2017年04月22日

けものフレンズは何話が好きですか

 みなさんは『けものフレンズ』全12話でどのエピソードが好きですか?
 私は第1話「さばんなちほー」、第3話「こうざん」、第11話「せるりあん」から第12話「ゆうえんち」に掛けてが特にお気に入りです。


 1話については以前の記事であらかた書いています。とにかく密度が尋常じゃない。
けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲
 新しいフレンズとの出会い、ちほーの冒険とフレンズの特徴の紹介、セルリアンとの戦い、別れと素敵な旅立ち……。町山智浩は映画作家の処女作にはその人の資質がすべて詰め込まれていると言っていましたが、それにも似て『けものフレンズ』の1話にはこのアニメの要素がすべて登場しています。
 この作品の各エピソードは、2話から9話では主に冒険旅行とフレンズとの交流、10話から12話の前半に掛けてはSFミステリーとセルリアンとのシリアスバトルが描かれていて、トーンがわりかし分かれているんですよ。にもかかわらず、それが空中分解せずに一つの流れ・一つの作品として成立しているのは特筆に値するところです。そこに視聴者の導き手たる1話が果たしている役割はかなりの比重があると思います。
 あと、1話の最後にオープニング曲「ようこそジャパリパークへ」が流れますが、言ってみればこの曲も作品全体の縮図なんですよね。オーイシマサヨシ謹製のドラマティックな曲展開に、ジャパリパークへの(ダイナミック)入園(あの映像的没入感!)、三人の主人公であるかばんちゃん・サーバル・ボスの集い、フレンズとの出会い、ジャパリバスでの冒険旅行、夕暮れの海辺と意味深な素材による明らかな別れの示唆、そして導入部と逆の構図での、フレンズたちに見送られてのパークの退園……というストーリー性を持った映像が被さってきて、もはや一つの世界観として成立しています。サビ2「ウェルカムトゥようこそジャパリパーク――」でバスが跳ねる躍動感と冒険感、Cメロ「夕暮れ空にそっと指を重ねたら――」のしっとりとした切なさ、Dメロ「ララララ ララララララ――」の上方にパンするカメラとともに募るもの寂しさと来たらと、ありません。個人的な欲を言えば、最終話ではOPのシルエット完成版を流してもらいたかったですね。いやしかし、スナネコはんの「ぼくのフレンズ」2番も凄まじい破壊力だったし、う~ん。
 1話はニコニコ動画であまりにも繰り返し見すぎたので、いろいろ感覚が麻痺しています。


 3話は後追い組である私が「これは確かに並じゃあない、みんなが騒ぐわけだ」とひとりごちた回なので、ことさら思い入れがあります。
 この話の何が凄いかって、荒れた人工施設(ロープウェイのりば)の探索、(次第にお約束のギャグになってくる)ボスのフリーズ、新たなフレンズであるトキとの出会いと習性の紹介、高山の踏破(飛んでだけど)、ジャパリカフェの発見ともう一人のゲストキャラであるアルパカ・スリとの出会い、客足のないカフェという問題の発覚、かばんちゃんの叡知の発揮とフレンズとのアクティビティ、ショウジョウトキの到来という鮮やかなオチ、バッテリー充電のクエスト達成、下山からの、もう一人の相棒とも言えるジャパリバスの劇的発進(「う゛っ!」「……」「危ないよ~」)、Cパートでのばすてきコンビの本格始動というように、イベントがこれでもかと用意されているにもかかわらず、これっぽっちもせわしなくないのが凄いんですよ。1話から続くのんびりとした空気はそのままに、かばんちゃんたちにこれだけの動きをさせているのは地味にとんでもない。たつき監督のタスク管理能力、構成力、間の演出力の高さがもっとも表れているのがこの話ではないでしょうか。
 3話はエピソード単体での完成度もずば抜けていると思います。まずストーリーラインがシンプルでかっちりしているのがグーです。かばんちゃん(並びにヒト)の能力である「コミュニケーション能力が高い」(ハカセ)「困っている子のためにいろんなことを考えつく」(サーバル)がこれ以上ない説得力を以て発揮されているもよい。そして、話の結びで、仲間を捜しているというトキの問題と、カフェにお客さんが来ないというアルパカの問題が、カフェのシンボルとトキの歌声に注意を引かれたショウジョウトキが訪れたことによって同時に打開されるさまがあまりもドラマチックで、言葉を失ってしまいました。あそこのシークエンスを出来すぎだ、ご都合主義だと捉える人ももちろんいるかと思いますが、それはフィクションに対する受容度の問題でしかないでしょう。私はただただ、すがすがしさと作劇の見事さに打ちのめされていました。
 経年劣化した人工物の背景と、それを利用した牧歌的生活というアンビバレンスな日常感も心地よいですね。『ヨコハマ買い出し紀行』や『少女終末旅行』などを例に挙げるまでもなく、荒廃した世界での旅・日常(ポストアポカリプス)というのは、われわれを惹きつけて止まないものです。ある種の原風景なのでしょうか。
 そして、ゲストキャラのトキとアルパカは二人ともが抜群にキャラが立っていますね。自分の世界を持っていて、おそろしくマイペースだけれどやっぱりしたたかで優しくい。私の中でのフレンズのイメージは、けっこうな比重でこの二人に作られていると思います。それに加えて、あの最っ高に変な声が最っ高に素晴らしいじゃあありませんか! 私は『けものフレンズ』をある種の人形劇だと捉えているふしがあるのですが、劇において一度聞いたら忘れられない声というのは得がたいストロングポイントですよね。3話から4話にかけては変声声優のつるべ打ちといった勢いで、耳があまりにも楽しすぎます。
 もう一つおまけに、このエピソードは○○おにいさん・おねえさんの解説まで面白いなのがずるい。「ふ~ん、アルパカってイメージに反して縦社会のルールが……ないんか~い!」



 11話。泣いた、泣いたよ、泣きましたとも。思いっきり早起きしちゃいました。最大瞬間風速は、一度木からずり落ちかけたかばんちゃんが、誰もがあの人のものだとわかるかけ声と共に駆け上がるところでした。
 SFミステリーとしての山場で、1話から常に漂っていた不穏がついに頂点に達する前半パートから、巨大セルリアンとの正面対決へと流れ込む後半パート、無情に潰されるかばんちゃんという衝撃の幕引きまで、ひっきりなしの怒濤の展開で息つく暇もなし。そんな中で、ボスとの初めての血の通った会話、不測の事態での華麗なハンド切り(ぱっかーん)、かばんちゃんの木登り、カバのダメ出し「あなた泳げまして?」「空は飛べるんですの?」「じゃあ足が速いとか?」を真っ向から打ち破ってのダイブ、という今まで積み上げてきたものが一気呵成に襲いかかってくる演出と相まって、私の心はしっちゃかめっちゃか、どったんばったん大騒ぎでした。続く12話の、サーバルを冷遇していたように見えたボスとの本音での会話、フレンズ全員集合からの怒濤の加勢、映像的にも息を呑む美しさの、サーバルちゃんのエンチャントファイア紙飛行機、そしてラストの、一目で1話のリプライズとわかるお別れまで含めて、あまりにも丁寧で堅実な仕事です。ヘラジカ監督の作劇の姿勢、奇をてらわず実直に一つ一つ伏線や前振りを積み重ねていくスタイルって、今の市場では逆に珍しいんでしょうか。
 あと、シリアスパートのゲストキャラ代表であるヒグマが、巻きの展開の中でキャラが確立されていて地味に凄いと思いました。あの進退窮まる状況の中で、かばんちゃんたちやハンターの同僚たちにあえて逃げる選択肢を残すところに、ぶっきらぼうなやさしさやハンターとしての誇りがにじみ出ていてぐっときました。対決の後にハカセたちにいじられるポジションに収まっていたのもおいしいですね。
 最後に、11話から12話に掛けてをリアルタイムで触れられたのは本当によかったです。私は11話放映直後にニコニコ動画1話を見たのですが、冒頭から阿鼻叫喚のコメントが溢れ、たつき許さねぇという怨嗟の声とたつきを信じろという祈りの声がクロッシングしていました。そして、戦闘力として真っ当なカバはいいとして、シマナメクジから第3の壁の向こうにいるしんざきおにいさんまでありとあらゆるものに助けを求めるコメントが溢れていて、少し笑ったのをよく覚えています。んで、サーバルちゃんが木登りを教えてくれるところで、予測はしていたのにやっぱりぼろぼろ泣いてしまいました。
 12話の放映後の1話は一転して、「たつきありがとう」と監督を賛美するコメントや、森羅万象に感謝を捧げるコメントで一新されていたので、またまた笑ってしまいました。あの時の一体感、ライブ感は、例えようがなく心地よかったですね。『けもフレ』は動画コメントの文化や匿名掲示板・SNS文化とも奇跡的にマッチしたアニメだったと思います。

