2017年12月17日

プリプリ 「歯止めが利かなくなる」はアンジェたちの行く末の暗示説

 「歯止めが利かなくなる」と言えば、名言に事欠かない作品『プリンセス・プリンシパル』において一際存在感を放つ迷言である。「いいえ、いいえ、いいえ」も「通りすがりの宇宙人、黒蜥蜴星から来たの」も「おかしいな、父上のおまじない効かないよ。胸の痛み、全然とれないよ」も「友だちとしてお願いするってことなら、全力で力を貸してやるよ」もよいが、私にとって『プリプリ』を象徴する台詞と言ったらこれだ。

子どもの頃は、普通に話してたじゃない?

そんなことしたら、私たちが古い知り合いだってばれてしまうわ。

みんなも仲間なのに。
じゃあ、出逢ってすぐ意気投合しましたっていうのは? 堂々と仲良くできるわ。

だめ、歯止めが利かなくなる。

たまには羽目を外してもいいと思うな。昔みたいに。

(第4話)


 それにつけても「歯止めが利かなくなる」の人気っぷりよ(ニコニコではもっとも弾幕が濃かった)。敵を強襲する任務の真っ最中に何を議論しているのかと言えば、「もっといちゃいちゃしたい」「だめ、我慢できなくなるから」に要約されるしょうもなさ! 二人が至って真剣な面持ちなのもシリアスな笑いを誘っている。メロディアスで悲壮なBGM「battle of the shadows」もギャップを強調していてとてもよい。
 ところでこの台詞、完全なネタ台詞と見せかけて、作品のモチーフと密接にリンクしつつ、作品世界の未来を示唆しているんじゃあないだろうか。


車や歯車が回転しないようにすること。また,そのもの。車輪につけたり,車輪と車輪接地面の間に嚙(か)ませる。

事態の進展・進行をとめる手段や方法。 「物価の上昇に-をかける」

歯止めとは - Weblio辞書


 歯車は巨大な戦艦や典雅な機械仕掛けが文化の中心にあるスチームパンクの作風と合致している他、OPテーマ「The Other Side of the Wall」の歌詞で印象的に用いられている。また、小さな力(歯車)がやがて大きな力となって状況を打破するだろうことは本編のそこかしこで暗示されている。
「Can you feel that nothing turns around?」「Like a gear in sync inside a clock」
「Oh yeah, When the clockwork moves and starts to shine.」「Forever let it blow, carry out, show the way」「Blast it off right」
 「歯止めが利かなくなる」は、アンジェとプリンセスが真の意味で一つになって(意味深長)噛み合い(意味深長)、誰はばかることなくいちゃ……仲良くできるようになったときこそ、決して一人では生み出せない、機械仕掛けのように強力な力、世界を変える力が生まれて、有形無形の壁を壊すことを示唆しているのではないだろうか。そんな深読みをしてみた次第である。

本当に信じているの? 世界を変えられるって。

うん。

でも、女王になれたとしても――。

私ね、シャーロットと堂々といたいの。

私だって……。

でも、そういう気持ちは私たちだけじゃないわ。
親、兄弟、恋人、友人。壁によって離ればなれになった人は大勢いるわ。
いつか彼らの声が揃うときが来るわ。大きく、波のように。

(第6話)


 ちなみにプリンセスが、アンジェが「みんな」と一緒に楽しめるようになるのを最後まで諦めなかったのは本編の通りだが、「羽目を外す」についてもめっちゃご執心なようで、作品を締めくくる場面で蒸し返している。

それじゃあ、終わったら羽目を外して、うんと楽しみましょう?

昔みたいに?

昔みたいに。

今度は、みんなも一緒よ?

それは……。

(第12話)


 何気ない台詞が復唱されて重要な意味を持ったり、思いがけないタイミングで気の利いた返事が来る意外性も『プリンセス・プリンシパル』の魅力だったなと振り返りつつこの記事を締める。

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tags: 百合 
2017年11月02日

アトラク=ナクア レビュー・感想 血と情念が薫る伝奇ノベルの古典

 音に聞こえた伝奇ビジュアルノベルの古典です。1997年発表。伝奇作品の枠だと『痕』の翌年、『久遠の絆』の前年と書くと時代背景がわかりやすいでしょうか。

 先にダメ出しを済ませると、作品の構成要素のうち大部分で経年相応の古さを感じるのは否めません。具体的には、中盤までのほとんどを占める、主要登場人物(初音・奏子と銀と、あと燐か)が本筋に絡まない傍流の展開の退屈さ(私はプレイ中「はやく銀さんが出てきて本筋が進まねーかな」と常に思っていた)、かなり類型的な造詣で立ち位置の不確かなキャラクター(どうでもよすぎて主要キャラ以外の名前が一人も名前が思い出せない)、存在意義が全くもってわからない調教パート(未練がましくゲーム性を残そうとしたのか?)などです。その他、立ち絵も一枚絵も明らかに数が足りていませんし、楽曲の評価が非常に高い作品ですが、音源はお世辞にも上等とは言えません。
 にもかかわらず、今日でも『アトラク=ナクア』が名作の呼び声を厳然として保っているのは、ひとえに最終章の完成度ゆえにでしょう。あの激情と感傷のありったけがぶつかる驚天動地の展開は、今なお比類する作品がほとんどありません。戦力を削いでいく包囲網戦が続き、直接的な対決が持ち越されていた分、いよいよ人外の化け物が(いろんな意味での)正体を現して刃鳴散らす瞬間の興奮ったらありません。硬質で淡々と描写を連ねる三人称の文体は、この作品の空気を形づくる特色の一つですが、あれが却って昂ぶりを伝えてくるんですよ。これ以上ないとっときのタイミングで流れ出す劇半「Atlach Nacha~Going On~」と、それのアレンジと画面効果を交えた演出も場を最高潮に盛り上げます。しかしながら、あの章の中で何が一番読み手に衝撃を与えるかと言えば、価値観の逆転、関係性の逆転が起こることに尽きると私は思っています。
【若干ネタバレあり】
 この作品は一枚絵の視点ともっともらしい語りによる叙述トリックを巧みに取り入れていますが、あの一枚絵が鮮明になるとともに、それまで捕食者の立場で人の命や尊厳を弄んでいたある人物の本性――致命的に傷つけられた自尊心を、今度は自分が支配者の側に立って他者を蹂躙することで修復しようとしている愚かな小娘――が暴かれる瞬間の、足下が崩れるような、目から鱗が落ちるような、胃の腑がでんぐり返るような感覚。あれを味わえただけでもこの作品を読んだ甲斐がありました。
【ネタバレおわり】
 ここに至るまでの展開は、言ってしまえば前振りでしかないのです。あの人が虚飾を剥ぎ取られて、血みどろで転がりながら幼稚な意趣返しから脱却し、本当に護るべきモノのために闘おうとするところからが『アトラク=ナクア』という物語の真の始まりなのだと思います。以降の展開は掛け値無しに凄まじい牽引力があり、ページを手繰る手が最後まで止まりませんでした。しかし、そこまでの流れが前振りや布石といった観点でしか評価できないのは、作品の総合的な完成度に瑕疵があることの証左だとも考えています。

