2007年10月29日

リトルバスターズ! 考察・解説2 直枝理樹は統合失調症患者、棗鈴は理樹の別人格説

 ネタをネタとわかる人だけ読んでくださいね(はぁと)

 直枝理樹は分裂病型人格障害者であり、棗鈴は理樹の別人格です。
 声の質が全く同じで、イニシャルも同じ(R.N おえ き、つめ ん)ことから明らかですね。
 幼い日の理樹少年は、生まれついての自分本位で協調性に欠ける性質のせいで(理樹の邪悪な性格については後述します)全く友達ができず、いつも独りぼっちでいました。人一倍人恋しいくせに、自分を選ばれた人間だと思っていて、世の普く人間を見下している理樹にとっては、同年代の子に「友達になって」と頼むという、下手に出るとも言えないようなことすら耐え難かったのです。理樹は現実の人間から友達を捜す努力を早々と放棄し、自分にとって都合のいい精神薄弱な脳内友達を作りだし、空想の中で彼女と友達になって「あげて」遊んで「あげる」ことにしました。この友達が直枝理樹の別人格「棗鈴」の原型です。
 幼、小と進んでも、元々の性質と、近寄りがたい空想癖のせいで友達は一向にできず、理樹の孤独はいや増します。唯一の遊び相手である「鈴」の存在は理樹の中で次第に大きくなり、やがては現実の存在と混同するまでになりました。理樹は声色を変えて、一人二役で鈴と会話することを覚えます。
 中学に進学し、理樹の次第に深まる妄想癖は、思春期の少年の鬱憤晴らしの恰好の的になります。理樹に対する本格的な虐めの始まりです。プライドの高い理樹は、この悲惨で不快な現実を受け入れることができません。理樹は辛いことや悲しいことや屈辱的なことに出会すと、意識を手放して、感覚を一切閉ざし、これは自分に起こっていることではない、グズの「鈴」に起こっていることだと自己暗示し、あるいは後で記憶を改ざんし、他人事のように眺めて現実逃避することを始めます。「ああ、鈴ったらまた独りぼっちでいるよ」「また鈴が虐められてる」「鈴は本当にグズだなぁ……」といった感じです。理樹はこの逃避行為に薄々気付いていて、また心の底では精神の負荷が原因で意識を失ってしまう自分を惨めったらしく思っているようです。虚構世界においてはこの逃避行為を「ナルコレプシー」という先天的で肉体的な疾患にすり替えてしまうことで、自尊心を修復しています。
 学校での虐めが明るみに出ることで、息子のことを感受性の強い夢見がちな子ぐらいにしか思っていなかった理樹の両親も、やっとこ危機感を抱きます。両親は理樹の心のケアに努めましたが、方々の治療の甲斐なく、彼は本格的に鈴とともに自閉生活を始めてしまいます。女装をして(虚構世界5/22夜を思い出してください)、鏡に映った自分を「鈴」に見立ててコミュニケーションを取りはじめたのはこの頃でしょうか。また、この時に書きためた、あるいは頭に思い描いた、自らを主人公にした妄想話が『リトルバスターズ!』の原案になっていると推測されます。
 理樹の両親は、閉じこもった理樹の世話や、世間の冷たい目に疲弊し、次第に精神を病んでいきます。この先は二通りのパターンが考えられます。理樹の両親は、終わりのない精神的・肉体的苦痛に耐えられなくなり、①理樹ともども無理心中することを決意する。②心中する。
①理樹の両親は理樹をどうにか説得して参加させたパック旅行でバスジャックを決行し、バスを崖から転落させる。
②理樹は両親の裏切りにショックを受け、発狂寸前になる。理樹はやにわにバスジャックを企てて、バスは崖から転落する。

 理樹は家来同然に見下していて、それでも心の底では愛を求めていた両親の裏切りに、致命的な心の傷を負いました。今までのように鈴に受け入れがたいことを押しつけて、二人っきりで遊ぶだけでは、心を癒すことができなくなったのです。理樹は落下するバスの生と死の狭間で、新しい8人の脳内友達と、その友達と永遠に遊びつづけるための楽園を創りあげたのでした。これがあの虚構世界の成り立ちです。

