2013年08月28日

咲-Saki- 考察・解説・レビューまとめを更新(Ver.0.5b)

 咲-Saki- 阿知賀編 考察・解説・レビューまとめを更新しました。今回追加したのは以下の記事です。あと丸々更新一回分、良記事のストックが貯まっているのは内緒です。

憧の体温はあったかい?――高鴨穏乃の平熱と,新子憧の温度 - Danas je lep dan.
コラム(咲阿知賀編その7)
『咲-Saki-』能力バトル解説 制約と誓約、ロジックとカタルシス とっぽい。
[高鴨穏乃に関する考察] by Cat in the box - キャットインザボックス
オカルトは,自分がオカルトであることに気付かない――原村和と涼宮ハルヒ,「そんなオカルトありえません」とSOS団を繋ぐもの - Danas je lep dan.
麻雀雑記あれこれ : 【考察】まほっちのレート1200台とはどれだけ弱いのか?
[松実玄の支配は裏ドラまで届くのか] by Cat in the box - キャットインザボックス
松実玄がリーチをかけられない,もう1つの理由 - Danas je lep dan.
麻雀雑記あれこれ : 【考察】松実玄は裏ドラを支配しているのか?について考えてみる
nix in desertis:松実玄は裏ドラにまで能力を及ぼしているのか議論について
玄の槓ドラ支配&リーチについて便乗 とっぽい。

 中でもお薦めしたいのは、玄ちゃーの能力であるドラゴンロードの仕様に関する一連の考察です。私も後半でちゃっかり参加(後出しジャンケン)しております。記事から記事へと飛び火して考察が段々と煮詰められていくさまが面白いですし、nix in desertisさんの記事で付いたオチがあまりにもカオスすぎて、咲-Saki-勢の多様さがこれでもかと表れていています。とりあえず、明後日発売の『咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A Portable』でゲーム上での仕様は確認しておきますね。

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2013年08月25日

『屋上の百合霊さん』に見る「当事者性」の欠落 へっぽこ百合作品の他人事感覚について

「たった7組」説から弱者憑依まで - どうしても同性愛を「普通じゃない」ことにしたい百合オタさんたちのロジックが変すぎる - みやきち日記

 いつもお世話になっているみやきちさんから、うちの『屋上の百合霊さん』レビューにコメントをいただきました。
屋上の百合霊さん レビュー・感想・評価 凡百合ゲー、ときどき電波
「たった7組」か? 「7組もいる」のか? マジョリティ目線の妄想百合トピア(笑)『屋上の百合霊さん』
 かなりタイミングが遅れてしまいましたが、こちらからもお返しトラックバックです。みやきちさんは記事で同性愛者の「当事者性」をかすめ取って被害者ぶる百合オタの姿勢に苦言を呈しています。そこで私もこの「当事者性」という言葉を使って、『屋上の百合霊さん』を筆頭にするへっぽこ百合作品を批判したいと思います。

「先輩、同性愛ってどう思いますか?」
「え、ええ!?」
「あああ、え、えっと、その、わ、わたし、わたしって!
 その、自分がそういう人だっていう自覚とかなくて、別にそう思ってるわけじゃないんですけど!」
「その、やっぱり先輩のこと、好きなんです。先輩、女の人なのに好きなんです! ほんとに!」
「だ、だから、先輩がそういうの嫌だったらやだなってその、でも先輩好きなのはほんとで、あれ、あれ?」


 こんなに牧ちゃんががんばれるのはやっぱり、わたしが好きだからだろうか。私の思い上がりかもしれない。でも、そうだからなんだろうか。
 同じ女の子同士なのに、それが変かもしれないとわかっていながら、でも、わたしに告白してくれた。それは、すごい勇気のいることだったにちがいない。


 初めて聖苗が好きって言ってくれた時は、わからなかったけれど……。
 今なら、わかるの。聖苗が、好き。女の子同士だけど、好きなの。あなたの気持ちに……。


 すごい、前向きだな。うまくいかないことって考えないのかな。だって、相手は同性なのに


 あたしは答える。うん、そう。友達としてじゃなくて、好きなんだ。いつも羽美が言ってくれる、友達としてじゃなくて。
「そ、そのさ……、それって、変じゃ、ない? わたしたち、女の子同士なのに、さ……」
「……うん、そうかも」
 そんなこと、わかってる。
「でも、あたし、羽美のこと、好きなんだ。
 あたし、変でもいいよ。でも、好きなんだ。ずっと、言いたかったんだ」


