2010年03月19日

刑務所のリタ・ヘイワース スティーヴン・キング レビュー・感想

 たった163ページの中にキングの資質が凝縮されている。狂言回しであるレッドの饒舌な語り口にもてあそばれるのがひたすらに楽しい。あらすじが一行で済むシンプルな物語をここまで聞かせるのは並じゃあない。これだけ濃密な読書体験ができる短編もそうそうないので、どちらかというホラーと怪物のキングが好きな人もぜひ読んでみてほしい。キングの数少ない超自然要素抜き――主流(mainstream)と書くと先生に怒られる――の小説を読んでいない人は、「ホラーとか超常現象はちょっと(笑)」などと言ってキングの大半を読んでいない人に負けず劣らずもったいないことをしている。
 ネタバレに一切配慮していないのと、ナンバーワンのファンと言わずとも、それなりにキングを読み込んでいる人でないと理解しにくい考察である点はあしからず。 


Terrible accident. Too bad.
 まずは名言集をどうぞ。
 

 やつらはやる気だ。ハドリーとマートは屋上からアンディーを投げ落とすだろう。悲惨な事故。デュフレーン、囚人番号八一四三三-SHNKは、空のバケツを運びおろす途中で、はしごから足をすべらして転落した。かわいそうに。
 They were going to do it; Hadley and Mert were simply going to pitch him over the side. Terrible accident. Dufresne, prisoner 81433-SHNK, was taking a couple of empties down and slipped on the ladder. Too bad.


「あんな神経質なやつは見たことない」とトミーはおれに話した。「あんなやつが泥棒をやるなんてむちゃだよ、とりわけ銃を持たせちゃまずい。ほんのささいな物音でも、あいつは一メートルもとびあがるんだ……床におりたときには、おそらく銃を撃ちはじめてるな」
"I never seen such a high-strung guy," Tommy said. "A man like that should never want to be a burglar, specially not with a gun. The slightest little noise, he'd go three feet into the air ... and come down shooting, more likely than not."


 チェスターは鉢植えに水をやり、床にワックスをかけるようにいわれていた。おれの推測では、その日、鉢植えはのどがカラカラだっただろうし、チェスターの垢だらけの耳が境のドアの鍵穴の上を磨いたのが、唯一のワックスがけだったろう。
 Chester was supposed to be watering the plants and dusting and waxing the floor. My guess is that the plants went thirsty that day and the only waxing that was done happened because of Chester's dirty ear polishing the keyhole plate of that connecting door.


 よくぞまぁこんな言い回しがぽんぽんひりだせるもんだと感心する。「ほんのささいな物音でも、あいつは一メートルもとびあがるんだ」「おれの推測では、その日、鉢植えはのどがカラカラだっただろう」までは誰でも書けると思うが、この後に「床におりたときには、おそらく銃を撃ちはじめてるな」「チェスターの垢だらけの耳が境のドアの鍵穴の上を磨いたのが、唯一のワックスがけだったろう」とはなかなか続けられない。私も読書家の末席を汚す身で、例えばドナルド・E・ウェストレイクやネルソン・デミルなどの、ウィットに定評のある大物作家の作品を読んだが、キング先生は彼らに一歩も引けをとらないと思う。
『リタ・ヘイワース』は浅倉久志さんの訳もいい。私は悲惨な事故。かわいそうに。が特に気に入っている。


I think you remember the name of the town, don't you?
 keyおよび麻枝准の考察のときにも似たようなことを書いたが、スティーヴン・キングの小説には、作品の枠すら越えて、幾度となく繰り返される場面・構図がある。車輪が回転して元の位置に戻ってくるように*1。カ・テットが怪物との対決で発動させる魔法は、どれも不条理で荒唐無稽だが、芯の部分には共通するものがある。また、旧友に再会したような懐かしさを覚える、過去作品の登場人物の要素を受け継いだキャラクター、同じような役割を担わされたキャラクターが多く登場する。ゴードン・ラチャンスとビル・デンブロウ、リッチィ・トージアとエディ・ディーン、後述するアンディー・デュフレーンとクリス・チェンバースなどはまさにそうだろう。五冊、十冊と読み込んでいくうちに、やつが書きたいのはこれなんだ、やつが語りたいのはこの瞬間なんだ、というのが自然にわかってくると思う。このキング的なお約束、様式美、『暗黒の塔』読者にはおなじみの〈カ〉がわかるようになると、やつの小説がだんぜん面白くなってくる。キングも麻枝准同様、それほど芸風が幅広い作家ではないので(引き出しは多いが)、真剣に読み込めばわりかしすぐに理解できるはずだ。
 仮にこの『リタ・ヘイワース』が第38節、レッドがアンディーのことを語り終えたところで閉じられていたとしても、十二分に良作短編の範疇だろう。しかし、新しい便箋を使って書き足されたという設定の、39節から40節のレッドの旅のパートで、キングの他の長編に匹敵するものに化けたと思う。キングがここで描いたのは、時間の流れを超越する魔法だ。やつが何度となく語ってきた、時の流れから取り残されていたものを自分の手にすくい上げる瞬間の感慨だ。ジョージア・パインズ老人ホームの物置で、葉巻箱からミスター・ジングルスがひょいと顔を出したときの。禿頭で中年太りのビル・デンブロウがシルヴァーを駆り、高らかに「ハイヨー、シルヴァー、そおれゆけえええええ!」と叫んだときの。キャロルが『蠅の王』の表紙裏にあの献呈を見つけたときの。映画を観ている人には、トトがアルフレードの形見のフィルムを見たときの、といえばわかるだろうか。
 レッドがアンディーの黒曜石と、その下にあった手紙をつかんだときのえも言われぬ感慨、レッドと読者の前から煙のようにこつぜんと姿を消してしまったアンディーが、突然こちらをふりかえって語りかけてくる瞬間の感動は、キングの蒼々たる名作群のハイライトと比べても遜色ない輝きを放っていると思う。このおっさんは、本当にどのボタンを押せばいいのか、勘所を心得ている*2

*1『ザ・スタンド』からパクってきた。
*2『アトランティスのこころ』からパクってきた。


In 1975, Andy Dufresne escaped from Shawshank.
 次はキングのストーリーテリングにおける妙技について語ろう。読書歴の浅い身で言うのもなんだが、私はスティーヴン・キングほど、読者への優位性*3なるものに精通してして、それを最大限に活かして読者を湧かせることができる作家を知らない。キングの十八番は、読者をじりじりさせるほのめかしがである。ファンなら誰でも身に覚えがあるだろう。そしてもう一つの武器が、読み手の意表をつく不意打ちである。章の始まりで核心に触れることを言ってしまったり、時系列ではかなり後のことになる出来事や、時には全てが終わった後のことを語ってしまったりするお馴染みのあれだ。これを絶妙のバランス感覚で繰り出して読者を翻弄するのがキング流の語りだと思う。その集大成が、分冊形式での出版という最悪のいやがらせ(誉め言葉)まで加えた『グリーン・マイル』だったわけだが、技術そのものは『リタ・ヘイワース』で既に完成されている。
 ここで一つお聞きしたい。“アリーとはこの後たった一度だけ顔を合わせることになるのだが、それがこの世の別れだった。”のような焦らし、未来示唆は、伏線あるいはフラッシュフォワードで間違いないと思うのだが、“ジェイクは神殿を発見した。そのために危うく命を落とすところだった。”のように、章や節の内容を最初の一文で言い切って読者の気を引き、それから詳しい説明に入る技法は何と呼ぶのかわからない。どなかた正式な名前をご存知なら教えてほしい。
『リタ・ヘイワース』では、全40節のうち5節の始まりに上記の言い切りの形が、そして驚くなかれ、11節もの終わりにフラッシュフォワードが使われているのだ! 実に四分の一以上である。キングはやられる側の苦しみと楽しみを身を以て知ってからこそ、こんなひどいこと(誉め言葉)ができるのだろう。往年のキングはサタデイ・イブニング・ポストなどの連載小説をこよなく愛していて、郵便屋が雑誌を届けに来るのをポストの前で待ちかまえているような少年だったそうだ。『リタ・ヘイワース』を読んでいると、まるで月刊の連載小説を一気読みしているような凄まじい濃密さを感じるが、キングは執筆中に少年時代に楽しんだそれを頭に浮かべていたんじゃあないかと思う。各節の終わりに<次号へつづく>と入れてみると、この上なくしっくりくるのだ。

 言い切り

-29-
アンディーがはじめておれの前にやってきたのも、日曜日のことだった。
 It was on a Sunday that Andy first came to me.