 以上、長々と語ってしまいましたが、みなさんのひいきはどのエピソードで、どのフレンズでしたか? 『けものフレンズは』はそれをいろんな人に聞いてみたくなるアニメでした。

tags: 百合 
2017年03月08日

けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲


 脱力けものギャグベンチャーアニメ『けものフレンズ』がちまたの評判に違わず面白い。劇中で繰り返されるフレーズ「たーのしー!」「すっごーい!」とともに熱病のように広まった作品だが、その面白さを表す言葉としてもこれ以上的確なものはない。ちなみに私は、評判を聞いて観た1話のガクガクFPS・へっぽこ物理演算の「かりごっこ」で一度脱落し、リベンジで(ニコニコのコメントの助けを受けつつ)1話を完走した後に面白くなってきたクチである。大多数の人と同じだろう。

ほら 君も手をつないで大冒険
 『けものフレンズ』をジャンルに当てはめれば、萌え擬人化やゆるふわギャグアニメに分類されるだろうか。人をある程度選ぶはずのジャンルものが層を問わず広まったのは、バディもののロードムービーとしても、SF(すこしふしぎ)としてもよく出来ているからだと思う。基本を抑えているのだ。このアニメは大いにへんちくりんではあるが「斬新な」「新感覚の」という形容を耳にするとどうにも違和感を覚える。むしろ、目的地に向かう途中で様々な問題(を抱えた人)に遭遇する、問題を知恵と勇気で解決する、新たなキーアイテムや情報を得る(読者視点では設定や世界観が少しずつ開示される)とともに仲間が増えていくという構成は、SF冒険譚として清々しいくらい王道的だ。別働隊(アライグマとフェネック)が別視点からことの真相に迫っていく構成も、実に少年心をくすぐる。各話のプロットもシンプルそのものだが、それらが説得力と訴求力を持ち得ているのは、主人公たるかばんちゃんのスキルが展開に自然と活かされていること、最良の相棒であるサーバルの優しさとけなげさ、フレンズのおおらかさによって形成される空気がこの上なく心地よいことが大きな要因ではないだろうか。単純明快なのはよいことだ、というところで次節の話題に繋がる。

そう 君も飾らなくて大丈夫
 肩肘張らない、裏表がない、もったいぶらない。『けものフレンズ』の美点である。
 この作品はそこぬけに明るいキャラが素っ頓狂な展開を繰り広げる一方で、どこか不穏な空気が常に漂っている。物語の舞台が閉園後のテーマパークか、文明が崩壊した後の世界か、あるいはサービス終了後のアプリ(バーチャルリアリティ?)であることはそこかしこでほのめかされていて、フレンズ、サンドスターといったキーワード、「ヒト」「絶滅」「フレンズ化」「動物だったころ」といった物々しい言葉が要所要所で口にされる。そしてセルリアンという外敵の脅威が明確に描写されている。
 『けもフレ』のそんなあけっぴろげなスタンスからは、底の浅い下心、ほのぼのを装ってのショッキングなネタばらしや騙し討ちの衝撃的展開で視聴者にインパクトを与えようという魂胆がこれっぽっちも感じられない。個人的にはそれがとても好ましい。あくまでこの作品の主軸にあるのはフレンズたちが巻き起こす騒動と彼女たちとの触れ合いであり、彼女らの裏表のなさがそのまま作風を形成しているのだと思う。それでいて、真相に思いを巡らせたり今後の展開を想像させたりする情報を各エピソードに配置しているのは、なかなかの構成力だと言わざるを得ない。
 また、この作品は脱力系ギャグアニメとしても癖になる魅力がある。作り手がある程度意図して演出していることは、サブタイトルの表記が「さばんなちほー」とひらがな表記で間延びしていたり、「○○おにいさん(おねえさん)」のゆるゆるな実写解説を挿入したりしていることからもうかがえる。それとしての完成度(シュール系の作品に適切な言葉だろうか?)の高さは、アニメを構成する各要素の絶妙なバランス感覚によって成立していると私は思っている。これがもし、3Dモデルだけが吉崎観音絵そのもののシュッとした美少女だったり、モーションだけがキレッキレだったり、声優の演技だけがこなれていたり、脚本だけが洗練されていたり、音楽だけが流麗だったりしたら、バランスが一気に崩れてどこかに批判が集中したかもしれない。とぼけた顔つきの3Dモデルが、まるで人形劇のようなぎくしゃくした動きで、調子っぱずれの音楽をバックに、ちょっと舌っ足らずな声で、すっとぼけたお話を演じるからこそ、あの中毒性のあるフシギ空間が生まれているのだと思う。つまるところ、大事なのは作品のカラーと統一感なのだろう。
 ときに、サーバルの3Dモデルには黄金比が隠されているのではないだろうか。あの緊張感のない目! だらしのないほっぺた! ぽかんとした口! アルカイックスマイル! そして高すぎるでもなく低すぎるでもない絶妙の等身! その上、あの陽気で抑揚の取っ払われたボイスで魂が吹き込まれると最強に見える。

ララララ ララララララ 素敵な旅立
 『けものフレンズ』を異色のギャグアニメたらしめているのは、寂寥感と郷愁だ。上にも書いたが、この作品はお祭り騒ぎの明るさに包まれていて、お話は常に登場人物たちの喜びの声で満たされている一方、言いしれぬもの寂しさと胸を掻きむしられるような悲しさを覗かせている。それは背景として、ヒトの文明あるいは物語の舞台の崩壊が明らかであることも影響しているだろうし、明るいお話や脳天気なキャラクターとのギャップもあるだろうし、かばんちゃんとサーバルの別れがそこかしこで示唆されているのも影響しているだろう。私はそういった劇中の描写に加えて、「サービスの提供が終了したゲーム」という『けものフレンズ』自身が辿ってきた道と、EDテーマでも示されている「さびれたテーマパーク」のモチーフが恐ろしいくらいマッチした結果、あの得も言われぬ郷愁が生まれていると推察している。
 敷地の中は閑古鳥が泣いている……。人手も予算も足らず、アトラクションはところどころガタが来ている……。前回の出しもの(アプリ)は大失敗、今回の人形劇も、人形は垢抜けないデザインで動きもぎくしゃく、キャストの演技もどうにも拙い……。けれど、そんな引け目はこれっぽっちも感じさせず、精いっぱいわれわれを楽しませよう、楽しんでもらおう、そして自分たちが思いっきり楽しもう、そんな思いが狂おしく伝わってくる。『けものフレンズ』という作品は、そんなうらぶれた遊園地のイメージそのものだ。私たちは「たーのしー!」キャラクターや「すっごーい!」イベントの舞台袖に見え隠れするものに、胸が締め付けられるのだ。もし、アプリ版のサービス終了がアニメ化の布石として意図したものだったとしたら、『けものフレンズ』はメディアミックスの最良の成功例として紹介されてもおかしくないと思う。単なる偶然だとしたら、芸術の神の粋なはからいとしか言えない。
 『けもフレ』を語る上で『ひょっこりひょうたん島』や『がんこちゃん』といった作品を引き合いに出している人をいくらか見かけたが、私はその方たちと同じ周波数の電波をキャッチしたのだと思う。

