。

そう 君も飾らなくて大丈夫
 肩肘張らない、裏表がない、もったいぶらない。『けものフレンズ』の美点である。
 この作品はそこぬけに明るいキャラが素っ頓狂な展開を繰り広げる一方で、どこか不穏な空気が常に漂っている。物語の舞台が閉園後のテーマパークか、文明が崩壊した後の世界か、あるいはサービス終了後のアプリ(バーチャルリアリティ?)であることはそこかしこでほのめかされていて、フレンズ、サンドスターといったキーワード、「ヒト」「絶滅」「フレンズ化」「動物だったころ」といった物々しい言葉が要所要所で口にされる。そしてセルリアンという外敵の脅威が明確に描写されている。
 『けもフレ』のそんなあけっぴろげなスタンスからは、底の浅い下心、ほのぼのを装ってのショッキングなネタばらしや騙し討ちの衝撃的展開で視聴者にインパクトを与えようという魂胆がこれっぽっちも感じられない。個人的にはそれがとても好ましい。あくまでこの作品の主軸にあるのはフレンズたちが巻き起こす騒動と彼女たちとの触れ合いであり、彼女らの裏表のなさがそのまま作風を形成しているのだと思う。それでいて、真相に思いを巡らせたり今後の展開を想像させたりする情報を各エピソードに配置しているのは、なかなかの構成力だと言わざるを得ない。
 また、この作品は脱力系ギャグアニメとしても癖になる魅力がある。作り手がある程度意図して演出していることは、サブタイトルの表記が「さばんなちほー」とひらがな表記で間延びしていたり、「○○おにいさん(おねえさん)」のゆるゆるな実写解説を挿入したりしていることからもうかがえる。それとしての完成度(シュール系の作品に適切な言葉だろうか?)の高さは、アニメを構成する各要素の絶妙なバランス感覚によって成立していると私は思っている。これがもし、3Dモデルだけが吉崎観音絵そのもののシュッとした美少女だったり、モーションだけがキレッキレだったり、声優の演技だけがこなれていたり、脚本だけが洗練されていたり、音楽だけが流麗だったりしたら、バランスが一気に崩れてどこかに批判が集中したかもしれない。とぼけた顔つきの3Dモデルが、まるで人形劇のようなぎくしゃくした動きで、調子っぱずれの音楽をバックに、ちょっと舌っ足らずな声で、すっとぼけたお話を演じるからこそ、あの中毒性のあるフシギ空間が生まれているのだと思う。つまるところ、大事なのは作品のカラーと統一感なのだろう。
 ときに、サーバルの3Dモデルには黄金比が隠されているのではないだろうか。あの緊張感のない目! だらしのないほっぺた! ぽかんとした口! アルカイックスマイル! そして高すぎるでもなく低すぎるでもない絶妙の等身! その上、あの陽気で抑揚の取っ払われたボイスで魂が吹き込まれると最強に見える。

ララララ ララララララ 素敵な旅立
 『けものフレンズ』を異色のギャグアニメたらしめているのは、寂寥感と郷愁だ。上にも書いたが、この作品はお祭り騒ぎの明るさに包まれていて、お話は常に登場人物たちの喜びの声で満たされている一方、言いしれぬもの寂しさと胸を掻きむしられるような悲しさを覗かせている。それは背景として、ヒトの文明あるいは物語の舞台の崩壊が明らかであることも影響しているだろうし、明るいお話や脳天気なキャラクターとのギャップもあるだろうし、かばんちゃんとサーバルの別れがそこかしこで示唆されているのも影響しているだろう。私はそういった劇中の描写に加えて、「サービスの提供が終了したゲーム」という『けものフレンズ』自身が辿ってきた道と、EDテーマでも示されている「さびれたテーマパーク」のモチーフが恐ろしいくらいマッチした結果、あの得も言われぬ郷愁が生まれていると推察している。
 敷地の中は閑古鳥が泣いている……。人手も予算も足らず、アトラクションはところどころガタが来ている……。前回の出しもの(アプリ)は大失敗、今回の人形劇も、人形は垢抜けないデザインで動きもぎくしゃく、キャストの演技もどうにも拙い……。けれど、そんな引け目はこれっぽっちも感じさせず、精いっぱいわれわれを楽しませよう、楽しんでもらおう、そして自分たちが思いっきり楽しもう、そんな思いが狂おしく伝わってくる。『けものフレンズ』という作品は、そんなうらぶれた遊園地のイメージそのものだ。私たちは「たーのしー!」キャラクターや「すっごーい!」イベントの舞台袖に見え隠れするものに、胸が締め付けられるのだ。もし、アプリ版のサービス終了がアニメ化の布石として意図したものだったとしたら、『けものフレンズ』はメディアミックスの最良の成功例として紹介されてもおかしくないと思う。単なる偶然だとしたら、芸術の神の粋なはからいとしか言えない。
 『けもフレ』を語る上で『ひょっこりひょうたん島』や『がんこちゃん』といった作品を引き合いに出している人をいくらか見かけたが、私はその方たちと同じ周波数の電波をキャッチしたのだと思う。