 2017年現在におけるシナリオゲームの水準に照らすと粗が見つかりますが、最終章における最大瞬間風速のトルクでは今なお頭一つ抜けた力作であることは請け合います。テキスト、伝奇要素、楽曲も見上げた出来。今なら単品の廉価版がお手ごろ価格で手に入るので、20周年を機に温故知新で触わってみるのもオツではないでしょうか。

【参考文献】
マリア様がみてる(1) 今野緒雪
 あちらはお姉さま、こっちは姉様……。関係性の構図がよく似ていると思います。

アトラク=ナクア 廉価版
B00008HUMF

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2017年10月14日

プリンセス・プリンシパル レビュー・感想 コキジバトの巣の上で

 『プリンセス・プリンシパル』のかんたんな感想を書いた。人々を隔てる壁が屹立する架空のイギリスを舞台にしたスパイ活劇で、悲しみが通底する世を打ち破らんと飛ぶ少女たちの勇姿が映える痛快名作だった。キーフレーズである「嘘つき」「嘘」は、時に冷たい拒絶を、時に甘やかな信頼や親愛を含んだ響きで作品に彩りを添えていた。最終話を見る限りでは二期の構想がありそうだが、今期の12話だけでもめちゃんこ面白かったのでみんなに見てほしい。1話、2~3話、4話、8話はほぼ完ぺきな出来だと思う。

十兵衛は、私の父を殺した。
 『プリプリ』を通して観て最初に思ったのが、話数シャッフルの構成がこれ以上なく嵌まっている作品だということ。
 まず、第1話にもっともアクションが派手で主要キャラ全員に見せ場があり、画面の情報量やタスク量が圧倒的なCase13を持ってきたのは、当然ながら掴みを意識してのことだろう。今ぱっと思いついた作品だと『Fate』や『凍京NECRO』が似たようなことをやっていたね。舞台に関する最低限の説明はナレーションですませて、あの話を先頭に持ってきたのは思い切りがよい。この、まずは一番の見せ場で惹きつけてからキャラや設定を掘り下げていく、という構成で右肩下がりのテンションにならなかったのは、その後の掘り下げが過不足なく丁寧だったからなのは言うまでもない。
 2話についてもなかなか考えられている。視聴者は1話の時点でプリンセスはスパイチームの一員であり、この後に仲間に加わるだろうことはわかっているので、ハウダニットやホワイダニットの視点で任務の成り行きを見守るわけだが、8話でアンジェとプリンセスのバックボーンを理解してから再見すると、二人の何気ない所作や交わす言葉の一つ一つに万感の想いが込められているのに気付いて、情報量の増加に驚かされる。いわゆる「観るたびに発見がある」というやつだ。あと、2話は話の展開がある程度読める中で、任務にノルマンディー公の到着というタイムリミットを設定し、それを過ぎてからは全身隙無しの彼を出し抜くサスペンスがあって、きっちりと視聴者の目を引いている。堅実な仕事っぷりだ。
 そして、この作品では繰り返されるキーワード、再演されるシチュエーション、印象的なモチーフが効果的に取り入れられている。同じ構図のシーンが立場と人を変えて繰り返されて、同じ言葉が千変万化のニュアンスで口にされて、メタファーが思いも寄らぬところで顔を出す。このリフレインの演出と、立ち戻っての視聴を自然と促す話数シャッフルの構成とが抜群の相性だったように思う。
 繰り返される構図の中で特に印象深かったのは、握手のシーンだ。プリンセスのことを仲間と信じたいドロシーが、自らも危険を冒すという彼女の提案を飲んで嬉しそうに手を差し出すところ。アンジェが仰々しい土下座をしようとするちせを制して、“西洋式”のあいさつを教える体で固く手を握り合うところ。プリンセスの救出のために助力を求めるアンジェが、友だちとしてなら協力するというドロシーの手をすがるように両手で掴むところ(アンドロキテル)。ここの掛け合いはどれも素晴らしいのだが、彼女らの表情や手を取る仕草からも同じくらいの情感が伝わってきた。
 もう一つ心に残っているのが、身の上話をするシーン。1話ではアンジェがエリックに、6話ではドロシーがベアトに対して過去を語っているが、その意味合いは決定的に違っている。アンジェは二重スパイの疑いがあるエリックが妹のために動いていることを察し、情に訴えかけてボロを出させるために幼き日の両親の死を語ったのだろう。ドロシーはベアトなら共感してくれるかもしれない、従者の立場から自分を警戒しているだろう彼女と距離を詰められるかもしれないと思い、父親の仕打ちとスパイになった経緯を打ち明けたのだろう。同様の内容を語っていながら、一方ではスパイの手段を問わない非情さ※1、一方では年相応の少女らしさが表現されていて、強烈なコントラストに目眩がした。
 キーワードについては、作品のキャッチコピー「嘘つきはスパイの始まり」や第1話のサブタイトル「Wired Liar」にも含まれている「嘘」が作品を彩っていた。

どいつもこいつも、嘘つきばっかりだ。

(ドロシー/10話)


その女の嘘にそれ以上耳を貸すな。

(ゼルダ/12話)


親子だって嘘をつく。

(ちせ/1話)


やっぱり嘘つきですね、アンジェさん。

(ベアト/3話)


――ッ嘘つき!

(アンジェ/12話)


……嘘つき。

(プリンセス/1話)


 同じ「嘘」という言葉を使いながら、呆れ、敵意、悲しみ、信頼、(照れ混じりの)怒り、理解といった具合に、趣を異にする想いが見事に書き分けられている。
 モチーフについては、全編において「壁」の堅牢で閉塞的なイメージが作風を支配していて、いきおいそれを打破しようとする少女たちの活劇が光って見えた。そして「壁」が国を分断する煉瓦の壁のみならず、スパイの少女たちを引き裂く身分の壁や立場の壁まで含んでいることは見当が付いていた。しかし、アンジェが仲間に対しても無意識に作っている心の壁にまで掛かってくるとは予想だにしなかった。読み切ったつもりだったが、相手のほうが一枚も二枚も上手だったな。
 このような細かい意匠が作品の多層的な魅力となって完成度の奥行きを生み出し、情感をより豊かにしているのだと思う。