すがたかたちも十人十色 だから惹かれあうの
 世をすねて、ひねくれたことや残酷なことを書くのは簡単だ。綺麗ごとや気持ちのよいことを真っ正面から書くのは、その万倍難しい。『けものフレンズ』はその困難に挑戦している作品で、7話までの段階で評価すれば、その試みはいくらか実を結んでいるのではないだろうか。
 「フレンズによって得意なこと違うから」1話でのサーバルの言葉である。「できることが違う」ではないところに、彼女の優しさがうかがえる。優しさが心をえぐる。「違う」と言い切らせるところに、作り手の誠実さを感じる。

はじめまして 君をもっと知りたいの
 『けものフレンズ』は頭を空っぽにしてみるアニメだ、IQを溶かすアニメだと言われているが、個人的には見るたびに発見があってうかうか見てられない作品である。特に1話は、今見返すと情報量がなかなかのなかなかだ。
 まず、この回のメインキャラであるかばんちゃんとサーバルについて、種族としての特徴が話の中で発揮されている。このフォーマットは2話以降も踏襲されているのは言うまでもない。冒頭のかりごっこのシーンだが、サーバルはかばんちゃんの足音に反応して目を覚まし、追っている途中で視野角の狭さから彼女を見失ったあとも足音で捕捉していて、聴力が高いことがすぐにわかる。しんざきおにいさんが解説してくれたジャンプ力の高さも、ここだけで二回も披露されているね。かばんちゃんについても同様で、手先が器用で物作りが得意、肩関節の可動域のおかげで投てきができる(紙ひこうき)、体温調節の能力が高い(ハァハァしない)、骨盤の形状から長距離移動に耐えられる、体力の回復が早い(もう元気になってる)、記号(文字、絵)の識別能力が高い(看板と地図)というヒトの種としての特徴はほとんど網羅されている。ここまでは7話で博士が私も1話の時点で気付いていたとどや顔で主張しておこう。全部『たけしの万物創世記』の受け売りだけどな! しかし、ヒトのもっとも優れた能力とは何か、本当にヒトをヒトたらしめているものが何なのかは、9話以降のサーバルに言われてようやく意識させられた。あれは一本取られた。つくづく油断ならない作品やね。
 世界観の説明も、実はだいたいこの1話で済んでいるのだ。サーバルが最初にかばんちゃんへ紹介したフレンズが(仁王立ちする)トムソンガゼルと(なめくじにしか見えない)シマウマだが、これは本来であれば肉食獣であるサーバルの獲物のはずだ。その和やかな空気から、フレンズなるものが補食・被補食の関係から解放された存在であることを暗に示してる。そして、われわれがサーバルを通して抱きはじめたフレンズへの親近感は、この話のゲストキャラであるカバのマイペースさと、力強さとふてぶてしさと、何のかんのの優しさを見せられて確固たるものとなる。また、物語の舞台が「ジャパリパーク」という場所であることもごくごく始めの方でしれっと口にされている。そのサファリパークを模した名前と、道中で見つかる傷んだ机、看板などから、舞台が人造のテーマパークで、何かの異変が起こった後であることが自然に察せられる。大したもんだ。

8話の違和感
 けもフレの8話ははっきり言っていまいちだった。この話だけ世界観が違うという意見を見かけるが、自分もそう感じたクチだ。ペンギンたちのライブ設備が他の施設の荒廃ぶりに対して(整備したにせよ)綺麗すぎるとか(巨大迷路のアナウンスは死にかけていた)、文字通り書き割りのフレンズが不気味だとか、声優の棒読みが度を超えているとか言いたいことはたくさんあるが、何より今回のフレンズの悩みが複雑すぎて違和感があった。店にお客が来ないとか、同種の仲間が見つからないとか、迷宮から出られないとか、料理を食べたいとか、そういったシンプルで即物的な悩み・欲求に比べて、アイドルユニットの中での立ち位置うんぬんというのはいささかお高尚すぎる。作劇のフィクションラインがこの話だけ浮いているのだ。プリンセスが会場から逃げ出すまでの筋運びもおよそ丁寧とは言い難く、あまり評価できない。ただ、そんな中でもマーゲイの特技がドラマチックな展開を生んだり、ボスが(おそらく)群体型でフレンズの世話(もしくは監視)を行っている、人間たちは港に向かったという情報を盛り込んでいたりするのは手堅いと思った。

ようこそジャパリパーク
 ゆるゆる冒険アニメとしての面白さは絶対保証する。底抜けの明るさの裏に見え隠れするもの寂しさに波長が合えばさらに惹きつけられること必死。記事を書くのが遅れているうちに残り3話となってしまったが、「たーのしー!」「すっごーい!」というライブ感も含めて楽しい作品なので、今からでも遅くない、未視聴の方は記事の先頭に貼った1話のリンクを押してジャパリパークに入園しよう。

tags: 百合 
2016年12月19日

白衣性恋愛症候群 レビュー・感想 実直な看護描写と軽薄なファンタジーの激しい乖離

 私がこの作品をあまり評価できない理由は簡単で、話の軸が定まらずにぶれているからだ。あんたが一番書きたいのは、看護の現場の実態を描く半ドキュメンタリーなのか? 主人公が一人前の看護師として成長するまでのビルドゥングスロマンなのか? 「癒しの手」による救済のファンタジーなのか? 恋愛や痴情のもつれの末のゴシップなのか? それが伝わってこなかった。
 看護の要素については、作者の実体験に基づくのだろう、真っ当な描写がなされていた。飛び交う専門用語や符丁はもっともらしさを演出していて、細かい描写は現場のすえた空気まで伝えていた。息つく暇も無しに起こる生死のイベントは、それを見届けたり看取ったりする人間の情感まで含めて丁寧に書き込まれていた。しかし、それがある意味仇になっていて、「癒しの手」という(お世辞にも作り込まれているとは言い難い)作中概念を巡るファンタジー要素と激しい乖離を起こしている。私は何も、超自然要素で人が癒されることの是非を問うているのではない(私がノベルゲームでもっとも好きな作品は、死んでいた人間が生き返るお話だ)。要はフィクションラインの問題だ。ファンタジックな治療の手段が(少なくとも読者の視点で)観測されている世界観で、人を癒すことや人の死を受け入れることの難しさを問われても、少なくとも私の心にはあんまり響かない。ファンタジーの要素がやっつけであるならばなおのことだ。
 方々で話題になっていた、黒化や拉致監禁などのいわゆる「鬱展開」については、行動原理やそこに至るまでの過程にあまり説得力が無く、読み手に衝撃を与えてやろうという下心が悪目立ちしていた。この悪癖は『星彩のレゾナンス』でも見られていな。
 いちおう筆致についても触れておくと、例えるならゆるい女学生の実況中継・日記帳といったあんばいで、どんな層を狙っているのかよくわからなかった。テキストを読んでいて、楽しい、心地よいと思えた時間がほとんど無かった。そもそもテキストゲームとして評価するのがお門違いな作品なのかもしれないが。

工画堂スタジオ 白衣性恋愛症候群 RE:Therapy
B007TNYRRS

2016年10月30日

NEW GAME! 得能正太郎 レビュー・感想 お仕事も夢もがんばるぞい!

