2017年06月13日

けものフレンズのギャグについて真面目に考察する

 『けものフレンズ』は言うまでもなくギャグアニメであり、くすりと笑えるものから、ひたすらシュールなもの、毒の効いたものと多種多様なギャグが飛び交う作品です。今回はそのギャグが劇中で果たしている役割について、ちょっとだけ真面目に考えてみます。

かばんちゃんの「食べないでください」

「ハァハァ」
「ハァハァ……」

「た……
 食べないでください!」 プピ~
「た、食べないよ!」


 『けもフレ』劇中における最初のやりとりであり、この作品を象徴するフレーズでもありますね。
 12話でサーバルが語っていたとおり、始めはかばんちゃんがこわがりなことを表すだけだった台詞が、サーバルとの出会いの思い出になり、最後はボスを含めた三人の絆を象徴するフレーズへと昇華されていきます。劇中でことばの意味合い、重みが目まぐるしく変わっていくさまは例えようもなく美しく、ここだけ取ってもたつきの並々ならぬ演出力がわかりました。
 また、これは深読みかもしれませんが、11話「せるりあん」のすさまじい恐れとおののきは、それまでおふざけの中で語られてきた「食べられる」という事象が、ふいに眼前の脅威として降りかかってくる落差からも生み出されているのではないでしょうか。

サーバルのへんちくりんなかけ声

「あっ、そうだ
 木登りができると、逃げたり隠れるときに便利だよ
 ちょっとやってみない?」
「えっ」

「みゃーみゃみゃみゃみゃみゃみゃみゃみゃ!
 ねっ簡単でしょ?」
「無理ですよ~」


 ほぼ説明不要ですね。第1話を何度も見て、何度聞いても妙ちきりんなかけ声やおきまりのコメント(「キノヴォリ」「ミャンミャンゼミ」など)にげらげら笑っていた人ほど、かばんちゃんがパートナーのかけ声を借りて遮二無二木を登っていく姿に涙腺をぶっ壊されたのではないでしょうか。
 妙な口癖やとっぴな会話がシリアスパートでやにわに重大な意味を持ってくるという泣きの演出は、自分にはKeyゲーを思い起こさせました。

ボスのフリーズ

「ねぇボス、こっちであってるの?」
「道がどんどんなくなっていくね」
「まかせて ボクの頭にはパークの全地形がはいっているんだ
 この茂みをこえれば あとは楽な道だよ」
「よーし、いこう!」
「う、うわああぁ!」

(橋の無残な残骸)

「えっ!?」
「これって……」
「マ、マママママ、マ、セ、マ、マセ、マ、マセ、テ……」
「ボス!?」「ラッキーさん!?」
「どういうことなの? ねえ道は?」


 ジャパリパークのガイドロボットであるボスが、インプットされたデータや検索結果を基に「まかせて」と自信満々に行動を起こすも、不測の事態に出会してアラート音と「アワワワワ……」というつぶやきと共に機能停止する様子は、随所でコミカルに描写されています。それに加えて、ジャングルではいきなり蔦に絡まる、平原では対処できずにフリーズする、雪山では凍る、とパークガイドとして肝心なところで役に立ってくれません。視聴者はそんなボスの姿にぽんこつ、ロボットらしく四角四面で融通が利かない子、ニコニコ動画風に言えばshita big redの「無能」、という印象を抱いたことでしょう。……であればこそ、あの情けなさがあったればこそ、ボスが一人の「フレンズ」として確立されていく姿は尊かったです。ミライさんの羽が揃うという偶然に助けられながらも、かばんちゃんを暫定パークガイドに任命するという抜け穴を使い、(おそらくパークの規定である)お客さまの安全を最優先するルーチンより彼女の意志を優先したところで、思わず涙がちょちょぎれました。黒セルリアンの誘導作戦で攻撃をスムーズに避け、タイヤに草が絡まる事故をものともせず、「ぱっかーん」というミライさん譲りのかけ声と共に手動運転のハンドリングで切り抜けるところで、胸にこみ上げてくるものがありました。ロボット三原則をほとんどぶっちぎり、黒セルリアンとともに海に沈んでいく姿に涙ながらの拍手を送りました。また、セキュリティの穴を突くような「食べちゃうぞ~」「食べないでください」を利用したやりとりも、ボスがあの冒険で自我と意志を勝ち取っていたことで成立したものだと思います
 ボスの思い切ったハンドル捌きをさらに深読みすれば、あれは第5話でサーバルが「たーのしーっ!」と言いながらハンドルをばしばし叩いていた姿を学習(トレース)したとも捉えられます。12話におけるボスの述懐を聞く限りでは、あながち考えすぎでもないと思っています。

ハカセたちに料理をさせられるヒグマ

「そこで強火です、料理は火力なのです」
「ええ~? 火を強くするってどうやるんだ?」
「ふ~ふ~するのですよ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」


 ヒグマの火を恐れない性質が、黒セルリアンの誘導作戦で重要な役割を持っていたのは言うまでもありません。ここのハカセらとのやり取りは、ヒグマの性質が単なる闘争のためのアビリティではなく、フレンズの輪の中で発揮される愛すべき個性の一部であることを何を言わずとも語っているのです。直前の息もつかせぬ展開で昂ぶっていた心がほぐされて、得も言われぬほっこりとした気持ちにさせられたのを昨日のことのように思い出せます。シリアスパートの代表キャラであるヒグマをギャグパートに招待する演出として、恐ろしく巧いと思いました。
 この後に続くヘラジカとジャガーさんのやり取り「強そうな腕だな、ちょっと勝負しないか」「えっ、ええ~!?」も、同じような意味合いがあると個人的には思っています。

 まとめると、けものフレンズのギャグは日常からシリアスへの移行、シリアスから日常への回帰をダイナミックかつシームレスに繋ぐ導線なのだと思います。ほのぼのギャグ、ロードムービー、SF(すこしフシギ)、シリアスバトルという要素を成り立たせる骨子、と言い換えてもよいです。
 なお、ギャグについての記事と言うことで、素直に笑ったシーンについても語っておくと、何話かのCパートで、アライさんが崖登りしている横をフェネックが足こぎのゴンドラで悠々と登っていくところ、あそこが大好きです。ほんの一瞬のシーンですが、即堕ち2コマならぬ1コマでオチが付いているのが凄い。それに、あの絵面と構図にアライさんとフェネックのキャラクターと関係性がすべて表れているのがとてもよいのです。

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2017年05月07日

「レズはひとりでいてもレズ。百合は二人いるのを外部が見て決めるもの」という言説のアホらしさ

 私は掲題のような「百合はうんぬん、レズはかんぬん」という言説が大っ嫌いだ。そこに当てはめられる言葉がどんなものであろうと関係ない。心底嫌な気分にしかならない。こんなことを脂下がった面で言っている奴は100%信用ならないと断言できる。
 いつか記事で書きたいと思いつつちょうどよいソースが見つからなかったのだが、先日、ツイッターのタイムラインでうってつけの論説を見つけた。記事の締めくくりで引用されているのが森島明子、天野しゅにんた両名による以下のような言説だったのだが、ちょうどよいあんばいのとんちんかんっぷりだった。

 「百合」と「レズビアン」の違いは何か、というこれまでに幾度と無く繰り返されては答えが出ないままにされてきた問いに、1つのクリティカルな回答を示した例があり、それは先述の「ユリイカ2014年12月号 特集:百合文化の現在」に掲載された人気百合漫画家・天野しゅにんた先生のインタビュー内において天野先生が引用した、こちらもまた人気百合漫画家である森島明子先生の言葉によるものです。

 「レズはひとりでいてもレズ。百合は二人いるのを外部が見て決めるもの。本人達がどう考えているかはともかく、百合は外部から見てはじめて百合になる」

 あくまで数ある定義の1つではあるのですが、百合を語るにおいて覚えておきたいこの金言。社会人百合がますます可能性を広げ、勢いを増していくうえでは切り離せないものになるかもしれません。

「百合」は少女ばかりではない! 「社会人百合」の魅力を伝えたい - ねとらぼ


 そもそも、当事者の自称でもなく「レズ」という言葉を平然と使っていることに神経を疑うが……。
 記事の論旨はさておき、こんな馬鹿げた言説を得意げに開陳している時点で説得力もへったくれもない。多少こましゃくれた言葉で飾っているものの、この人たちが鼻息も荒く主張していることって、こんな暴言と対して変わらないと思う。