黒蜥蜴星では、殺すときにサインをもらうことになってるの。
 キャラデザよし(めっちゃ好み)、ガジェットよし、美術よし、サウンドよし。この作品はスチームパンクとしても、近世異国浪漫としても、群像劇としてもよくできていて、美点は枚挙に暇がないが、私が何より素晴らしいと思ったのは、主要登場人物みんなの思想や行動原理が明確に打ち出されているところだ。
 12話、プリンセスはゼルダに連行される形で寺院の奥まった部屋に追い詰められるが、イングウェイ少佐が身を挺して庇うことでゼルダの凶弾から逃れ、アンジェとちせは間一髪で彼女を救い出すことができた。少佐があの短い時間の中でプリンセスを信頼したのは、彼女の自らを断頭台に追いやることになろうとも壁を壊してこの国を変えるという意志を本物だと思ったからだろうし、明らかに腹を空かせている少年兵に対して一緒にスコーンを食べるよう勧める姿に心を打たれたのもあるだろう。「みんなで食べた方が楽しいから」という発言で、画面奥にいる少佐の表情が明らかに変わっている(少佐も植民地の出身で、あの少年と同じように飢えて育ったのだろうか?)。だからこそ、ゼルダに「この女の嘘に耳を貸すな」と諌められ、プリンセスが「偽物」だと知った後でさえ、彼女のことを身を挺して庇い「この国に必要な方だ」と反論したのだろう。銃弾を撃ち込まれて死に瀕してなお、あなたこそ私たちの女王だ、死んではならないと伝えたのだろう。プリンセスの、断頭台で処刑されることすら受け入れる覚悟で心を動かされた少佐が、今際の言葉で「死んではダメだ」と進言するのが、私の心に深々と突き刺さった。
 あのシークエンスで、われわれがプリンセスの壁を壊してみせるという主張が決してお花畑の夢物語ではないとわかるのは、彼女がアンジェに何度となくそれを語るところを見ていて、友だちの想いを継ぐためにヘドを吐きながら王族を演じてきた執念を知っているからだろう。お茶の提案も、あの場を切り抜けるための懐柔策でなく彼女の本心だとわかるのは、幼少のみぎりにアンジェ(シャーロット)とスコーンをパクつくところや、チーム白鳩の面々と楽しそうにお茶をする姿が丁寧に切り取られていたからだろう。これだけの積み重ねがあるからこそ、土壇場でのプリンセスの言葉に説得力が生まれて、ひいてはそれに感銘した少佐の行動が尊く映るわけだ。バックボーンを構築するお手本のような、職人芸の脚本だったと思う。
 ちせも12話で、足に伝わる振動から修羅場の到来を察知し、王国と共和国の動向を見守るという役目を投げ打ってまで、押っ取り刀で馳せ参じた。本当に「一宿一飯の恩義」というなら、5話で十兵衛の凶刃からプリンセスを護っただけでもお釣りが来るくらいだから、あれはちせなりの照れ隠しなのかもしれない。彼女が12話で行動に出たのは、曇り顔で助力を拒むアンジェが意地っ張りの嘘つきなのを知っていたからだろうし、学園生活やスパイ活動で彼女らと心を交わすうちに「あの者たちに勝利してほしい」と真に願っていたからだろう。
 アンジェにしても、後先を考えずに再三プリンセスとカサブランカへ逃亡することを企てるのは、身勝手で不義理で薄情だと言われてもおかしくない(私のアンジェ評が厳しすぎるだろうか?)。もし二人が逃亡に踏み切っていたら、少なくともチームリーダーのドロシーと従者のベアトは責任を問われて、よくて懲罰、死刑もありえただろう。にもかかわらず、アンジェがこの物語のヒーローの資格を失わないのはなぜか。彼女が絶望から立ち上がり、プリンセスの元へ駆け出す姿に胸が熱くなるのはなぜだろうか。それはわれわれが彼女の凄惨な生い立ちと、プリンセスにもう一度会いたいという一念で過酷な生き方を選んだことを知っているからだろう。エイミー(エリックの妹)やジュリ(スリの少女)を保険だの口封じだのといいかげんなことを言いつつ助けた、彼女のぶきっちょな優しさを見ているからだろう。アンジェというキャラクターは、善良さだけでなく、未熟なところや欠けているところをえぐり出し、それを絶望に喘ぎながらも克己するところまで描きったことで、永遠の命を吹き込まれたと思っている。
 ベアトについては3話での振る舞いについて語っておきたい。ベアトがアンジェのことを、敬愛する姫さまに成り代わろうとしているスパイという最悪の第一印象から信用するに至ったのは、3話の終盤、敵に追い詰められ、脱出用のパラシュートは損傷して一式のみという状況で、彼女が何よりプリンセスの身を案じてベアトを叱咤したところでだろう。同じ姫さまガチ勢として、あれで心が動かぬ訳がない。だから彼女はアンジェを見捨てて一人で脱出するのではなく、コンプレックスだった喉の仕掛けを使って、敵を欺く危険を冒してまで助けようとしたのだろう。アンジェはアンジェで、戦艦の青写真を見て即座に内容を理解する能力や、素人ながら敵兵を欺いてみせた勇気を見て、だんだんとベアトを気に入っていくさまが描かれていて、何とも言えず尊かった。そして、鋭い敵兵に正体を疑われてカマを掛けられる窮地を、アンジェの超人的な情報処理能力との合わせ技で切り抜けるところは、二人の歩み寄りに掛けたシンボリックな構成で美しかった。パラシュートでの落下中にベアトの告白を聞くアンジェの柔和な表情が最高だし、エピローグのお茶会でのやりとりも小気味よくて微笑ましい。こういうのがいいんだよ、こういうのが。
 最後はドロシーについてだが、ドロシーいいよね。いい……。プロ同士多く語る必要はない。この人は善良さの擬人化キャラか、はたまた優しさが服を着て歩いているのか? 対人能力お化けの人間磁石だった。個人的に感心したのは、11話から12話にかけて、先にコントロールと接触していたとはいえ、一人暴走するアンジェとは対照的にベアトと連携を取ってプリンセス救出のために動いていたこと。そしてアンジェのことを信じて待っていたこと。さすがはチーム最年長者と言うべき、重ねた齢にふさわしい人間力を感じた。また、王族で庶民の人気も高いプリンセスを除いてチーム白鳩の中で一人だけ一般生徒との交流が描写されていたのは、彼女の人がらを強調する意図的な演出ではないかと思う。
 何となくドロシーさん名言集を作ってしまった。

わかったよプリンセス。同じ船に乗ろうじゃないか。

(4話)


いいじゃないか、チーム白鳩。
……白ってのが特にいい。

(4話)


 この人の台詞は声色に人のよさがにじみ出ているんだよなぁ……。

どうして話してくれるんですか? スパイって素性を明かさないものだと。

アンジェはそうだな。……私は、たぶんアンジェより弱いんだ。
それと、ベアトはわかってくれるかもって思ったんだ。

(6話)


 逆説的だが、自分の弱さを見つめられる人は強い人だと思う。人の弱さや心の痛みがわかるからだ。

私は殺したくない。

私たちはスパイだ。でも、スパイである前に人間だ。割り切れるかよ。

(11話)


私たちはスパイだ、任務外のことには手を貸せない。

だけど、友だちとしてお願いするってことなら、全力で力を貸してやるよ。

(12話)


 今さら気付いたが、ここは黒蜥蜴星人の「私たちはスパイよ。命令には従うだけ」(11話冒頭)に対する返事なんだな。こういった青い啖呵が上滑りしないのは、彼女の人となりのなせる業だろう。