一人が辛いから二つの手を繋いだ
二人じゃ寂しいから輪になって手を繋いだ

「Little Busters!」


 OP曲の出だしは、このようにして理樹の自閉、逃避行為が深化したことを表していたのです。

 Refrainの始まりに特殊学級の話が出てきますが、あれは理樹の実体験を基に出来ています。理樹の両親は自閉がちな理樹を特殊学級に通わせていたのです。理樹は虚構世界においても、無意識のうちに自分自らが醜く思う役割を押しつけて(「鈴は知らない人と一緒にいられない」「鈴は礼儀知らず」「鈴は同性から嫌われている」)、自身が屈辱的に思う過去を葬ろうとしています。同時に、鈴を見下し哀むことで自尊心の回復を図っています。

 直枝理樹は、何もかもが思い通りになる身勝手な世界を創ったにもかかわらず、そこではあえて善良なる普通の少年を演じています。女性陣も一度に一人ずつしか股を開かせません。何故理樹が虚構世界で超人を演じて、いけ好かない連中を思うがままに捻伏せて、女性陣と酒池肉林の乱痴気騒ぎをしないのかといえば、それは仮想世界にリアリティーを与えるという一点に他なりません。この世界とキャラクターが自分の妄想の産物に過ぎないことに気付いて、永遠の夢を崩壊させないよう、周到に自衛しているのです。小狡い理樹は代わりに、棗恭介や来ヶ谷唯湖といった、自分が思い描く超人キャラを世界に配置し、彼らを仲間に加えて「あげる」という七面倒なプロセスを経て、自身のやくざなプライドと支配欲と変身願望を満足させているわけです。理樹は自分が思っている以上にしたたかな人間です。葉留佳やクドのようなみそっかす連中もメンバーに加えることで、現実感を補強するのも忘れていません。もちろん寛大さと人間の大きさをアピールする意図もあるのでしょうが。

 リトルバスターズのメンバーは理樹の妄想の産物です。そのせいで全員に少なからず理樹の性格、願望、コンプレックスなどが投影されています。親に対して負い目がある……。感情がない、だから他人の心がわからない……。片割れと和解できない……。死が受け入れられない……。もうお気づきのことだと思いますが、リトルバスターズの女性陣の抱えている未練は、実は現実世界の理樹の負い目に他ならないのです。理樹は自分のために作ったご都合主義の世界でそれらを克服し、両親の裏切りで傷付いた心をどうにか癒そうとしています。しかしながら、異常なまでに自尊心の強い理樹は、それを自分の欠点として認めて、真っ正面から向き合うことができないのです。もし認めてしまえば、騙し騙し守ってきた自己像は脆くも崩れ、プライドをズタズタにして発狂してしまうことでしょう。ここでも理樹は、自分が克服したい負の部分を無意識に女性陣に押しつけて、哀れな女の子の悩みを自分が協力して「あげて」解消して「あげる」という回りくどい方法でもって、コンプレックスの緩和とプライドの修復に腐心しているのです。