すがたかたちも十人十色 だから惹かれあうの
 世をすねて、ひねくれたことや残酷なことを書くのは簡単だ。綺麗ごとや気持ちのよいことを真っ正面から書くのは、その万倍難しい。『けものフレンズ』はその困難に挑戦している作品で、7話までの段階で評価すれば、その試みはいくらか実を結んでいるのではないだろうか。
 「フレンズによって得意なこと違うから」1話でのサーバルの言葉である。「できることが違う」ではないところに、彼女の優しさがうかがえる。優しさが心をえぐる。「違う」と言い切らせるところに、作り手の誠実さを感じる。

はじめまして 君をもっと知りたいの
 『けものフレンズ』は頭を空っぽにしてみるアニメだ、IQを溶かすアニメだと言われているが、個人的には見るたびに発見があってうかうか見てられない作品である。特に1話は、今見返すと情報量がなかなかのなかなかだ。
 まず、この回のメインキャラであるかばんちゃんとサーバルについて、種族としての特徴が話の中で発揮されている。このフォーマットは2話以降も踏襲されているのは言うまでもない。冒頭のかりごっこのシーンだが、サーバルはかばんちゃんの足音に反応して目を覚まし、追っている途中で視野角の狭さから彼女を見失ったあとも足音で捕捉していて、聴力が高いことがすぐにわかる。しんざきおにいさんが解説してくれたジャンプ力の高さも、ここだけで二回も披露されているね。かばんちゃんについても同様で、手先が器用で物作りが得意、肩関節の可動域のおかげで投てきができる(紙ひこうき)、体温調節の能力が高い(ハァハァしない)、骨盤の形状から長距離移動に耐えられる、体力の回復が早い(もう元気になってる)、記号(文字、絵)の識別能力が高い(看板と地図)というヒトの種としての特徴はほとんど網羅されている。ここまでは7話で博士が私も1話の時点で気付いていたとどや顔で主張しておこう。全部『たけしの万物創世記』の受け売りだけどな! しかし、ヒトのもっとも優れた能力とは何か、本当にヒトをヒトたらしめているものが何なのかは、9話以降のサーバルに言われてようやく意識させられた。あれは一本取られた。つくづく油断ならない作品やね。
 世界観の説明も、実はだいたいこの1話で済んでいるのだ。サーバルが最初にかばんちゃんへ紹介したフレンズが(仁王立ちする)トムソンガゼルと(なめくじにしか見えない)シマウマだが、これは本来であれば肉食獣であるサーバルの獲物のはずだ。その和やかな空気から、フレンズなるものが補食・被補食の関係から解放された存在であることを暗に示してる。そして、われわれがサーバルを通して抱きはじめたフレンズへの親近感は、この話のゲストキャラであるカバのマイペースさと、力強さとふてぶてしさと、何のかんのの優しさを見せられて確固たるものとなる。また、物語の舞台が「ジャパリパーク」という場所であることもごくごく始めの方でしれっと口にされている。そのサファリパークを模した名前と、道中で見つかる傷んだ机、看板などから、舞台が人造のテーマパークで、何かの異変が起こった後であることが自然に察せられる。大したもんだ。