 比奈の想いを変だと思うことはもうない。今まで、女同士でも、あんなにひたむきに、まっすぐに、想いを相手に向けている人を見てきた。


「……でも、好きなんだよ、私、月代ちゃんのこと」
「うん、知ってる。そういってくれたものね。大好きよ、桐」
 私は、先生なのに。桐は、学生なのに。そして、二人は女同士なのに
「でも……」
 この関係は間違いなんかじゃない、勘違いでもない。
 つないでいる手は、確かなもの。
「大好きな、桐。大好きって言ってくれた、桐」
「あなたがいてくれるから」


「お、女同士なんだよ? もう今さら、それが変だとか思わないけど……。
 でも、まわりの人は、そう考えてくれないかも。お父さんやお母さん、比奈のおじさんやおばさんを困らせるかもしれない」
「比奈にだって……、私が恋人だってことで、迷惑かけるかも。比奈が、変な目で見られたら、どうしよう……」
「結奈、別に、同性愛とか百合とか、女の子同士とか、そういうのが嫌いってわけじゃないんだよね?」
「そう思っている。確かに、最初は変なことだと思った、恋愛って男女の間のものだと思っていたから。それが普通だと。
 でも、確かに普通じゃないかもしれないけど。誰かを好きという気持ちの行き先には、たとえその先が同性であっても、変じゃないと」


 以上、『屋上の百合霊さん』本編からの引用です(強調は引用者によります)。このブログでは既に何度となく引用しているので新鮮味がないかもしれませんが、この作品の陳腐さと程度の低さがこれでもかと表れているので何度でも引っ張ります。特に最後のやりとりとその一つ前のポエムには顕著ですね。前者はユリトピア(笑)なる同性愛者(作中の登場人物様は自分たちがいやらしい“レズの人”とは違う、もっと清い関係にあることを折に触れて主張なさりますが、便宜上こう呼びます)のコミュニティが成立し、何組もの同性カップルと友人になった主人公によるもの、後者は主人公たちの先生によるものだと書けば、こいつのクレイジーさが未プレイの方にも伝わるでしょうか。
 “たとえ女同士でも”貴女のことが好き。“同性同士なのに”愛を貫いていて凄い。“普通じゃないかもしれないけれど”“人に迷惑を掛けるかもしれないけれど”真実の愛があれば関係ない。私はこういった百合厨好みのポエムを「ナノニーナノニーダケドー」と呼んでいますが、『屋上の百合霊さん』のような十把一絡げの百合作品では必ずと言っていいほど目にしますね。私はこの手の安っぽいマンセー表現が反吐が出るほど嫌いです。ほとほとうんざりしています。こういった表現の何が嫌かって、意味不明な選民意識が鼻がつくのは元より、人の根幹に関わるアイデンティティを平然と「普通じゃない」呼ばわりしているのが嫌ですね。それにしても、へっぽこ百合作品における「普通」という概念の軽々しい扱いは、いくらなんでも目に余るものがあります。どうしてあんなに鈍感なのか、逆に気になりますね。やはり普通であるところのマジョリティの立場に胡座をかいているからなのでしょうか。あるいはよっぽどの鉄面皮なのでしょうか。そうでなければ他人の重要な構成要素をいけしゃあしゃあと普通じゃない呼ばわりしたり、そのような作品を鑑賞して無邪気に萌え萌えしたりできるわけがありません。
 『百合霊さん』のストーリーにおいて、最終的に何組もの幸せそうな同性同士のカップルが誕生します。しかし、彼女たちは「同性愛は普通ではないもの」というスタンスは頑なに譲りません。カップルが成立したあとですら、同性愛は異常なもの、一過性のもの、許されないもの、周囲から理解されないものであることを、パートナーなり周りの人間なりに吹聴しつづけます。私はこのように周りの友人知人、そして自分自身のアイデンティティを何のためらいもなく「許されない」と言い放つところが、血の通った人間の感覚とかけ離れていると思うんですよ。『百合霊さん』キャラクターの作り物っぽさ、薄っぺらさ、気色悪さをより一層引き立てています。中でも主人公の薄気味悪さは群を抜いていました。この人は狂言回しのような立場で、同性同士のカップルが成立していく過程を幽霊を通して見守り、また趣味である料理を通して彼女たちと交流を重ねていきました。にもかかわらず、グランドシナリオの最後の最後まで、同性愛者に対して「周囲の人間に迷惑を掛けるもの」「変な目で見られるもの」という差別主義者もびっくりの認識を持っていらっしゃいました。
 以前の記事でも似たようなことを書きましたが、私は自分とセクシャリティを異にする人間を受け入れる最善の方法は、その人と友人になることだと思っています。正しい知識を身に付けることももちろん重要ですが、何よりそれが手っ取り早いと思います。そいつと一緒に勉強したり、部活や委員会活動で汗を流したり、仕事をしたり、同じ釜の飯を炊いたり食ったり、趣味について語ったり、物の考え方について話したりしてみてください。一緒に活動して、笑って泣いて、同じ時間と価値観を共有してみてください。それでもなお、自分と異なることや少数派であることを理由にその人たちのセクシャリティを「普通じゃない」と言い張ったり「百合は綺麗、レズは汚い」などとほざけたりするなら、その人は冷血人間だと思います。私は『百合霊さん』の主人公のことを畜生だと思いました。
 しかし、そんな差別主義者の『百合霊さん』キャストたちが、自らを異常認定して悲嘆に暮れたり、自己矛盾に陥ったり、身内を気味悪がって遠ざけたりするのかといえば、決してそんなことはないんですよ。驚くことに、同性愛は確かに普通じゃないかもしれないけれど、私たちは「ひたむきに、まっすぐに、想いを相手に向けている」から許される。自分たちは選ばれたユリトピア(笑)の住人だ、というパッパラパーなロジックを展開してラブラブハッピーENDを迎えるのです。この無邪気なスイーツ(笑)っぷりには、一山いくらの百合作品で耐性を付けていた私も思わず苦笑いでした。
 私は「性別を超えるほどの愛は美しい。“女”が好きなのはレズで“貴女”が好きなのが百合」だの「同性愛は一途に真実の愛を貫くなら許される」だのといった言説は死ぬほどくだらないものだと思っています。だって、同性愛なんてありふれているじゃないですか。ただのセクシャリティの一つでしょうよ。いまだに同性愛や同性愛者を肴に禁断の恋だ道ならぬ恋だとピーチクパーチク騒いでいるのは不思議でなりません。くだらないったらありゃしません。それに、人のアイデンティティを許すだ許さないだと上から目線で品評しているのが心底気に食わないです。睦月たたらなる『百合霊』のライターさんは、他者のアイデンティティを不当にスティグマ視して、主人公たちの愛の強さをマンセーする踏み台にするなんてことは、たとえフィクションであろうと下衆の極みだと思った方がよいと思います。