棗恭介
 上述したとおり、理樹の理想を具現化した完璧超人なので、片割れである鈴の兄という誉れ高い役職を与えています。恭介のようなクラスの花形の人間と友達になるのが理樹の儚い夢だったのでしょうね。それが虚構世界では、引き籠もった恭介を自分が救い、最後に仲間に加えて「あげる」という屈折した形で現れています。
井ノ原真人
 ひ弱で自ら全く努力をしない理樹は、溌剌としたDQN連中をあざけ笑う一方で、常に変わらずクラスの人気者の彼らを強烈に嫉んでもいます。彼の異常な体躯はその焼け付くような羨望の念の現れでしょう。鈴や来ヶ谷を使って徹底的に暴力を振るうあたり、理樹の陰湿な性格と腕自慢な連中に対する激しい憎悪が読み取れます。
宮沢謙吾
 理樹の無邪気さの象徴です。理樹は9人もの仲間に囲まれて、気も狂わんばかりに舞い上がっているのですが、それを素直に表すことができず、代わりに謙吾をはしゃがせています。理樹はここでも、真人の時と同じように、ずば抜けた運動神経を持つ人間を負かして舎弟にし、現実での憂さを晴らしています。学校で理樹を虐めていたのは、スポーツ万能で体格に恵まれた子だったのではないでしょうか。
神北小毬
 不自然なまでに下着を見せびらかしますが、あれは理樹の秘めたる露出欲求のせいでしょうか。小毬の堕落した食生活の割に細い体は、いきおい現実世界の理樹が醜く肥えていることを現しています。
三枝葉留佳
 理樹の反社会的で自分本位な性質がよく表れています。葉留佳といういかにもなDQN名や、三枝家だの本家だの種違いの双子の姉妹だのの厨二設定は、理樹が引き籠もっている間に書いた入魂の自作小説を元にしているんでしょうね。
能美クドリャフカ
 現実世界の理樹は、クラスで鼻つまみ者にされていることを「僕は特殊な生まれの人間だから、塵芥のクズどもとは付き合ってられないのだ」と自己弁護し、プライドを保っています。その高慢な選民意識が控えめながら現れているのでしょう。
西園美魚
 もうお気づきでしょうが、美魚と美鳥のモデルは理樹と鈴なのです。理樹の場合は女装をして鏡の中の「鈴」と会話していました。
来ヶ谷唯湖
 理樹の異常性欲の権化でしょう。理樹は他人とうまくコミュニケーションが取れないことを「僕は生まれつき感情というものを持ち合わせていなくて、他人の心がわからなくて、だから連中と相容れられるわけがないのだ」と結論づけて思考を停止し、現実逃避しています。

 虚構世界の崩壊は恭介たちの画策でしょう。さんざんなことを書いてしまいましたが、八人のこびとたちは理樹の邪悪な性質だけでなく、心の奥底にしまわれていた良心も受け継いでいます。彼らは与えられた役割以上の越権行為はできず、直接自分らが空想の人物であることを伝えることはできませんが、理樹が現実に戻ることを一丸に願っていました。一人で生るのが辛すぎるなら、相棒である鈴を拠り所にしてもいい、この世界や俺たちへの未練を捨てて現実を生きてほしいと。

『リトルバスターズ!』のエンディング曲は「遥か彼方」です。あの曲が流れ終わった直後に『いいよな…これで…。』『→いい』を選び、恭介ら空想の友達に別れを告げて、歪な虚構世界『リトルバスターズ!』に幕を下ろさなければなりません。これがリトバス本編のTrueエンドなのです。ここまで来て『→よくない』を選んでしまった場合は、史上最悪のBADエンドルートに分岐してしまいます。理樹が再び生み出した妄想の世界は彼の現実を浸蝕し、ついには完全な融合を果たします。それが修学旅行2とエピローグの光景でしょう。BADエンドの曲がOPのバージョン違いなのは、新しい自閉世界の始まりと、理樹が虚構世界の始まりから全く成長しておらず、これからも、とこしえに、自閉世界で脳内友達とたのちくたのちく暮らしていくことを表していたのです。麻枝様のブラックジョークここに極まれりですね。

 修学旅行1で鈴は全くの役立たずですが、それも当然です。鈴は現実世界では理樹の別人格に過ぎないのですから。そして理樹は、リトルバスターズを救出することはおろか、彼らの元に辿りつくことすらできません。当然です。バスの中にいるのは、理樹か理樹の両親の凶行に巻き込まれた一般人だけで、真人や謙吾や葉留佳やクドや来ヶ谷や美魚や小毬などいやあしないのです。理樹も心のどこかで、リトルバスターズの仲間が妄想の産物に過ぎないことに気付いています。自衛本能が、バスの中の非情な現実を目にして気が狂うのを防ぐために、救出活動の途中でナルコレプシー……と勝手に名付けた逃避行為を行ったのでしょう。理樹は現実と妄想の境目が完全に失われた(さらに時間の概念も失われた)修学旅行2で、ようやくリトルバスターズの面々と「出会う」ことができたのです……。

参考文献
『さよならを教えて』
『マルホランド・ドライブ』
『Succubus Quest短編 老司書の短い夢』

解離性同一性障害
統合失調症
分裂病型人格障害
[裏設定・真実・本当は恐ろしいリトルバスターズ!]