8話の違和感
 けもフレの8話ははっきり言っていまいちだった。この話だけ世界観が違うという意見を見かけるが、自分もそう感じたクチだ。ペンギンたちのライブ設備が他の施設の荒廃ぶりに対して(整備したにせよ)綺麗すぎるとか(巨大迷路のアナウンスは死にかけていた)、文字通り書き割りのフレンズが不気味だとか、声優の棒読みが度を超えているとか言いたいことはたくさんあるが、何より今回のフレンズの悩みが複雑すぎて違和感があった。店にお客が来ないとか、同種の仲間が見つからないとか、迷宮から出られないとか、料理を食べたいとか、そういったシンプルで即物的な悩み・欲求に比べて、アイドルユニットの中での立ち位置うんぬんというのはいささかお高尚すぎる。作劇のフィクションラインがこの話だけ浮いているのだ。プリンセスが会場から逃げ出すまでの筋運びもおよそ丁寧とは言い難く、あまり評価できない。ただ、そんな中でもマーゲイの特技がドラマチックな展開を生んだり、ボスが(おそらく)群体型でフレンズの世話(もしくは監視)を行っている、人間たちは港に向かったという情報を盛り込んでいたりするのは手堅いと思った。

ようこそジャパリパーク
 ゆるゆる冒険アニメとしての面白さは絶対保証する。底抜けの明るさの裏に見え隠れするもの寂しさに波長が合えばさらに惹きつけられること必死。記事を書くのが遅れているうちに残り3話となってしまったが、「たーのしー!」「すっごーい!」というライブ感も含めて楽しい作品なので、今からでも遅くない、未視聴の方は記事の先頭に貼った1話のリンクを押してジャパリパークに入園しよう。

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2017年02月12日

百合作品なら薦められればそのうちやるリストには入れておく

 レビュー系統のブログをやっていて、たくさん閲覧してもらったりはてブがいっぱいもらえたりするのももちろん嬉しいんだけれど、何より達成感があるのは「紹介記事を見てやってみました」「面白そうだったんで自分も観ました」という報告をいただくことだ。冥利に尽きるというやつだ。いわゆる布教・ステマっちゅうのはリアルフレンドにするのはうっおとしい部分もあるんだけれど、一方的なコミュニケーションとも言えるブログはその辺気にする必要がないのはよいね。というわけで、他の人も月の水企画作品をやってけろ。
リリィナイト・サーガ レビュー・感想 名作! 王道風ド外道百合エロRPG

 『咲-Saki-』の映画は初日にレイトショーで観てきた。原作のファンならばどこかしら見所はある……私にとってはぐいぐい行く国広くんやエトペンエピソードの翻案……が、原作を知らない人が観ても十中八九何だこれってなる。これが、原作厨が最大限言葉を選んだ感想。あと、ハギヨシの血色が悪かった。


変遷する『童貞を殺す服』の意味 - Togetterまとめ 変遷する『童貞を殺す服』の意味 - Togetterまとめ
 その違和感はなんかわかる。われわれがセイバーさんの私服に感じる郷愁や憧憬や慕情とあのスケベセーターはちょっと違う。

龍門渕高校キャストの“とある”こだわりとは? 龍門渕透華役・永尾まりやに聞く、映画『咲-Saki-』の魅力|おたぽる 龍門渕高校キャストの“とある”こだわりとは? 龍門渕透華役・永尾まりやに聞く、映画『咲-Saki-』の魅力|おたぽる

―― 面白いと思われたのは、たとえばどんなところですか?

永尾 キャラクターが、それぞれピックアップされるじゃないですか、清澄高校だけではなく。それがまた皆いい子で、それぞれに勝ちたい、頑張りたいと思う理由があるのがいいなと。嫌だなという子もいなくて、皆が好きになれますよね。また、それがチームとしてそろうと、わ~格好いいな、という気持ちになれますよね。


 念。


 だいたいあってた、しゅごい。
 

 最近ツイッターのTLがこれ一色なので観てみたけれど、よくわからない。第一関門のガクガクFPS、へっぽこ物理演算の狩りごっこで脱落組。ローポリが少年時代に観た『ビーストウォーズ』の思い出を刺激してきた(全然画風が違うけど)。