あなたのそういうところ、初めて会ったときから大嫌いだった。
 せっかくなのでカップリングについても述べておこう。
 何はさておき、アンプリがジャスティスでコモンセンスなのは確定的に明らかだ。このペアの魅力は、隠そうとも隠しきれないラブラブバカップルっぷりと(新顔のちせにすら「振り回されている」と見抜かれていた)、二人がそれぞれ抱える危うさとが織りなすアンビバレンスにあると思う。上でも少し書いたが、アンジェは不断の努力で超人的なスパイの技能を身につけ、シニカルな鉄仮面を被って武装しているものの、本質的には戦火に放り出されたときの泣き虫なシャーロットのままなのだ。まだまだ未熟な自我は、プリンセスが絡むとさらに希薄になってしまう。彼女が、盲目のまま天涯孤独の身になるエイミーや、昔のプリンセスを思い起こさせるジュリを助けたのは、かつての「自分」とその半身を救いたかったからだろう。そして遮二無二プリンセスを求めるのは、引き裂かれた「自分」を求めているのに他ならない。それは自身や他者という概念すらない赤ん坊が、泣いて母親を求めるがごとくである。だから、周囲の人や物事をおっぽって、二人きりで隠遁するという刹那的で自分本位なプランを立てても、疑問を持たなかったわけだ。それが世界の全てなのだから。11話と12話は、アンジェがプリンセスという分かちがたき半身から再度断絶され、失意の淵に沈みながら痛みを覚え、ドロシーたちに手を差しのべられることで他者を認識し、再びプリンセスと対峙することで自我を獲得するまでを描いた文学とも言える。
 一方プリンセスは、アンジェに比べるとかなり強度の高い自我を確立していて、他者と世界をはっきりと認識しているように見える。それは王女という立場から様々な人と接し、世の理不尽を目にしてきたことで確立されたものだろうか。プリンセスがアンジェに求めるのは、彼女その人だけではない。彼女が何はばかることなく笑って過ごせる、取り巻く人や物すべてを勝ち取ろうとしている。であればこそ、アンジェが世界に背を向けて逃げ出すそうとすると、決まって悲痛な表情を浮かべている。そして、アンジェが笑ってくれるならば、自分が必ずしも傍にいる必要は無いとも考えていて、それが断頭台に上がる覚悟へと繋がっているのだろう。このプリンセスのスタンスを崇高な純愛だと考える人もいるだろうし、アンジェよりも危うくて業が深いと考える人もいるだろう。11話と12話で、プリンセスの物語はアンジェのそれと表裏一体、渾然一体となっているが、彼女は別れを告げたはずの最大かつ最愛の他者……アンジェと再び対峙し、鏡写しに自我を再構築したことで、最後に「絶対に離れない」という真理まで達することができたのだ。万雷の拍手を送ろうではないか。
 アンプリ以外では、アンベアもめっちゃ好きだ。二人の馴れ初めにいては3話の項で詳しく書いているので参照されたし。アンジェとベアトは言うなればプリンセスをめぐる恋敵のようなものなのだが、言葉にあえて出さずともお互いを認め合っているのが随所でわかって、それが凄くよいのさ。細かいところでは、最終話のカーアクションで、アンジェがベアトの頭を押さえつけて、どうにか敵車両の射線から遠ざけようと庇ってあげてるところが好き(伝わるかな?)。1話において二人でエイミーが入院する病院に潜入したあとの「黒蜥蜴星に帰るんですか?」の言い方も気さくで好き。
 あとはドロベアも言うまでもなく大好きだ。アンジェやちせにはたじたじなベアトが、ずっと年上のドロシー相手にはわりとイニシアチブを取っているのが、とてもよい。6話で、二人でのドライブ中にドロシーが身の上話をして、ベアトがもうカバーじゃなくて本当の友だちだと言ってくれるところは思わずうるっときたし、酒場で親父さんの声で歌ってくれるところ、あれは惚れてまうでしょ。10話では番犬を無力化したベアトにドロシーがしれっと肩に手を回してるし、何なんだね君たちは。
 以前『NEW GAME!』の感想でも書いたが、人が人に惹かれるところや相手を認めるところを説得力を以て書いている作品は、それだけで評価されてしかるべきだと思う。

友だちとしてお願いするってことなら、全力で力を貸してやるよ。
 その他もろもろ。
 声優さんはどれもはまり役だったと思う。アンジェの方はスパイの黒蜥蜴星人と乙女なシャーロットで声色を完全に使い分けているのがすごい。ときどき思いがけず素の高い声が出ちゃうアンジェさんかわいい、と言い換えてもよい。
 サウンドは主題歌、劇伴、SEともに恐ろしく出来がよかった。SEは特にクルマや列車やキカイのメカニカルな駆動音、ガンやカタナやクツの硬質な反響音が最高に耳を楽しませてくれた。音響は『ガルパン』と同じスタッフだと聞いたが、確かにあれも音がよいアニメだったな。
 アンジェが4話において、敵陣でプリンセスとイチャコラしながら(「船上デート開始」のコメントで爆笑した)放った名言「歯止めが利かなくなる」のパンチ力と汎用性の高さは、これからも語り継いでいくべきものだと思う。
 最後に、あえてけちを付けるなら、「壁」というモチーフや「嘘つき」「嘘」というキーフレーズに比べて、Cボール・ケイバーライトが劇中で果たす役割や象徴性が若干弱く感じられた。1話であれだけフィーチャーされていたので、重力……アンジェたちを縛り付ける様々なしがらみからの自由、という落とし込みがされるかと勝手に予想していた。最終話におけるアンプリのイチャイチャランデブーでの使い方は美しかったが、倫敦の宙を飛ぶ無重力感とスケール感が伝わるカットがもう少しあればなおよかった。あとは、発熱と冷却の描写が1話と3話以外でほとんど見られなかったのはちこっと残念。デメリットがはっきりと提示されていた方が駆け引きが生まれるし、切り札として立ち上がってくるからだ。
 他には、チーム白鳩メンバーの強烈さに比べて、Lたちコントロールの上層部の個性や存在感が薄く感じたかな。あと、ノルマンディー公らヴィランの評価は現段階では下せない。あれで本当に幕切れならば、ノル公もガゼルも無駄に存在感を出しすぎているし、因縁を作ったわりに消化不良だと言われても反論できない。もし2期があるならば彼らの躍進に期待したい。

黒蜥蜴星のお塩です。
 画と脚本ががっつり作り込まれていて、示唆に富みつつ、しかし余計なことを語らない映像作品はただそれだけで素晴らしい。『プリンセス・プリンシパル』はそうしみじみと思わせる作品だった。2期は観たいような観たくないような複雑な気持ちやね(抜け番のケースは是が非でも観たい)。
 ついでに、私の観測範囲では驚くほどの履修率で、満足度もかなり高く見受けられたことは報告しておく。よい作品が広く認知されるのはやっぱり嬉しいね。

※1
 とは言え、「いいえ、いいえ、いいえ」のトーンを聞く限りでは、アンジェもエリックが真実を打ち明けることを心のどこかで期待していたと思うし、もしそうしていたら無碍な扱いはしなかっただろう。