 私が日常系ゆるふわギャグ漫画に設定している期待値をかなり超えて面白かった。

 私は『NEW GAME!』原作1巻を割と早いうち(「今日も一日がんばるぞい!」が熱病のように流行る前)に読んでいたのだが、「なにこれ、オチはどこにあるの? ただパンツを丸出しにすれば喜ぶとでも思ってるの? ふざけてる」と速攻でうっちゃっていた。しかし、いつの間にやらアニメ化されていて、ニコニコ動画での放映をごはんのお供程度にぼけら~っと見ているうちに、次第次第に面白くなってきてしまい、気付いたときには原作を全巻買わされていた。自分の実体験で言うと『ゆるゆり』とだいたい同じパターンである。

コウりんはいいものだ、たぶんなによりもいいものだ
 私と同様に、原作の序盤やアニメの一話は眉間にしわが寄るほどつまらなかったのに、話が進むに連れて一人また一人とキャラクターに思い入れが生まれてしまい、気付けば話にも入れ込むようになった、という人は少なくないだろう。あのフィーリングを表す的確な言葉がないか考えていたのだが、奇しくもDG-Law師匠の『ゆるゆり』評に「わが意を得たり」という表現を見つけたので、引用させてもらおう。「重ね芸」だ。この作品はネタの積み重ねで魅せるのが図抜けて巧いのだ。
 前半に書いたが、コウがやにわにパンツを開陳したところで、さっぱり嬉しくないし面白くもない。特に意味のないサービスシーンと言えばそれまでだが、即物的かつお下劣で官能の表現としては下の下である。しかし、あれが単なるヨゴレ仕事で終わらないのは、常識人枠であるはずのりんが感化されてパンツ丸出しペアルックをしてしまったり、青葉が泊まりの日にある意味パンツ姿よりインパクトのあるくまった寝袋で逆にコウを驚かせたり、入社一年後にはコウのパンツに何の疑問も感じてなくなってしまったことで「変な会社」の立派な一員になったことが表現されたりと、重ね芸の「フリ」として昇華されていくからだろう。また、話を読み進めてコウのずぼらで大らかな人となりがわかってくると、不思議と「この人は本当にしょうがないな」と少し温かい目で見られるものだ。
 りんにしても、相方(コウ)への愛が重すぎて暴走するいう面だけ見れば、萌えアニメに一人はいる「百合キャラ」の量産型でしかなかった。りんがそんな印象を持たせないのは、まず視野が広くて人間の完成度が高いからだ。ディレクターとして管理の仕事もメンバー個人のケアもそつなくこなして、周囲の人間の信頼も厚い。基本的に穏和で優しいが、問題点はきちんと指摘する公平性がある。どのように小さい善でも賞せざるはなく、同様にどのように小さい悪でも叱らざるはなし、といったあんばいだ。そんなほとんど完璧超人に近い人のに、大好きなコウちゃんが絡むとどうしても冷静さを欠き、子どもじみた言動や大人げない行動を取ってしまう。そういったギャップ、コントラストが巧く表現できているからこそ微笑ましく、嫌味がないのだろう。それと、ただただ彼女を盲目的に慕うのではなく、時には叱咤してお尻を叩き、時にはそっと寄り添って相談に乗る、そういった内助の功があるところもポイントが高い。コウがキャラデザのコンペで結果が芳しくなく、思わず青葉を突っぱねてしまったことで落ち込んでいるのを諭すところなんて、長年連れ添った風格が感じられたぞ(あのシークエンスについては記事の後半で掘り下げる)。
 ひふみにしても、極度の引っ込み思案だがネット上では饒舌という性質はありがちで、単体ではあまり目新しさはない。これもキャラデザ班の蒼々たるぽんこつたちの中で発揮されるから面白く、またひふみにコミュ障な自分を少しずつでも変えたいという思いがあるからこそ、テンプレから変化していくのだ。ときに、みなさんが『NEW GAME!』でもっとも笑ったのはどのエピソードだろうか。私は、りんがコウとひふみとのやり取りからいらぬ深読みと嫉妬をして、ひふみんがそれを取りなそうとメッセで悪戦苦闘する話「#46 苦手な人付き合い」(通称肉じゃがメッセ回)がいっちゃんお気に入りだ。この作品はあまりドッカンドッカン笑いを取っていくタイプの作品ではないが、あそこには腹を抱えて笑ってしまった。あの話の何がよいかって、コウちゃんのにぶちんっぷり、りんちゃんさんの焼き餅妬きっぷり、ひふみんのメッセ上での変なテンションという三者三様の性質が影響し合ってコラボレーションし、それぞれの空回りがさらなるカオスを引き起こしているのがよいのだ。重ね芸の極致と言っても過言ではない完成度だったと思う。
 青葉のひとり言や、うみこの話の長さについても同じだろう。2巻表紙裏のおまけ漫画「くまったくまった」を単体で見ても、正直言ってじぇ~んじぇん面白くないが、社員旅行の回で青葉のあれを「いつも皆に気を使って疲れているんですよ…」(うみこ)「ただの素じゃないの?」(コウ)と変な人の代表格たちが自分らを差し置いて品評しているのはどうにもおかしい。うみこの困った性質も、ひふみがコウとりんのケンカ(という名の茶番百合)を取りなしてへばっているところに、追い打ちの形で被せられるとクスッと来る。
 つまるところ、変ちくりんな人がこれまた変ちくりんな人たちと一緒に生きているという、エピソードの積み重ね(BY『咲-Saki-』)による空間表現が心地よかったのだと思う。そういった空気が表現されている日常系漫画は、自然と評価されていくのだろう。

「青(コウ)いいよね」「いい……」プロ同士多く語らない
 この作品のハイライトとして、新作ゲームのキャラデザコンペで評価された青葉が、逆に全ボツを喰ったコウに刺々しい対応をされてぎくしゃくするくだりを挙げるのは私だけではないだろう。あれはもし、青葉とコウが形式的な先輩後輩であり、青葉が単なる(と言っていいのだろうか)実力差によって責任ある立場に抜擢されたのだったら、話は単純であった。何がこの問題をセンシティブにしているかと言えば、青葉にとってコウはその道を志すきっかけとなった憧れの人で、上司としても尊敬できる人間で(コウにとっては慕ってくれるかわいい後輩で)、同時に同じ会社に在籍するクリエイターとして感性で勝負するライバルでもあることだ。それは憧れの人と一緒に働くことを選んだ青葉の宿命とも言える。そして、芸術や創作というのは得てして、一つのひらめき・発想がスキルの差をひっくり返すことがある(あのコンペはその典型例だろう)。だから単純に実力の結果だと納得できない部分はあると思う。コウには当然クリエイターとしての自負や矜持があるだろうし、誰にだってよい仕事でよい評価をもらいたいという欲求はあるはずで、青葉に思わず声を荒げてしまったことを糾弾は出来ないだろう。コンペの直前に、コウの仕事ぶりを見た青葉の「今までずっと好きな絵だったのに、悔しい……」という想いが書かれていたのは、ちょっとした伏線だったわけだ。さらに深読みすれば、あれは青葉が守破離(しゅはり)の守の段階を超えつつあることも表している。
 コウは自分が若くしてメインのキャラデザに抜擢されて先輩たちと衝突した苦い経験を振り返り、りんのさりげない後押しも受けて、自分が成すべきことを今一度考える。コウの歩み寄りによって二人は元の鞘に戻り、キャラデザインの仕事は青葉がメインで行い、コウがサポートしていく形で進めていくことに決める。大げさな表現かも知れないが、「くやしい」「妬ましい」という感情を超克して、社会人としても、クリエイターとしても、さらなる一歩を進めたのだ。「嬉しいこと悔しいこともぜんぜんぶ 力に変えて前向いた」ことで「限界塗り替えてい」くことが出来たのだ。
 ここで、青葉とコウが二人で出した答えを「しょせんお花畑だ夢物語だ、社会も仕事もそんなに甘くない」と思う人もいるだろうし、「であればこそ、二人は人との巡り合わせに恵まれたことを天に感謝するべきであり、互いに信頼関係を築けていたことを何より誇りにするべきだ」と思う私のような人間もいるだろう。それはもう、甘っちょろいフィクションに対するスタンスの違いや、人や仕事や創作といったものに対する価値観の違いでしかないと思う。

「…私 八神さんには感謝してるんですよ」
「?」
「仕事もたくさん教わりましたけど、いつもさりげなく声をかけてくれて
 それが私… とっても嬉しかったんです」
「昔の八神さんがどんな人だったのか私は知りません
 でも少なくとも…」
「少なくとも今の八神さんは 私の尊敬できる上司です!」

(#25 ステップアップ)