-45-
 アンディーがリタ・ヘイワースを密輸してほしいといってきたのは、それから五ヶ月あとだった。
 It was about five months later that Andy asked if I could get him Rita Hayworth.


-84-
 トミー・ウィリアムズがショーシャンクのしあわせ一家に仲間いりしたのは、一九六二年の十一月だった。
 Tommy Williams joined our happy little Shawshank family in November of 1962.


-110-
 アンディーの暗い気分が消えたのは、一九六七年のワールド・シリーズの季節だった。
 His dark mood broke around the time of the 1967 World Series.



 フラッシュフォワード

-26-
 この連中には、買収も、ごますりも、泣き落としもきかない。ここの委員会に関するかぎり、金は物をいわないし、誰もムショから出られない。アンディーの場合には、それ以外にも理由があった……だが、それはおいおい話していこう。
 You can't buy those guys, you can't sweet-talk them, you can't cry for them. As far as the board concerned, money don't talk, and nobody walks. There were other reasons in Andy's case as well ... but that belongs a little further along in my story.


-28-
 はじめてアンディー・デュフレーンが話しかけてきたときのことは、いまでもおぼえている。まるできのうのことみたいに。ただし、そのときの注文はリタ・ヘイワースじゃなかった。あれはもっとあとだ。一九四八年の夏にやつが注文したのは、もっとほかのものだった。
 I remember the first time Andy Dufresne got in touch with me for something; I remember like it was yesterday. That wasn't the time he wanted Rita Hayworth, though. That came later. In that summer of 1948 he came around for something else.


-44-
 シスターも、アンディーが適応したもののひとつだった――そして一九五〇年に、それは全く完全にストップした。そのへんはおいおい話すことになる。
The sisters was something he adjusted himself to - and then, in 1950, it stopped almost completely. That is a part of my story that get to in due time.


-51-
 それと、もっとほかのことも感じた。あの男のおそろしい根気のよさに対する尊敬の念だ。しかし、ずっとあとになるまで、アンディ・デュフレーンが本当にどれだけ根気がいいかを、おれはまだ知らなかった。
 and I felt something else, too. A sense of awe for the man's brute persistence. But I never knew just how persistent Andy Dufresne could be until much later.


-65-
 たしかにアンディーにはよくわかってたんだ。ことの成り行きから見ると、やつはおれよりもずっとそれがよくわかってた――おれたちの中のだれよりもだ。
 And he did understand it. The way it turned out, he understood a lot more than I did - more than any of us did.

 

-66-
 あの青白い男は、自分の身体の裏口に五百ドルを隠して持ちこんだが、そのほかにもこっそりなにかを持ちこんだ。それはやつ自身の値打ちだったかもしれないし、やつが最後の勝者になるという気分だったかもしれない……それとも、ひょっとしたら、このくそったれな灰色の塀の中にさえ存在する、自由な気分だったかもしれない。やつが持ち歩いていたのは、一種の内なる光だった。やつがたった一度だけその光を失ったのをおれは知ってるが、それもこの物語の一部なんだ。
 He brought in five hundred dollars jammed up his back porch, but somehow that graymeat son of a bitch managed to bring in something else as well. A sense of his own worth, maybe, or a feeling that he would be the winner in the end ... or maybe it was only a sense of freedom, even inside these goddamned grey walls. It was a kind of inner light he carried around with him. I only knew him to lose that light once, and that is also a part of this story.


-79-
「たぶん、いつかわたしのいう意味がわかるときがくるよ」
 やつのいうとおりだった。それから何年もあとで、おれはやつのいう意味をさとり……そしてさとったときに最初に思いだしたのは、ノーマデンのことだった。アンディーの監房の中はいつも寒かったという、ノーマデンのあの言葉だった。
"Maybe someday you'll see what I mean," he said, and he was right. Years later I saw exactly what he meant ... and when I did, the first thing I thought of was Normaden, and about how he'd said it was always cold in Andy's cell.


-84-
 いいかね、やつは一九六三年まで、つまり、このせまっくるしい地獄穴へほうりこまれて十五年たつまで、あの事件の真相を知らなかったんだ。トミー・ウィリアムズに会うまでは、どれだけその地獄穴がひどい場所になるかをしらなかったんだ。
 See, I don't think he knew the truth until 1963, fifteen years after he came into this sweet little hell-hole. Until he met Tommy Williams, I don't think he knew how bad it could get.


-109-
 おれはまだそれらを持っているし、しょっちゅうそいつをとりだしては、ひとりの人間にどれだけのことができるかを考える。もしその人間に時間がたっぷりあって、一度にひとしずくずつその時間を使う根気があればだが。
 I've still got them, and I take them down every so often and think about what a man can do, if he has time enough and the will to use it, a drop at a time.


-110-
 ということで、ひょっとしたら、ノートン所長も満足だったかもしれない……すくなくとも、しばらくのあいだは。
 So maybe it was Warden Norton who was pleased ... at least, for a while.


 もっとも芸術的なのはあの一文だろう。
 22節、アンディーはレッドにここを出たあとの詳細なプランを語る。一年中あたたかいメキシコのシワタネホに行く。海岸沿いでハネムーンの客用の小さなホテルを経営して、のんびりと余生を過ごす。驚くなかれ、塀の外にはピーター・スティーブンズという新しい身分と、三十七万七千ドルの財産が用意されているらしい。それを手に入れるための貸金庫のカギが、バクストンの牧草地にある黒曜石の下に隠されている。あれさえ手に入れれば新しい人生を踏み出すことができる。アンディーは最後に、レッドに自分のホテルの調達屋にならないかと持ちかけて、すたすた歩き去っていく。よっぽど察しの悪い読者以外は、アンディーがどうにかして刑務所の外に出ようとしているのがわかる。
 23節の始まりはこうなっている。

-123-
 というわけで、話は脱獄のことになる。
 Which leads us, I guess, to the subject of jailbreaks.


 ここで疑惑は確信に変わり、読者はアンディーはこれからどうやって刑務所を出るつもりなのか思いを巡らすことになる。
 しかし、大方の予想に反して23節ではアンディーの話題は全く出てこない。ここで語られるのはショーシャンクで行われた諸々の脱獄についてだ。塀を乗り越えたてもサーチライトが一晩中回転していること、それから逃れてもハイウェイでヒッチハイクをしているところでたいていの囚人がお縄になること。ランドリーのベッドシーツに隠れてとんずらする方法がメジャーだったこと。“青空奉仕”の途中で、看守が綺麗な鹿を追いかけていった隙に藪の中へ消えてしまった囚人のこと。所内野球大会の途中に、ライニング・マシンをひっぱったまま悠々と門から出て行ったシッド・ニドーの脱獄劇。せまい地下室でグライダーを完成させたビーバー・モリスンのこと。ショーシャンクでは31年で四百件以上の、月に換算すると12.9件もの脱獄未遂があったこと。1937年には集団脱獄があり、14人の“凶悪犯罪者”が建築資材を使って逃げ出したが、逃げおおせたものは一人もいないこと。こういった聞いていて面白くはあるのだが、本筋とは関係のないうんちくがだらだら6ページほど続く。
 24節では、アンディーはとてもこんな方法では絶対に脱獄できないし、ノートンは口を割られるのを恐れて絶対に塀の外に出したりしない、弁護士とウィリアムズの協力で裁判のやり直しを請求したほうが賢明だ、とレッドが語る。そしてもはやお馴染みになった焦らし

-130-
 どうやらやつの考えていることは、ほかにもいっぱいあったらしい。
 Apparently he'd been thinking about a lot of other things, as well.