 私が『屋上の百合霊さん』に当事者性が著しく欠けていると思うのはこういったところなんですよ。結局、他人事をマジョリティ目線の横柄な態度で書いているに過ぎないじゃあないですか。だって、自分が「普通」の存在であるかないかって、安穏な生活を送る上で避けては通れない命題であり、死活問題じゃあないですか。「普通じゃなくてもいい」「変でもいい」のは、他人事だからですよ。少なくとも私は、自らのアイデンティティはどんなことがあろうとも普通だと思っていたいです。ひたむきに、一途になんざ生きなくても、ずぼらなその日暮らしを続けていても、常に普通であってほしいです。私は、自分とアイデンティティと共有する人々で構成されたコミュニティを「確かに普通じゃないかもしれない」などと平然と言い放てるのは、そいつが人格破綻者か、差別主義者(その人が同性愛者であろうとなかろうと、同性愛差別をする奴はクソ野郎です)か、作り話のぺらいキャラクターだからだと思います。他人事の作り話に過ぎないから、性的指向という生理的な欲求に関係しているアイデンティティを「普通じゃない」扱いさせて、その上で「ユリトピア」(笑)などとお気楽なクソたわ言をほざけるのです。
 人間は誰でも――とまでは言えませんが、少なくとも私は不安や恐怖を克服して普通になるために生きています。人一倍臆病な人間なので、常に社会に適合できなくなったり共同体から爪弾きにされたりする恐怖に怯えながら暮らしています。嫌で嫌で仕方ないのに身体に鞭打って一年三百六十五日働きつづけているのも普通になるためです。取りたくもない資格のためにやりたくもない勉強をするのも普通になるためです。思い出したように家族サービスをするのも普通になるためです。友人と遊んで関係を維持しているのも普通になるためです。読書をしたり、映画を見たり、ノベルゲームをやったりするのも普通になるためです。せっせこ筋トレをしてプロテインを飲んで身体を作っているのも普通になるためです。ブログを更新して、拙いなりに自分の意見を発信したり、ビューワーさんの意見を受信したりしているのも普通になるためです。全ては自分が普通になるためと言っても全く過言ではありません。普通になることこそ人生の目的なのです。
 また、私は上に挙げたようなアクティビティを継続して形成していく事柄だけでなく、自らのルーツにあるアイデンティティにおいても「普通」であることを希求しています。例えば、私は生まれてから二十余年あまりを日本で過ごしているにもかかわらず、国に対する帰属意識がほとんどありません。選挙も今のところ全て棄権しているていたらくです。愛国心と呼べるようなものは欠片も持ち合わせていないでしょう。しかし、それでも自分が「日本国民である」という理由で誰かから「普通じゃない」扱いをされるのは嫌ですし、誰かが「日本人は確かに普通じゃないかもしれないけれど……」などと持論を展開していたら、私個人のことを指していなかったとしても、その先に続く言葉がなんであろうと、心底不快な気分になります。同様に「日本人である」であったり「黄色人種である」といった理由で普通じゃない扱いを受けるのも絶対に嫌です。また、私は男性であり、異性愛者であり、特定の宗教に属していませんが、それについて普段思うところは特にありません。別段誇りにも思っていませんし、逆に恥ずかしく思うことも全くありません。しかし、こういった自分のアイデンティティの根幹に関わることを理由に「普通じゃない」扱いをされるのは絶対に嫌ですし、ましてや誰かに矯正されるのなんてまっぴら御免です。絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶……っ~~対に! 嫌です。死んでも嫌ですね。断固拒否します。
 このような、如何ともしがたいことや生理的欲求に結びついていることを異常扱いするのがどれほどのことなのかは、私の貧困な想像力でもわかります。人の生(性)を否定するんですよ? その人の存在そのものを全否定するのと何ら変わりがありません。それが人に対してどれほどの痛苦を与える行為なのか。私はほとんどの要素において共同体のマジョリティに属していますが、そんな自分でも想像するに難くありません。へっぽこ百合作品の作者さんに、そんなちょっぴりの想像力や共感力すら欠落しているとしか思えないのです(でなければ、よっぽど面の皮が厚いのでしょう)。物書きとしてそういった能力が欠如しているのは致命的だと思います。