メイド好き、ロリコン……みたいに「ジャンルとして女が好き」と言ってるのはレズ
男も好きならバイになると

恋愛か憧れか知らんが好きになってしまった相手が「たまたま女だった」ってのが百合かなと

お前ら百合はどこまで許せるの? - VIPの百合


「レズは女が好き、百合はあなたが好き
レズは原因、百合は結果

レズは女が好き、百合はあなたが好き レズは原因、百合は結果


 私は百合というジャンルの、恋愛至上主義・関係至上主義で狭量なところが本当に苦手だ。
 なぜ、同性の関係に限って、特別な相手がいないと駄目で、外部から認めていただかないといけないのだろうか。あんたたちは彼女いない歴=年齢の子がかわいい彼女を作る! という漠然とした野望に向かってまい進するような話を認めないのか? 特にパートナーも思い人もいない同性愛者が仕事なり学生生活なり趣味なりのアクティビティに一心不乱に打ち込む話を認めないのか? 「二人いる」のではなく三人や四人でポリアモリーな生活を送る話を認めないのか? 掲げた教義に殉じるならば、認めないんだろうなぁ。
 こんなことを言うと「それは『百合』として認めないだけ、ジャンルの『区別』であって差別ではない」という反論が来そうだが、同性愛に限って、特別な相手の存在について取りざたして論じている時点で、歪んだ眼差しがあるのは否定しようがない。誰が何と言おうと、「レズはぺけぺけ、百合はほにゃらら」説は、前者の同性愛者や性愛を「~だけど」と下げて、後者の百合をより上位のものとして持ち上げる歪な構図にしている。隠しきれないホモフォビアがにじみ出ている。何かを足蹴にしないと「百合」とやらを持ち上げられないならば、表現力が貧相で志が低いとしか思えない。
 自分の好きな作家がこのようにトンチキな言説を金科玉条にしていたら死ぬほど落ち込むところだったが、天野しゅにんたも森島明子も自分にとってすこぶるどうでもいい存在だったのでよかったよかった。
 そうそう、外部に見られて初めて存在が認められるという理屈に対する薄気味悪さは、『ハリー・ポッター』の登場人物であるダンブルドアのセクシャリティに関する騒動を思い起こさせた。作者であるJ・K・ローリングが彼はゲイだと説明したときに、「そんな描写は本編のどこにもなかった」「そんな伏線はどこにもなかった」と困惑したり、あるいはいきり立ったりする読者がいたらしい。窮屈さと馬鹿馬鹿しさでは、本案件とどっこいどっこいだと思う。

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2017年04月22日

けものフレンズは何話が好きですか

 みなさんは『けものフレンズ』全12話でどのエピソードが好きですか?
 私は第1話「さばんなちほー」、第3話「こうざん」、第11話「せるりあん」から第12話「ゆうえんち」に掛けてが特にお気に入りです。


 1話については以前の記事であらかた書いています。とにかく密度が尋常じゃない。
けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲
 新しいフレンズとの出会い、ちほーの冒険とフレンズの特徴の紹介、セルリアンとの戦い、別れと素敵な旅立ち……。町山智浩は映画作家の処女作にはその人の資質がすべて詰め込まれていると言っていましたが、それにも似て『けものフレンズ』の1話にはこのアニメの要素がすべて登場しています。
 この作品の各エピソードは、2話から9話では主に冒険旅行とフレンズとの交流、10話から12話の前半に掛けてはSFミステリーとセルリアンとのシリアスバトルが描かれていて、トーンがわりかし分かれているんですよ。にもかかわらず、それが空中分解せずに一つの流れ・一つの作品として成立しているのは特筆に値するところです。そこに視聴者の導き手たる1話が果たしている役割はかなりの比重があると思います。
 あと、1話の最後にオープニング曲「ようこそジャパリパークへ」が流れますが、言ってみればこの曲も作品全体の縮図なんですよね。オーイシマサヨシ謹製のドラマティックな曲展開に、ジャパリパークへの(ダイナミック)入園(あの映像的没入感!)、三人の主人公であるかばんちゃん・サーバル・ボスの集い、フレンズとの出会い、ジャパリバスでの冒険旅行、夕暮れの海辺と意味深な素材による明らかな別れの示唆、そして導入部と逆の構図での、フレンズたちに見送られてのパークの退園……というストーリー性を持った映像が被さってきて、もはや一つの世界観として成立しています。サビ2「ウェルカムトゥようこそジャパリパーク――」でバスが跳ねる躍動感と冒険感、Cメロ「夕暮れ空にそっと指を重ねたら――」のしっとりとした切なさ、Dメロ「ララララ ララララララ――」の上方にパンするカメラとともに募るもの寂しさと来たらと、ありません。個人的な欲を言えば、最終話ではOPのシルエット完成版を流してもらいたかったですね。いやしかし、スナネコはんの「ぼくのフレンズ」2番も凄まじい破壊力だったし、う~ん。
 1話はニコニコ動画であまりにも繰り返し見すぎたので、いろいろ感覚が麻痺しています。


 3話は後追い組である私が「これは確かに並じゃあない、みんなが騒ぐわけだ」とひとりごちた回なので、ことさら思い入れがあります。
 この話の何が凄いかって、荒れた人工施設(ロープウェイのりば)の探索、(次第にお約束のギャグになってくる)ボスのフリーズ、新たなフレンズであるトキとの出会いと習性の紹介、高山の踏破(飛んでだけど)、ジャパリカフェの発見ともう一人のゲストキャラであるアルパカ・スリとの出会い、客足のないカフェという問題の発覚、かばんちゃんの叡知の発揮とフレンズとのアクティビティ、ショウジョウトキの到来という鮮やかなオチ、バッテリー充電のクエスト達成、下山からの、もう一人の相棒とも言えるジャパリバスの劇的発進(「う゛っ!」「……」「危ないよ~」)、Cパートでのばすてきコンビの本格始動というように、イベントがこれでもかと用意されているにもかかわらず、これっぽっちもせわしなくないのが凄いんですよ。1話から続くのんびりとした空気はそのままに、かばんちゃんたちにこれだけの動きをさせているのは地味にとんでもない。たつき監督のタスク管理能力、構成力、間の演出力の高さがもっとも表れているのがこの話ではないでしょうか。
 3話はエピソード単体での完成度もずば抜けていると思います。まずストーリーラインがシンプルでかっちりしているのがグーです。かばんちゃん(並びにヒト)の能力である「コミュニケーション能力が高い」(ハカセ)「困っている子のためにいろんなことを考えつく」(サーバル)がこれ以上ない説得力を以て発揮されているもよい。そして、話の結びで、仲間を捜しているというトキの問題と、カフェにお客さんが来ないというアルパカの問題が、カフェのシンボルとトキの歌声に注意を引かれたショウジョウトキが訪れたことによって同時に打開されるさまがあまりもドラマチックで、言葉を失ってしまいました。あそこのシークエンスを出来すぎだ、ご都合主義だと捉える人ももちろんいるかと思いますが、それはフィクションに対する受容度の問題でしかないでしょう。私はただただ、すがすがしさと作劇の見事さに打ちのめされていました。
 経年劣化した人工物の背景と、それを利用した牧歌的生活というアンビバレンスな日常感も心地よいですね。『ヨコハマ買い出し紀行』や『少女終末旅行』などを例に挙げるまでもなく、荒廃した世界での旅・日常(ポストアポカリプス)というのは、われわれを惹きつけて止まないものです。ある種の原風景なのでしょうか。
 そして、ゲストキャラのトキとアルパカは二人ともが抜群にキャラが立っていますね。自分の世界を持っていて、おそろしくマイペースだけれどやっぱりしたたかで優しくい。私の中でのフレンズのイメージは、けっこうな比重でこの二人に作られていると思います。それに加えて、あの最っ高に変な声が最っ高に素晴らしいじゃあありませんか! 私は『けものフレンズ』をある種の人形劇だと捉えているふしがあるのですが、劇において一度聞いたら忘れられない声というのは得がたいストロングポイントですよね。3話から4話にかけては変声声優のつるべ打ちといった勢いで、耳があまりにも楽しすぎます。
 もう一つおまけに、このエピソードは○○おにいさん・おねえさんの解説まで面白いなのがずるい。「ふ~ん、アルパカってイメージに反して縦社会のルールが……ないんか~い!」



