2007年06月13日

ハンニバル・ライジング/トマス・ハリス

 ハンニバル・レクターとかけて、何ととく。
 ダースベーダーととく、その心は。
 魅力的な悪玉だったのに、冗長な過去話のせいで威厳もクソもなくなった。


 私がトマス・ハリスの小説を読んでいて、決まって脱力感に襲われるのが、猟奇殺人鬼の過去話・トラウマが明かされるパートだ。「レッド・ドラゴン」で噛みつき魔の少年時代が長々と語られるくだりは、ひどく興ざめしたし、「ハンニバル」でレクター先生がミーシャがどうした、ミーシャの居場所がうんぬん騒ぎ出したときは「あ、このオヤジもう駄目だ」と早々に見切りを付けたくなった。「ブラック・サンデー」はもう50ページあたりから睡魔にと戦っていた記憶がある。
 「ハンニバル・ライジング」は、そんなトマス・ハリスお得意の興ざめパートの集大成である。

 女の皮を剥いでオートクチュールの服を作る殺人鬼は、変身願望の性同一性障害者でなければならないのか?殺した相手の内蔵を料理して喰らう殺人鬼は、目の前で妹を駐屯兵に喰われたトラウマ持ちでなければならないのか?
 怪物が怪物たる所以は「怪物だから」では駄目なんだろうか?
 私はこと悪玉に関しては「○○だから○○した、○○だから○○になった」という安直な図式を作るのは、色気も情緒もへったくれもないこだと思う。例えば「愛する妹が人間の子供に殺された、だから全人類を抹殺する」なんてぇのは、しょせんは「トイレットペーパーが切れた、だから近所のマルエツに買いに行く」の延長じゃあないのかなぁ。言い過ぎか。
 「ジョジョの奇妙な冒険」の名悪役・吉良吉影には、年の離れた母親に虐待されていたという設定が考えられていたそうだ。荒木飛呂彦は熟考の結果、その過去話をばっさり切り捨てることにしたらしい。けだし英断だと思う。そんな蛇足の極みの挿話があったら、いくらモナリザの名言や追い詰められてからの成長があろうと、あれほどまでの人気を勝ち取ることはなかったんじゃあないだろうか。


レクター先生威厳\(^o^)/ナクナタ
 今回の少年ハンニバルくんは「ハンニバル」の老体レクター以上に、盛大に私のレクター先生像に糞を塗りつけてくれました。

 東側から見ると、ノートルダム大聖堂は、その飛び梁を肢とし、たくさんの丸い窓を目とする、大きな蜘蛛のようだ。この巨大な石の蜘蛛が夜の町中を走りまわり、虫でも食べるようにオルセー駅から奇妙な形の汽車をつまみあげたり、もっと楽しいことに、そこからほんの少し離れたオルフェーヴル河岸のパリ警視庁から出てくる、丸まると肥えた警部に目を付けたりするところを、ハンニバルは想像した。

 ちなみに「丸まると肥えた警部」とは、ハンニバル少年が懸想している紫夫人に言い寄っているポピール警部のことだ。スティーヴン・キングの善玉少年もかくやの、なんとも微笑ましい妄想じゃあないですか(;´Д`)。ハンニバルくんは他にも、バラした相手が釣った魚を持ち帰ったせいで*、ポピール警部にいらぬ疑いを掛けられたり、妹の仇の家に乗り込んだまではいいが、とっとと殺らずに無駄話に興じていたせいで、あわや銃殺されかけたりと、萌え要素スレスレのプリチーな行動を連発してくれます。
 ああ、看守二人をバラして華麗に特殊監房を脱出してみせたアナタはどこへ行ってしまったのやら。

よかったところ
*レクター少年が最初に凶行に及んだ動機が「夫人を侮辱されたから」ってぇのは、実にレクターレクターしててよかったと思う。ちょっとだけ「羊たちの沈黙」のころの威厳が戻ったよ。ミーシャ関連だったら発狂しそうになってたよ。
*トマス・ハリスのヨーロピアン衒学趣味は、「ハンニバル」に引き続き今回も顕在。私はあの観光小説みたいなひけらかしがけっこう好きだったりする。


まとめ
 ハリス大先生、レクターもので食いつなぐのはやめて、早いとこ新作書いてください。


*持って帰った魚はハンニバルくんがおいしくいただきました。
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