 青葉のコウに対する信頼を端的に表す独白だが、ここは御大の実体験に基づく台詞ではないだろうか。私はフィクションに現実は持ち込まない主義なのだが、この言葉にはうんうんと一人でうなずいていた。そうなんだよ、そのさりげないことこそ人間関係の要であり、人は大人になるに連れて何故かそれが下手になっていくんだよ……。
 これは完全に余談になるが、あのコンペでの衝突のシークエンスが私の心に重くのしかかった理由の一つに、いたるがKeyを退社した一件があった。いたるがインタビューで、退社を決めた要因の一つに、後輩であるところのNA-GAが自分の目標であったオリジナルアニメのキャラデザの仕事を先に取ってしまったことを挙げていたのだが……。
樋上いたるさん、ビジュアルアーツを退社! | アニメイトタイムズ
 私はバ鍵っ子とはいえあくまで作品の信者であり、スタッフの人となりや人間模様は知るところではない。それにしたってアンタ「後から入ってきた原画の人」って……。というわけで、個人的にタイムリーな主題で、いろいろ思うところがある分感慨もひとしおであった。
 もう一つの山場である、会社の宣伝方針でキービジュアルをコウが描くことが決定し、青葉が自分を納得させるために半分出来レースのコンペに挑むところも、胸に迫るものがあった。コンペの数日前とおぼしき深夜に青葉がコウの作品を見せてもらうところは、何を言わせずとも青葉の表情がコウの実力に打ちのめされたのを伝えていて、ストレートに胸を打った。青葉のぼろぼろに泣き崩れる顔も、それでも顔を上げて描ききろうとする屹然とした顔も、真に迫っていた。そしてコウの、泣き崩れる青葉を抱き留める真剣な面持ちや、最後の仕上げに取りかかる青葉を見守る柔和な表情は、彼女らの想いを言葉よりも雄弁に語っていた。コンペの本番の様子がさらっと省略されていたのは、青葉が完膚無きまでに負けたことを表現しているのだと思うが、全力で胸を貸してくれたコウに対してしこりなどあろうはずが無く、二人の表情はこの上なく晴れやかだった。キャラデザのコンペでの諍いを乗り越えて、二人の信頼がさらに強くなっていることを表す素晴らしいエピソードだったと思う。
 『NEW GAME!』はアニメ化された2巻までの内容でも充分に良作のギャグ漫画として認定されると思うが、本格的にシリアスパートにも取り組んだ3巻以降の出来で、もう一つ上の水準に到達したと個人的には思っている。

「一番気に入っているのは」「何です?」「はじゆんだ」
 『NEW GAME!』の美点の一つは、人が人に惹かれるところ、心を動かされるところを説得力を以て描いていることだ。御大が脚本を担当しているアニメオリジナル回の9話でゆんが「ウチが遠山さんやったら、惚れてまうかも~」と言っとったでしょ。あれだよ! ああいうことなんだよ。それは風邪を引いているのに無理をするりんを連れ帰るために自分も早退し、いつものお返しとばかりにまめまめしく看病するコウの姿である。うみこの強引さに困っていたひふみを、いつにない強引さで連れ出して助ける青葉の姿である。青葉がキャラデザの立場に困惑して空回りしているのを察して、普段はお昼を取らないのに食事に誘って親身に相談に乗るひふみの姿である。青葉のことを時にケンカをしてしまうほどに心配していて、バイトの最終日には上司であるコウにしおらしく頭を下げるねねの姿である。ねねの落ち着きの無さに頭を悩ませつつも、着眼点のよさや頑張りについてはきちんと認めて、以後の進路をサポートするうみこの姿である。そして、ムーンレンジャーのイベチケを取るためにサボっていたはじめをたしなめつつ、突き放すのではなく昼食を調達してあげたりイベントの参加を融通してあげたりもするゆんの姿である。はじゆんキテル。
 この作品ほど、カップリングについて「コウりんは原点」「青コウが俺のジャスティス」「僕の見つけた真実は青ひふ」「はじゆんはメガ粒子レクイエムシュート」と気兼ねなく書ける作品もそうそう無いが、その心はこういったエピソードの堅実さに尽きると思う。

私、ねねごん好き! バアァァァァァン
 『ゆるゆり』の感想を読んでもらえばわかる通り、私はドが付くほどの原作厨だ。そんな私でも『NEW GAME!』のアニメはべた褒めするしかない。原作が好きならば絶対に見て損はない、と請け合っておく。私は好きな作品のアニメを見ていると、だいたい演出の過不足や間の表現などが自分の脳内映像と食い違っていていらいらしっぱなしになるのだが、この作品はそういったことがほぼ無かった。原作があまり動きのない形式的な四コマ漫画ということも影響していると思うが、スタッフの手腕と原作愛が一番の要因だろう。
 原作の補完という観点だと、もっとも大きいのはねね、うみこ、葉月といった準主要キャラクターの出番が多くなり、話に絡んでくるタイミングも早くなっていることだろうか(特に葉月)。ねねっちとうみごんのやり取りが増えていたのはよい仕事していたし、ねねの着眼点のよさが強調されていたり、奇っ怪な行動のフォローがされていたりするのもえがった。原作でねねがコウのプリンを食ったのははっきり言って意味がわからなかったが、アニメだと取引先のお中元が余っているから食べてよいというやり取りが挿入されていて間接的なフォローになっていた。葉月がふらふらっと青葉たちのところにやってくるシーンは、毎度毎度エキセントリックさを遺憾なく発揮するのと同時に、ディレクターとして一歩引いた立場から、青葉たちの仕事っぷりから人間関係までをも見守っているのが伝わってきた。イーグルジャンプの「変な人の見本市で困りものだけど、よい人ばかりで働くには悪くないところ」という印象をさらに強めることに成功したと思う。
 映像表現という観点だと、基本的にデスクワークが中心で人の動きがそこまで激しくない分、色んなところに力を入れていると思った。特に印象に残っているのは、若手三人がコウに促されて東京ゲーム展に行くエピソードだ。まず『FAIRIES STORY3』の嘘OPは「誰がここまでやれと言った」という力の入りっぷりで笑った。そして、自分たちの作品のPVで、青葉がデザインしたソフィアちゃんが主人公に守られ、ゆんが作り上げたグロテスクなモンスターが、はじめが付けたモーションでおどろおどろしく動くのを見て感無量になるところ。あそこは動きを得たからこその迫力があり、ひいてははじめたちが受け取った感動が倍増しで伝わってきた。他に何気ないところだと、劇中作の開発画面やデバック画面は本格的に作り込まれていて、見て楽しいだけでなくもっともらしさを演出していた。青葉とゆんが寝坊をして会社まで走る話は、青葉のダバダバ走りが実際の動きを見るとあれだけでちょっと面白かった。それと、最終話で青葉がコウに思いの丈を語り、手をとるのと同時にエンディング曲が入って、二人の髪がドラマチックにはためくところ。あそこで風が吹く必要性も外的要因も無いはずだけれど、ああいったケレン味や遊び心は嫌いじゃあない。
 そう言えば、『NEW GAME!』の知名度を劇的に上げた「今日も一日がんばるぞい!」についてだが、あれの乱用を封印したのはアニメスタッフや原作者の意地だったのかなと。制作の動画工房は『ゆるゆり』の一期を担当したところだと聞いて、「\アッカリ~ン/」のごとく毎週アバンでぞいぞい言うのかと身構えていたが、案に相違してそんなことはなかった。話題性だけでなく内容の充実度で勝負をして、じっさいに(少なくとも私相手には)勝利を収めたことには、心からの賛辞を贈りたい。
 あと、『咲-Saki-』勢としては美少女の作画が最後まで安定していたのは素直にうらやましかった。

まとめ
 結局、突飛なキャラによる日常系ギャグ漫画が「かわいい」「おバカ」だけで終わるか、はたまた面白おかしさ、暖かさ、切なさ、去りがたさを空間表現できるかどうかは、エピソードの確かさと人との関わりに掛かっていると再認識させられる作品だった。新刊のストックが溜まるのとアニメ二期の一報が入るのを一日千秋の思いで待つ。

NEW GAME! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
得能正太郎
B00UYABOQA
NEW GAME! 4巻 (まんがタイムKRコミックス)
得能正太郎
B01IT5TZH6

tags: 百合 
2016年10月01日

『SeaBed』『しずくのおと』 力作同人百合ゲーの紹介

 最近、同人百合ゲーの『SeaBed』と『しずくのおと - fall into poison -』を読んだのですが、どちらもかなりの力作でした。両作品はそれぞれ違った方向性で作り込まれており、ほとばしるパトスと値段を遙かに超えた価値が見受けられました。このような作品がDLsiteで200本ほどしかダウンロードされていないのは損失だ、非合理的だと思ったので、さりげなくステマをしておきます。