 11話。泣いた、泣いたよ、泣きましたとも。思いっきり早起きしちゃいました。最大瞬間風速は、一度木からずり落ちかけたかばんちゃんが、誰もがあの人のものだとわかるかけ声と共に駆け上がるところでした。
 SFミステリーとしての山場で、1話から常に漂っていた不穏がついに頂点に達する前半パートから、巨大セルリアンとの正面対決へと流れ込む後半パート、無情に潰されるかばんちゃんという衝撃の幕引きまで、ひっきりなしの怒濤の展開で息つく暇もなし。そんな中で、ボスとの初めての血の通った会話、不測の事態での華麗なハンド切り(ぱっかーん)、かばんちゃんの木登り、カバのダメ出し「あなた泳げまして?」「空は飛べるんですの?」「じゃあ足が速いとか?」を真っ向から打ち破ってのダイブ、という今まで積み上げてきたものが一気呵成に襲いかかってくる演出と相まって、私の心はしっちゃかめっちゃか、どったんばったん大騒ぎでした。続く12話の、サーバルを冷遇していたように見えたボスとの本音での会話、フレンズ全員集合からの怒濤の加勢、映像的にも息を呑む美しさの、サーバルちゃんのエンチャントファイア紙飛行機、そしてラストの、一目で1話のリプライズとわかるお別れまで含めて、あまりにも丁寧で堅実な仕事です。ヘラジカ監督の作劇の姿勢、奇をてらわず実直に一つ一つ伏線や前振りを積み重ねていくスタイルって、今の市場では逆に珍しいんでしょうか。
 あと、シリアスパートのゲストキャラ代表であるヒグマが、巻きの展開の中でキャラが確立されていて地味に凄いと思いました。あの進退窮まる状況の中で、かばんちゃんたちやハンターの同僚たちにあえて逃げる選択肢を残すところに、ぶっきらぼうなやさしさやハンターとしての誇りがにじみ出ていてぐっときました。対決の後にハカセたちにいじられるポジションに収まっていたのもおいしいですね。
 最後に、11話から12話に掛けてをリアルタイムで触れられたのは本当によかったです。私は11話放映直後にニコニコ動画1話を見たのですが、冒頭から阿鼻叫喚のコメントが溢れ、たつき許さねぇという怨嗟の声とたつきを信じろという祈りの声がクロッシングしていました。そして、戦闘力として真っ当なカバはいいとして、シマナメクジから第3の壁の向こうにいるしんざきおにいさんまでありとあらゆるものに助けを求めるコメントが溢れていて、少し笑ったのをよく覚えています。んで、サーバルちゃんが木登りを教えてくれるところで、予測はしていたのにやっぱりぼろぼろ泣いてしまいました。
 12話の放映後の1話は一転して、「たつきありがとう」と監督を賛美するコメントや、森羅万象に感謝を捧げるコメントで一新されていたので、またまた笑ってしまいました。あの時の一体感、ライブ感は、例えようがなく心地よかったですね。『けもフレ』は動画コメントの文化や匿名掲示板・SNS文化とも奇跡的にマッチしたアニメだったと思います。

 以上、長々と語ってしまいましたが、みなさんのひいきはどのエピソードで、どのフレンズでしたか? 『けものフレンズは』はそれをいろんな人に聞いてみたくなるアニメでした。

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2017年03月08日

けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲


 脱力けものギャグベンチャーアニメ『けものフレンズ』がちまたの評判に違わず面白い。劇中で繰り返されるフレーズ「たーのしー!」「すっごーい!」とともに熱病のように広まった作品だが、その面白さを表す言葉としてもこれ以上的確なものはない。ちなみに私は、評判を聞いて観た1話のガクガクFPS・へっぽこ物理演算の「かりごっこ」で一度脱落し、リベンジで(ニコニコのコメントの助けを受けつつ)1話を完走した後に面白くなってきたクチである。大多数の人と同じだろう。

ほら 君も手をつないで大冒険
 『けものフレンズ』をジャンルに当てはめれば、萌え擬人化やゆるふわギャグアニメに分類されるだろうか。人をある程度選ぶはずのジャンルものが層を問わず広まったのは、バディもののロードムービーとしても、SF(すこしふしぎ)としてもよく出来ているからだと思う。基本を抑えているのだ。このアニメは大いにへんちくりんではあるが「斬新な」「新感覚の」という形容を耳にするとどうにも違和感を覚える。むしろ、目的地に向かう途中で様々な問題(を抱えた人)に遭遇する、問題を知恵と勇気で解決する、新たなキーアイテムや情報を得る(読者視点では設定や世界観が少しずつ開示される)とともに仲間が増えていくという構成は、SF冒険譚として清々しいくらい王道的だ。別働隊(アライグマとフェネック)が別視点からことの真相に迫っていく構成も、実に少年心をくすぐる。各話のプロットもシンプルそのものだが、それらが説得力と訴求力を持ち得ているのは、主人公たるかばんちゃんのスキルが展開に自然と活かされていること、最良の相棒であるサーバルの優しさとけなげさ、フレンズのおおらかさによって形成される空気がこの上なく心地よいことが大きな要因ではないだろうか。単純明快なのはよいことだ、というところで次節の話題に繋がる。

そう 君も飾らなくて大丈夫
 肩肘張らない、裏表がない、もったいぶらない。『けものフレンズ』の美点である。
 この作品はそこぬけに明るいキャラが素っ頓狂な展開を繰り広げる一方で、どこか不穏な空気が常に漂っている。物語の舞台が閉園後のテーマパークか、文明が崩壊した後の世界か、あるいはサービス終了後のアプリ(バーチャルリアリティ?)であることはそこかしこでほのめかされていて、フレンズ、サンドスターといったキーワード、「ヒト」「絶滅」「フレンズ化」「動物だったころ」といった物々しい言葉が要所要所で口にされる。そしてセルリアンという外敵の脅威が明確に描写されている。
 『けもフレ』のそんなあけっぴろげなスタンスからは、底の浅い下心、ほのぼのを装ってのショッキングなネタばらしや騙し討ちの衝撃的展開で視聴者にインパクトを与えようという魂胆がこれっぽっちも感じられない。個人的にはそれがとても好ましい。あくまでこの作品の主軸にあるのはフレンズたちが巻き起こす騒動と彼女たちとの触れ合いであり、彼女らの裏表のなさがそのまま作風を形成しているのだと思う。それでいて、真相に思いを巡らせたり今後の展開を想像させたりする情報を各エピソードに配置しているのは、なかなかの構成力だと言わざるを得ない。
 また、この作品は脱力系ギャグアニメとしても癖になる魅力がある。作り手がある程度意図して演出していることは、サブタイトルの表記が「さばんなちほー」とひらがな表記で間延びしていたり、「○○おにいさん(おねえさん)」のゆるゆるな実写解説を挿入したりしていることからもうかがえる。それとしての完成度(シュール系の作品に適切な言葉だろうか?)の高さは、アニメを構成する各要素の絶妙なバランス感覚によって成立していると私は思っている。これがもし、3Dモデルだけが吉崎観音絵そのもののシュッとした美少女だったり、モーションだけがキレッキレだったり、声優の演技だけがこなれていたり、脚本だけが洗練されていたり、音楽だけが流麗だったりしたら、バランスが一気に崩れてどこかに批判が集中したかもしれない。とぼけた顔つきの3Dモデルが、まるで人形劇のようなぎくしゃくした動きで、調子っぱずれの音楽をバックに、ちょっと舌っ足らずな声で、すっとぼけたお話を演じるからこそ、あの中毒性のあるフシギ空間が生まれているのだと思う。つまるところ、大事なのは作品のカラーと統一感なのだろう。
 ときに、サーバルの3Dモデルには黄金比が隠されているのではないだろうか。あの緊張感のない目! だらしのないほっぺた! ぽかんとした口! アルカイックスマイル! そして高すぎるでもなく低すぎるでもない絶妙の等身! その上、あの陽気で抑揚の取っ払われたボイスで魂が吹き込まれると最強に見える。