 でこの節は閉じられる。アンディーの考えってなんだよ? 囚人たちを率いて暴動でも起こすのか? くそっ、この親父は人を焦らせるのがほんとうに好きだな。ぶつぶつ言いながら次の節に目を移すと、やにわに飛び込んでくるのが

-130-
 一九七五年に、アンディー・デュフレーンはショーシャンクから脱獄した。
 In 1975, Andy Dufresne escaped from Shawshank.


 この一文である! やりやがった! ここまで隠してきたものを、潔く言い切ってしまうのがすばらしい。これぞキング節だ、あざやかすぎる。読者の気が完全に緩んでガードが下がっているところに、最高の一発を叩き込んでくる。この一発で完全にノックアウトされたわれわれは、否応なしに物語の最後までページをめくらざるをえない。ここのくだりを書いているときのキングはさぞや気分がよかったことだろう。読者(愛しのタビーさん)のぽかんとあっけにとられた顔を想像しながら、卵に鼻をつっこんだ犬のようなにやにや笑い*4を浮かべていたに違いない。
 他にも巧いと思ったのは、36ページ、レッドがロックハンマーのお礼を言いにきたアンディーの顔を描写するところ。 

 その日のやつの顔ときたら、見られたざまじゃなかった。下唇はサマー・ソーセージみたいに腫れあがり、右目は半分ふさがり、片頬には洗濯板みたいなひどいすり傷があった。シスターどもとのいざこざにまちがいなかったが、やつは一言もそれにふれなかった。
 He was nothing to look at that day, I can tell you. His lower lip was swelled up so big it looked like a summer sausage, his right eye was swollen half-shut, and there was an ugly washboard scrape across one cheek. He was having his troubles with the sisters, all right, but he never mentioned them.

 
 ここで唐突にシスターという単語が登場する。んんっ、シスターとはなんぞ? 礼拝堂のシスター? 病棟の看護婦? それともなにかの隠語なのか? と読者の気を引いてから、二段落置いて、明けて5節で

 シスターについてひとこと。
 たいていの刑務所では、この手の連中の呼び名は……
 A few words about the sisters.
 In a lot of pens they are known as ...


 とようやっと説明に入るのだ。キングはこの手の、釣り針を引っかけて魚を生殺しにする手法が心底お好きなようだ。
 この緩急を自由自在に操って、読者を手玉に取る語りのセンスは、物書きのハウツー本を読んだところでとうてい会得できるものではない。キングのもう一つの特性である、人間誰しもが恐怖を感じるものを鋭く描きだす能力、早く言えば世界一の恐がりであることは、おそらく天性の素質だと思うけれど、この力強い語り口は後天的に身に付けたものだろう。膨大な読書量、膨大な執筆量はもとより、毎晩家族で連載小説の読みきかせをするような恵まれた環境で育ち、また自分の“最良の読者”*5に語りきかせてわくわくさせることを、常に念頭に置きながら書きつづけてきたことで体得したリズムだと思う。こんなに魅力的で意地の悪い語りは、常日頃から、息を吸うように物語を語っているやつ、三度の飯より物語で人をやきもきさせるのが好きなやつじゃないととてもできない。
 私には「――そのときの注文はリタ・ヘイワースじゃなかった。あれはもっとあとだ。一九四八年の夏にやつが注文したのは、もっとほかのものだった……」「ちょっと、スティーヴ! リタ・ヘイワースを注文したってどういうことなの? わかったわ、アンディーたちがどうにかして、ショーシャンクに慰安に来てもらったのね? そうに決まってるわ、そうなんでしょう?」「だめだよ、タビー。この後はまだ推敲していないんだ。今日はここまで、続きはまた明日のお楽しみ……」なんてやりとりが聞こえてくるかのようだった。
『恐怖の四季』のキングの語りからは、脱力しているようで全く隙がない達人拳法家の構えというか、抜いたカーブを織りまぜてバッターをきりきりまいさせる老練ピッチャーの風格というか、既にそんなものが感じられる。キングが『リタ・ヘイワース』を書いたのは、『デッド・ゾーン』の脱稿直後らしいので、1980年付近だと思うのだが、デビューから七年かそこいらでよくぞここまで成熟したものだ。

*3『グリーン・マイル』まえがきからパクった。
*4『スタンド・バイ・ミー』からパクった。
*5『グリーン・マイル』あとがきからのいただき。


ムショの中で心配したって引きあわねぇ。
 今回はたまたま原著のペーパーバックが手に入ったので、電子辞書の助けを借りながら、新潮社版とえっちらおっちら読み比べをしたのだが、浅倉さんの訳は素晴らしいの一言だった。浅倉さんは豊かな日本語力で、原文の空気を可能な限り伝えようとしている。スティーヴン・キングの翻訳といえば、池央耿さんによる『ガンスリンガー』の古風で格調高い文体や、深町眞理子さんの『シャイニング』などが評価が高いけれど、氏の生きた言葉を自在に使いこなした訳もよかった。SF畑で活躍なさっていた方なので、どちらかといえばこの作品は専門外の分野なのだろうけれど、それでこれだけの訳ができるのは地力があるからだろう。優れた翻訳家の方の日本語力、語彙力には本当に頭が下がる。そこらでゴロまいている物書きが裸足で逃げ出す。私の語彙の七割がたは、翻訳小説を読んでいるうちに身に付いたものだ。
 今回の読み比べで思ったのは、原語で読むことが出来ない私のような読書家も、この小説並みの質の高い翻訳ならば、大して割を食っていないんじゃないかということ。英語が聞き取れない映画好きなんかと比べたら天と地の差だ。訳文で海外小説を読んでいる読書家はかなり恵まれていると思う。みなさんも一緒に自分の幸運に感謝しよう。私は英語が、とりわけリスニングがからっきしで、字幕なしでは映画が観られないのだが、俳優がべらべらしゃべっているのに字幕が一行ぽつんと出ているだけだったり、固有名詞や独特な表現が平易な言葉に置き換えられていたりすると、激しい喪失感と劣等感に襲われる。ありていに言えばおたくなのだろう。DVDで映画を見るときはなるべく吹き替えプラス英語字幕にしている。これなら少なくとも情報量は減らないからだ。話が逸れてしまった、洋画の字幕に対する愚痴は別のエントリーでじっくりやろう。とにかく、そんな面倒くさいおたくタイプの人間である私を黙らせるほど、浅倉さんの本訳は多彩で巧みだったということだ。
 あえて欲を言うならば、Even-Steven Killer(くそ平等殺人鬼)やgrain and drain(断食療法)、a hedious, heinous crime(憎んでもあまりある凶悪犯罪)などの言葉遊びの部分はルビで残してほしかったなぁと。たしかに訳が非常に難しいところなのだが。それと38節と39節の間にある罫線はしっかりと移植してほしかった! ここだけは譲れない。詳しくは後で書くが、あれにはメタ的に重要な役割があると思うからだ。それ以外にはまったくと言っていいほど不満がなかった。
 浅倉さんの名訳をいくつかピックアップしてみる。

-170-
 すっかり興奮してるようだ。あんまり興奮してるおかげで、手がふるえて、鉛筆が満足に握れない。これは自由人だけが感じられる興奮だと思う。この興奮は、先の不確実な長旅に出発する自由人にしかわからない。
 どうかアンディーがあそこにいますように。
 どうかうまく国境を越えられますように。
 どうか親友に再会して、やつと握手ができますように。
 どうか太平洋が夢の中とおなじような濃いブルーでありますように。
 それがおれの希望だ。
 I find I am excited, so excited I can hardly hold the pencil in my trembling hand. I think it is the excitement that only a free man can feel, a free man starting a long journey whose conclusion is uncertain.
 I hope Andy is down there.
 I hope I can make it across the border.
 I hope to see my friend and shake his hand.
 I hope the Pacific is as blue as it has been in my dreams.
 I hope.