 『屋上の百合霊さん』のシナリオに訴えかけてくるものが全くなくて、登場人物が書き割りのように薄っぺらく感じられるのは、やはり「当事者性」の欠落が一因であると思います。こいつは主人公たちのための物語ではありません。ひいては読み手である「私」のための、「私たち」のための物語でもありません。百合萌えファッションヘルス「ユリトピア」(笑)のキャストさんが演じる萌え萌え百合ショーでしかないのです。

 『百合霊さん』がそこそこの売上を記録して、百合厨から悪くない評価が下ったことは耳にして、私は首をかしげるばかりでした。テキストにしろシナリオにしろグラフィックにしろサウンドにしろゲームデザインにしろ、過去の名だたる名作エロゲーと比べるのもおこがましいほど低品質でしたし、百合ゲーとしても作中で提示される価値観が月並みすぎて、全く評価するところがなかったからです。しかし、背徳感と禁断の恋を強調する作風、「性別を超越する愛」「偏見や障害にも負けない愛」という選民意識をくすぐる要素が、純愛や同性愛に対して妙な幻想を抱いていて、「もっともっと特別なオンリーワン」であることに飢えている厨坊の琴線に触れたのかもしれません。思えば、この媒体で背徳・禁断路線の中高生向け百合作品はあまり無かったですしね。18歳以上が対象の媒体なので当然っちゃあ当然ですが。