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2017年09月23日

サモンナイト クラフトソード物語 レビュー・感想 女主人公選択可のライトファンタジーに見る百合ゲーの萌芽

 2017年現在にプレイすると、全般的な単調さがかなりしんどい。先人の苦労を偲ぶという目的がなければ、あえて前世代のハードを用意してプレイするほどではない。

 『サモンナイト クラフトソード物語』を評価するならば、当時の時代背景を考えないのは片手落ちだろう。私は世代から若干ずれているのだが(気付いたときには『アカイイト』と『少女セクト』があった世代だ)、百合ゲームがほとんどなかった時代においては、主人公が男女選択可能なゲームで妄想を楽しむという文化が重要な位置を占めていたのだ。どんな作品が対象かというと、洋ゲーテイストのフリーシナリオゲー(『シルフェイド幻想譚』など)や、『ドラゴンクエストⅣ』や、『スーパーロボット大戦』や、この作品のスピンオフ元である『サモンナイト』シリーズなどである。ライトな恋愛要素があるシナリオで、主人公のポジションに女主人公を当てはめれば、見事な百合ゲーが完成するというスンポーだ。この「ライトな」恋愛という点が(癪に障るが)ミソだったのである。というのも、正式な交際や結婚が話に絡んでくるゲームだと、女主人公の選択時にヒロインとのイベントが制限されることが少なくないからだ(癪に障るが)。特にコンシューマゲームではこの色合いが強い。調べてみたが、『ガンパレード・マーチ』は恋人になれない、『ペルソナ』は個別エンドが存在しない、『牧場物語』や『ファイアーエムブレム 覚醒』は結婚できない(FEは確か次回作で半端なことをして火に油を注いでいたな)。視点が変わるが、『ドラクエ』のⅤやⅧで女主人公が選べないのは同じ事情だろう。しかし、特定のキャラと親密になれるが、あくまで「仲良し」の範疇に収まっているゲームならば、女主人公の場合でもイベントのロックや台詞の差し替え無しで「問題にならない」というわけだ。そういった癪に障る制約の間隙からこぼれ落ちて生まれたような百合ゲーが、ちょうど『サモンナイト』だったわけである。
 さて、話を今回の『クラフトソード物語』に移すが、基本的に上述した作品の流れを汲むものの、そこから一歩踏み込んでいると言える。というのもこの作品、物語の導入部でパートナーとなる召還獣を(性格診断の選択肢によって)選択できて、のちに彼ら彼女らとも親密なイベントも発生するのだが、そのうちの一人であるジニーのシュガレットさんは、なんと主人公が女である場合に絡みのイベントが濃厚になるのだ! 有名なところだと、初登場時にいきなり主人公のファーストキスを奪ってくるシーンがあるのだが、これは男主人公だと発生しない。台詞の差分も相当数あるらしいが、無難な台詞への差し替えでなく、逆に「女の方でも大丈夫です…」といったガチなものが差し込まれている。スタッフの本気度は見上げたものである。

 しかしながら、肝心かなめのゲーム性、探索のRPGパートと戦闘のアクションパートの単調さは少々目に余る。
 ダンジョンは基本的には主要ダンジョンである地下迷宮をひたすら下りていくだけで代わり映えがなく、謎解きも皆無に等しい。ダンジョンを下っていってもやることに目新しさがない。たまにおつかいで余所の時限ダンジョンに挑むときもあるが、そこでも固有のギミックはほとんどない。
 アクションパートは爽快感に欠けている。原因は、攻撃を繰り出して敵を打ち払う感触より、のけぞらされない、ダウンさせられない立ち回りを強制されるストレスの方が強いからだろう。こっちは一人なのに対して敵はわらわらと群がってきて、ちょっとつつかれるとのけぞって攻撃が中断されてしまう。袋にされて連続攻撃を受けたり大降りの一撃を避けきれず食らったりすると、あっという間にダウンして操作不能になってしまう。率直に言ってイライラした。このゲームには剣、斧、拳、槍、ドリルという武器の体系があるのだが、自分は自然と、通常戦闘では遠間から敵を一方的にちくちく突けて、囲まれたり飛び込まれたりしてもなぎ払い(発生クソ早い・全方位攻撃)で対処できる槍しか使わなくなっていた。発生が遅くてすぐ攻撃を潰される斧や、リーチが狭くてバカスカ反撃を喰らう拳は使う気にならなかった。また、レベルを上げても、苦労して素材を集めて強い武器を作っても、戦闘で取れる行動は物語の開始から最後までほぼ変わりがないのが単調さに拍車を掛けている。属性付きの武器は装備すると溜め攻撃が出来るものの、隙だらけな上に溜め中に移動力が激減するせいでふらふらする敵を追えず、ほぼ死に技。装備でもフラグでもいいので、何かしら有効なアクションが増える要素があれば、立ち回りの選択肢が増える達成感もあっただろうに。切り返しに使えるメガクラッシュとか、無敵時間ありの突進技とか、移動しながらチャージが出来る、アーマーありの溜め技とか、そういうのよ。
 あと、早期に強力な武器を入手するためには、イベント戦の敵をちまちまと武器破壊で倒すことを強要している(そうしないと武器を作るための秘伝が手に入らない)のはゲームデザインとしてどうかと思った。一番の腕の振るいどころであるボス戦で、実質的にプレイスタイルを制限することに疑問は浮かばなかったのだろうか。
 かてて加えて、私が有名どころの名作RPGしかやっていないせいもあるだろうが、テキストに面白みがなくて会話や情報収集に楽しみが見出せなかった。シナリオも特筆するとことはない。

 もちろん、2003年という発表時期や携帯ハードの作品であることも考慮しろ、という意見もあるだろう。しかし、同時期かつ同ハードの作品である『メトロイド ゼロミッション』や『ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし』(ともに2004年)は、シリーズ最高傑作とは呼べないにしろ、本体のスペック、画面サイズ、ボタン数などの制限の中であれだけ完成度の高い操作感、やり込み度、報酬系を刺激するレベルデザインを備えていた。純正のRPGでも『黄金の太陽』(2001年、2002年)はかなりの冒険感があったし、エナジーを使った謎解きもけっこう頑張っていた。テキストは褒められたものではなかったが、音楽もグラフィックもいい線行ってた。『クラフトソード物語』はこのクラスの作品に比べると二、三枚落ちると言わざるをえない。百合ゲーとして、コンシューマの、それもけっこう頭の硬い任天堂のハードで一歩踏み込んできた意気は買うが、トータルで評価して2017年現在においてもプレイに耐えうる作品かと訊かれると、言葉を濁してしまう。

 誰も聞いちゃあいないが、私もゲームで主人公の性別が選べるなら基本的に女しか選ばない。最近の作品だと『ポケットモンスター サン・ムーン』でもミヅキさんを選んでいて、「ミヅリリキテルグマ……」と思いがけず喜んでいたところだ。百合ゲーの枠以外でプレイした作品で思わぬ収穫があると無性に嬉しいのは、なんだろうねあれ。
 百合ゲーの名作がたくさん生まれてほしいのは言うまでもない。それとはまたちょっと違ったベクトルで、異性でも同性でも自由に恋愛できるゲームがもっと出てほしい、自分が子どもの頃からやってきたゲームでも同性同士でプレイがしたい、という想いは絶えずくすぶっている。

サモンナイト クラフトソード物語
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tags: 百合 
2017年08月31日