 どうかうまく国境を越えられますように、のくだりは、映画『ショーシャンクの空に』(レッドのセリフは原作のまま)の字幕だと「国境を越せるといいが。友人と再会できるといいが……」、吹き替えだと「無事国境を通過できるといい……」と訳されていた。私は浅倉さんの訳がもっとも“自由人だけが感じられる興奮”を表現できていると思う。予定調和の世界と決別し、先行きの不安な自由の世界に踏み出したレッドの不安と切実な祈りが読み取れる。

-34-
「もしつかまったら、自分で見つけたといえ。要点はそれだけさ。お前は三、四日懲罰房へほうりこまれる……むろん、おもちゃは取りあげられて、記録に罰点がつく。もしやつらにおれの名前を出しやがったら、おまえとはもうこんりんざい取引しねえ。靴ひも一組、タバコ一箱だってごめんだ。こっちは誰かをさしむけて、おまえにヤキをいれる。暴力は好きじゃないが、面子(メンツ)ってものがあらあな。やつは自分の面倒も見きれねぇ、なんて噂が立ってみろ、おれの商売は上がったりだ」
「ああ、そうだろうね。よくわかった。心配はいらない」
「誰が心配するかよ。ムショの中で心配したって引きあわねぇ」
"If you get caught, you'll say you found it. That's about the long and short of it. They'll put you in solitary for three or four weeks ... plus, of course, you'll lose your toy and you'll get a black mark on your record. If you give them my name, you and I will never do business again. Not for so much as a pair of shoelaces or a bag of Bugler. And I'll send some fellows around to lump you up. I don't like violence, but you'll understand my position. I can't allow it to get around that I can't handle myself. That would surely finish me."
"Yes. I suppose it would, I understand, and you don't need to worry."
"I never worry," I said. "In a place like this there's no percentage in it."


-72-
 たしかに、囚人の中にはいろんな特別待遇を受けるやつがいる。(略)これはそんな特権がもらえるように、シャバのだれかがそれだけの代金を払ってるんだ。そんな連中のことを、囚人たちは“天使”と呼んでる。急にだれかがナンバープレート工場で土曜の午前の作業を免除されたりすれば、その男の天使がどこか塀の外にいて、そうなるように現ナマをはずんだことがわかる。たいていの場合、天使は中どころの看守に袖の下を払い、その看守が職階組織の上と下にヨロクをばらまくしきたりだ。
 I know that there were some prisoners who received all sorts of special considerations - and there were people on the outside who were paying for them to have those privileges. Such people are known as 'angels' by the prisoners. All at once some fellow would be excused from working in the plate-shop on Saturday forenoons, and you'd know that fellow had an angel out there who'd coughed up a chuck of dough to make sure it happened.The way it usually works is that the angel will pay the bribe to some middle-level screw, and the screw will spread the grease both up and down the administrative ladder.


 シャバのだれか=people on the outside 現ナマ=a chuck of dough ヨロクをばらまく=spread the grease
 こういうテキストを読んでいるとそれだけでわくわくしてこないだろうか。私はする。
 以前キング堂さんの『おれの中の殺し屋』に関する記事で、新訳は下品度がアップしていてより生々しさが増した、「よう、ルー。ようようよう」なんて訳が、ギャングスタの人みたいで気に入ってる、という記述を見つけて、あるある、わかるわかると一人でうなづいていた。この『リタ・ヘイワース』の浅倉さんの訳も、刑務所の中の雑多な空気や、レッドの荒くれっぽさ、裏の事情通らしさが伝わってくる良訳だと思う。
 他にもこんな細かい配慮があった。

-12-
 そう、まるっきりワンマン・デパート、ニーマン・マーカスの刑務所版さ。
 Yeah, I'm a regular Neiman-Marcus.


-35-
 もし、このツルハシをだれかの頭にぶちこんだら、そいつが二度とラジオで〈フィバー・マッギーとモリー〉のお笑い番組を聞けなくなるのはまちがいない。
If you planed that pickaxe end in a man's head, he would surely never listen to Fibber McGee and Molly on the radio again.


 地味に原文にはないワンマン・デパート、お笑い番組が加えられている。氏の人となりが伝わってくるようだ。
 もう一度、今年二月にお亡くなりになった浅倉さんのご冥福をお祈り致します。


Some have got it, Sam. And some don't, and never will.
『スタンド・バイ・ミー』は私の読書における原体験であり(新潮社の100冊に感謝)、何度も読み込んでいた。『リタ・ヘイワース』と『スタンド~』は、どちらも一人称の回想形式であること、凄まじい精神力で何かをやり遂げた一人の男が話の中心にいることなどは、一読すれば誰でも気が付くだろうが、私は『スタンド~』がほとんど頭に入っていたので、描写や言い回しの細かい相似も見つけることができた。これも何かの縁なので、だらだらと書き連ねてみんとす。『スタンド~』の日本語訳は山田順子氏のもの。

 圧倒的優位にあるはずのハドリーと、クールに交渉してみせたアンディー。札付きの不良であるエースたちを相手に、拳銃一丁で向こうを張ったクリス。

-58-
 アンディーはごくおだやかに、じっと相手を見つめただけだった。氷のような目。なにも耳にはいってないみたいだ。
 Andy just looked at him, very calm and still. His eyes were like ice. It was as if he hadn't heard.


-63-
 とつぜん、アンディーが優勢になったんだ。ハドリーは、腰に拳銃、手に棍棒を持っている。ハドリーには仲間のグレッグ・スタマスがうしろに控え、スタマスのうしろには刑務所の管理本部ぜんぶが控え、そのうしろには州の全権力が控えてる。だが、金色の日ざしの中で、とつぜんそんなことはなんの関係もなくなり、おれは胸の中で心臓がピョンとおどりあがるのを感じた。(略)
 アンディーはあの冷たく澄んだ、穏やかな目でハドリーを見つめていたが、ことは三万五千ドルだけじゃないと、おれたちみんなの意見は一致した。その場面を頭の中でなんべんもなんべんもくりかえしてみたから、よくわかってる。男対男の一騎打ちで、アンディーはやつをねじ伏せたんだ。ちょうど腕ずもうの勝負で、腕力の強い男が弱い男の手首をテーブルに押しつけるように。
 Suddenly it was Andy who had the upper hand. It was Hadley who had the gun on his hip and the billy in his hand, Hadley who had his friend Greg Staminas behind him and the whole prison administration behind Stammas, the whole power of the state behind that, but all at once in that golden sunshine it didn't matter, and I felt my heart leap up in my chest.
 Andy was looking at Hadley with those cold, clear, calm eyes, and it wasn't just the thirty-five thousand then, we all agreed on that. I've played it over and over in my mind and I know. It was man against man, and Andy simply forced him, the way a strong man can force a weaker man's wrist to the table in a game of Indian wrestling.


 こちらは物置でシスターどもと対峙したときの様子。

-41-
 アンディーは例の淡い微笑みをうかべてバグズを見あげた、とアーニーはいう。三人にとりかこまれてすごまれているというより、まるで三人を相手に株や債権の話をしているような感じだった。銀行重役の三つ揃いをぱりっと着こなした感じで、ほこりの積もった掃除用品戸棚の床に、ズボンをくるぶしまでおろし、太股の内側に血をしたたらせているようには見えなかった。
 He looked up at Bogs, smiling that little smile of his, old Ernie said, as if the three of them had been discussing stocks and bonds with him instead of throwing it to him just as hard as they could. Just as if he was wearing one of his three-piece bankers' suits instead of kneeling on a dirty broom-closet floor with his pants around his ankles and blood trickling down the insides of his thighs



-265-
 クリスは深い悲しみをこめて、静かに言った。「どこがいい、エース? 腕か、足か? おれには選べない。おれのかわりにきさまが選べ」
 エースは立ちどまった。
 Chris said softly, with great regret: "Where do you want it, Ace? Arm or leg? I can't pick. You pick for me."
 And Ace stopped.