ララララ ララララララ 素敵な旅立
 『けものフレンズ』を異色のギャグアニメたらしめているのは、寂寥感と郷愁だ。上にも書いたが、この作品はお祭り騒ぎの明るさに包まれていて、お話は常に登場人物たちの喜びの声で満たされている一方、言いしれぬもの寂しさと胸を掻きむしられるような悲しさを覗かせている。それは背景として、ヒトの文明あるいは物語の舞台の崩壊が明らかであることも影響しているだろうし、明るいお話や脳天気なキャラクターとのギャップもあるだろうし、かばんちゃんとサーバルの別れがそこかしこで示唆されているのも影響しているだろう。私はそういった劇中の描写に加えて、「サービスの提供が終了したゲーム」という『けものフレンズ』自身が辿ってきた道と、EDテーマでも示されている「さびれたテーマパーク」のモチーフが恐ろしいくらいマッチした結果、あの得も言われぬ郷愁が生まれていると推察している。
 敷地の中は閑古鳥が泣いている……。人手も予算も足らず、アトラクションはところどころガタが来ている……。前回の出しもの(アプリ)は大失敗、今回の人形劇も、人形は垢抜けないデザインで動きもぎくしゃく、キャストの演技もどうにも拙い……。けれど、そんな引け目はこれっぽっちも感じさせず、精いっぱいわれわれを楽しませよう、楽しんでもらおう、そして自分たちが思いっきり楽しもう、そんな思いが狂おしく伝わってくる。『けものフレンズ』という作品は、そんなうらぶれた遊園地のイメージそのものだ。私たちは「たーのしー!」キャラクターや「すっごーい!」イベントの舞台袖に見え隠れするものに、胸が締め付けられるのだ。もし、アプリ版のサービス終了がアニメ化の布石として意図したものだったとしたら、『けものフレンズ』はメディアミックスの最良の成功例として紹介されてもおかしくないと思う。単なる偶然だとしたら、芸術の神の粋なはからいとしか言えない。
 『けもフレ』を語る上で『ひょっこりひょうたん島』や『がんこちゃん』といった作品を引き合いに出している人をいくらか見かけたが、私はその方たちと同じ周波数の電波をキャッチしたのだと思う。

すがたかたちも十人十色 だから惹かれあうの
 世をすねて、ひねくれたことや残酷なことを書くのは簡単だ。綺麗ごとや気持ちのよいことを真っ正面から書くのは、その万倍難しい。『けものフレンズ』はその困難に挑戦している作品で、7話までの段階で評価すれば、その試みはいくらか実を結んでいるのではないだろうか。
 「フレンズによって得意なこと違うから」1話でのサーバルの言葉である。「できることが違う」ではないところに、彼女の優しさがうかがえる。優しさが心をえぐる。「違う」と言い切らせるところに、作り手の誠実さを感じる。

はじめまして 君をもっと知りたいの
 『けものフレンズ』は頭を空っぽにしてみるアニメだ、IQを溶かすアニメだと言われているが、個人的には見るたびに発見があってうかうか見てられない作品である。特に1話は、今見返すと情報量がなかなかのなかなかだ。
 まず、この回のメインキャラであるかばんちゃんとサーバルについて、種族としての特徴が話の中で発揮されている。このフォーマットは2話以降も踏襲されているのは言うまでもない。冒頭のかりごっこのシーンだが、サーバルはかばんちゃんの足音に反応して目を覚まし、追っている途中で視野角の狭さから彼女を見失ったあとも足音で捕捉していて、聴力が高いことがすぐにわかる。しんざきおにいさんが解説してくれたジャンプ力の高さも、ここだけで二回も披露されているね。かばんちゃんについても同様で、手先が器用で物作りが得意、肩関節の可動域のおかげで投てきができる(紙ひこうき)、体温調節の能力が高い(ハァハァしない)、骨盤の形状から長距離移動に耐えられる、体力の回復が早い(もう元気になってる)、記号(文字、絵)の識別能力が高い(看板と地図)というヒトの種としての特徴はほとんど網羅されている。ここまでは7話で博士が私も1話の時点で気付いていたとどや顔で主張しておこう。全部『たけしの万物創世記』の受け売りだけどな! しかし、ヒトのもっとも優れた能力とは何か、本当にヒトをヒトたらしめているものが何なのかは、9話以降のサーバルに言われてようやく意識させられた。あれは一本取られた。つくづく油断ならない作品やね。
 世界観の説明も、実はだいたいこの1話で済んでいるのだ。サーバルが最初にかばんちゃんへ紹介したフレンズが(仁王立ちする)トムソンガゼルと(なめくじにしか見えない)シマウマだが、これは本来であれば肉食獣であるサーバルの獲物のはずだ。その和やかな空気から、フレンズなるものが補食・被補食の関係から解放された存在であることを暗に示してる。そして、われわれがサーバルを通して抱きはじめたフレンズへの親近感は、この話のゲストキャラであるカバのマイペースさと、力強さとふてぶてしさと、何のかんのの優しさを見せられて確固たるものとなる。また、物語の舞台が「ジャパリパーク」という場所であることもごくごく始めの方でしれっと口にされている。そのサファリパークを模した名前と、道中で見つかる傷んだ机、看板などから、舞台が人造のテーマパークで、何かの異変が起こった後であることが自然に察せられる。大したもんだ。

8話の違和感
 けもフレの8話ははっきり言っていまいちだった。この話だけ世界観が違うという意見を見かけるが、自分もそう感じたクチだ。ペンギンたちのライブ設備が他の施設の荒廃ぶりに対して(整備したにせよ)綺麗すぎるとか(巨大迷路のアナウンスは死にかけていた)、文字通り書き割りのフレンズが不気味だとか、声優の棒読みが度を超えているとか言いたいことはたくさんあるが、何より今回のフレンズの悩みが複雑すぎて違和感があった。店にお客が来ないとか、同種の仲間が見つからないとか、迷宮から出られないとか、料理を食べたいとか、そういったシンプルで即物的な悩み・欲求に比べて、アイドルユニットの中での立ち位置うんぬんというのはいささかお高尚すぎる。作劇のフィクションラインがこの話だけ浮いているのだ。プリンセスが会場から逃げ出すまでの筋運びもおよそ丁寧とは言い難く、あまり評価できない。ただ、そんな中でもマーゲイの特技がドラマチックな展開を生んだり、ボスが(おそらく)群体型でフレンズの世話(もしくは監視)を行っている、人間たちは港に向かったという情報を盛り込んでいたりするのは手堅いと思った。

ようこそジャパリパーク
 ゆるゆる冒険アニメとしての面白さは絶対保証する。底抜けの明るさの裏に見え隠れするもの寂しさに波長が合えばさらに惹きつけられること必死。記事を書くのが遅れているうちに残り3話となってしまったが、「たーのしー!」「すっごーい!」というライブ感も含めて楽しい作品なので、今からでも遅くない、未視聴の方は記事の先頭に貼った1話のリンクを押してジャパリパークに入園しよう。

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2017年01月23日

2017年の新作百合ゲー 『きみから』『BLUE REFLECTION』『よるのないくに2』『ジェミニフォートの勿忘草』『ナイトメア・ガールズ』『戦国の黒百合』『全ての恋に、花束を。』

 毎度恒例の新作百合ゲー下馬評記事。前回分はこちら。
2016年後半戦の新作百合ゲー……が全然無い! 『カタハネ ―An' call Belle―』『ジェミニフォートの勿忘草』『ナイトメア・ガールズ』『ねのかみ後編』

きみから~彼女と彼女の恋するバレンタイン~(2017年春)
http://baseson.nexton-net.jp/baseson-light/kimihane-couples/

少女たちの恋と友情のスケッチ、再び―

ダウンロード限定発売のガールズラブAVGが、続編+完全版で待望のパッケージ化!


 公称ジャンルは「ハッピーガールズラブコメディ」。2015年に発表された短編百合ゲー『きみはね』の正式な続編。同時に前作も完全版仕様でパッケージになるとのこと。
 前作はあんまり評価できるところがなかったが、全くもって嫌な作品ではなかったので今作もタイミングが合えばやってみようと思う。ちなみに前作の感想はこちら。
きみはね レビュー・感想 浅ァァァァァいッ練り込み不足!!

BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣(2017/03/30)
http://social.gust.co.jp/gakkou/

かけ足の“きれい”は過ぎていく――

本作は、現代の日本の学園が舞台です。

SNSやスマートフォンの登場により、
人々のコミュニケーションには新たな方法が加わりました。

しかし、人と人との交流における本質は、
いつの時代も変わりません。

「ひとりでは小さくても、手を取り合えば、
より大きな力と幸福を得ることができる。」

『BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣』は、
この人間の本質・絆をテーマとした、少女たちの等身大の
青春を描く“ヒロイックRPG”です。


高校時代、誰もが経験するであろう、楽しさ、甘酸っぱさ、
漠然とした不安、恐怖。
主人公はゲームを進めるうえでそうした経験をし、
多くの少女たちと深く関わっていきます。

親密になったり、誰かのために泣いたり、時には仲たがいしたり。
こうした心の交流を重ねることで、主人公たちは成⾧し、仲間の力の心強さ、ひとりの人間としての強さを得ていきます。

岸田メル、時雨沢恵一、五十嵐雄策、夏海公司が贈る、
現代の学園と美少女とファンタジーが融合するガストの新ジャンル、“ヒロイックRPG”。ぜひご期待ください。




 ガスト制作のアクションRPG。公称ジャンルは「ヒロイックRPG」。主要登場人物が少女だけで、絆をコンセプトにした会話・支援システムを取り入れていること、宣伝絵の方向性、制作陣(岸田メル)の前向きな発言などから百合ゲーとして期待されているらしい。
 私はそもそもプレステ2以降のハードを持っていない上に「現代もしくは近未来の日本でぴらぴらした概念礼装を着たお姉ちゃんたちが斬った張ったする」という絵面にあんまり心惹かれないので、たぶんやらない。

よるのないくに2 ~新月の花嫁~(2016年→2017年発売予定)
http://social.gust.co.jp/shiroyuri/

美少女と、美少女と、美少女が惹かれ合うRPG

『よるのないくに』は、キャラクターや世界観、
従魔との連携アクションなど、
これまでのガストブランドにはなかった、
さまざまな要素を取り入れた作品でした。
その意思を継ぐ新作『よるのないくに2』は、
美少女がキーワードです。
美少女ヒロイン・リリィたちが登場し、
主人公と共にバトルやストーリーで大活躍します。

Lily
前作で好評だったダークな世界観はそのままに、
魅力的なリリィたちが主人公のパートナーとなり、
惹かれ合い、絡み合うことで、美少女を輝かせます。

さらには、従魔の役割の変化、
より爽快感のあるバトル、細分化された育成など、
“新生・美少女従魔RPG”としてすべての点が進化します。

『よるのないくに2』で、リリィたちとの
甘く切ない物語をお楽しみください。





 こちらもガストが制作のアクションRPG。CSゲーマーにとっては今ガストがアツいのだろうか。公称ジャンルは「美少女従魔RPG」「美少女と美少女と美少女が惹かれ合うRPG」。こちらも前作の内容、直球な公称ジャンル、嘆美なビジュアルイメージ、『零』のスタッフが関わっていることなどから、ほぼ百合ゲーが内定しているらしい。
 上記作品と同様の事情があるのと、前作が私の観測範囲ではさんざんな評価だったのでとりあえず様子見。

ジェミニフォートの勿忘草 (2016年予定→?)
ナイトメア・ガールズ~異界氾濫~ (2016年制作開始予定)
月の水企画
 ド外道百合エロ本格RPGの雄、月の水企画の新作二本。あまりにも楽しみすぎてネタバレを封印しているので詳細な紹介文が書けない。2016年発表予定だった『ジェミニフォート』はそろそろ新作予告でも出してくれるのだろうか。あと、今作からプラットフォームがツクールMVに移るらしいが、私のぼろパソコンはまともに動作しないのでちと不安である。
 毎回宣伝しているけれど、月の水企画作品の推薦記事(ネタバレ無し)を載っけておく。
リリィナイト・サーガ レビュー・感想 名作! 王道風ド外道百合エロRPG


 以下、同人作品の枠。
戦国の黒百合~ふたなり姫と忍ぶ少女達~(2017年2月予定)
http://kotobaasobi.dojin.com/sengoku3/

織田の敗戦をきっかけに自分を見失った朔は、人知れず姿を消した。
兄と共に朔を捜し続ける柚々。
静かに思いを馳せる蕗。
朔の代わりに織田を支えるべく立ち回る濃。
消えた朔を案じつつ、彼女達は己の気持ちと向き合っていた。

織田を去った朔は、とある町にたどり着いていた。
ここでなら目的を果たせるかもしれないと目論み、贔屓にしている商人の屋敷に逗留することを決める。

まるで吸い寄せられるように、朔はそこで一人の少女と出会った。
先行きが不安な状況の中、二人は共にいることを望み、互いを求め合う。
朔を守り続けてきた蔓と棘だけが、全てを冷静に見据えていた。
果たして、忍の少女達はどのように動くのだろうか。

史実にオリジナルキャラクター等のアレンジを加えた独自のストーリー。
戦国ふたなり百合ADV「戦国の黒百合」シリーズ第三章。


 シリーズ3作目。前々作と前作を去年の暮れにようやくやったのだが、明らかに場違いな筆力だったのでおったまげてしまった。もっと早くやっていればよかった。読ませる言葉づかいと醸される情感の湿度がすさまじかった。なので本作は優先順位を上げて取りかかる。
戦国の黒百合~ふたなり姫と隷属の少女~
戦国の黒百合~ふたなり姫と敵国の姫君~


全ての恋に、花束を。
http://burstgen.com/subekoi/

幸せに、なろう――。
“はみ出し百合っ子幸せ探しADV”
2017年夏、発売予定。


 『Dahlia』や『恋と、ギターと、青い空。』のサークルによる新作らしい。手が空いたらここのサークルで一作くらいは抑えておきたい。


 以下、公式サイトの更新が長いこと停止している作品群。

アルプトラウムの黒蝶 (2014年秋予定→2015年予定→?)

祈ればきっと叶うよ。
あなたの願いも、わたしの願いも―

時は大正時代。
とある山中にひっそりと存在する集落「白女霧」<しらめぎり>
主人公 坂本舞子は生まれた時からこの集落で
多少の不自由はあるものの楽しい時を過ごしていた。

そんなある日、舞子は一人の少女と出会う。
神も肌もまっしろな、いわゆるアルビノ<先天性色素欠乏症>の少女イリス。

舞子は初めこそ自分と違う容姿に戸惑いを隠せずにいたが、
打ち解けていくうちに徐々に心を惹かれていく。
最初は心を閉ざしていたイリスもまた、舞子の純真な心に触れ、次第に心をひらいていく

こうして少女ふたりのちいさな物語がすこしずつ、すこしずつ紡がれていく―




夏空あすてりずむ (2014年予定→2015年予定→?)
爽やか青春系百合ADV 『夏空あすてりずむ』

青春×田舎×乙女!!
明るく元気だけが取り得で、天体観測が趣味の女の子『椿沢 科乃(つばきさわ しなの)』
今年の夏もめいっぱい楽しもう!! と、思っていたのに……。
あれれ、今年の夏は去年までの夏と違うっ!?
趣味に進路に友情に、そして――もしかしたら恋に!?

星がゆっくりと夜空を流れていくように、
ゆっくりでも、確実に変わらなきゃいけない夏。
その先にある未来へと繋がる星座を形作るために。



女性向けガールズラブSLG(仮) (2015年秋?)
業界初!女性向けガールズラブSLG 2015年秋リリース予定!
 シナリオライター様は見つかったのだろうか。

死に至る純愛 (2015年予定→?)
死に至る純愛

妻に恋するファンタジー百合18禁ADV
原画・シナリオ ろくみ




 私は『きみから』『戦国の黒百合』『ジェミニフォート』をやる予定。あと、パレオントロジーの新作が出たらそれも抑える。それ以外の作品は、もし挑戦する方がいたら所感を聞かせていただけると幸いだ。

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2016年12月19日

白衣性恋愛症候群 レビュー・感想 実直な看護描写と軽薄なファンタジーの激しい乖離

 私がこの作品をあまり評価できない理由は簡単で、話の軸が定まらずにぶれているからだ。あんたが一番書きたいのは、看護の現場の実態を描く半ドキュメンタリーなのか? 主人公が一人前の看護師として成長するまでのビルドゥングスロマンなのか? 「癒しの手」による救済のファンタジーなのか? 恋愛や痴情のもつれの末のゴシップなのか? それが伝わってこなかった。
 看護の要素については、作者の実体験に基づくのだろう、真っ当な描写がなされていた。飛び交う専門用語や符丁はもっともらしさを演出していて、細かい描写は現場のすえた空気まで伝えていた。息つく暇も無しに起こる生死のイベントは、それを見届けたり看取ったりする人間の情感まで含めて丁寧に書き込まれていた。しかし、それがある意味仇になっていて、「癒しの手」という(お世辞にも作り込まれているとは言い難い)作中概念を巡るファンタジー要素と激しい乖離を起こしている。私は何も、超自然要素で人が癒されることの是非を問うているのではない(私がノベルゲームでもっとも好きな作品は、死んでいた人間が生き返るお話だ)。要はフィクションラインの問題だ。ファンタジックな治療の手段が(少なくとも読者の視点で)観測されている世界観で、人を癒すことや人の死を受け入れることの難しさを問われても、少なくとも私の心にはあんまり響かない。ファンタジーの要素がやっつけであるならばなおのことだ。
 方々で話題になっていた、黒化や拉致監禁などのいわゆる「鬱展開」については、行動原理やそこに至るまでの過程にあまり説得力が無く、読み手に衝撃を与えてやろうという下心が悪目立ちしていた。この悪癖は『星彩のレゾナンス』でも見られていな。
 いちおう筆致についても触れておくと、例えるならゆるい女学生の実況中継・日記帳といったあんばいで、どんな層を狙っているのかよくわからなかった。テキストを読んでいて、楽しい、心地よいと思えた時間がほとんど無かった。そもそもテキストゲームとして評価するのがお門違いな作品なのかもしれないが。

工画堂スタジオ 白衣性恋愛症候群 RE:Therapy
B007TNYRRS

2016年10月30日

NEW GAME! 得能正太郎 レビュー・感想 お仕事も夢もがんばるぞい!

