2012年11月10日

オクターヴ 秋山はる レビュー・感想 すっぱい葡萄の味は

 『オクターヴ』は、超弩級のおばかである元売れないアイドルでOLの雪乃と、メガトン級のおばかである売れない作曲家の節子が、ありとあらゆるものに蹴躓き、互いに傷つけあいながら他者を認識し、どうにかこうにか人並みの自我を確立するまでを描いたブンガク作品である。

 雪乃のおばかさについてはあえて説明するまでもないかもしれない。おそらくこの漫画を読んだ人のほとんどが、物語序盤の雪乃に対して痛々しい子だという印象を持っただろう。そうでない人は筋金入りの聖人君子か、でなければ我が身と周りの人のことを振り返ってみたほうがいい人だ。

ちっちゃい頃から テレビっ子だった

いつからか “あっち側”に行きたくて
アイドルになりたい
――――って 思うようになった

コソコソとなり町まで買いに行った
オーディション雑誌

私がMステとかに出たら
みんなビックリするだろうなぁ

(第1話「わたしのゆめ」)


 物語の始まりを告げるのがこの情けないモノローグというのが何とも象徴的だ。私は作者の「これからこんな感じにおめでたい脳みその、承認欲求に飢えたスイーツちゃんの物語を書いていくぞ!」という所信表明だと捉えた。この作品に対して「主人公があまりにもウザすぎた」「いくらなんでも頭が悪すぎて付いていけなかった」と言う人は、最初の3ページで不穏な空気を察するべきだった。
 だが、雪乃がおばかであることは否定しようとも思わない。この人のおばかなところをあげれば枚挙に暇がない。まず、学生時代にアイドルの過去絡みでさんざ不快な思いをさせられた経験があるとはいえ、男性全般に理不尽に近い嫌悪感を抱いている。そのくせ性に関する欲求はムッツリスケベレベルで強く(あんたちんこちんこちんこうるさいねん!)、自分をミジメな現実から救い出してくれる白馬の王子様を心のどこかで求めている。序盤で延々と繰り返されるミサンドリー吐露と、それとセットで描写される欲情ならびに承認欲求のもてあましに、すっぱい葡萄と狐の話を思い浮かべたのは私だけではないだろう。精神学的には「合理化」と言うらしい。

(この人……
 自分じゃ気付いてないんだろうなぁ)

目が泳いで
さっきから 胸元ばっかり見てる
 
男って……なんであーなんだろう

(第1話「わたしのゆめ」)


……あ また
ヤダな……
顔を通り越していろいろ

「あ 名前――
 なんて言うんスか?」

品定めしている目――――

(第5話「シーズン」)


(※弟の和也と会話した後)
何よ……気付いてんだからね
“全然興味ありません”みたいな顔してさ

節子さんのこと 上から下まで
チラチラ見まくってたくせに

これだから男って――

(第9話「空」)


 「あれあれっ!? 電車の中で見ず知らずのおっさんのちんこを品定めしている不審な女がどっかにいませんでした!?」「てめえ今すぐ『投影』でググってこいや!」と思ったあなたは間違っていないと思う。最後の心の声は要するに「どうして私のことは見てくれないのよ!?」だと思うが、あんた弟にまで理不尽な要求をするなよ……。

ったくも――
口紅一本も買えないってのに

ほんと……
お金持ちでカッコイイ彼氏が欲しいよ……

(第1話「わたしのゆめ」)


 この発言、「男って……なんであーなんだろう」からたったの12ページ後である。第1話だけでこの飛ばしっぷりにはへっぽこ百合作品で耐性を付けてきた私も思わず苦笑い。
 同じく1巻のこのくだりもなかなかにひどかった。雪乃が元アイドル仲間の二人と集まって飲んでいたところ、AV女優に転身していた一人の話からエロトークにシフトして、自分を置いてけぼりにして盛り上がりはじめる。そこで「雪乃はどうなのよ。彼氏とか。もしかしてあんたまだ処女だったり」と小馬鹿にするように振られて言い返すのがこんな内容だ。

――最近 知り合った
4つ上の人…… すごいんだ

すごいじらされて…… たまんないの
気が付けば私――何回も

何回もイカされちゃって……

(第5話「シーズン」)


 うぐぐぐ……。青い、あまりの青臭さに悶絶しそうだ。続いて節子のメールを見て飲み会を抜け出し、彼女と抱き合いながら心の中でこんなつぶやき。

『ブスの自己防衛の一種でしょ?』

――奈緒ちゃん かわいそう
心がカッサカサ

こんなにキレイで
いいニオイがして すてきな女の人
きっと 見たこともないんだ(略)

――節子さんが いてくれるなら
私――いらない
ミカちゃんなんていらない
友達なんていらない
男なんて――

(第5話「シーズン」)


