2007年10月21日

死に至る病、不思議病

 鍵ゲーには不治の病気がつきものである。私はこの謎の奇病のことを、Keyのアンチのにならって「不思議病」と呼んでいる。Keyゲーにおける不思議病は、おおよそ自己喪失型(沢渡真琴、神尾観鈴etc)と自閉・忘却型(折原浩平、西園美魚etc)に分類できるが、社会性が失われ、他人との繋がりが希薄になっていく点で共通していると思う。さて、この社会性の喪失が、単なる不思議病の一症状ではないことをお含みおきいただきたい。この症状こそが不思議病の脅威であり、キャラクターが死に至る理由なのである。
 Keyゲーの舞台はおぼろげで、とにかくつかみどころがない。『ONE~輝く季節へ~』は言わずもがな、『Kanon』や『AIR』にしたって、雪の積もった町、海に近い町としか言いようがない(SUMMERは見逃していただきたい)。『リトルバスターズ!』に至っては、このとらえどころのなさを逆手にとって伏線にしてしまっている。そして「町」をコンセプトにした『CLANNAD -クラナド-』ですら「……。町」としか形容しようがない。昨今のADVの、裏設定、作り込み至上主義の風潮からすれば、Keyが制作したビジュアルノベルの心許なさは異端ですらある。かつて世界を制覇した別ブランド、TYPE-MOONや07th Expansionの作品と比べれば一目瞭然だろう。『CLANNAD』の町も、かの雛見沢村のように、町名を付けて(植物か海に関する名前がいいんじゃないかと思う)、あちこちに名所を配置して、名産品やらなにやらを用意して、面白おかしい歴史エピソードのひとつも披露していれば、より熱狂的な人気を獲得できただろう。しかし、『CLANNAD』は土地柄はうやむやにして、あくまでも人と人、町と人との繋がりを積み重ねることによって世界観を創っている。
 Keyゲーはキャラクターにもつかみどころがない。主人公は無趣味、無嗜好、無所属、社会不適合がデフォルトだ。ヒロインやサブキャラも、妙てけれんな嗜好こそあれど、職業不詳、家族構成不詳の例は枚挙に暇がない。とにもかくにも、劇中に登場しない人や物との繋がりが判然としないのだ。ある人はこれを作り込み不足、薄っぺらい、箱庭的と言うかもしれないが、これがKeyのカラーなのである。ぶうたれても詮無いことだ。
 なぜkeyゲーにおいて、記憶を失い、他者との繋がりが途絶えることが死に直結するのかといえば、それがあの箱庭世界において、自我とアイデンティティを保つ唯一のしるべだからである。不思議病によって、誰かとの思い出を失い、閉じ籠もって人とのつながりを失った人間は、もはや自己を見出すことができず、世界に留まることができないのだ。キャラクターは誰かを知覚し、誰かに知覚されることによって、初めてあの世界に在ることができるわけである。Keyゲーの世界観は非常に唯心論的だ。
 そんな他者との繋がりを希薄にし、自我を破壊せしめる病気を克服する方法は一つしかない。形骸化した関係と決別し、他者と新しく関係を結ぶことである。彼らはいつだってそうしてきた。

 次回へ続く。

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tags: 考察 Kanon 

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