 私が日常系ゆるふわギャグ漫画に設定している期待値をかなり超えて面白かった。

 私は『NEW GAME!』原作1巻を割と早いうち(「今日も一日がんばるぞい!」が熱病のように流行る前)に読んでいたのだが、「なにこれ、オチはどこにあるの? ただパンツを丸出しにすれば喜ぶとでも思ってるの? ふざけてる」と速攻でうっちゃっていた。しかし、いつの間にやらアニメ化されていて、ニコニコ動画での放映をごはんのお供程度にぼけら~っと見ているうちに、次第次第に面白くなってきてしまい、気付いたときには原作を全巻買わされていた。自分の実体験で言うと『ゆるゆり』とだいたい同じパターンである。

コウりんはいいものだ、たぶんなによりもいいものだ
 私と同様に、原作の序盤やアニメの一話は眉間にしわが寄るほどつまらなかったのに、話が進むに連れて一人また一人とキャラクターに思い入れが生まれてしまい、気付けば話にも入れ込むようになった、という人は少なくないだろう。あのフィーリングを表す的確な言葉がないか考えていたのだが、奇しくもDG-Law師匠の『ゆるゆり』評に「わが意を得たり」という表現を見つけたので、引用させてもらおう。「重ね芸」だ。この作品はネタの積み重ねで魅せるのが図抜けて巧いのだ。
 前半に書いたが、コウがやにわにパンツを開陳したところで、さっぱり嬉しくないし面白くもない。特に意味のないサービスシーンと言えばそれまでだが、即物的かつお下劣で官能の表現としては下の下である。しかし、あれが単なるヨゴレ仕事で終わらないのは、常識人枠であるはずのりんが感化されてパンツ丸出しペアルックをしてしまったり、青葉が泊まりの日にある意味パンツ姿よりインパクトのあるくまった寝袋で逆にコウを驚かせたり、入社一年後にはコウのパンツに何の疑問も感じてなくなってしまったことで「変な会社」の立派な一員になったことが表現されたりと、重ね芸の「フリ」として昇華されていくからだろう。また、話を読み進めてコウのずぼらで大らかな人となりがわかってくると、不思議と「この人は本当にしょうがないな」と少し温かい目で見られるものだ。
 りんにしても、相方(コウ)への愛が重すぎて暴走するいう面だけ見れば、萌えアニメに一人はいる「百合キャラ」の量産型でしかなかった。りんがそんな印象を持たせないのは、まず視野が広くて人間の完成度が高いからだ。ディレクターとして管理の仕事もメンバー個人のケアもそつなくこなして、周囲の人間の信頼も厚い。基本的に穏和で優しいが、問題点はきちんと指摘する公平性がある。どのように小さい善でも賞せざるはなく、同様にどのように小さい悪でも叱らざるはなし、といったあんばいだ。そんなほとんど完璧超人に近い人のに、大好きなコウちゃんが絡むとどうしても冷静さを欠き、子どもじみた言動や大人げない行動を取ってしまう。そういったギャップ、コントラストが巧く表現できているからこそ微笑ましく、嫌味がないのだろう。それと、ただただ彼女を盲目的に慕うのではなく、時には叱咤してお尻を叩き、時にはそっと寄り添って相談に乗る、そういった内助の功があるところもポイントが高い。コウがキャラデザのコンペで結果が芳しくなく、思わず青葉を突っぱねてしまったことで落ち込んでいるのを諭すところなんて、長年連れ添った風格が感じられたぞ(あのシークエンスについては記事の後半で掘り下げる)。
 ひふみにしても、極度の引っ込み思案だがネット上では饒舌という性質はありがちで、単体ではあまり目新しさはない。これもキャラデザ班の蒼々たるぽんこつたちの中で発揮されるから面白く、またひふみにコミュ障な自分を少しずつでも変えたいという思いがあるからこそ、テンプレから変化していくのだ。ときに、みなさんが『NEW GAME!』でもっとも笑ったのはどのエピソードだろうか。私は、りんがコウとひふみとのやり取りからいらぬ深読みと嫉妬をして、ひふみんがそれを取りなそうとメッセで悪戦苦闘する話「#46 苦手な人付き合い」(通称肉じゃがメッセ回)がいっちゃんお気に入りだ。この作品はあまりドッカンドッカン笑いを取っていくタイプの作品ではないが、あそこには腹を抱えて笑ってしまった。あの話の何がよいかって、コウちゃんのにぶちんっぷり、りんちゃんさんの焼き餅妬きっぷり、ひふみんのメッセ上での変なテンションという三者三様の性質が影響し合ってコラボレーションし、それぞれの空回りがさらなるカオスを引き起こしているのがよいのだ。重ね芸の極致と言っても過言ではない完成度だったと思う。
 青葉のひとり言や、うみこの話の長さについても同じだろう。2巻表紙裏のおまけ漫画「くまったくまった」を単体で見ても、正直言ってじぇ~んじぇん面白くないが、社員旅行の回で青葉のあれを「いつも皆に気を使って疲れているんですよ…」(うみこ)「ただの素じゃないの?」(コウ)と変な人の代表格たちが自分らを差し置いて品評しているのはどうにもおかしい。うみこの困った性質も、ひふみがコウとりんのケンカ(という名の茶番百合)を取りなしてへばっているところに、追い打ちの形で被せられるとクスッと来る。
 つまるところ、変ちくりんな人がこれまた変ちくりんな人たちと一緒に生きているという、エピソードの積み重ね(BY『咲-Saki-』)による空間表現が心地よかったのだと思う。そういった空気が表現されている日常系漫画は、自然と評価されていくのだろう。

「青(コウ)いいよね」「いい……」プロ同士多く語らない
 この作品のハイライトとして、新作ゲームのキャラデザコンペで評価された青葉が、逆に全ボツを喰ったコウに刺々しい対応をされてぎくしゃくするくだりを挙げるのは私だけではないだろう。あれはもし、青葉とコウが形式的な先輩後輩であり、青葉が単なる(と言っていいのだろうか)実力差によって責任ある立場に抜擢されたのだったら、話は単純であった。何がこの問題をセンシティブにしているかと言えば、青葉にとってコウはその道を志すきっかけとなった憧れの人で、上司としても尊敬できる人間で(コウにとっては慕ってくれるかわいい後輩で)、同時に同じ会社に在籍するクリエイターとして感性で勝負するライバルでもあることだ。それは憧れの人と一緒に働くことを選んだ青葉の宿命とも言える。そして、芸術や創作というのは得てして、一つのひらめき・発想がスキルの差をひっくり返すことがある(あのコンペはその典型例だろう)。だから単純に実力の結果だと納得できない部分はあると思う。コウには当然クリエイターとしての自負や矜持があるだろうし、誰にだってよい仕事でよい評価をもらいたいという欲求はあるはずで、青葉に思わず声を荒げてしまったことを糾弾は出来ないだろう。コンペの直前に、コウの仕事ぶりを見た青葉の「今までずっと好きな絵だったのに、悔しい……」という想いが書かれていたのは、ちょっとした伏線だったわけだ。さらに深読みすれば、あれは青葉が守破離(しゅはり)の守の段階を超えつつあることも表している。
 コウは自分が若くしてメインのキャラデザに抜擢されて先輩たちと衝突した苦い経験を振り返り、りんのさりげない後押しも受けて、自分が成すべきことを今一度考える。コウの歩み寄りによって二人は元の鞘に戻り、キャラデザインの仕事は青葉がメインで行い、コウがサポートしていく形で進めていくことに決める。大げさな表現かも知れないが、「くやしい」「妬ましい」という感情を超克して、社会人としても、クリエイターとしても、さらなる一歩を進めたのだ。「嬉しいこと悔しいこともぜんぜんぶ 力に変えて前向いた」ことで「限界塗り替えてい」くことが出来たのだ。
 ここで、青葉とコウが二人で出した答えを「しょせんお花畑だ夢物語だ、社会も仕事もそんなに甘くない」と思う人もいるだろうし、「であればこそ、二人は人との巡り合わせに恵まれたことを天に感謝するべきであり、互いに信頼関係を築けていたことを何より誇りにするべきだ」と思う私のような人間もいるだろう。それはもう、甘っちょろいフィクションに対するスタンスの違いや、人や仕事や創作といったものに対する価値観の違いでしかないと思う。