 うぎゃあああああああああ! 背筋がむずむずっとしてくる! なんだこりゃ、へっぽこ百合作品のテンプレ表現そのまんまじゃあないか!(ちなみにこの記事を書いたのは『オクターブ』の連載より前である) 中身がすっからかんでアッパラパーにもほどがある。意識しているかどうかはわからないが、この時点での雪乃にとっての節子は男に対するルサンチマンの解消手段であり、男の代替物としての側面が非常に強いのがわかる。そうでなければいちいち引き合いに出して悦に入ったり、他者を見下して精神的優位を保とうとしたりしない。どうかすると「奈緒ちゃんたちみたいな平凡な恋愛をしていない私かっこいい!」と思ってすらいそうだ。

キレイで強い――――
大好きな大好きな 節子さん

私は…… 節子さんには
絶対に――なれない

(第14話「体温」)


「――どうせ今
 『節子さんでも嫉妬するんだ』
 ――って思ってるんでしょ」
「……だって そんなの――
 私のほうだけがするものだと思ってたから…………

 いつも……とめられないんです
 ドロドロの気持ち……
 どんどん……増殖していって――」

「私だって……ドロドロもするよ
 あんたは……私は買いかぶりすぎている」

「……節子さんは……ステキな人です……
 私なんかと違って 広い自分の世界を持っていて……
 節子さんとふたりでいると――
 視界がパ――っと明るくなって
 私もなんでもできるような気がして――
 
 でも――――たぶん私――
 なんにもわかってない…………」

(第15話「あやまち」)


 「おいィ!? 自分が到底なれないと思っているものを他人に求めるってのはどういう了見なんだ!?」と思ったあなたの怒りは正しいと思う。つまるところ、雪乃にとっての節子は満たされない変身願望を肩代わりしてくれる存在でしかなかったのだ。一人の独立した人間としてではなく、あくまで自分の延長線、自分のステータスとしか捉えていない。行きすぎた同一視と摂取のせいで自分と相手の境界すら不確かになっている。しおり大先生の言葉を借りれば「心も体も密着しすぎて 彼女のこと別の人間と思えなくなっちゃった」(第28話「欲望」)のである。今のみじめで悲惨な仮の“自分”とは違う、キレイで強くて完ぺきな“自分”の理想像は後ろ暗い感情なんか持つわけがない。そう無邪気に信じて疑わなかったことによる情けないディスコミニケーションである。

 次はもう一人の主人公である節子について語っていきたい。みなさんは『オクターヴ』を読んで、雪乃と節子のどちらがよりおばかだと思っただろうか? 私は甲乙付けがたかったし、いくつかの点では節子のほうが勝っていると思った。

「ねぇ――人が何を望んでいるのか
 一所懸命想像して 応えようとして
 
 もしそれがとんでもない見当違いだったら――
 その時こそどうするの?」
「フツ――
 そんなまわりくどいこと
 考えね――よ
 
 おまえ――結局 他人に興味がないんだよ」
(第13話「朝」)


 これは啓の節子評だが、他人に興味が無いというのはどうだろうか。むしろこの人は人一倍興味津々で依存体質じゃあないだろうか。この人が雪乃と決定的に違うのは、ある程度自己肯定が出来ていることと、そして何より(無意識なのか過去の経験からなのかはわからないが)思い通りにならない他者の攻撃性を知っていることだ。だから他人に深入りして動揺させられたり傷つけられたりするのを恐れている。であるからして、後戻りできない空気を察すると身を守るために針をつき立てて威嚇するし、いざずぶずぶになったらなったで今度は距離を取り誤って相手(雪乃)の針にぐさぐさぶっ刺さりに行く、めんどくさいハリネズミさんだと思う。

「ね お願いだから悪く取らないで――
 私は雪乃を縛りたくないの

 雪乃もさ――
 男とセックスしてきていいよ?」

(第6話「なみだ」)


「私がその人のこと好きになっちゃったら
 どうするんですか?」
「そしたら
 …………
 すごい悲しいけど…………」

(第6話「なみだ」)


 何が「すごい悲しいけど……」だよてめーコノヤロ! じっさい雪乃が混乱して行きずりの男とセックスして帰ってきたら、けど……で流せなくてガチ泣きしてるじゃねぇか! 結局、節子の発言は雪乃のことを思いやっているようで、深入りして傷つかないよう自己防衛するためのものでしかなかったわけだ。自分の発言で相手がどう感じるか、どう傷つくかなんて知ったこっちゃなかったわけである。まさに自分かわいさという言葉がふさわしい。

「雪乃はかわいいから――
 女の子だから――

 いつか当たり前に気になる男の子ができて――
 セックスして――

 そっちを選ぶなら しようがないじゃん
 悲しいけど しかたないって――

 でも――そのうえで私を……
 私を選んでほしいって そう思って…………(略)

 ――私が 悪いって言うの?
 私の……せい?」

(第15話「あやまち」)