しずくのおと - fall into poison - [あいうえおカンパニー] | DLsite Home - 全年齢向け

 ――少女たちを襲う恐怖の水族館

 都内にひっそりと佇む満天水族館。
 真弓と姫乃はある噂を調べにそこを訪れるが、些細なことで喧嘩をしてしまう。
 離れ離れになった二人は、いつしか満天水族館に閉じ込められることに。

 行方不明の妹との再会。
 謎の少女との出会い。
 かつての痛ましい事件の記憶。
 満天水族館に渦巻く様々な想いが真弓へと降り注いでいく…。

 ――そして迫られる救いの決断

 真弓に強いられる選択と決別。
 それはとある少女の未来をも左右することになる。

 運命に翻弄された少女たちが織りなすミステリ・ホラー。
 27のバッドと4つのトゥルー、全31種類のエンディングを収録。



 『しずくのおと』でまず興味深かったのが、サウンドノベル寄りのゲームデザインですね。『弟切草』よりは『かまいたちの夜』に近いでしょうか、ありとあらゆる方法で死ぬのも似ている。プレイの流れは、物語の分岐点で主人公の行動を決定し、いくつものバッドエンドを乗り越えて生存ルートを探し出す……同時に新しいルートが解放されていき、物語はその度に新しい展開を迎える、といったものなっています。最近のギャルゲーはもっぱらキャラクター中心・シナリオ中心で、誰々ルートの並列で構成されているものが主流なので、トライ&エラーで新しい展開を切り開いていく感覚はなかなか刺激がありました。エンディング数はいわゆるトゥルーエンドだけでも4種類あり、即死のバッドエンドも含めると全31種類もあります。作品内容の欄で紹介していることからも制作者の力の入れっぷりが伺えます。
 シナリオの雰囲気も悪くないです。水族館という舞台は海=(異)界のイメージへ繋がり、神秘性、非日常性、閉鎖性といった面でミステリーとすこぶる相性がよいですね。私は『Ever17』をやっていた時を思い出したりしました(ありゃあ水族館ではなく海洋テーマパークですが)。なお、終盤は超展開ゲーマーの血が騒ぎました。
 また、紹介ページやPVを見てもらえばわかるとおり、作品全体のクオリティがかなり高いです。原画と塗りは商業とほとんど遜色ありませんね。背景班もよい仕事をしています。インタフェースも凝っていて、メニューを開くと場面場面に応じたTIPSが自動で表示されるところなんか細かいですね。システム画像やそれを使用したスクリプト周りも頑張っています。
 サークルオリジナルとおぼしきサウンドも、けちの付け所がないですね。BGMはあの曲が飛び抜けて素晴らしい。あの曲ですよあの曲、プレイしたらすぐにどの曲のことを言っているのかわかると思います。主題歌もばっちり完備。んだもんだから、サウンドモードを実装しなかったことについては問い詰めたい。
 ノベルゲームのクオリティを、テキストとビジュアルとサウンドの総合力で解釈するなら、この作品以上の同人百合ゲーは『ととのか』くらいしか私は知りません。


SeaBed [paleontology] | DLsite Home - 全年齢向け
※あらすじにわりとネタバレがあります※

本作は百合要素を含むミステリーノベルです。
物語は三人の登場人物の視点で展開します。

CG枚数/90枚以上
テキスト量/約47万文字

-----------------

過ぎ行く時はとてつもなく深い海の底に沈み続けている。
ときに浮かぶあの日の景色と匂いは揺れて泡のように消える。

心療クリニックの精神科医楢崎は、人がものを忘れる仕組みについて研究していた。
人はなぜ忘れるのか、大事なことを忘れない方法はあるのか。
彼女はある患者の心の奥深くを探るうちに、深い深い海の底へと辿り着く。

都内に事務所を構えるデザイナー佐知子は、取り憑かれたようにものを作り続ける。
同僚の心配も他所に、仕事を続けた彼女は心を病み過去の恋人の幻が見えるようになる。
彼女は恋人の跡を追って暗く長いトンネルを見つける。

療養所で暮らしている貴呼は、幼稚園からずっと一緒だった同性の恋人とどのように別れたのか思い出せない。
彼女は恋人に似た女性と出会い、徐々に思い出を取り戻していく。
記憶の扉を開き続けていく彼女は、最後に冷たく静かな部屋へと足を踏み入れる。

それぞれの目的の元、過去を求めさまよう三人が行きつく場所は何処か。
三つの物語は淡々とした日々の中で静かに進行し、やがて同じ場所へと還っていく。


 『SeaBed』は上記作品とは打って変わって、シナリオが主体の作品です。選択肢は全くなしの一本道で、ストイックに脚本で勝負しています。この作品は何を書いてもネタバレになりかねない――公称ジャンルが「ミステリーノベル」であることについて論じても危ないし、三人の主人公について語っても危ないし、正直あらすじを読むだけでも危ない――ですが、47万文字という頭のいかれた分量で、日常は淡々といとおしく、ミステリーは神秘的に、伝えたいことは簡潔明瞭に、脚本が書かれています。

【若干ネタバレあり】
 私がこの作品に対して何より驚異と脅威を感じたのが、心象風景・内的世界といったものを当然に存在するものとして物怖じせず描写していることと、ノベルゲームの特性を活かした叙述トリックをしれっと取り込んでいることです。特に前者について、作者の胆力に盛大な賛辞を送りたいですね。主人公(とわれわれ)が自分の目を通して認識する世界について、語りのテクニックの面でも、唯心論や認識力学といった精神的な部分でも、高度な次元での表現に挑戦しています。
【ネタバレおわり】

 同人ゲームがそういった領域に踏み込んでくる時代になったのか、と驚くことしきりでした。
 また、シナリオとテキストの比重が高いとはいえ、ヴィジュアルノベルの基本要素は手堅く作られています。立ち絵は豊富で、そんなパターンまであるのかと感心するほどでしたし、CGもこの値段帯の作品にしては恐ろしく多いと思っていましたが、作品紹介によると90枚もあるそうです。BGMはフリー素材を使用しているようですが、場面場面に合わせて効果的に使っていると見受けられました。
 あと、誰も聞いちゃいませんが、私は貴呼が好きです。なんですかね、あの圧倒的な存在感は。この子のぶれないキャラクターが、虚実入り乱れる幻想的なシナリオに一本の芯を通していると感じました。
 最後に、百合ゲーとして評価するならば、『SeaBed』に軍配が上がるでしょう。何気ない日常から性的なエモーションまでを丁寧に書いてくれています。全年齢対象の作品ではっきりとリビドーの描写をしてくれているのはポイント高し。あそこにCGがないのはバグじゃないですかね?


 以上、同人ゲームの脅威を感じた二作品の紹介でした。作品の紹介ページや、このつたない紹介文を見て興味を惹かれた方がいらしたら、ぜひプレイしてみてください。
 へっぽこ百合ゲーをフルプライスやハーフプライスといったお値打ち価格で売っている商業ブランドは、恐怖に打ち震えるべきだと思います。

2016年07月31日

つい・ゆり レビュー・感想 二つの禁断で背徳感も二倍だな!