-266-
 そして重大な仕事の相手を見るような目で、クリスを見た――自分の会社を合併するとか、クレジットの限度額を交渉するとか、ボールをシュートするとか、そういうときの目つきだ。
 and he looked at Chris the way you'd look at a man who has made a serious business proposition - to merge with your company, or handle your line of credit, or shoot your balls off.


-266-
 そのときから、わたしは初めて、もっともなまなましい瀬戸ぎわの作戦というものを目撃しているのだ、と自覚した。二人ともはったりをきかせているのではない。二人とも真剣に勝負している。
 Since then I've thought it was the rawest piece of brinkmanship I've ever seen. Neither of them was bluffing; they both meant business.


-269-
「おれから離れるなよ、ゴーディ」クリスは低く震える声で言った。「離れずにいてくれよ」
「ちゃんとここにいるよ」
「行っちまえよ」クリスはエースに言った。どういう魔法を使ったのか、その声は少しも震えていなかった。まるで頭の悪い小さな子を、教えさとしているような言い方だった。
"Stick with me, Gordie," Chris said in a low, shaky voice. "Stick with me, man"
"I'm right here."
"Go on, now," Chris said to Ace, and he was able, by some magic, to get the shakiness out of his voice. He sounded as if he was instructing a stupid infant.



 どちらも商談の場面に例えているのがおもしろい。
 何となくキングが思い浮かべるヒーロー像とか、好感を持っている人間像とか、そんなものが見えてこないだろうか。

 アンディーの足跡を探すように、彼の希望だった黒曜石のかけらを探すレッドと、レイ・ブラワーの失われたバケツを探したい衝動に襲われるゴーディ。

-281-
 ばかげた空想だ。二十年前のブルーベリー用のバケツを探す大遠征。バケツは森の奥深くに投げ捨てられたか、画一住宅(トラクト・ハウス)のために半エーカーもの土地を平らにならしたブルドーザーに押しつぶされてしまったか、丈高く生い茂った雑草やイバラに深くおおわれて見えなくなっているか。だがわたしは、バケツがまだそこに、廃止になった古いGS&WM鉄道の線路のわきのどこかに、あると確信しているし、ときどき、矢も楯もたまらず、探しに行きたい衝動に駆られる。
 Stupid fantasy. An expedition looking for a fourteen-year-old blueberry pail, which was probably cast deep into the woods or ploughed under by a bulldozer readying a half-acre plot for a tract house or so deeply overgrown by weeds and brambles it had become invisible. But I feel sure it is still there, somewhere along the old discontinued GS&WM line, and at times the urge to go and look is almost a frenzy.


-282-
……わたしはそのバケツをみつけることができる気になる。錆の奥できれいな金属の面が、輝かしい夏の陽光にきらめいているのが見える。わたしは土手をおり、ぼうぼうと生い茂って、バケツの取っ手にからみついた雑草をかきわけ、そして……どうする? そう、単に時間の深みから拾いあげてやればいい。
 I feel sure I could find it. I would see clear metal winking through rust, the bright summer. sun reflecting it back to my eyes. I would go down the side of the embankment, push aside the grasses that had grown up and twined toughly around its handle, and then I would ... what? Why, simply pull it out of time.



-164-
 そこで、仕事の余暇にやりはじめたのは、小さなバクストンの町までヒッチハイクの旅をくりかえすことだった。(略)その旅にでかけるときには、いつもシルヴァのコンパスを持っていくことにしていた。
「バクストンの町に大きな牧草地がある」と前にアンディーはいった。「その牧草地の北の端には、ロバート・フロストの詩から抜けだしたような石塀がある。その塀の根っこのどこかに、メイン州の牧草畑には縁もゆかりもない石がある」
 So what I started to do on my time off was to hitchhike a ride down to the little town of Buxton. When I went on these trips, I carried a Silva compass in my pocket.
 There's a big hayfield in Buxton, Andy had said, and at the north end of that hayfield there's a rock wall, right out of a Robert Frost poem. And somewhere along the base of that wall is a rock that has no earthly business in a Maine hayfield.


-165-
 骨折り損のくたびれ儲け……しかし、二十七年間、灰色のコンクリートの壁を掘りつづけるのだってそうだ。自分がもうよろず調達屋じゃなくなり、ただの年とった荷物持ちになったときには、新しい人生から気をまぎらすために、道楽を持つのもいい。おれの道楽は、アンディーの石を探すことだ。
 A fool's errand ... but so is chipping at a blank concrete wall for twenty-eight years. And when you're no longer the man who can get it for you and just an old bag-boy, it's nice to have a hobby to take your mind off your new life. My hobby was looking for Andy's rock.



 どんな酸鼻を極める状況でもへこたれないタフな二人。

-289-
 クリスは笑いながら歩み去った。わたしのように傷付いていないというように、わたしのように足に豆ができているわけではないというように、わたしのように蚊や、スナノミや、ブヨに悩んだわけではないというように、足取りも軽く、優美な歩きかただった。まるでこの世に悩みは一つもないと言わんばかりの、屋内水道設備もなく、破れた窓にはビニールが貼ってあり、家の前ではたぶん不良の兄貴が待っているにちがいない、たった三部屋の家(小屋、という方が真実に近い)に帰るのではなく、豪邸に帰るところだと言わんばかりのくったくのなさだった。
 He walked off, still laughing, moving easily and gracefully, as though he didn't hurt like me and have blisters like me and like he wasn't lumped and bumped with mosquito and chigger and blackfly bites like me. As if he didn't have a care in the world, as if he was going to some real boss place instead of just home to a three-room house (shack would have been closer to the truth) with no indoor plumbing and broken windows covered with plastic and a brother who was probably laying for him in the front yard.



-110-
 前にもおれがいったとおりで、アンディーは見えないコートのように自由をはおっていたし、囚人的な精神状態におちいらなかった。やつの目は、けっしてあんなどんよりした目つきにならなかった。一日がおわって、みんながまた果てしない夜を迎えにめいめいの監房へもどるときも、けっしてあんな歩き方――あの猫背を引きずるような足どり――にならなかった。アンディーは胸を張り、足どりはいつも軽やかで、うまい手作りの夕食と、愛妻の待っている家へ帰るようだった。味も素っ気もないびしょびしょに煮くずれた野菜と、ごろんとしたマッシュポテトと、たいていの囚人が謎の肉という、あの脂っぽくすじの多い一切れか二切れの肉のかけらのところへ……そして、壁に貼ったラクエル・ウェルチのポスターのところへ帰るようには見えなかった。
 It goes back to what I said about Andy wearing his freedom like an invisible coat, about how he never really developed a prison mentality. His eyes never got that dull look. He never developed the walk that men get when the day is over and they are going back to their cells for another endless night - that flat-footed, hump-shouldered walk. Andy walked with his shoulders squared and his step was always light, as if he was heading home to a good home-cooked meal and a good woman instead of to a tasteless mess of soggy vegetables, lumpy mashed potato, and a slice or two of that fatty, gristly stuff most of the cons called mystery meat ... that, and a picture of Raquel Welch on the wall.


 ここはまるで双子のようだ。

 相棒のことを自分の一部だったと語るレッドとゴーディ。

-158-
 なんだ、お前は自分のことを書いてないじゃないか、と天井桟敷でだれかがいっているのが聞こえるぜ。お前はアンディー・デュフレーンのことを書いただけだ。お前は物語の脇役でしかないってな。しかし、わかるかい、そうじゃないんだ。これはぜんぶおれのことさ、一語一語がな。アンディーこそ、やつらがどうしても閉じこめられなかったおれの一部、ゲートがやっと開いて、 安物の背広と、ポケットに二十ドルのへそくりを持って出ていくときに、喜びに包まれるおれの一部だ。そのおれの一部は、ほかのおれがどんなに年とっていても、どんなにくじけて、おびえていても、喜びに包まれるだろう。アンディーはおれよりその部分をよけいに持ちあわせていて、それをうまく使っただけのことだと思う。
 Well, you weren't writing about yourself, I hear someone in the peanut-gallery saying. You were writing about Andy Dufresne. You're nothing but a minor character in your own story. But you know, that's just not so. It's all about me, every damned word of it. Andy was the part of me they could never lock up, the part of me that will rejoice when the gates finally open for me and I walk out in my cheap suit with my twenty dollars of mad-money in my pocket. That part of me will rejoice no matter how old and broken and scared the rest of me is. I guess it's just that Andy had more of that part than me, and used it better.