「…私 八神さんには感謝してるんですよ」
「?」
「仕事もたくさん教わりましたけど、いつもさりげなく声をかけてくれて
 それが私… とっても嬉しかったんです」
「昔の八神さんがどんな人だったのか私は知りません
 でも少なくとも…」
「少なくとも今の八神さんは 私の尊敬できる上司です!」

(#25 ステップアップ)


 青葉のコウに対する信頼を端的に表す独白だが、ここは御大の実体験に基づく台詞ではないだろうか。私はフィクションに現実は持ち込まない主義なのだが、この言葉にはうんうんと一人でうなずいていた。そうなんだよ、そのさりげないことこそ人間関係の要であり、人は大人になるに連れて何故かそれが下手になっていくんだよ……。
 これは完全に余談になるが、あのコンペでの衝突のシークエンスが私の心に重くのしかかった理由の一つに、いたるがKeyを退社した一件があった。いたるがインタビューで、退社を決めた要因の一つに、後輩であるところのNA-GAが自分の目標であったオリジナルアニメのキャラデザの仕事を先に取ってしまったことを挙げていたのだが……。
樋上いたるさん、ビジュアルアーツを退社! | アニメイトタイムズ
 私はバ鍵っ子とはいえあくまで作品の信者であり、スタッフの人となりや人間模様は知るところではない。それにしたってアンタ「後から入ってきた原画の人」って……。というわけで、個人的にタイムリーな主題で、いろいろ思うところがある分感慨もひとしおであった。
 もう一つの山場である、会社の宣伝方針でキービジュアルをコウが描くことが決定し、青葉が自分を納得させるために半分出来レースのコンペに挑むところも、胸に迫るものがあった。コンペの数日前とおぼしき深夜に青葉がコウの作品を見せてもらうところは、何を言わせずとも青葉の表情がコウの実力に打ちのめされたのを伝えていて、ストレートに胸を打った。青葉のぼろぼろに泣き崩れる顔も、それでも顔を上げて描ききろうとする屹然とした顔も、真に迫っていた。そしてコウの、泣き崩れる青葉を抱き留める真剣な面持ちや、最後の仕上げに取りかかる青葉を見守る柔和な表情は、彼女らの想いを言葉よりも雄弁に語っていた。コンペの本番の様子がさらっと省略されていたのは、青葉が完膚無きまでに負けたことを表現しているのだと思うが、全力で胸を貸してくれたコウに対してしこりなどあろうはずが無く、二人の表情はこの上なく晴れやかだった。キャラデザのコンペでの諍いを乗り越えて、二人の信頼がさらに強くなっていることを表す素晴らしいエピソードだったと思う。
 『NEW GAME!』はアニメ化された2巻までの内容でも充分に良作のギャグ漫画として認定されると思うが、本格的にシリアスパートにも取り組んだ3巻以降の出来で、もう一つ上の水準に到達したと個人的には思っている。

「一番気に入っているのは」「何です?」「はじゆんだ」
 『NEW GAME!』の美点の一つは、人が人に惹かれるところ、心を動かされるところを説得力を以て描いていることだ。御大が脚本を担当しているアニメオリジナル回の9話でゆんが「ウチが遠山さんやったら、惚れてまうかも~」と言っとったでしょ。あれだよ! ああいうことなんだよ。それは風邪を引いているのに無理をするりんを連れ帰るために自分も早退し、いつものお返しとばかりにまめまめしく看病するコウの姿である。うみこの強引さに困っていたひふみを、いつにない強引さで連れ出して助ける青葉の姿である。青葉がキャラデザの立場に困惑して空回りしているのを察して、普段はお昼を取らないのに食事に誘って親身に相談に乗るひふみの姿である。青葉のことを時にケンカをしてしまうほどに心配していて、バイトの最終日には上司であるコウにしおらしく頭を下げるねねの姿である。ねねの落ち着きの無さに頭を悩ませつつも、着眼点のよさや頑張りについてはきちんと認めて、以後の進路をサポートするうみこの姿である。そして、ムーンレンジャーのイベチケを取るためにサボっていたはじめをたしなめつつ、突き放すのではなく昼食を調達してあげたりイベントの参加を融通してあげたりもするゆんの姿である。はじゆんキテル。
 この作品ほど、カップリングについて「コウりんは原点」「青コウが俺のジャスティス」「僕の見つけた真実は青ひふ」「はじゆんはメガ粒子レクイエムシュート」と気兼ねなく書ける作品もそうそう無いが、その心はこういったエピソードの堅実さに尽きると思う。

私、ねねごん好き! バアァァァァァン
 『ゆるゆり』の感想を読んでもらえばわかる通り、私はドが付くほどの原作厨だ。そんな私でも『NEW GAME!』のアニメはべた褒めするしかない。原作が好きならば絶対に見て損はない、と請け合っておく。私は好きな作品のアニメを見ていると、だいたい演出の過不足や間の表現などが自分の脳内映像と食い違っていていらいらしっぱなしになるのだが、この作品はそういったことがほぼ無かった。原作があまり動きのない形式的な四コマ漫画ということも影響していると思うが、スタッフの手腕と原作愛が一番の要因だろう。
 原作の補完という観点だと、もっとも大きいのはねね、うみこ、葉月といった準主要キャラクターの出番が多くなり、話に絡んでくるタイミングも早くなっていることだろうか(特に葉月)。ねねっちとうみごんのやり取りが増えていたのはよい仕事していたし、ねねの着眼点のよさが強調されていたり、奇っ怪な行動のフォローがされていたりするのもえがった。原作でねねがコウのプリンを食ったのははっきり言って意味がわからなかったが、アニメだと取引先のお中元が余っているから食べてよいというやり取りが挿入されていて間接的なフォローになっていた。葉月がふらふらっと青葉たちのところにやってくるシーンは、毎度毎度エキセントリックさを遺憾なく発揮するのと同時に、ディレクターとして一歩引いた立場から、青葉たちの仕事っぷりから人間関係までをも見守っているのが伝わってきた。イーグルジャンプの「変な人の見本市で困りものだけど、よい人ばかりで働くには悪くないところ」という印象をさらに強めることに成功したと思う。
 映像表現という観点だと、基本的にデスクワークが中心で人の動きがそこまで激しくない分、色んなところに力を入れていると思った。特に印象に残っているのは、若手三人がコウに促されて東京ゲーム展に行くエピソードだ。まず『FAIRIES STORY3』の嘘OPは「誰がここまでやれと言った」という力の入りっぷりで笑った。そして、自分たちの作品のPVで、青葉がデザインしたソフィアちゃんが主人公に守られ、ゆんが作り上げたグロテスクなモンスターが、はじめが付けたモーションでおどろおどろしく動くのを見て感無量になるところ。あそこは動きを得たからこその迫力があり、ひいてははじめたちが受け取った感動が倍増しで伝わってきた。他に何気ないところだと、劇中作の開発画面やデバック画面は本格的に作り込まれていて、見て楽しいだけでなくもっともらしさを演出していた。青葉とゆんが寝坊をして会社まで走る話は、青葉のダバダバ走りが実際の動きを見るとあれだけでちょっと面白かった。それと、最終話で青葉がコウに思いの丈を語り、手をとるのと同時にエンディング曲が入って、二人の髪がドラマチックにはためくところ。あそこで風が吹く必要性も外的要因も無いはずだけれど、ああいったケレン味や遊び心は嫌いじゃあない。
 そう言えば、『NEW GAME!』の知名度を劇的に上げた「今日も一日がんばるぞい!」についてだが、あれの乱用を封印したのはアニメスタッフや原作者の意地だったのかなと。制作の動画工房は『ゆるゆり』の一期を担当したところだと聞いて、「\アッカリ~ン/」のごとく毎週アバンでぞいぞい言うのかと身構えていたが、案に相違してそんなことはなかった。話題性だけでなく内容の充実度で勝負をして、じっさいに(少なくとも私相手には)勝利を収めたことには、心からの賛辞を贈りたい。
 あと、『咲-Saki-』勢としては美少女の作画が最後まで安定していたのは素直にうらやましかった。