 パワポケとポケモンというドストライクの組み合わせ。試合もおもしろい。


 やだなにこの人イケメン……。
 このアニメ、カンナのふとももにかなりの作画リソースを割いていないか。

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2017年02月05日

宮永照のお菓子好き 家族麻雀の影響説

渡辺たちとのチームが虎姫の前身なのかな
 「高校生一万人の頂点」宮永照のお菓子に目がないところは、これまでも随所で(特に『咲日和』でぽんこつ空気を振りまきつつ)アピールされてきました。そして『咲-Saki-』本編でも、最新話でそのお菓子好きっぷりがこれ以上ないほどクローズアップされました。サブタイトルもそのまんま「菓子」という徹底ぶりです。

「売店でお菓子買ってきた」

(『阿知賀編』第13局「再会」)


「とにもかくにもお菓子がないと…」
お か し

(『咲日和』白糸台の巻1)


「これか? これは菓子の差し入れだ」
「!」

「ほしいのか?」

「食べるか?」
「!!」

(第170局「菓子」)


「麻雀部だと菓子やパンケーキが毎日食べられるぞ」
「!!」
「あとはそうだなぁ………
 レギュラーになれば特待生と同じで寮がタダになるとか…」
「パンケーキ…」

(第170局「菓子」)


 ところでこのやりとり、菫に特待生の設定を説明させつつ、照に「パンケーキ…」でぶった切らせることで、彼女がどこかずれているのと超弩級のお菓子フリークであることも同時に表現していて、もの凄く脚本力が高いです。
 閑話休題。小林立は「設定! 付けずにはいられない!」というレベルの設定厨で、各キャラクターに付与された設定は思いも寄らぬ意味を持っていることがままあります(参考資料)。名前しかり、誕生日しかり、趣味嗜好しかり。信徒らはその意味不明な設定に隠されたサブテキストを探るべく、夜を日に継いで研究を重ねています。私は今回、照のお菓子好きにも、ここまでクローズアップされるからには何かしら意味があるのではないかと思い、いろいろ記憶をほじくり返していました。するとふと頭に浮かんできたのが、1巻の第1局というとんでもない序盤の会話でした。

「家族麻雀で

お年玉を巻き上げられないように負けないことを覚えて
勝っても怒られたから勝たないことを覚えました」

(第1局「出会い」)


 咲さんがなぜプラマイゼロを目指すような打ち方をするのか、和に語るシーン。
 『咲-Saki-』をスピンオフから知った人や、原作古典派の人はひょっとすると知らないかもしれませんが、1期アニメの該当シーンでは会話の内容が大きく変更されています。

「私 ずっと家族麻雀で
負けるとお菓子がもらえなくて
でも 勝ちすぎても怒られてたから
気がつくと こんな風に打つようになってました」

アニメ『咲-Saki-』1話


 強調は引用者によります。子どもが賭け事に参加する描写がまずかったのか、そもそも賭博行為が放送コード的に駄目だったのか、媒体の違いに関する資料としてもおもしろい箇所です。
 さて、ここからまた話がこじつけ臭くなってきます。まず、アニメオリジナルの描写は、南浦さんや個人戦の成績の扱いを鑑みて、原作正史と共存するものとして話を進めます(『咲日和』についてはりつべ本人から実際にあった出来事だとお墨付きがあったけど、アニメはどうだったかな)。上記描写についても、設定が変更されたのではなく、宮永一家の家族麻雀はお年玉を賭けるのと同時にお菓子を与えていたと考えます。
 照がお菓子を好きになったのは、家族麻雀のごほうびだったからでは(囚人がアルフォートとコーラを好きになるがごとく)? お菓子の味が家族……咲と麻雀を打った記憶と結びついているからでは? というのが私の予想です。つまり、照のお菓子好きっぷりは、彼女がいかに咲さん大好きかを表すバロメーターだったんだよ!
 この説が苦しいところは、照が最新話で「たまにつらいことを思い出すから」と語っているように、照の中で家族麻雀がどんな位置づけだったのか判然としないとですかね。何にせよ、直近で宮永家の母=宮永愛=アイ・アークタンダーという超重要設定が開示されたこともあり、この家族麻雀周りの設定がどうなるのか目が話せません。
 というわけで、照がお菓子に目がなくなったのは家族麻雀の影響説、予想が的中していたら褒めたってください。

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