-307-
 わたしたちは深い水の中で、たがいにしがみついていたのだ。クリスのことは充分に説明したと思う。わたしがクリスにしがみついていた理由は、あまり定義できない。キャッスル・ロックと工場の影からのがれたい、というクリスの願望は、わたしにとって、最高の一部分になるように思われたし、クリスひとりをのるかそるかの人生に残していくことはできなかった。もしクリスが溺れていたら、わたしの一部も彼とともに溺れてしまっただろう。
 We were clinging to each other in deep water. I've explained about Chris, I think; my reasons for clinging to him were less definable. His desire to get away from Castle Rock and out of the mill's shadow seemed to me to be my best part, and I could not just leave him to sink or swim on his own. If he had drowned, that part of me would have drowned with him, I think.



 二人が語るこの世の真理。

-142-
 そこへ行ってこう教えてやりたい。その質問の答は簡単そのものだ。根性のあるやつとないやつのちがいだよ、サム。根性のないやつは、どうあがいてもだめだ。
 I could have told him; the answer to the question is simplicity itself. Some have got it, Sam. And some don't, and never will.


-302-
 ある者は溺れてしまう、それだけのことだ。公平ではないが、しかたがないのだ。ある者は溺れてしまう。
 Some people drown, that's all. It's not fair, but it happens. Some people drown.


 この中編集のみならず、キングの小説すべてを貫く何か――テーマ(笑)メッセージ性(笑)という言葉は先生が大嫌いなので――があるとすれば、この一言に尽きると思う。Some people drown.

 おまけで美しい鹿のエピソード。

-124-
 そこへ昼下がりの冷たいもやの中から現れたのが、美しい(と、おれは聞かされたが、このての話は往々にしておおげさに伝わることがある)十本の枝角のある雄鹿だ。こいつの頭をうちの娯楽室に飾ったらどんなに見ばえがするだろうと夢見ながら、ピューはそのあとを追いかけ、そのすきに三人の囚人がすたすたと歩き去った。
 when a beautiful (or so it was told to me, but sometimes these things get exaggerated) ten-point buck strolled out of the cold early afternoon mist. Pugh went after it with visions of just how that trophy would look mounted in his rec room, and while he was doing it, three of his charges just walked away.



-223-
 鹿の目は褐色ではなく、黒、灰色がかった黒だ――宝石店のショウ・ウインドウで、バックに敷いてあるベルベットのようだった。小さな耳は擦り切れたスウェード。
 Her eyes weren't brown but a dark, dusty black - the kind of velvet you see backgrounding jewellery displays. Her small ears were scuffed suede.


-224-
 牝鹿のことをみんなに話そうと喉まで出かかったが、結局、わたしは話さなかった。あれはわたし一人の胸におさめておくべきことなのだ。今の今まで、この話は人にしゃべったこともないし、書いたこともなかった。こうして書いてしまうと、たいしたことではなかったような、取るに足りないつまらないことだったような、そんな気がしていることも書いておくべきだろう。 
 It was on the tip of my tongue to tell them about the deer, but I ended up not doing it. That was one thing I kept to myself. I've never spoken or written of it until just now, today. And I have to tell you that it seems a lesser thing written down, damn near inconsequential.


-238-
 わたしは今朝出会った鹿が、緑の草を食べていた、もの静かでおちついた光景を思い出そうとしたが、それさえも、ほこりっぽくてつまらないもののように思えた。あの鹿も、誰かの狩猟小屋の炉棚の上に、狩猟記念品の首の剥製となって、生きているときのような目の光を出そうと、死んだ目につやだしのスプレーをかけられた鹿とくらべて、格段にいいものだとは思えなくなった。
 I tried to summon up the cool image of my deer, cropping at green morning grass, but even that seemed dusty and no good, no better than a stuffed trophy over the mantle in some guy's hunting lodge, the eyes sprayed to give them that phony lifelike shine.



 クリストファー・チェンパースもアンドリュー・デュフレーンも、トリシア・マクファーランドなら「血管に氷が流れている」と言いそうなクールガイだ。ローランド・デスチェインならガンスリンガーの資質があると言うかもしれない。そう言えばクリスはガンスリンガーの一人とファーストネームが一緒だな。
 とはいっても、この語る者と語られる者の二組は完全に鏡写しなわけではない。クリスは掃き溜めから不断の精神力で脱出した、という点ではアンディーは似ているが、レッドを思わせるところも少なからずある。クリスが落ちこぼれたくない、工場の影から逃れたいと泣きそうになりながら述懐するところは、自由人になろうともがき苦しむレッドの姿と重なる。そして当然ながら、レッドにはアンディーと、ゴーディにはクリスと共通する要素がある。
 この中編集に収められている作品は、キングが長編を書き上げたときの余力で書き上げたもので、最初は発表することを考えていなかったらしい。一切の気兼ねなく、好きなものを好きなように書いた結果、似たような要素や人間像が顔を出したのだと思う。
 ちなみに『リタ・ヘイワース』と『スタンド~』、それに『ゴールデンボーイ』は世界観がリンクしている。クリスをナイフで刺したのは、一週間前にショーシャンク刑務所から出てきたばかりの男だった。レッドは物語の始めのほうで、キャッスルロックの<コール>という新聞について言及している。そしてクルト・ドゥサンダーに投資の助言をした銀行家がアンディーである。『マンハッタンの奇譚クラブ』はどうだったかな、ちょっと思い出せない。そのうち読み返してみよう。


A name like that is just too pretty to forget.
「そんな美しい名前は忘れようたって、忘れられるもんじゃない」の原文である。私はこれをどこかのブログで読んで知っていたので、あにはからんや、このprettyという言葉が印象深いシーンでたびたび使われていることに気付いたのだった。こうして並べてみると、外の世界の自由を連想させるもの、アンディーの並みはずれた精神力を象徴するものに対して使われているのがわかる。

-50-
 おれは長いことそれを見つめた。二、三分はさわる勇気も出なかった。それほどきれいだったんだ。ブタ箱の中には泣きたくなるほどきれいなものがすくないが、情けないことに、たいていのやつはそのことに気がつきもしないらしい。
 I looked for a long time. For a few minute it was like I didn't even dare touch them, they were so pretty. There's a crying shortage of pretty things in the slam, and the real pity of it is that a lot of men don't even seem to miss them.


-78-
「自由。あの美しい女たちを見ていると、まるで自分が……もうすこしで……壁を抜けて、彼女たちのそばに立ってるような気がするんだ。自由の身になって。だから、ラクウェル・ウェルチがいちばん気に入ったんだと思うな。そのわけは彼女だけじゃない。彼女の立ってる浜辺がいいんだよ。あそこはメキシコかそのへんらしい。どこか静かで、自分の考えていることが聞こえてくるような場所だ。きみはポスターの写真を見て、そんな気分になったことはないか、レッド? まるでその中へ抜けていけそうな気分に?」
"Freedom. You look at those pretty women and you feel like you could almost ... not quite but almost ... step right through and be beside them. Be free. I guess that's why I always liked Raquel Welch the best. It wasn't just her; it was that beach she was standing on. Looked like she was down in Mexico somewhere. Someplace quiet, where a man would be able to hear himself think. Didn't you ever feel that way about a picture, Red? That you could almost step right through it?"


-112-
「これ、ほしいか?」そういって、ていねいに磨きあげた二個の小石のひとつをくれた。いまさっき話した“千年期のサンドイッチ”だ。
「うん、ほしいね。すごくきれいだ。ありがとう」
"You want this?" he asked, and handed me one of the two carefully polished "millennium sandwiches' I just told you about "I sure do," I said. "It's very pretty. Thank you."