ことのはアムリラート レビュー・感想 ろくな衝突もない異文化交流、展開に動かされるキャラクター

 ユリアーモでもハナモゲラでも何でもいいですが、 異世界や異国語の設定をはりきって作る以前にドラマの導入部と核になる部分を真っ当に作り込んでもらいたいです。

 超展開百合ゲーの雄、J-MENTによる異世界・異言語ファンタジーです。私は過去作『Volume7』『ひとりのクオリア』『ふたりのクオリア』の出来にげんなりしていたので、今作はかなり期待値を低く設定していたのですが、そこは越えない出来でした。
 まるで成長していない……と思ったのは、あまりにも掴みの弱い導入部です。思ったんですが、この人の作品って常にシチュエーションありきなんですよね。「引きこもりの子とまめまめしく世話を焼く子のほのぼの同棲生活」「イケメンのヒモと彼女にかどわかされる女学生の刺激的な同棲生活」「言葉が異なる少女たちのドキドキ同棲生活」といった設定がまずあって、そこにキャラクターが押し込められているとしか感じられないのです。そこに至るまでの過程や、キャラクターの想い、バックグラウンドはろくすっぽ描写されません。初っぱなの掴みが弱すぎるから、その後のドラマに訴求力が生まれないんですよ。今作では、元いた世界から切り離されて絶望していてしかるべき主人公のタヌキさんが、あれよあれよという間にウサギさんに拾われて同棲生活に順応し、お風呂場でのラッキースケベイベントを回収しだすあんばいです。のっけから気が遠くなり、気付いたときにはうさぎさんにボディをおさわりしながらのムフフな単語学習をさせてもらっている有様で、私は例のごとく置いてけぼりにされていました。ときにこの主人公、あまりにも背景が薄っぺらくないですか? ときどき思い出したように描写が希薄な回想が差し込まれるものの、この人が物語の開始以前にどんな人生を送ってきたのか全然イメージができないのですが。酷い言葉ですが、作者がドキドキ同棲生活を送らせるためだけに創り出したコマのようでした。
 逆にいくらか改善されていると思ったのは、同棲生活のホストになる少女に納得のいく動機付けをさせているところです。実はウサギさんもタヌキさんと同じく元訪問者で、同じように困り果てていたところをフクロウさんに保護された経験があるため、自身も彼女の立場になって人を助けたかったというのは、とても共感できて好感が持てました。もっとも、このことが明かされるのはほとんど終盤に入ってからなので、物語を牽引しているかというとこれぽっちもしていないのですが。
 クライマックスの展開は、あまりにも投げやりであ然としてしまいました。異世界トリップものにおいて、主人公は今の世界に留まるのか元の世界に戻るのか、パートナーないし周囲の人間は引き留めるのか送り出すのかは、永遠の命題でしょう。しかし、元いた世界、残してきた人に対する思いが真っ当に描写されていないのに、帰る帰らないで悩んでぐだぐだと引っ張られても興醒めするだけです。同様に、どう見てもヒロインと主人公の思いが通じ合っていて、かつ元の世界に帰すことに妥当性や緊急性が見受けられないのに、相手が主人公を送りだそうと躍起になられても「は? なんでなん?」としか思えません。話の都合のためにキャラクターを動かさないでください。悲劇を演出するためにキャラクターの人間性を踏みにじらないでください。あまりにも当たり前のことなので、口にしていてこっ恥ずかしいです。結局、この作品で最後まで人間味が感じられたのは、既に自身の物語が完結していて一歩引いた立場から主人公たちを見守るフクロウさんだけでした。
 ちょっと前に『SHOW BY ROCK!!』を見たときにも思ったことですが、主人公に占める元の世界のウェイトがあまりに希薄なら、どうして帰る必要があるんですかね? そらあ現地妻のいる異世界に残るっしょとしか思えないんですが。読み手にそう思わせてしまう時点で、筋運びやバックボーンの構築に失敗しているのは明らかでしょう。
 あとは、予算の都合なのかもしれませんが、原画にしろグラフィックにしろサウンドにしろボーカル曲にしろ、過去作に比べて大幅にグレードダウンしているのは残念でした。特に立ち絵、主要登場人物が三人しかいないのに基本ポーズのパターンすらないのはあんまりじゃあないでしょうか。みみっちさを感じるだけでなく、視覚的に情感を乏しくしています。あと、ヒロインの顔がサリーちゃんのよし子ちゃんみたいなナスビ顔で可愛くないですね(ぼそっ)。予算がないならないで切り捨てるものを見極めるべきであり、そうなると真っ先にぶった切るべきなのはあのしょうもない勉強システムじゃないですかね。
 あの勉強システムが「しょうもない」としか思えなくて、やらされてる感、ぼくの調べ物大発表会・ノートの設定披露宴に参加させられている感が強いのは、言語学習の進度と二人の思いの深度がほとんどリンクしていないからでしょう。二人のお互いに対する好感度は、異世界に転生した「小説家になろう」の主人公のごとく、最初からカンストしているようにしか見えませんでした。私はあくまで物語が読みたいのであり、キャラクターのことを知りたいのであって、作者が考えた設定のお勉強をさせられたいわけではありません。
 結局、この作品が抱える問題の大元を辿っていくと、「言葉を勉強しながらのイチャイチャ同棲生活♪」というシチュエーションありきの姿勢に行き着くのではないでしょうか。

 物語の中で他に共感できるのは、タヌキさんがウサギさんにより強く想いを伝えるために言語の勉強に打ち込む真摯な姿勢そのものと(上に書いた通り、なんでこの状況で平然と勉強してるの? 元の世界に戻る方法は調べないの? とはずっと思ってましたが)、訪問者の先輩であり、あまりにも辛い別れを経験しているフクロウさんが二人に託す想いくらいで、あとは全般的に疑問符が残りました。ラストはいくらなんでもひどすぎやしませんかね。ファンの方はあれで納得できたのでしょうか。

ことのはアムリラート 通常版
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2017年07月25日

白衣性愛情依存症 レビュー・感想 散漫とっちらかっぷりはさらに悪化

 前作『白衣性恋愛症候群』からシナリオ担当が代わり、シナリオゲームへの歩み寄りが見られる一方、一番言いたいことが何なのか伝わってこない点はまったく解決していない。散漫とっちらかっぷりはむしろ悪化している。

 まず作品全体の構成について。出自が不明な主人公がヒロインとの距離を縮めていくうちに彼女の心の裡と多層的な謎が明らかになる、という構成は一般的なシナリオゲームのそれに近く、前作に比べて作品を通しての読み応えは微増していた。一方で、タイトルにもある白衣……看護については真面目に向き合うのはほんの序盤だけで、前作ではいくらか冗長ですらあった描写はなおざりもいいところになっている。シナリオの比重は前述した過去の謎の解明に移っているのだが、謎の研究施設、謎の人体実験、謎の超能力、謎の人格憑依といった設定はかなり突拍子がなく、バックボーンは説得力があんまりない。一つまた一つと謎が解けていくさまはそれなりに楽しいのだが、その謎に引きずられる形で作品の芯はますます不明瞭になっていて、終わってみたら何について書かれた作品だったのかよくわからなくなること必至。
 前作から継承された要素としては、ショッキングなゴシップの要素がある。不倫に始まり薬物洗脳、果てはカニバリズムやネクロフィリアまでよりどりみどり、全年齢対象でやりもやったりだ。しかし、キワモノエンドが各ヒロインに1個ずつご丁寧に用意されているさまはまるで営業ノルマをこなしているかのようであり、分岐もバッドエンド前の選択肢で決まるお手軽さなので、上滑りがさらに酷いことになっている。悲劇に対する美学もこだわりもまったく感じられず、「ゆるふわ萌えゲーと思わせてショックを与えちゃる!」という下心はこれまで以上に明け透けだった。けっこう鼻についた。このおやつ感覚の鬱要素が作風の乱れに拍車を掛けているのは言うまでもない。
 シナリオ担当の向坂氷緒について。過去作『384, 403km―あなたを月にさらったら』はHライトノベルとして割と楽しく読んだのだが、この作品は才気がさっぱり感じられなかった。せいぜいクラゲ(部部長)や星(をおうひと)というモチーフの落とし込みに片鱗の切れっぱしくらいが見えた程度だ。
 テキストは、主人公の頭のゆるさに呼応するように前作よりさらにゆるくなっていて、単刀直入に言うと幼稚だった。ますますターゲットの年齢層がわからなくなる。中には
「なんで今日になって、すとーかーさん(←やわらか表現)みたいな真似を?」
「びゅうう、ってそれに風も出てきて、なんだか不穏な感じのする空、天気だった。」
「わたし、えっへん。『うう…………(ずーんorz)』」(すべて原文ママ)
 といったあまりにも頭の悪い文章があったが、サブライターの仕事であってほしいな。