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 96拍手ありがとうございました。

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2007年10月25日

首も回らない

 秋期休暇なるもので、月末から10日ばかり休みになるんだけど、その間にすべきことをリストアップしておこう…。

①「うみねこのなく頃に」を消化する。そろそろネタバレに出くわしそうな気がするので是が非でも消化する。②積みっぱなしの「DDD」二巻を読む。③その前に一巻を読む。④よくよく考えれば「空の境界」もまだ読んでねぇや。⑤リトバスと一緒に買ってた虚淵の新作をやる。⑥同上の東東コンビの新作をやる。⑦そういえば「回想のビュイック8」悪評のせいで積んでたんだ…。⑨「コロラド・キッド」せっかく当選したのにまだ読んでない…。⑩あ、ジャック・ケッチャムの新刊も本棚のこやしになってるし…。

 …この辺でやめておこう。う~ん、なぜ王道中の王道にしか手を出していないのに借金がかさむ一方なんだろうか。脳みそのスペックのせいなのか/(^o^)\ 、それとも時間の使い方が悪いんだろうか。時事ネタをばんばん記事にしちゃうブログの管理人さんは掛け値なしに尊敬しちゃう。
 …そういえばFate/Zeroも積んだままだったな…。
 

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2007年10月24日

アカイイト三周年おめでとう!!

 21日ってなんか引っかかる日だよなぁ~、何かの雑誌の発売日だっけか?ウルトラジャンプは19日だしな~、あれ何だったっけなぁ~…と思ったら10月21日はアカイイトの発売記念日だったよ。アカイイト三周年おめでとうございます。2004年10月21日時点ではまだ買うか買わざるかで悶々としていたんだよな~。あんときゃあギャルゲーの類は一本も持ってなかったし、高坊には7140円は大金だったからなぁ。う~む、あん時からもう3年経つのか。当時はエロゲーの消化に追われる毎日なんて想像だにしなかったなぁ。

http://www.success-corp.co.jp/tuhan/campaign/akaiito4/
 とりあえず「いつかのひかり」のジャケ絵を拝んでおこう。

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2007年10月21日

死に至る病、不思議病

 鍵ゲーには不治の病気がつきものである。私はこの謎の奇病のことを、Keyのアンチのにならって「不思議病」と呼んでいる。Keyゲーにおける不思議病は、おおよそ自己喪失型(沢渡真琴、神尾観鈴etc)と自閉・忘却型(折原浩平、西園美魚etc)に分類できるが、社会性が失われ、他人との繋がりが希薄になっていく点で共通していると思う。さて、この社会性の喪失が、単なる不思議病の一症状ではないことをお含みおきいただきたい。この症状こそが不思議病の脅威であり、キャラクターが死に至る理由なのである。
 Keyゲーの舞台はおぼろげで、とにかくつかみどころがない。『ONE~輝く季節へ~』は言わずもがな、『Kanon』や『AIR』にしたって、雪の積もった町、海に近い町としか言いようがない(SUMMERは見逃していただきたい)。『リトルバスターズ!』に至っては、このとらえどころのなさを逆手にとって伏線にしてしまっている。そして「町」をコンセプトにした『CLANNAD -クラナド-』ですら「……。町」としか形容しようがない。昨今のADVの、裏設定、作り込み至上主義の風潮からすれば、Keyが制作したビジュアルノベルの心許なさは異端ですらある。かつて世界を制覇した別ブランド、TYPE-MOONや07th Expansionの作品と比べれば一目瞭然だろう。『CLANNAD』の町も、かの雛見沢村のように、町名を付けて(植物か海に関する名前がいいんじゃないかと思う)、あちこちに名所を配置して、名産品やらなにやらを用意して、面白おかしい歴史エピソードのひとつも披露していれば、より熱狂的な人気を獲得できただろう。しかし、『CLANNAD』は土地柄はうやむやにして、あくまでも人と人、町と人との繋がりを積み重ねることによって世界観を創っている。
 Keyゲーはキャラクターにもつかみどころがない。主人公は無趣味、無嗜好、無所属、社会不適合がデフォルトだ。ヒロインやサブキャラも、妙てけれんな嗜好こそあれど、職業不詳、家族構成不詳の例は枚挙に暇がない。とにもかくにも、劇中に登場しない人や物との繋がりが判然としないのだ。ある人はこれを作り込み不足、薄っぺらい、箱庭的と言うかもしれないが、これがKeyのカラーなのである。ぶうたれても詮無いことだ。
 なぜkeyゲーにおいて、記憶を失い、他者との繋がりが途絶えることが死に直結するのかといえば、それがあの箱庭世界において、自我とアイデンティティを保つ唯一のしるべだからである。不思議病によって、誰かとの思い出を失い、閉じ籠もって人とのつながりを失った人間は、もはや自己を見出すことができず、世界に留まることができないのだ。キャラクターは誰かを知覚し、誰かに知覚されることによって、初めてあの世界に在ることができるわけである。Keyゲーの世界観は非常に唯心論的だ。
 そんな他者との繋がりを希薄にし、自我を破壊せしめる病気を克服する方法は一つしかない。形骸化した関係と決別し、他者と新しく関係を結ぶことである。彼らはいつだってそうしてきた。