-169-
 もちろん、あの町の名はおぼえてる。シワタネホ。そんな美しい名前は忘れようたって、忘れられるもんじゃない。
 Sure I remember the name. Zihuatanejo. A name like that is just too pretty to forget.


 女優のポスターについては既にアンディーが説明してくれているし、シワタネホがアンディーにとってもレッドにとっても自由の象徴だったことは言うまでもない。
 レッドが何度も語っているように、アンディーは天文学的な確率の不運で豚箱に放り込まれ、入所直後からシスターとちょっかいを出されていたにもかかわらず、世をすねた精神状態に陥らなかった。けっして卑屈にならず、鬼看守のハドリーを相手に交渉する姿や、胸を堂々と張って運動場を歩く姿は、見る人に外の世界を連想させた。レッドはアンディーと交流しているうちに、彼の言うところの自由人の気分を何度も感じている。

-32-
「運動場で日曜日の探検か?」おれは立ちあがってききかえした。ばかばかしい。だが……その小さい石英のかけらを見せられたことで、妙なぐあいに胸がキュンとした。なぜだかよくわからない。たぶん、外の世界を連想でもしたんじゃないかな。
"Sunday expeditions in the exercise yard?" I asked, standing up. It was a silly idea, and yet ... seeing that little piece of quartz had given my heart a funny tweak. I don't know exactly why; just an association with the outside world, I suppose.


-65-
 そのビールの休憩は二十分間つづき、その二十分間、おれたちは自由な人間の気分になれた。まるでビールを飲みながら、自分の家の屋根にタールを塗ってる気分だった。
 It lasted twenty minutes, that beer-break, and for those twenty minutes we felt like free man. We could have been drinking beer and tarring the roof of one of our own houses.


-122-
 やつはすたすた歩き出した。まるで、いましがた自由人に取引を持ちかけた自由人のようにだ。それからしばらくは、それだけでおれは自由な気分になれた。アンディーにはそんな芸当ができたんだ。やつはおれたちがどっちも終身刑の囚人で、わからずやの仮釈放委員会と、詩篇マニアの刑務所長のなすがままということを、ほんのしばらくでも忘れさせてくれた。
And he strolled off, as if he was a free man who had just made another free man a proposition. And for a while just that was enough to make me feel free. Andy could do that. He could make me forget for a time that we were both lifers, at the mercy of a hard-ass parole board and a psalm-singing warden who liked Andy
Dufresne right where he was.


 レッドはアンディーから石英の彫刻を貰ったときに、この見事な作品を仕上げるのにどれだけの根気と時間が使われたのかを考え、アンディーが考えうる限りの最悪の状況でも、精神性を失わず、自分の流儀を貫いていることを理解した。やつは生き地獄にあっても、外の世界の自由をいくらかでも取りもどしている。レッドは彫刻そのもの(中に混じった黄鉄鉱が金粉のように光っている、と書いてある)だけでなく、そこに透けてみえるアンディーの人間性、外の世界の空気をも美しいと思ったのだ。
 石そのものをアンディーの精神性の象徴と考えてみても面白いかもしれない。何千年、何万年という途方もなく長いあいだ圧力を受け続けることで出来上がる頑健な石。二十七年もの長いスパンでコンクリートの壁を掘り抜いた根気強いアンディー。
 キング先生の文体は良く言えば写実的で、悪く言えばごてごてしていて、簡潔をもって旨とする文学とはほど遠いのだろうが、こういった表現は文学的と言えなくもないんじゃあないだろうか。国語の教科書の問題になりそうじゃあないか。この作品で美しいという言葉はどんなものに対して使われているだろうか、みんなで話し合ってみよう。


I'm on the Sam Norton grain and drain train, boys.
 キング先生は作品中でブランドネームや固有名詞、人名を乱用し、翻訳者を泣かせることで有名だ。どれかの作品の訳者あとがきで読んだと思ったが、まさにこの『ゴールデンボーイ』で浅倉さんが言っていた。インターネットなどという便利なものが普及していなかった当時の苦労は想像するに難くない。『リタ・ヘイワース』はキングの中では少ない部類だと思うが、それでも出てくるわ出てくるわ。十代の女の子がおネツを上げるというプレスリー、レッドフォード、シナトラ。『失われた週末』の中で虫の幻覚に襲われるレイ・ミランド。ジミヘンやディランのポスター。レッドは調達屋である自分のことをワンマン・デパート、ニーマン・マーカスにたとえた。アンディーの監房を飾ったリタ・ヘイワースにマリリンモンロー、ラクエル・ウェルチ。緑色をしたマクドナルドのミルクシェイクのバレンタインに注文した囚人。アンディーは飛んできた野球のボールを、フランク・マルゾーンのように身軽にキャッチした。ロックハンマーをあたまに叩き込こまれたら聞けなくなる〈フィバー・マッギーとモリー〉のお笑い番組。ロック・アンド・ジェム・ショップにブロック税理事務所、エトセトラエトセトラ。
 今回読んでみて気が付いたのは、キングは固有名詞と同じくらい、ニックネームを使うのが大好きだということだ。なぜ今の今までキングが愛称の天才であることに気が付かなかったんだろうか。
 ショーシャンクの囚人たちは皮肉って、ノートンの水とパンだけしか与えない懲罰を断食療法(grain and drain)と、青空奉仕(Inside-Out)計画を出稼ぎ(road-ganging)と、危険な洗濯物仕上機(mangle)を肉刻み機(Mangler)と呼ぶ。ネイティブアメリカンの囚人は誰でも酋長(chief)と、美形の囚人を狙うレイプ魔はなぜかシスター(sister)と呼ばれる。唇がぶ厚く目が飛びだしているせいでマス(trout)とあだ名を付けられたティム・ヤングブラッド。錆びた金属片で学校の友達を去勢したダーラム・ボーイ(Durham Boy)。『ガンスモーク』の足の悪い助手から付けられたチェスター(Chester)。レッド(Red)はニンジンのような赤い髪からつけられたものだろうし、そうそう、アンディーその人も新聞にくそ平等殺人鬼(Even-Steven Killer)と書かれてたっけな。これだけ書いてもまだ見落としがあるかもしれない。
『グリーン・マイル』でも、看守たちが死刑用の電気椅子をオールド・スパーキーと、そこに辿りつくまでに歩く最後の通路をグリーン・マイルと呼んでいた。『IT』では子供たちが自分たちの遊び場を荒れ地と名づけていた。『アトランティスのこころ』のハーツでは、13点になるスペードのクイーンの通り名は性悪女(ビッチ)だった。
 この手のニックネームが人をほっこりさせてやまないのはなぜだろうか。一つは、およそ誰もがノスタルジーを感じるからだろう。あだ名に関する思い出がまるっきりないやつはいないはずだ。誰だって自分たちの溜まり場や、友だちと考えだした内輪の遊びや、学校のきらいな教師(『ゴールデンボーイ』のトッドはスニーカーを履いたガイダンス・カウンセラーをゴム靴エドと呼んでいた)にあだ名を付けたことがあるはずだ。こういうあだ名はそれだけで人をにやにやさせるものだし、作者(あるいは語り手)と読者の間に秘密を共有する共謀感が生まれ、より話に没入できるのだろう。もう一つは、物語の中で人間が思考し、文化や慣習が生まれているのがわかるからではないだろうか。作り話であることを一時でも忘れさせてくれる。キングのこういった細かいこだわりが、物語に息を吹き込み、リアリティを創っているのだと思う。キング版『指輪物語』である『暗黒の塔』を読むかぎりでは、キングにトールキンのような造語のセンスがあるとはお世辞にも言えないが*6、この愛称のセンスはトールキンのそれと同じくらいの値打ちがある。