 読む価値無し。これっぽっちも無し。
 世にごまんとある、くちばしが黄色いガキンチョが同性の関係や実姉妹での関係にうじうじう悩み、終いにゃあ刃傷沙汰に至ったり拉致監禁の暴挙に出たりするお話である。月並みもいいところだ。このご時世に、同性愛やインセストを

「受け入れられない」
「越えてはならない一線」
「社会的に、倫理的に許されない」
「ほんとうはダメ」
「両親や親友に隠し通さなくてはならない」


 と頭ごなしに断定されて何の疑問も反発も湧かない人でないと、話の展開について行けないし人間にも一切共感できやしない。同性愛や近親をスキャンダラスでアブノーマルな「事件」として消費する方々に向けて作られているのが随所から伺える。
 いちおう、トゥルーエンドとおぼしきものでは、姉と妹がそれぞれ自分の気持ちを受け入れて、「いつかみんながわかってくれたらいいな」とわずかながらも前向きに歩き出すが、結局具体的な展望は何一つ示されないまま終幕してしまう。私はこの手の玉虫色な落としどころに対して「『いつか』って一体いつなんじゃい! はっきり言え!」と疑問を感じずにはいられない。子どもからお年玉を巻き上げた母親の言い訳かよ、もっと歯切れのよい答えを返しやがれ。

 私は『ついゆり』みたいにネガティブなことをねちねち語るだけの陰気で「情けないフィクション」に触れると、実妹や実姉がどんなに愛おしいか、血の繋がりや積み重ね(BY『咲-Saki-』)がどんなに素晴らしいか、滔々と語る作品がもっと出てきてくれないかとつぶやいておりまする。世の中にはまだまだ「いやっほ~う! 妹(姉)最高!」という百合作品が足りていない!

 作品の本質はタイトルに表れる、というのは私の持論だが、『つい・ゆり ~おかあさんにはナイショだよ~』(「ナイショ」は芸術点を付けたい)という幼稚さと加齢臭が同居するサブタイトルは、作品の程度をこれ以上なく表していると思う。

つい・ゆり ~おかあさんにはナイショだよ~ 豪華版
B01C8IMIBU

tags: 百合 
2016年04月30日

サガフロンティア レビュー・感想 わからない! 文化が違う!

 ギブアップした。

 はじめに断っておくと、私はゲームを始める前に説明書の類は一切読まない。説明書や攻略サイトを見ながらでないと遊べないゲームなんざ七面倒でやってられないし、そんなものは欠陥品だとすら思っている。ゲームに対するそうしたスタンスが許せない方には、以下のレビューは何の意味も成さない。
 総プレイ時間は4、5時間程度。言うまでもなくアセルス編以外は全くやっていない。スタート地点のお城から、やたら暗い画面に目を凝らしてマップの境目を探り当てて脱出。次の町で人魚のSOSに応じてお偉方の館に侵入、シナリオ上の必然性がようわからんのにべらぼうに強いイカをどうにかやりこめて彼女を解放。主人公が家に帰ってみようと言うので従ったところ、理不尽な強さの騎士に襲われるもどうにか退ける。実家の後はどういった目的で何をどのようにすればよいのかさっぱりわからず、意味ありげな古墳や研究所を探索してみたものの、話が進まない。その後は行き当たりばったりで移動した近未来中華街で路地裏に迷い込み、雑魚敵に追い回されて全滅するのを繰り返す。半分くらい詰みになったこの時点で、これ以上苦痛に耐えても楽しく遊べないし、得られるものは何もないと判断し、ぶん投げた。
 前回のレビューでも書いたが、私は生粋のゲーマーではない。ローグライク(『トルネコ』など)やアクション寄り(『カエ鐘』など)は除き、オーソドックスなコマンド選択式RPGでプレイしたことがあるのは『ドラクエ』『ポケモン』『MOTHER』『マリオRPG』、エロゲも含めると当初いかがわしい目的だった『Succubus Quest短編』『レディナイト・サーガ』シリーズくらいだ。列挙するのも楽ちんである。RPGは好きか? と聞かれても、特別好きとは答えられない。しかし、今挙げた作品はどれも最後まで楽しく遊ばせてもらったのだ。どれも名作と呼ばれるだけある。本筋は当然エンディングまでやったし、エクストラダンジョン・裏ボス撃破その他のやり込みも大部分の作品でやり切っている。
 『サガフロンティア』には今まで遊んだRPGにあった楽しさがこれっぽっちも見出せなかった。シナリオの面白さ、テキストの面白さ、キャラクターの面白さ、探索の楽しさ、育成・成長の楽しさ、蒐集の楽しさ、そういったものが露ほども感じられなかった。脈絡がなくて唐突な上に、大筋の目的すら提示されずに放り出されるシナリオ展開。無個性で行動原理も不明なキャラクター。バランスブレイカーな武器や技、インフレレベルで理不尽に強くなる敵から算出される大味なゲームバランス。意味ありげでだだっ広く、敵もトラップも満載なのに存在意義の薄いダンジョン。ぶつ切れで一人称すら安定せず、こだわりが感じられないテキスト。敵シンボルがやる気満々に追跡してくる上に、もたくさした演出でテンポが悪い通常戦闘(逃走不可)。強くなっている実感が薄い成長システムとようわからん敵のランクシステム。最大限好意的に捉えれば「自由度が高く、プレイヤー主体で、想像の余地を残している」、個人的には「全般的に雑で投げやり、未完成品くさい」としか思えないゲーム全体のコンセプトが、致命的なまでに私の肌に合わなかった。いったい、こんなものの何が面白いんだ? 何を楽しめばいいんだ? 私が普段遊んでいるノベルゲームからも、遊んだことのある名作RPGからも、文化の違いを感じた。

 『サガフロンティア』は私が参考にしているレビューサイトでも毀誉褒貶が激しい作品だが、私は否定の側にすっくと立っている。面白い要素が1コもなかった。えっ、百合ゲーとしての評価はどうかって? 知らん知らん、論外!

サガフロンティア
B000069SXA

tags: 百合 
2016年03月06日

蒼い海のトリスティア レビュー・感想 意外にシビアスなお話はよし、ユーザビリティは素人目にも不十分

 はじめに、私は今までの人生において『シムシティ』『どうぶつの森』といった箱庭シミュレーションゲームとはさっぱり縁がありませんでした。少ないこづかいをやりくりして買ったのは主にRPG(ポケモン世代ど真ん中)や育成シミュレーションで、カネを自由に稼いで使える頃には既にノベルゲームひと筋だったのです。そういうわけで、このゲームジャンルにはまともな経験値もなければ深い愛着もないので、この感想文もトーシロのたわごとだと一笑に付してもらって構いません。おまけに、私は人一倍こらえ性が無い人間です。
 こんな感じで姑息に逃げを打っておきましたが、『蒼い海のトリアスティア』の率直な感想は、ストレスフルでした。ゲーム性がどうだ脚本がどうだキャラクターがどうだという感想の前にこんな言葉が出てきます。ユーザインタフェースの根本的な不備や、確率に振り回される不毛なゲームデザインは素人目にも(いや、素人だからこそ?)気になって仕方がなかったです。痒いところに手が届かない、と言う表現がありますが、この作品の総合的な遊びやすさは痒くて全身掻きむしりたくなるレベルでした。

完成度の低い操作性
 2002年に発表された作品なので仕方ない面もありますが、操作性が劣悪です。私が本当に嫌で嫌で仕方なかったのが、何でもかんでもマウスの左クリックで操作させるところです。キーボードでの操作はメッセージ送り程度のお飾りレベルで、右クリックは機能していません。アイテムの研究・開発・売買、ステータス、セーブ・ロードといった子ウィンドウは、ページ送りには「次のページ」「前のページ」(「最初のページ」「最後のページ」は無い)、閉じるには「閉じる」という小さな小さなボタンをいちいちいちいちクリックする必要があります。
 主人公の移動に関しても、もの凄く面倒くさいです。スタートの画面である工房の画面からある店へ移動しようと思っても、ワンアクションで行えません。いちいち工房の外に出て、そこから全体マップに移動し、地区へ移動して、そこから店を探してクリックしてようやく移動が完了します。私はあるアイテムを作るために「タンポポ」が必要だと分かり、どこかで見た記憶のある花屋を探すため地区を移動して店をしらみ潰しに探し、結局その花屋がつぶれていたと分かったときに、ギブアップという言葉が頭をよぎりました。
 他にも、バックログ未実装、未読・既読問わずスキップ未実装(エンターキーをひたすら押しっぱなしでそれっぽく動く)、セーブは工房以外では不可です。