屋上の百合霊さん
B006O4VM76

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2013年08月09日

とりあえずドラゴンロードの仕様は確認します

 今週末から温泉旅行を兼ねた帰省をするので早めに更新。
 ここ三日ほど検索ワードで「Dirty deeds done dirt cheap」が爆発的に増えていて何事かと思ったが、『ジョジョ オールスターバトル』に大統領の参戦が決定していたのか。あのゲームは3Dではなくてオールドット絵だったら真面目に本体ごと購入を検討していた。私ぁゲームに関しては骨の髄まで懐古厨である。ポケモンXYのグラフィックにも不満たらたらでさぁ。そうそう、本体と言えば今月発売の『阿知賀編ポータブル』のためにPSPを買いに行かなければならなかったのだ。思えばコンシューマーゲームに全く触れなくなって久しく、型やバージョンについてはさっぱりわからないのだが、とりあえず本体とメモリーカードさえ買えばプレイとセーブはできるのだろうか。ソフトは『阿知賀編ポータブル』の他に麓川御大の『のーふぇいと!』にも突撃する予定なのだが、それらで元が取れるといいなぁ。うちのブログを見てくれている数少ない『アカイイト』勢のためにも、レビューはいずれそのうち書くつもりだ。
 今月は他にも『願いの欠片(略)』を予約しているので懐が心許ない。そういえば、雨後の竹の子百合ゲーの一角『ひとりのクオリア』『ふたりのクオリア』も今月発売だったね。私は様子見するけど。過去作の出来を見る限りではまっとうな恋愛ゲー、百合ゲーとしては望み薄だが、超展開ネタゲー枠としてちょっと期待しているのは内緒だ。公式サイトを見る限りでは毒気のない恋愛ゲーに見えるが、超展開ゲー愛好家としては「クオリア」というオサレワードにアンテナがびんびん反応するんだよね。

アトリビュート - Wikipedia アトリビュート - Wikipedia

 洋美術において伝説上・歴史上の人物または神話上の神と関連付けられた持ち物。その物の持ち主を特定する役割を果たす。持物(じぶつ)ともいう。正義の女神を例にとると、手に持った秤と剣、それに目隠しである。


【twitter大炎上】パーナさんを救え!泊まる場所がないNEWSファンを襲う輩がいた! - NAVER まとめ 【twitter大炎上】パーナさんを救え!泊まる場所がないNEWSファンを襲う輩がいた! - NAVER まとめ
 どこの魔界都市なんだよ……。

「咲-Saki- シノハユ」第0局の“はやりん暗号”を解いてみた - 仮想と現実の真ん中あたり 「咲-Saki- シノハユ」第0局の“はやりん暗号”を解いてみた - 仮想と現実の真ん中あたり
 最近の咲-Saki-界隈、ネタの解禁から考察・読解までの早さが東方を超えつつあるよね。

戦国武将とフルーツがモチーフ! 『仮面ライダー鎧武』が10月6日に放送開始クルーッ!! 脚本は『まどか☆マギカ』の虚淵玄に決定 | ロケットニュース24 戦国武将とフルーツがモチーフ! 『仮面ライダー鎧武』が10月6日に放送開始クルーッ!! 脚本は『まどか☆マギカ』の虚淵玄に決定 | ロケットニュース24
 ただのヴェドゴニアじゃないの(ぼそっ)。そうそう、この人はなかなかのサラブレッドだったらしいね。

おい!ニトロプラス!ふざけるなよ!!なんだこのゲームは!!!!:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´) おい!ニトロプラス!ふざけるなよ!!なんだこのゲームは!!!!:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
 今年のダークホースとしてそれなりに話題になったらしいが、私はアフィブログのまとめを読んでもういいやって感じだ。「よい子の諸君! 王道(ry」のAAが真っ先に頭に浮かんだね。


 意外な組み合わせ。


 kamsの秘封ちゅっちゅ。私の東方に関する評価はやはり秘封倶楽部があればこそだ。


 相変わらずのクオリティ。Aブロック準決勝先鋒戦はやはりよい。

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2013年08月04日

原村和の右手打ちは最速・最善手へのロジックか?