まとめ
 結局、突飛なキャラによる日常系ギャグ漫画が「かわいい」「おバカ」だけで終わるか、はたまた面白おかしさ、暖かさ、切なさ、去りがたさを空間表現できるかどうかは、エピソードの確かさと人との関わりに掛かっていると再認識させられる作品だった。新刊のストックが溜まるのとアニメ二期の一報が入るのを一日千秋の思いで待つ。

NEW GAME! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
得能正太郎
B00UYABOQA
NEW GAME! 4巻 (まんがタイムKRコミックス)
得能正太郎
B01IT5TZH6

tags: 百合 
2016年10月01日

『SeaBed』『しずくのおと』 力作同人百合ゲーの紹介

 最近、同人百合ゲーの『SeaBed』と『しずくのおと - fall into poison -』を読んだのですが、どちらもかなりの力作でした。両作品はそれぞれ違った方向性で作り込まれており、ほとばしるパトスと値段を遙かに超えた価値が見受けられました。このような作品がDLsiteで200本ほどしかダウンロードされていないのは損失だ、非合理的だと思ったので、さりげなくステマをしておきます。

しずくのおと - fall into poison - [あいうえおカンパニー] | DLsite Home - 全年齢向け

 ――少女たちを襲う恐怖の水族館

 都内にひっそりと佇む満天水族館。
 真弓と姫乃はある噂を調べにそこを訪れるが、些細なことで喧嘩をしてしまう。
 離れ離れになった二人は、いつしか満天水族館に閉じ込められることに。

 行方不明の妹との再会。
 謎の少女との出会い。
 かつての痛ましい事件の記憶。
 満天水族館に渦巻く様々な想いが真弓へと降り注いでいく…。

 ――そして迫られる救いの決断

 真弓に強いられる選択と決別。
 それはとある少女の未来をも左右することになる。

 運命に翻弄された少女たちが織りなすミステリ・ホラー。
 27のバッドと4つのトゥルー、全31種類のエンディングを収録。



 『しずくのおと』でまず興味深かったのが、サウンドノベル寄りのゲームデザインですね。『弟切草』よりは『かまいたちの夜』に近いでしょうか、ありとあらゆる方法で死ぬのも似ている。プレイの流れは、物語の分岐点で主人公の行動を決定し、いくつものバッドエンドを乗り越えて生存ルートを探し出す……同時に新しいルートが解放されていき、物語はその度に新しい展開を迎える、といったものなっています。最近のギャルゲーはもっぱらキャラクター中心・シナリオ中心で、誰々ルートの並列で構成されているものが主流なので、トライ&エラーで新しい展開を切り開いていく感覚はなかなか刺激がありました。エンディング数はいわゆるトゥルーエンドだけでも4種類あり、即死のバッドエンドも含めると全31種類もあります。作品内容の欄で紹介していることからも制作者の力の入れっぷりが伺えます。
 シナリオの雰囲気も悪くないです。水族館という舞台は海=(異)界のイメージへ繋がり、神秘性、非日常性、閉鎖性といった面でミステリーとすこぶる相性がよいですね。私は『Ever17』をやっていた時を思い出したりしました(ありゃあ水族館ではなく海洋テーマパークですが)。なお、終盤は超展開ゲーマーの血が騒ぎました。
 また、紹介ページやPVを見てもらえばわかるとおり、作品全体のクオリティがかなり高いです。原画と塗りは商業とほとんど遜色ありませんね。背景班もよい仕事をしています。インタフェースも凝っていて、メニューを開くと場面場面に応じたTIPSが自動で表示されるところなんか細かいですね。システム画像やそれを使用したスクリプト周りも頑張っています。
 サークルオリジナルとおぼしきサウンドも、けちの付け所がないですね。BGMはあの曲が飛び抜けて素晴らしい。あの曲ですよあの曲、プレイしたらすぐにどの曲のことを言っているのかわかると思います。主題歌もばっちり完備。んだもんだから、サウンドモードを実装しなかったことについては問い詰めたい。
 ノベルゲームのクオリティを、テキストとビジュアルとサウンドの総合力で解釈するなら、この作品以上の同人百合ゲーは『ととのか』くらいしか私は知りません。


SeaBed [paleontology] | DLsite Home - 全年齢向け
※あらすじにわりとネタバレがあります※

本作は百合要素を含むミステリーノベルです。
物語は三人の登場人物の視点で展開します。

CG枚数/90枚以上
テキスト量/約47万文字

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過ぎ行く時はとてつもなく深い海の底に沈み続けている。
ときに浮かぶあの日の景色と匂いは揺れて泡のように消える。

心療クリニックの精神科医楢崎は、人がものを忘れる仕組みについて研究していた。
人はなぜ忘れるのか、大事なことを忘れない方法はあるのか。
彼女はある患者の心の奥深くを探るうちに、深い深い海の底へと辿り着く。

都内に事務所を構えるデザイナー佐知子は、取り憑かれたようにものを作り続ける。
同僚の心配も他所に、仕事を続けた彼女は心を病み過去の恋人の幻が見えるようになる。
彼女は恋人の跡を追って暗く長いトンネルを見つける。

療養所で暮らしている貴呼は、幼稚園からずっと一緒だった同性の恋人とどのように別れたのか思い出せない。
彼女は恋人に似た女性と出会い、徐々に思い出を取り戻していく。
記憶の扉を開き続けていく彼女は、最後に冷たく静かな部屋へと足を踏み入れる。

それぞれの目的の元、過去を求めさまよう三人が行きつく場所は何処か。
三つの物語は淡々とした日々の中で静かに進行し、やがて同じ場所へと還っていく。


 『SeaBed』は上記作品とは打って変わって、シナリオが主体の作品です。選択肢は全くなしの一本道で、ストイックに脚本で勝負しています。この作品は何を書いてもネタバレになりかねない――公称ジャンルが「ミステリーノベル」であることについて論じても危ないし、三人の主人公について語っても危ないし、正直あらすじを読むだけでも危ない――ですが、47万文字という頭のいかれた分量で、日常は淡々といとおしく、ミステリーは神秘的に、伝えたいことは簡潔明瞭に、脚本が書かれています。

【若干ネタバレあり】
 私がこの作品に対して何より驚異と脅威を感じたのが、心象風景・内的世界といったものを当然に存在するものとして物怖じせず描写していることと、ノベルゲームの特性を活かした叙述トリックをしれっと取り込んでいることです。特に前者について、作者の胆力に盛大な賛辞を送りたいですね。主人公(とわれわれ)が自分の目を通して認識する世界について、語りのテクニックの面でも、唯心論や認識力学といった精神的な部分でも、高度な次元での表現に挑戦しています。
【ネタバレおわり】

 同人ゲームがそういった領域に踏み込んでくる時代になったのか、と驚くことしきりでした。
 また、シナリオとテキストの比重が高いとはいえ、ヴィジュアルノベルの基本要素は手堅く作られています。立ち絵は豊富で、そんなパターンまであるのかと感心するほどでしたし、CGもこの値段帯の作品にしては恐ろしく多いと思っていましたが、作品紹介によると90枚もあるそうです。BGMはフリー素材を使用しているようですが、場面場面に合わせて効果的に使っていると見受けられました。
 あと、誰も聞いちゃいませんが、私は貴呼が好きです。なんですかね、あの圧倒的な存在感は。この子のぶれないキャラクターが、虚実入り乱れる幻想的なシナリオに一本の芯を通していると感じました。
 最後に、百合ゲーとして評価するならば、『SeaBed』に軍配が上がるでしょう。何気ない日常から性的なエモーションまでを丁寧に書いてくれています。全年齢対象の作品ではっきりとリビドーの描写をしてくれているのはポイント高し。あそこにCGがないのはバグじゃないですかね?


 以上、同人ゲームの脅威を感じた二作品の紹介でした。作品の紹介ページや、このつたない紹介文を見て興味を惹かれた方がいらしたら、ぜひプレイしてみてください。
 へっぽこ百合ゲーをフルプライスやハーフプライスといったお値打ち価格で売っている商業ブランドは、恐怖に打ち震えるべきだと思います。

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