 次回へ続く。

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tags: 考察 Kanon 
2007年10月19日

キングの新刊「携帯ゾンビ」とアーヴィングの「ピギー・スニード」文庫化

*ピギー・スニードを救う話
 え、8月にはもう出てたのか。昨日新潮文庫のコーナーをふと見るまで気付かなかったよ。表題になっている小説技法というか物語論がめっちゃ面白かったよ。それと「ホテル・ニューハンプシャー」の前身「ペンション・グリルバルツァー」も必読。
 作家の仕事は、ピギー・スニードに火をつけて、それから何度も救おうとすることだ。何度も何度も。いつまでも。
↑これ、まさにアーヴィングだよね~。

 キングの新刊ホラー「携帯ゾンビ(!)」は上下巻とも2007/11/28発売予定のもよう。携帯ゾンビ、携帯ゾンビ、携帯ゾンビ…。およそ一見さんがカートに入れてみるような邦題じゃあないな…。

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2007年10月17日

雑記…

 ふぅ、やっと鍵関連の記事に一区切りがついた。あと二つか三つ与太記事を書いたら、一ヶ月くらいのんべんだらりと過ごして、それからアカイイトFAQ&考察の増補に移ろうかね。ドラマCDが冬コミで再販されるらしいし、いっちょノーカット台本を読まないとよくわからない部分の解説で書こうかと。
 ドラマCD初回版を持ってるような古参って、もう全アカイイトオタのウン%ぐらいしかいないんだろうねぇ。懐かしいな、高校の帰りに池袋のゲーマーズ寄ったら、発売日の午後二時ぐらいにもかかわらず完売していて、傷心のうちに帰宅したんだったなぁ。あんときはマジで鬱だったわ…。翌日アニメイトでなんとか確保したんだけど。

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tags: アカイイト 
2007年10月16日

Keyゲー考察・解説 約束と絆と思い出と

ONE、Kanon、AIR、CLANNAD、リトバスのネタバレがあるので、未プレイ者はAlt+F4のこと

◇自我、自我、自我、はぁーっ自我っ、まったく自我だ
 復習。Keyゲーにおける奇跡とは、キャラクターが、結果として、失われた絆の中に復帰し、アイデンティティと自我を確立させたことである。不思議病を癒すには、形骸化した関係を放棄し、その上で「他者」と絆を結びなおさなければならない。あるいは不思議病は輝く季節へ到達するための通過儀礼だと考える。復習おわり。

 「約束と絆と思い出と時間と それだけが渇く命を潤す」と言ったのは田中ロミオだが、前者三つはKey/麻枝准制作のAVGにおいても欠くことのできない要素である。「時間」はものの数ではない*1。「約束」「絆」「思い出」の共通項は、自己を自己たらしめるレゾンデートルであり、そして他人と繋がることなくして創りだせないことだ。「思い出」は過去における人との繋がり、「絆」は現在における人との繋がり、「約束」は未来における人との繋がりである。