*6<カ>と<カ・テット>だけは最高だ。誰が何と言おうと。造語というよりはキング流の概念だが。


A brand-new tablet
 スティーヴン・キングはメタフィクションの名手だった。『IT』『ミザリー』『グリーン・マイル』あたりはそれを取り入れた名作として誰も文句を言わないだろうが、個人的には『リタ・ヘイワース』も推したい。
 この作品の山場である、アンディーがこちらを向いて語りかけてくる瞬間については既に書いてしまった。かつてのキングが読者の視点で物を見られたからこそ、あのような演出が出来たのだと思う。
『リタ・ヘイワース』はあらすじだけ見れば、ある囚人がポスターの裏に穴を掘って脱獄した、というシンプル極まりないものだ。もしこの作品が現在進行形の三人称視点で書かれていたら、それなりに面白くはあるが随分と味気ないものになっていたと思う。この作品はレッドという狂言回しがいて、一人の血の通った人間である彼の、価値観や感情を通して物事を語ることで情感豊かになっている。そして、もう一段階、彼の残した手記を読んでいるという構造を作ることで、物語に大きな奥行きが生まれている。かてて加えて、クライマックスにレッドの旅のパートを用意し、彼をもう一人の主人公に昇格させることで、より一層厚みが加わったと思う。『IT』のマイク・ハンロンといい、キングはそれまで一歩引いたところで狂言回しをしていた語り手が、ふと舞台の中央に躍り出て主役をつとめる演出を贔屓にしているようだ。この記事の始めのほうでも書いたが、『リタ・ヘイワース』は最後の2節で完全に化けた。
 また、見過ごされがちだが、レッドの前景物語の最初にある

-159-
 ここでもう三、四ページ、新しい便箋を使って書きたすつもりだ。便箋は町で買ってきた――ポートランドのコングレス通りにある店へぶらっとはいって買った。
 Here I am adding another three or four pages, writing in a brand-new tablet. A tablet I bought in a store - I just walked into a store on Portland's Congress Street and bought it.


 という文章も、メタ的な演出として非常に優れていると思う。今自分が読んでいるのは、まさにレッドが書き上げた秘密の原稿なのだと実感させられる一文ではないか。158ページには黄ばんだ原稿用紙のしわくちゃな感触が、159ページにはおろしたての便箋のここちよい手触りが確かに感じられる。綺麗に製本された文庫本に、原稿用紙の束にサイズの合わない便箋がクリップで留められた、妙てけれんな代物がだぶって見えてくる。サイズの合わないうんぬん、クリップうんぬんは私の想像の産物なので、みなさんにはまた違ったものが見えるだろう。
 私はレッドの秘密の手記を拾いあげたのは誰なのかを考えるとき、マイク・ハンロンの著作などを纏めて『IT』を編纂したのが誰なのかを考えるとき(マイクだけでは“あれ”は完成しえない)、そしてキングの他の三人称視点小説で、何者かの視線を感じるとき、形容しがたい胸の高鳴りを感じる。実際に文章を書いて編集をしたのはキングだとわかっていても、実際に読んでいるのは印刷所で刷られた本だとわかっていてもだ。『IT』の表紙をめくって目次を見たとき、単なる小説ではない、もっと恐ろしい何かを手にしているんだという興奮を禁じえない。ハードカバーの単行本が、規格のばらばらなテキストを収めたぶ厚いスクラップブックに姿を変えるのだ。うまい言葉が出てこなくて歯痒いのだが、ナンバーワンのファンであるみなさんなら、あのふわふわした昂揚をわかってくれるだろうか。
 スティーヴン・キングはメタフィクションの名手だった、と思う。過去形なのは含みがあるからだ。私は上に挙げたような、読み手をさらに深い読書体験へと導いてくれるメタ構造だったら諸手を上げて歓迎していた。個人的にはどっちらけの一言に尽きる例のあれは、メタフィクションというよりかは、劇中に作者がしゃしゃりでてきて、自虐ネタを語りだしたり、キャラクターと「この野郎、もっと俺に出番をよこせ!」「うるさい、この不人気が!」と喧嘩しだしたりする、中学生の痛々しい黒歴史漫画に近いものを感じた。風間賢二さんや藤田直哉さんの優れた解説を読んだ今でもこの印象はぬぐえない。


Twenty new fifty-dollar bills
 私が『リタ・ヘイワース』の原書にチャレンジしようと思った動機の一つに、レッドがアンディーの手紙に同封されていたお札を手に取った時の「手の切れるような五十ドル札」という描写が、なぜだかわからないが印象に残っていて、原文だとどうなっているのか知りたかったことがあった。心に残っていたのは、たぶん、読み手の五感に訴えかけてくる巧みな表現だからだろう。しかし、私の予想に反して原文の該当箇所には

 I opened the envelope and read the letter and then I put my head in my arms and cried. With the letter there were twenty new fifty-dollar bills.


 このようにnew fifty-dollar billsとしかなかったのだ。てっきりcuttingとかsharpとかいう単語があるものかと思っていた。“手が切れそうな”は刷りたての新札を表す表現としてさほど珍しくないが、newという一単語の訳としてはかなり熱が入っているように思う。いったいこの表現はどこからやってきたのだろうか。
 これは私の想像でしかないんだけれど、訳者の浅倉さんにレッドの感覚が伝わったんじゃあないかな。レッドがこの手につかんだアンディーの手紙と50ドル札の感触が、生々しく感じられたんじゃないだろうか。テキストに書かれている以上の情景が、浅倉さんの頭の中に再現されたんじゃあないだろうか。そんなとっぴな想像が信じられるほど、レッドが石を見付けてからの流れは真に迫っている。キングの筆は乗りに乗っている。
 ここの疑問が解けた……というより勝手に解釈して勝手に納得しただけだが、それだけでもふうふう言いながら原著を読みきった甲斐があった。


 学生生活の最後に、キング関連の大きな記事をものすことができてよかった。引用の範囲を越えるほど引っ張ってしまったが、その分気合いを入れて書いたつもりなのでお目こぼしただきたい。これを読んだ人がキングの魅力を確認する一助にでもなればと思う。
 恐ろしく疲れたので、次回のまともな更新は十日か二週間後くらいを予定。『リタ・ヘイワース』の映画化である、涙、涙の感動作として誉れ高い『ショーシャンクの空に』について。原作厨の視点でずけずけ突っこもうと思っている。あ、そのまえに『恐怖の四季』というタイトルについて書こうかな。

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)
(1988/03)
スティーヴン キングStephen King商品詳細を見る

スタンド・バイ・ミ――恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)スタンド・バイ・ミ――恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)
(1987/03/25)
スティーヴン・キングStephen King
商品詳細を見る

Different SeasonsDifferent Seasons
(2007/11/01)
Stephen King商品詳細を見る
関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加はてなブックマークでコメント

この記事のトラックバックURL

http://toppoi.blog54.fc2.com/tb.php/606-0aebcb67

キング好きのお二人の素晴らしい労作
最近めっきりキングネタを書かない私ですが、(中略)最近素晴らしいエントリーを上げられたお二人を紹介します。 刑務所のリタ・ヘイワース 感想・レビュー スティーヴン・キング 藤田直哉氏の「消失点、暗黒の塔――『暗黒の塔』5部、6部、7部を検討する」で、

コメントする

※規約
管理者にだけ表示を許可する

コメント

すばらしい。
はじめまして。キング堂さんに教わって来ました。ちょうど長時間の電車移動の予定があったので、プリントアウトしてじっくり拝読致しました。
わたくしの知見の範囲では、これほど体系的にキングの語り口の素晴らしさを解説してくれた文章はなかったかに思います。本当にありがとうございます。素晴らしいです。

これほどの妙技を誇るキングが、なぜあんなに馬鹿なことをしなければならなかったのか、ますます興味がわいてきました。

いや~、力の入った素晴らしい記事ですね。拙ブログでも簡単にではありますが紹介させていただきました。
入社準備などでいろいろお忙しいでしょうが、『ショーシャンクの空に』の記事も楽しみにしています。私はあの映画は・・・・

Template Designed by DW99