確率に振り回される嫌なゲームデザイン
 このゲームは確率との不毛な戦いを常に強いられます。アイテムの制作の成功・失敗も、アイテム研究の進捗度合いも、試行回数で改善されるとはいえ基本的に運次第です。乱数の仕様なのか、結果は何度ロードしなおしても変わりません。私はダイヤモンドのこぎりという、材料の人工ダイヤ三個を揃えるのが一苦労で、時間と金を盛大に食い潰してくれたアイテムが、一回の制作失敗でロストしたときに、ギブアップを真剣に考えました。
 また、このゲームには取り返しが利かない時限イベントが多数あり、そんなもん初見で分かるかいという発生条件のものもあれば、締め切りが非常にシビアで一回の失敗が致命的になる(上記のダイアモンドのこぎりがまさにそうだった)ものもあり、いくつかはヒロインとのベストエンドを見るための条件になっています。そういうわけで、半ば必然的に攻略やメモを駆使しての再プレイが要求されます。

 上述した操作性とゲームデザインの何が悪いかって、このゲームの基本方針である、材料を仕入れてアイテムの研究・開発を行い店へと売りこむ、という流れと密接に絡んでいるのが最悪なんですよ。ちょっとしたストレスでも、繰り返し繰り返しやらされるにつれて加速度的にマッハになるのは言うまでもありません。
 例えば、これからあるアイテムを開発して、ある地区の店へと売り込み行きたいとします。その場合に必要な実際の操作は以下の通り。

 まずは素材を買いに行きます。
01.工房画面の玄関マットへカーソルを動かしてクリックし(職人通りの外観図に移動)
02.(境目のよくわからない)道の切れ端へカーソルを動かしてクリックし(全体マップに移動)
03.対象の店がある地区へカーソルを動かしてクリックし(そこの外観図に移動、ナノカちゃんアイコンがのそのそ移動するのを見守る必要有)
04.対象の店へカーソルを動かしてクリックし(店ウィンドウ起動)
05.「買い物」へカーソルを動かしてクリックし(買い物ウィンドウ起動)
06.対象の商品へカーソルを動かしてクリック
07.注文個数へとカーソルを動かしてクリックで調節し
08.「買う」へカーソルを動かしてクリック
09.「やめる」へカーソルを動かしてクリックし(買い物ウィンドウ閉じる)
10.「とじる」へカーソルを動かしてクリックし(買い物ウィンドウ閉じる)
11.(境目のよくわからない)道の切れ端へカーソルを動かしてクリックし(全体マップに移動)
12.工房のある職人通りへカーソルを動かしてクリックし(そこの外観図に移動)
13.工房へカーソルを動かしてクリック(工房画面へ移動)

 次にアイテムを制作します。
14.炉へカーソルを動かしてクリックし(制作アイテムの一覧ウィンドウ起動)
15.「次のページ」へカーソルを動かしてクリックし、目的のアイテムのページまで移動して
16.「アイテム制作」へカーソルを動かしてクリック
 乱数の神様が微笑んでくれたら制作成功! 失敗した場合、材料は塵芥と帰します(炉などの設備のみ除く)。
 材料が無くなった場合は再び01の操作からやり直してください。

 次にアイテムを売り込みに行きます。
17.工房画面の玄関マットへカーソルを動かしてクリックし(職人通りの外観図に移動)
18.(境目のよくわからない)道の切れ端へカーソルを動かしてクリックし(全体マップに移動)
(省略)
19.対象の店へカーソルを動かしてクリックし(店ウィンドウ起動)
20.「売り込み」へカーソルを動かしてクリックし(売り込みウィンドウ起動)
21.対象の商品へカーソルを動かしてクリック
22.「売る」へカーソルを動かしてクリックして
 売り込みが完了になります。ここから工房へ戻るには(省略)です。

 この字面で、私の右手のすじに残るぴきぴきした痛みのいくらかが伝われば幸いです。
 なお、この操作手順は材料を取り扱う店やアイテムの売却が可能な店が完ぺきに把握されていた場合のそれであり、その店が何処にあったか忘れた場合はさらにマウスを握る右手にウロウロカチカチしてもらうことになります。
 ……なぜ右クリックやエスケープやウィンドウ外のクリックでウィンドウ閉じないんですか?
 なぜページアップ・ダウンやタブでウィンドウ間のページ移動が出来ないんですか?
 なぜカーソルキーでマウスポインタが(そのまま、あるいは選択箇所にジャンプで)動いて、エンターで決定という操作が出来ないんですか?
 なぜゲーム時間を進める操作は工房でしか行えないのに、「工房に戻る」ボタンを用意しなかったんですか?
 工房画面で都市全体の店舗が一覧で見られるウィンドウを用意して、地区や店の種類ごとにソートや絞り込みが出来て、店のレベルや来客数、扱っている商品が一目で分かって、直接そこに移動できるようにする、そんな発想は出てこなかったんですか?
 なぜこんな操作性とユーザインタフェースにGOサインを出してしまったんですか?

シビアでシリアスなシナリオ、テキストはよし
 評判通り、こつえーのぱんつはいていない絵柄からは思いもよらぬ、シリアスでシビアなシナリオはけっこう面白かったです。浪花節の人情・友情話だけでなく、外様の人間に対する非情な仕打ちや損益による掌返しも盛り込まれていて、だからこそ前者にほろりとさせられます。基本的に純粋な善意だけで働く主人公が、政治的陰謀に巻き込まれていき、都市の復興や独立自治の旗印として担ぎ上げられていく展開もなかなか読ませてくれました。
 あと、私が気に入ったのは言葉遣いのセンスのよさ。私はノベルゲームをプレイする際に、知らなかった単語や自分でも使ってみたい表現をメモするようにしているんですが、この作品はプレイしていてなかなか収穫が多かったです。メモを見ると、「宵っ張り」「裸足で逃げ出す」「売り物にするには足が早すぎる」「へんぺんたる資本の多寡」「こまったときは、相身たがい!」「のんべんだらり」「出来星財閥」「造次顛沛にも」「言わば言え」「しつけのいい料理」「料理の腕は玄人はだし」「男が鈴なりになるだけの素材」「闇夜に霜のおりるがごとく」なんて言葉が書いてありました。
 台詞回しは、司祭さんの表現が愉快でした。私はこういった表現を見ると思わず口角が持ち上がります。何というか、外国文学のような味わいがありませんかね?

「聖誕祭の七面鳥だけを家に残されてる猫みたいに幸せだわ」


「税金みたいにたしか」


「カカトの皮までぶんどられます」


「生まれたての子犬みたいに、ピュアな気分」


 謎の少女の恋愛に関する格言は、調べてみると外国文学やことわざからのいただきだったみたいです。文章が主体のゲームというわけではありませんが、テキストの質は全体的に高かったです。
 他には、都市が復興するに連れて外観マップでの人通りが多くなったり、自分が売り込んだ開発品の体系(工芸品、食品、工業製品など)に応じて都市がその方面に成長していったり、そういった視覚的な面もよく出来ていると思います。

百合ゲーとしての所見
 悪くないんじゃあないですか。全年齢対象の作品ですが、愛のある告白やキスまでの流れがわりと丁寧に書かれています。
 「そういう世界」とかいう表現や、ハンプデンの娘さんの意中の人へは心酔崇拝、それ以外の人間は眼中に無しというコテコテ造型はどうかと思いましたが。

まとめ
 シナリオや言葉使いはまずまずよかったですし、百合ゲーとしてもだいたい違和感なく読めましたが、あのわずらわしさと不条理さに耐える価値があるかと聞かれると「別にない」としか答えられません。SLGとしての比重の高さに対してこの操作性は致命的すぎます。まして繰り返しプレイ、そこまで行かなくともトライ&エラーを強いるゲームデザインなら、相応のユーザビリティを実現してくださいな。
 このブランドの過去作『リトル・ウィッチ・レネット』『リトル・ウィッチ・パルフェ』は百合ゲーの古典との呼び声が高いですが、この『トリスティア』よりさらにシステムが悪いならば到底プレイできる気がしません。積んだままでもいいかな、と正直思っています。『ネオスフィア』はどないすべい。

蒼い海のトリスティア ~発明工房奮闘記~
B00006FDJI

Template Designed by DW99