 これならまだ、共通ルートに限れば看護の仕事と人の生き死にに真剣に向き合っていた前作のほうが多少なりとも訴えてくるものがあった。作品としての出来はどっちもどっちで、どちらもあんまりお勧めできない。

工画堂スタジオ 白衣性愛情依存症 PC普及版
B01N997HIN

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2017年05月07日

「レズはひとりでいてもレズ。百合は二人いるのを外部が見て決めるもの」という言説のアホらしさ

 私は掲題のような「百合はうんぬん、レズはかんぬん」という言説が大っ嫌いだ。そこに当てはめられる言葉がどんなものであろうと関係ない。心底嫌な気分にしかならない。こんなことを脂下がった面で言っている奴は100%信用ならないと断言できる。
 いつか記事で書きたいと思いつつちょうどよいソースが見つからなかったのだが、先日、ツイッターのタイムラインでうってつけの論説を見つけた。記事の締めくくりで引用されているのが森島明子、天野しゅにんた両名による以下のような言説だったのだが、ちょうどよいあんばいのとんちんかんっぷりだった。

 「百合」と「レズビアン」の違いは何か、というこれまでに幾度と無く繰り返されては答えが出ないままにされてきた問いに、1つのクリティカルな回答を示した例があり、それは先述の「ユリイカ2014年12月号 特集:百合文化の現在」に掲載された人気百合漫画家・天野しゅにんた先生のインタビュー内において天野先生が引用した、こちらもまた人気百合漫画家である森島明子先生の言葉によるものです。

 「レズはひとりでいてもレズ。百合は二人いるのを外部が見て決めるもの。本人達がどう考えているかはともかく、百合は外部から見てはじめて百合になる」

 あくまで数ある定義の1つではあるのですが、百合を語るにおいて覚えておきたいこの金言。社会人百合がますます可能性を広げ、勢いを増していくうえでは切り離せないものになるかもしれません。

「百合」は少女ばかりではない! 「社会人百合」の魅力を伝えたい - ねとらぼ


 そもそも、当事者の自称でもなく「レズ」という言葉を平然と使っていることに神経を疑うが……。
 記事の論旨はさておき、こんな馬鹿げた言説を得意げに開陳している時点で説得力もへったくれもない。多少こましゃくれた言葉で飾っているものの、この人たちが鼻息も荒く主張していることって、こんな暴言と対して変わらないと思う。

メイド好き、ロリコン……みたいに「ジャンルとして女が好き」と言ってるのはレズ
男も好きならバイになると

恋愛か憧れか知らんが好きになってしまった相手が「たまたま女だった」ってのが百合かなと

お前ら百合はどこまで許せるの? - VIPの百合


「レズは女が好き、百合はあなたが好き
レズは原因、百合は結果

レズは女が好き、百合はあなたが好き レズは原因、百合は結果


 私は百合というジャンルの、妙なトクベツ感に浸っていて、恋愛至上主義・関係至上主義で、狭量なところが本当に苦手だ。
 なぜ、同性の関係に限って、特別な相手がいないと駄目で、外部から認めていただかないといけないのだろうか。あんたたちは彼女いない歴=年齢の子がかわいい彼女を作る! という漠然とした野望に向かってまい進するような話を認めないのか? 特にパートナーも思い人もいない同性愛者が仕事なり学生生活なり趣味なりのアクティビティに一心不乱に打ち込む話を認めないのか? 「二人いる」のではなく三人や四人でポリアモリーな生活を送る話を認めないのか? 掲げた教義に殉じるならば、認めないんだろうなぁ。
 こんなことを言うと「それは『百合』として認めないだけ、ジャンルの『区別』であって差別ではない」という反論が来そうだが、同性愛に限って、特別な相手の存在について取りざたして論じている時点で、歪んだ眼差しがあるのは否定しようがない。誰が何と言おうと、「レズはぺけぺけ、百合はほにゃらら」説は、前者の同性愛者や性愛を「~だけど」と下げて、後者の百合をより上位のものとして持ち上げる歪な構図にしている。隠しきれないホモフォビアがにじみ出ている。何かを足蹴にしないと「百合」とやらを持ち上げられないならば、表現力が貧相で志が低いとしか思えない。
 自分の好きな作家がこのようにトンチキな言説を金科玉条にしていたら死ぬほど落ち込むところだったが、天野しゅにんたも森島明子も自分にとってすこぶるどうでもいい存在だったのでよかったよかった。
 そうそう、外部に見られて初めて存在が認められるという理屈に対する薄気味悪さは、『ハリー・ポッター』の登場人物であるダンブルドアのセクシャリティに関する騒動を思い起こさせた。作者であるJ・K・ローリングが彼はゲイだと説明したときに、「そんな描写は本編のどこにもなかった」「そんな伏線はどこにもなかった」と困惑したり、あるいはいきり立ったりする読者がいたらしい。窮屈さと馬鹿馬鹿しさでは、本案件とどっこいどっこいだと思う。

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2017年04月22日

けものフレンズは何話が好きですか

 みなさんは『けものフレンズ』全12話でどのエピソードが好きですか?
 私は第1話「さばんなちほー」、第3話「こうざん」、第11話「せるりあん」から第12話「ゆうえんち」に掛けてが特にお気に入りです。


 1話については以前の記事であらかた書いています。とにかく密度が尋常じゃない。
けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲
 新しいフレンズとの出会い、ちほーの冒険とフレンズの特徴の紹介、セルリアンとの戦い、別れと素敵な旅立ち……。町山智浩は映画作家の処女作にはその人の資質がすべて詰め込まれていると言っていましたが、それにも似て『けものフレンズ』の1話にはこのアニメの要素がすべて登場しています。
 この作品の各エピソードは、2話から9話では主に冒険旅行とフレンズとの交流、10話から12話の前半に掛けてはSFミステリーとセルリアンとのシリアスバトルが描かれていて、トーンがわりかし分かれているんですよ。にもかかわらず、それが空中分解せずに一つの流れ・一つの作品として成立しているのは特筆に値するところです。そこに視聴者の導き手たる1話が果たしている役割はかなりの比重があると思います。
 あと、1話の最後にオープニング曲「ようこそジャパリパークへ」が流れますが、言ってみればこの曲も作品全体の縮図なんですよね。オーイシマサヨシ謹製のドラマティックな曲展開に、ジャパリパークへの(ダイナミック)入園(あの映像的没入感!)、三人の主人公であるかばんちゃん・サーバル・ボスの集い、フレンズとの出会い、ジャパリバスでの冒険旅行、夕暮れの海辺と意味深な素材による明らかな別れの示唆、そして導入部と逆の構図での、フレンズたちに見送られてのパークの退園……というストーリー性を持った映像が被さってきて、もはや一つの世界観として成立しています。サビ2「ウェルカムトゥようこそジャパリパーク――」でバスが跳ねる躍動感と冒険感、Cメロ「夕暮れ空にそっと指を重ねたら――」のしっとりとした切なさ、Dメロ「ララララ ララララララ――」の上方にパンするカメラとともに募るもの寂しさと来たらと、ありません。個人的な欲を言えば、最終話ではOPのシルエット完成版を流してもらいたかったですね。いやしかし、スナネコはんの「ぼくのフレンズ」2番も凄まじい破壊力だったし、う~ん。
 1話はニコニコ動画であまりにも繰り返し見すぎたので、いろいろ感覚が麻痺しています。