 作品を重ねる事に、毒気を薄めて、主題を普遍化させて、流行りのガジェットを取り入れてと手を変え品を変えてはいるが、Key/麻枝准が変わらず書きつづけてきたのは、心地よい居場所から分断される痛みと、絆への渇望と、闘争と、その果てに待つ真実の関係を巡る物語である。このヴィジョンというか、奇跡の法則というか、マンネリというか、お約束というか、伝統芸能というか、様式美が見えてくると、keyゲーがだんぜん面白くなってくると思う。

 人は安全で心地よい子宮からひきずりだされ、現実世界へと苦痛と脅えの叫びをあげて生まれてくる。

――出典を忘れた(『街』から孫引き)


私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。


 はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。

――イエス・キリスト



◇約束と絆と
 折原浩平は、幼なじみの長森瑞佳と惰性で続けていた恋人関係と決別し、かつての自分を救ってくれた"みずか"との永遠の盟約も破棄した上で、瑞佳に「もう一度付き合ってくれ」と願った。
 神尾観鈴は、母親の神尾美鈴と共に生きることを約束した矢先に記憶を失ってしまい、晴子は観鈴に他人同然に扱われながらも、ゼロから親子の関係を築きなおした。
 伊吹風子は、溺愛していた姉の伊吹公子とすげなく別れたまま事故に遭ってしまうが、生霊の体で姉の結婚式に人を集めて祝福し、もって彼女の中で仲直りをすませた。
 直枝理樹は、虚構世界の佳境で、常に変わらず拠り所であってくれたリトルバスターズから見放されるが、棗鈴と共にかつての恭介の道程を辿り、リトルバスターズを再結成させた。

 すでに何度も語ったが、Keyゲーにおいては、奇跡(=自我・アイデンティティの確立)を発動する第一段階として、馴れ合いの関係を放棄し、キャラクターを心地よい居場所から分断しなければならない。一体なぁなぁの関係の何が悪いというのか。何故それまで続けてきた関係を完膚無きまでに破壊しなければならないのか。なぜかといえば、かの狂気的な箱庭世界においては、痛みによる他者の認識と、それでも他者に絆を求めようとする意思と、意思を伴った行動とが、自我を取り戻すための絶対の条件だからだ。鍵の世界観については既にここで語った。痛みを伴わない、馴れ合いの関係の相手は所詮自己の延長にすぎず、奇跡の発動条件たる「他者」足りえないのである。
 輝く季節へ続く道は血で濡れている。


◇思い出と

キーアイテム
  • 『ONE』長森瑞佳の「バニ山バニ夫」
  • 『Kanon』沢渡真琴の「お名前」
  • 『AIR』神尾観鈴の「恐竜のぬいぐるみ」
  • 『リトルバスターズ!』西園美魚の「短歌」

 主に麻枝准担当のシナリオで、奇跡を発動する助けになったキーアイテムである。奇跡の当事者の思い出にまつわるもので、彼ら彼女らにしか理解できない含みがある、という点で共通している。
 バニ山バニ夫に吹き込まれた浩平のメッセージは、瑞佳その人にしか理解できない。祐一にとって沢渡真琴がどういう人物なのか知っているのは真琴だけだ。観鈴の異常なまでの恐竜への拘泥は、彼女の中で恐竜の赤ちゃんの一件が占めるウェイトの大きさを表している。美魚のへたっぴな短歌の「白い翼」が何のことで「君」が誰のことで「常夏の島」が何処のことなのかは理樹のみぞ知る。

追体験
  • 『AIR』神尾晴子のプレゼント
  • 『Kanon』相沢祐一と沢渡真琴のけっこん
  • 『CLANNAD』岡崎朋也の庭いじり
  • 『リトルバスターズ!』直枝理樹・棗鈴の対決、勧誘

