2007年10月16日

Keyゲー考察・解説 約束と絆と思い出と

ONE、Kanon、AIR、CLANNAD、リトバスのネタバレがあるので、未プレイ者はAlt+F4のこと

◇自我、自我、自我、はぁーっ自我っ、まったく自我だ
 復習。Keyゲーにおける奇跡とは、キャラクターが、結果として、失われた絆の中に復帰し、アイデンティティと自我を確立させたことである。不思議病を癒すには、形骸化した関係を放棄し、その上で「他者」と絆を結びなおさなければならない。あるいは不思議病は輝く季節へ到達するための通過儀礼だと考える。復習おわり。

 「約束と絆と思い出と時間と それだけが渇く命を潤す」と言ったのは田中ロミオだが、前者三つはKey/麻枝准制作のAVGにおいても欠くことのできない要素である。「時間」はものの数ではない*1。「約束」「絆」「思い出」の共通項は、自己を自己たらしめるレゾンデートルであり、そして他人と繋がることなくして創りだせないことだ。「思い出」は過去における人との繋がり、「絆」は現在における人との繋がり、「約束」は未来における人との繋がりである。

 作品を重ねる事に、毒気を薄めて、主題を普遍化させて、流行りのガジェットを取り入れてと手を変え品を変えてはいるが、Key/麻枝准が変わらず書きつづけてきたのは、心地よい居場所から分断される痛みと、絆への渇望と、闘争と、その果てに待つ真実の関係を巡る物語である。このヴィジョンというか、奇跡の法則というか、マンネリというか、お約束というか、伝統芸能というか、様式美が見えてくると、keyゲーがだんぜん面白くなってくると思う。

 人は安全で心地よい子宮からひきずりだされ、現実世界へと苦痛と脅えの叫びをあげて生まれてくる。

――出典を忘れた(『街』から孫引き)


私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。


 はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。

――イエス・キリスト



◇約束と絆と
 折原浩平は、幼なじみの長森瑞佳と惰性で続けていた恋人関係と決別し、かつての自分を救ってくれた"みずか"との永遠の盟約も破棄した上で、瑞佳に「もう一度付き合ってくれ」と願った。
 神尾観鈴は、母親の神尾美鈴と共に生きることを約束した矢先に記憶を失ってしまい、晴子は観鈴に他人同然に扱われながらも、ゼロから親子の関係を築きなおした。
 伊吹風子は、溺愛していた姉の伊吹公子とすげなく別れたまま事故に遭ってしまうが、生霊の体で姉の結婚式に人を集めて祝福し、もって彼女の中で仲直りをすませた。
 直枝理樹は、虚構世界の佳境で、常に変わらず拠り所であってくれたリトルバスターズから見放されるが、棗鈴と共にかつての恭介の道程を辿り、リトルバスターズを再結成させた。

 すでに何度も語ったが、Keyゲーにおいては、奇跡(=自我・アイデンティティの確立)を発動する第一段階として、馴れ合いの関係を放棄し、キャラクターを心地よい居場所から分断しなければならない。一体なぁなぁの関係の何が悪いというのか。何故それまで続けてきた関係を完膚無きまでに破壊しなければならないのか。なぜかといえば、かの狂気的な箱庭世界においては、痛みによる他者の認識と、それでも他者に絆を求めようとする意思と、意思を伴った行動とが、自我を取り戻すための絶対の条件だからだ。鍵の世界観については既にここで語った。痛みを伴わない、馴れ合いの関係の相手は所詮自己の延長にすぎず、奇跡の発動条件たる「他者」足りえないのである。
 輝く季節へ続く道は血で濡れている。


◇思い出と

キーアイテム
  • 『ONE』長森瑞佳の「バニ山バニ夫」
  • 『Kanon』沢渡真琴の「お名前」
  • 『AIR』神尾観鈴の「恐竜のぬいぐるみ」
  • 『リトルバスターズ!』西園美魚の「短歌」

 主に麻枝准担当のシナリオで、奇跡を発動する助けになったキーアイテムである。奇跡の当事者の思い出にまつわるもので、彼ら彼女らにしか理解できない含みがある、という点で共通している。
 バニ山バニ夫に吹き込まれた浩平のメッセージは、瑞佳その人にしか理解できない。祐一にとって沢渡真琴がどういう人物なのか知っているのは真琴だけだ。観鈴の異常なまでの恐竜への拘泥は、彼女の中で恐竜の赤ちゃんの一件が占めるウェイトの大きさを表している。美魚のへたっぴな短歌の「白い翼」が何のことで「君」が誰のことで「常夏の島」が何処のことなのかは理樹のみぞ知る。

追体験
  • 『AIR』神尾晴子のプレゼント
  • 『Kanon』相沢祐一と沢渡真琴のけっこん
  • 『CLANNAD』岡崎朋也の庭いじり
  • 『リトルバスターズ!』直枝理樹・棗鈴の対決、勧誘

 これはmilky’s memorandum on ”rosebud”さんが使われていた表現ですが、あまりにもしっくり来たので自分も使わせていただきました。
 追体験とは、上に挙げたような、キャラクターが輝かしい記憶や思い出を再現し、現在の困難に立ち向かおうとする試みである(神尾親子の場合はやるせない思い出なのだが)。リトバスのようにキャラクターが意図的に行う場合もあるし、AIRのように偶然条件が満たされる場合もある。結果的に、自閉して危機的状態にあった者は他者との繋がりを取り戻し(「思い出」は過去における他者との結び付きである)、自我とアイデンティティを回復することになる。追体験は不思議病に効果のある数少ない療法の一つだ。
 思い出にすがるということで、一見すると奇跡発動の条件である、惰性の関係を放棄することと矛盾するように思えるかもしれないが、断じてそんなことはない。Keyゲーにおける追体験は、神尾親子のように贖罪の要素が強い場合でも、リトルバスターズのように偉大な先人・黄金時代を模倣する場合でも、過ぎ去った過去に溺れる自閉行為としてではなく、どれも輝く季節へ向けて、新しい関係、新しい絆を示唆する「約束」として行われている。このことはじっさいに「AIR」や「Refrain」を読まれた方なら理解してくれることかと思う。


◇余談
 私見だが『リトルバスターズ!』の西園美魚シナリオは「鍵理論の論文」としても秀逸な出来で*2、麻枝担当のRefrainも鍵理論をまさに地で行く展開なので、地雷評判で二の足を踏んでいた方も一読をおすすめしたい。樫田レオは間違いなく鍵っ子。


*1ロミオのエロゲーでもあんま重要じゃあないと思うけど。
*2んだもんだからちょっくら説明過多の嫌いもないではない。


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