のどっちが右手で麻雀を打つようになったきっかけって何だろう? - 私的素敵ジャンク

 しばらくお世話になっているサイトさんへの便乗記事が続く。上掲の私的素敵ジャンクさんの記事で、左利きの和が麻雀だけ右手で打っている理由についての考察が行われている。興味深い記事だったので、私も尻馬に乗ってこの問題に自分なりの答えを出してみた。あれは和の目指す境地『いつも通りに最速で最善手を打つ』により近づくための挑戦なのではないだろうか。
 先日、自宅で友人たちとぬるい麻雀を打ったのだが、その際に左手でツモるのがどんな感触なのか試してみた。私が右利きなのと、うちのちゃぶ台がとても狭いことも関係しているが、それを差し引いても違和感と圧迫感がぬぐえなかった。というのも、和のように高速で打とうとすると、ツモろうとして出した左手が、上家の牌を捨てて引っ込める右手にぶつかるようなイメージがあったのだ。上家が完全に手を引っ込めてから出すにしても、直前まで動いていた物体のすぐ側に手を通すというのは思っていたよりもずっとストレスを感じる行為だった。
 和は手打ちの麻雀でも、ネット麻雀をプレイする時のように、周りのランダムな事象に流されない、機械のように正確無比で高速な打ち筋を目指している。その速さは漫画的にブレた残像で表現され、県予選の一回戦では東福寺の選手に(早打ちでこちらのペースを乱すつもりか?)と勘ぐられるほどだ。彼女がそんな理想を追い求めるにあたって、左手で打つときの圧迫感は大きな障害になるのではないか? というのが私の予想である。無論、利き手でない方の手で打つことの違和感やもどかしさも大きいだろう。例えば、第6局「決意」で、和はツモ切り動作の反復練習を行っているが、痛みのあまり牌を取り落とす描写がある。それでも、彼女は自らのフィーリングとロジックをより最適に近づけるために、利き手ではない手で牌を扱うという困難に挑戦しているのではないだろうか。じっさい、右手によるツモ切り動作の精度を上げて、さらにエトペンを抱きながら打つことで「普段打っているネット麻雀の感覚」により近づいた彼女は、かつては圧倒されたゴミプロ雀士の藤田を驚かせるほどの打ち筋を県予選で見せたのだった。彼女がまこの店で藤田に敗北を喫してから行ったのは、誰かとの特打ちでもなければ、牌符や新しい理論の研究でもない。くだんのツモ切り動作の練習によって、自らが打つ際のフィーリングをより理想型へと近づけただけだ。ただそれだけのことで――「気の持ちよう」に収斂されるような事柄だ――プロをも驚かせるほどの劇的な変貌を遂げるというのだから、やはり和には魔物勢に近いスケール感がある。

悩んでも仕方がありません…
今の私の選択肢――
スゥ

いつも通りのことを いつも通りに…!!
ヒュン
コトッ トン タッ

ヒュッ パシッ
フアッ

(羽…?)
「!」
(これは――)
(末原先輩が言うてたよりえらい早いやん!)

「とーか! ノノカが!」
「ええ… 早くもお目覚めのようですわね!」

おはようのどっち!

第82局「選択」


 今回の議題にしても「ノータイムで打ったところで点数や牌効率が上がるわけでもなし。速くツモって牌を切ったところで和了まで早くなるでもなし。ゆっくりと思考を巡らせてから落ち着いて利き手で打ったらいいのでは?」という疑問を呈する人もいるだろう。確かに、我々の常識に立脚すれば、どんな感触で牌を切ろうが、愛用しているぬいぐるみを抱きながら打とうが、期待値には何も影響しないように思える。しかし、その思考はやはり魔物のそれにはほど遠い。以前の記事で書いた通り、魔物にとっては現実性や一般的な合理性など何の意味もなさないのだ。奴らは傲慢で不条理なロジックを構築して相手に押しつけ、それに合わせて因果律をねじ曲げてしまう。何にもまして重要なのは自らのフィーリングとロジックなのだ。月が満ちることで自らの能力が強まることを信じて疑わず、じっさい満月の夜だった県予選決勝では神掛かった和了を連発した天江衣しかり。靴下を脱いで裸足になり、麻雀を最も打っていた子ども時代のフィーリングを取り戻すことでその衣すら圧倒した宮永咲さんしかり。ダブルリーチの宣言時に外連味も強く手牌を回し、曲げる牌をブラックホールのごとく回転させて、他家に妨害された局以外は(あの卓は史上稀に見る地獄である)宣言通りカン裏を乗せ続けた大星淡しかり。また、園城寺怜のリーチ時にリーチ棒を立てる仕草も魔物のそれと似ているかもしれない。あれは自分の未来視が絶対のものであることを予言し、予告通りに一発で和了ることで他家に自らのロジックを嫌でも認めさせるための儀式なのだと思う。
 和は県予選決勝副将戦で自らの追い求める「最高の状態」(第28局「異変」)へと到達し、デジタルの化身である「のどっち」へと進化した。そして全国区の選手である透華すら翻弄した桃子の「ステルスモモ」を完全に看破し、驚愕する彼女に「見えるとか見えないとか… そんなオカルトありえません(SOA)」と静かに言い放った。あの高慢さすら感じさせる、自らのロジックに対する揺らぎのない自信は、上に挙げた魔物の所業と比べても全く遜色のないものだったと思う。原村和は有望な魔物候補生である。

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穏憧と魔物の数字(100速の穏、高校100年生の淡、100巡先を視る怜)について真面目に語る
『咲-Saki-』と『ジョジョの奇妙な冒険』 能力バトルとパーソナリティ

 のどっち魔物説についてはそのうち別記事で補足する予定だ。気付けば『咲-Saki-』関連記事のネタストックが10件を超えていて嬉しい悲鳴である。

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