 これはmilky’s memorandum on ”rosebud”さんが使われていた表現ですが、あまりにもしっくり来たので自分も使わせていただきました。
 追体験とは、上に挙げたような、キャラクターが輝かしい記憶や思い出を再現し、現在の困難に立ち向かおうとする試みである(神尾親子の場合はやるせない思い出なのだが)。リトバスのようにキャラクターが意図的に行う場合もあるし、AIRのように偶然条件が満たされる場合もある。結果的に、自閉して危機的状態にあった者は他者との繋がりを取り戻し(「思い出」は過去における他者との結び付きである)、自我とアイデンティティを回復することになる。追体験は不思議病に効果のある数少ない療法の一つだ。
 思い出にすがるということで、一見すると奇跡発動の条件である、惰性の関係を放棄することと矛盾するように思えるかもしれないが、断じてそんなことはない。Keyゲーにおける追体験は、神尾親子のように贖罪の要素が強い場合でも、リトルバスターズのように偉大な先人・黄金時代を模倣する場合でも、過ぎ去った過去に溺れる自閉行為としてではなく、どれも輝く季節へ向けて、新しい関係、新しい絆を示唆する「約束」として行われている。このことはじっさいに「AIR」や「Refrain」を読まれた方なら理解してくれることかと思う。


◇余談
 私見だが『リトルバスターズ!』の西園美魚シナリオは「鍵理論の論文」としても秀逸な出来で*2、麻枝担当のRefrainも鍵理論をまさに地で行く展開なので、地雷評判で二の足を踏んでいた方も一読をおすすめしたい。樫田レオは間違いなく鍵っ子。


*1ロミオのエロゲーでもあんま重要じゃあないと思うけど。
*2んだもんだからちょっくら説明過多の嫌いもないではない。


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tags: 考察 Kanon 
2007年10月12日

【ニコニコ動画】CLANNAD クラナド 草野球編 Part1



 お、いつの間にやらあがってらぁ。あれはあれで悪くないけど、リトバスの対キャプテンズもテキストだったら…とか妄想したりもする。
 そして売り上げ70本突破おめ。アカイイトも16本おめ。



 理樹w頑張れよw

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2007年10月09日

「炎のランナー」はどうにも納得できん

 イエスの説教でも、「迷い出た羊の例え」とか「見失った羊のたとえ」とか「放蕩息子のたとえ」ろか「ぶどう園の労働者」とか「不正な管理人のたとえ」なんかは、できない人はこれっぽっちも理解、共感できないと思うけど、この説教はおよそ誰でも「う~む、一理ある」と思う真理じゃあないかな。

 すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
 そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。 人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている」
 そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。
 ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。

 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」

(安息日の主)

 安息日をはじめとする神の戒律は、人々がそれを遵守するときに「私は神(イエス)と共にあるのだ」と意識できるように定められている。神の存在を感じるためにある戒律が妨げになって、御心である善行ができないようでは本末転倒ではないか……とイエスは言いたいんだろう。これ、現代日本人にはことさら耳に痛い話じゃあないかな。「憲法は、人のために定められた。人が憲法のためにあるのではない」とか改変すれば、まさにタイムリーな話題だね。「ギャルゲーは、人のために作られた。人がギャルゲーのためにあるのではない」……とか下らんことを言って今日の締め。

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2007年10月07日

MUGENでエルクゥ(痕)、なつかしい



 ゆとりエロゲーマーの私も感涙。この厨性能……作者は間違いなく葉っ派。最近の「サージェント・ペパーズ」みたいな過大評価修正の風潮はさびしい限りだよ~。

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2007年10月05日

シックスティーン・リーズンズ コニー・スティーブンス Sixteen reasons

オールディーズ 地獄の66曲レビュー 5/66

シックスティーン・リーズンズ/コニー・スティーヴンス
Sixteen reasons / Connie Stevens


 『マルホランド・ドライブ』つながりでこの曲を。
 恋まっしぐらのティーネイジガールが2分まるまる愛しのカレについてノロけるという、ラブソングアンチが聞いたら頭を掻きむしりそうな曲である。言うまでもなく私は大好きだ。「夢見る16才(Dreamin')」といい、「悲しき片思い(You Don't Know)」といい、この手の大仰なヴァイオリンアレンジは私の涙腺の敵である。