 3話は後追い組である私が「これは確かに並じゃあない、みんなが騒ぐわけだ」とひとりごちた回なので、ことさら思い入れがあります。
 この話の何が凄いかって、荒れた人工施設(ロープウェイのりば)の探索、(次第にお約束のギャグになってくる)ボスのフリーズ、新たなフレンズであるトキとの出会いと習性の紹介、高山の踏破(飛んでだけど)、ジャパリカフェの発見ともう一人のゲストキャラであるアルパカ・スリとの出会い、客足のないカフェという問題の発覚、かばんちゃんの叡知の発揮とフレンズとのアクティビティ、ショウジョウトキの到来という鮮やかなオチ、バッテリー充電のクエスト達成、下山からの、もう一人の相棒とも言えるジャパリバスの劇的発進(「う゛っ!」「……」「危ないよ~」)、Cパートでのばすてきコンビの本格始動というように、イベントがこれでもかと用意されているにもかかわらず、これっぽっちもせわしなくないのが凄いんですよ。1話から続くのんびりとした空気はそのままに、かばんちゃんたちにこれだけの動きをさせているのは地味にとんでもない。たつき監督のタスク管理能力、構成力、間の演出力の高さがもっとも表れているのがこの話ではないでしょうか。
 3話はエピソード単体での完成度もずば抜けていると思います。まずストーリーラインがシンプルでかっちりしているのがグーです。かばんちゃん(並びにヒト)の能力である「コミュニケーション能力が高い」(ハカセ)「困っている子のためにいろんなことを考えつく」(サーバル)がこれ以上ない説得力を以て発揮されているもよい。そして、話の結びで、仲間を捜しているというトキの問題と、カフェにお客さんが来ないというアルパカの問題が、カフェのシンボルとトキの歌声に注意を引かれたショウジョウトキが訪れたことによって同時に打開されるさまがあまりもドラマチックで、言葉を失ってしまいました。あそこのシークエンスを出来すぎだ、ご都合主義だと捉える人ももちろんいるかと思いますが、それはフィクションに対する受容度の問題でしかないでしょう。私はただただ、すがすがしさと作劇の見事さに打ちのめされていました。
 経年劣化した人工物の背景と、それを利用した牧歌的生活というアンビバレンスな日常感も心地よいですね。『ヨコハマ買い出し紀行』や『少女終末旅行』などを例に挙げるまでもなく、荒廃した世界での旅・日常(ポストアポカリプス)というのは、われわれを惹きつけて止まないものです。ある種の原風景なのでしょうか。
 そして、ゲストキャラのトキとアルパカは二人ともが抜群にキャラが立っていますね。自分の世界を持っていて、おそろしくマイペースだけれどやっぱりしたたかで優しくい。私の中でのフレンズのイメージは、けっこうな比重でこの二人に作られていると思います。それに加えて、あの最っ高に変な声が最っ高に素晴らしいじゃあありませんか! 私は『けものフレンズ』をある種の人形劇だと捉えているふしがあるのですが、劇において一度聞いたら忘れられない声というのは得がたいストロングポイントですよね。3話から4話にかけては変声声優のつるべ打ちといった勢いで、耳があまりにも楽しすぎます。
 もう一つおまけに、このエピソードは○○おにいさん・おねえさんの解説まで面白いなのがずるい。「ふ~ん、アルパカってイメージに反して縦社会のルールが……ないんか~い!」



 11話。泣いた、泣いたよ、泣きましたとも。思いっきり早起きしちゃいました。最大瞬間風速は、一度木からずり落ちかけたかばんちゃんが、誰もがあの人のものだとわかるかけ声と共に駆け上がるところでした。
 SFミステリーとしての山場で、1話から常に漂っていた不穏がついに頂点に達する前半パートから、巨大セルリアンとの正面対決へと流れ込む後半パート、無情に潰されるかばんちゃんという衝撃の幕引きまで、ひっきりなしの怒濤の展開で息つく暇もなし。そんな中で、ボスとの初めての血の通った会話、不測の事態での華麗なハンド切り(ぱっかーん)、かばんちゃんの木登り、カバのダメ出し「あなた泳げまして?」「空は飛べるんですの?」「じゃあ足が速いとか?」を真っ向から打ち破ってのダイブ、という今まで積み上げてきたものが一気呵成に襲いかかってくる演出と相まって、私の心はしっちゃかめっちゃか、どったんばったん大騒ぎでした。続く12話の、サーバルを冷遇していたように見えたボスとの本音での会話、フレンズ全員集合からの怒濤の加勢、映像的にも息を呑む美しさの、サーバルちゃんのエンチャントファイア紙飛行機、そしてラストの、一目で1話のリプライズとわかるお別れまで含めて、あまりにも丁寧で堅実な仕事です。ヘラジカ監督の作劇の姿勢、奇をてらわず実直に一つ一つ伏線や前振りを積み重ねていくスタイルって、今の市場では逆に珍しいんでしょうか。
 あと、シリアスパートのゲストキャラ代表であるヒグマが、巻きの展開の中でキャラが確立されていて地味に凄いと思いました。あの進退窮まる状況の中で、かばんちゃんたちやハンターの同僚たちにあえて逃げる選択肢を残すところに、ぶっきらぼうなやさしさやハンターとしての誇りがにじみ出ていてぐっときました。対決の後にハカセたちにいじられるポジションに収まっていたのもおいしいですね。
 最後に、11話から12話に掛けてをリアルタイムで触れられたのは本当によかったです。私は11話放映直後にニコニコ動画1話を見たのですが、冒頭から阿鼻叫喚のコメントが溢れ、たつき許さねぇという怨嗟の声とたつきを信じろという祈りの声がクロッシングしていました。そして、戦闘力として真っ当なカバはいいとして、シマナメクジから第3の壁の向こうにいるしんざきおにいさんまでありとあらゆるものに助けを求めるコメントが溢れていて、少し笑ったのをよく覚えています。んで、サーバルちゃんが木登りを教えてくれるところで、予測はしていたのにやっぱりぼろぼろ泣いてしまいました。
 12話の放映後の1話は一転して、「たつきありがとう」と監督を賛美するコメントや、森羅万象に感謝を捧げるコメントで一新されていたので、またまた笑ってしまいました。あの時の一体感、ライブ感は、例えようがなく心地よかったですね。『けもフレ』は動画コメントの文化や匿名掲示板・SNS文化とも奇跡的にマッチしたアニメだったと思います。

 以上、長々と語ってしまいましたが、みなさんのひいきはどのエピソードで、どのフレンズでしたか? 『けものフレンズは』はそれをいろんな人に聞いてみたくなるアニメでした。

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