*収録アルバム*
「OLDIES THE BEST(WPCR-11410)」など。


あなたを好きな16の理由Sixteen Reasons

1,わたしの手を取るhold my handしぐさ
2,笑っている時のeyes
3,理解があるunderstandところ
4,ひそかなため息sighs

これでも一部なのよ あなたを好きな理由

5,hairをとかすときのしぐさ
6,そばかすのあるnose
7,君が気がかりだcareと言うときのようす
8,へんてこな服装clothes

これでちょうど半分よ あなたを好きな理由

9,carの中で寄り添って
10,starにとどくような夢
11,電話phoneでささやいてくれる
12,二人っきりwe're aloneの時のキス

13,私をぞくぞくさせるthrill my heartやり方
14,すばらしいneat
15,決して離れないwe'll never partと言ってくれる
16,わたしたちの愛は完ぺきcomplete

全部 あなたを好きな理由なのよ

あなたを好きな16の理由


日本語訳歌詞:toppoi

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2007年10月02日

パワプロクンポケットinニコニコ動画

 パワポケ動画のタグのひどいことひどいことw。「注)野球ゲームでギャルゲーじゃありません」「おもしろいギャルゲーができました!」「野…球…?」「いい加減野球して下さい」「ギャルゲー兼野球ゲー」「パワポケはいちおう野球ゲームです」「恋愛シミュレーション」とかさw。いや~、みんなわかってるよ。それとパワポケ隠語(「固め打ち」「持続○」「内野安打」「粘り打ち」「絶倫」他)に反応しすぎだw。



 これ正史じゃないんだよね…。


 これはいいプレイ動画。選手も強い。つくづく小杉はツンデレだねw。


 いくらミニゲームとはいえ、7の野球は酷かった。


 若干ネタバレ注意。パワポケは並のビジュアルノベルよか音楽がいい。4と5が双璧らしいが、私はGB音源至上主義者さ。


 これはスゴい。東方シリーズやってみたいんだけど、いかんせんシューティングゲーは苦手でなぁ…。

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2007年10月01日

同性愛嫌悪と主人公マンセー

 相変わらずみやきちさんの記事はおもしろいよ~。腹が痛い。

アクセルとブレーキを同時に踏んでる百合作品って、何がしたいんだろう

・女子スポーツを描いた漫画で「女のコは筋肉なんかつけちゃダメ」「汗もかいちゃダメ」と連呼する
・猫漫画で「猫は陰険で可愛くない、犬の方がいい」と主張し続ける
・ボクシング漫画のエンディングで「しょせんボクシングはキックボクシングより弱い」とアピールして終わる


 はははははは、わかるわかる。その上「キックボクシングより弱いボクシングをやっている私たちって凄い!」とか言い出す奴もいるから困る。

 以下私見。森永みるくのような、同性同士の恋愛を「憧れ」「究極の愛」「ありえないこと」として描く作家が、同性愛嫌悪を垂れ流してフォローもしない理由のひとつはこうでないかと。
 およそエンターテイメントというやつは、いかに主人公の前に試練を配置し、いかにそれを乗り越えさせて、いかに英雄としてマンセーしていくかで展開していくものだと思う。森永みるく大先生のような連中にとっては、「社会の偏見」「同性同士」「性別の壁」は主人公をヨイショするための道具であり、「周囲の偏見・迫害にも負けない」「女同士なのに愛しあっている」「性別の壁を越えている」というのは燦然と輝くステータスなんじゃあないだろうか。野郎の『くちびる何とか』やインタビューを読む限りではそう思えるんだけど。そして、ステータスがステータスたるためには、主人公(ヒーロー)が英雄(ヒーロー)たるためには、パンピーさんが片手間に達成できるようなことにされては困るわけだ。そういうわけで、キャラクターにことあるごとに「女の子同士なんておかしい!」と強調させずにはいられないんじゃあないかな。
 私は『くちびる(略)』とか読んでるとさ、作者の「この子らは絆の力で『同性を愛する』だなんて異常で背徳的なことができるのよ! どう、スッゴイでしょ!」ってな声が煩いほど聞こえてくるんだけど。皆さんはどうでっしゃろ。

 私はやっぱり『少女セクト』『レンズのむこう』みたいな、変に精神疾患・愛の障害・至高の愛・ステータス扱いしていないのんびりした作品のほうが好きだねぇ。

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