 節子にもすっぱい葡萄の話が当てはまると思う。この人は今まで、恋愛の深みにはまって感情を揺さぶられたくないから、不安に駆られると無意識のうちに相手を遠ざけるような発言をして、彼女は“フツウの子”だから自分から離れていくのも“仕方ない”ことなのだ、と自分に無理矢理思い込ませてきたのだと思う。飲み屋での最初の様子を見ると、雪乃が普通の交際(浮気を普通の交際と定義するかはさておき)を経て彼氏を作り、別れ話を持ち出してきていたら“しかたない”で自分を騙しつつ身を引いていたのではないだろうか。ところが雪乃は自分の発言を四角四面に受け取って実践し、その男とは二度と会う気はない、ごめんなさい、別れたくないなどと言い出すわけだ。節子は目を反らしてきたであろう「その上で私を選んでほしい」という本心を意識し、それが歪んだ形で叶ったからこそのあの混乱っぷりである。

「雪乃に――
 『一緒に暮らそう』って言ったら
 『考えてみます』って言われた
 
 『何を?』って訊いたら
 『真利さん帰ってくるかも』だって」(略)

 『何を?』って訊いてんのに
 答えになってないでしょ?
 ふたりのこれからの話をしてんのに
 なんで突然関係無い男の名前が出てくんの?
 
 ――私と暮らすより
 真利が帰ってきたほうがうれしいってこと?」
 
(第29話「痛み」)


 なんともはや。もしニコニコ動画でこの漫画を読んでいたら「shita big red」で「!?」とでもコメントしたくなるところだ。ぬわんじゃああこの理不尽な嫉妬はぁぁぁぁぁ! ほとんど子どもの屁理屈みたいなもんじゃあないか! 執着の対象に対する精神的な幼さにかけては、さしもの雪乃も節子に後塵を拝するだろう。やはり物語序盤にける節子の冷たい態度は、相手に入れ込んだ自分が駄目人間になることを意識していたからではないだろうか。

「コロコロは雪乃のほうじゃん
 昼からどうして考えを変えたの?」
「――――
 変えたなんて――だって
 大事なことだから 少し時間を――」
「私はっ 『わ――い』って言ってくれると
 思ってた!
 
 あんたに振り回されたくないの!」

(第26話「鏡」)


 うん、そうだよね、相手を縛ったり振り回したりしたくないなんてのは言い訳に過ぎなくて、“自分が”縛られたくないし振り回されたくなかったんだよね。
 
 こうして振り返ってみると、防衛機制の見本市みたいなひどいコンビである。私は基本的に、意志薄弱でめそめそしていておばあちゃんの運転のごとくふらふらする、一言で言えば駄目人間が主人公の作品はあまり好きではない。好きな百合作品を適当に挙げてみても、『アカイイト』の桂ちゃんは戦闘要員ではないだけで芯の強さと頑固さは折り紙つきだし、『ゆるゆり』も基本的に善人ばかりだし、『咲-Saki-』も咲さんはさておき、一ちゃんもモモも池田も怜も確たる意志の強さがある。『オクターヴ』の二人は今挙げた連中に比べたら未熟で身勝手極まりない。善人か悪人かの二択なら間違いなく悪人に仕分けされるだろう。それでもこの作品をそこまで嫌いになれないのは、そこにニンゲンがいるからだろう。二人は矮小で高潔にはほど遠く、ヒトとの距離間を取り誤って失敗ばかりしているが、だからこそ傷つきながら自分なりの答えを探して成長していく姿が強く胸を打つ。つまりは雪乃の「ダメなわけないじゃん、だって節子さんがけっこうカッコ悪いのなんてとっくに知ってるもん」(第35話「こころ」)があり、節子の「雪乃が生きやすいようにすればいいと思う そしたら私も笑ってられるから」(最終話「ひだまり」)があるからだ。
 この作品における女同士の恋愛に関するスタンスについてひとことふたこと。周囲の人間(というか、鴨田)のド直球な同性愛嫌悪や、両性愛者の節子ですら少なからず抱えるそれには胃がきりきり痛くなった。しかし『オクターヴ』が完全にヘテロノーマティブな漫画かといえば断じてそんなことはない。雪乃はモテ期が到来したのか、大沢くん(男性)やしおり(女性)から立て続けに告白されるが、最終的には自分の意志で節子を選ぶ。告白されるたびにふらふら動揺するのが雪乃クオリティーだが。それも「女同士でも関係ない!」だの「性別なんて関係ない!」だの「愛が本物なら関係ない!」だのと自分らに酔った啖呵を切るのではなく、静かに「女性であることも含めてあの人が好きだ」と宣言しているのがよかった。それに終わってみれば「自分自身が抱えるホモフォビアは自分のためにもパートナーのためにもならない」というスタンスの作品だったと思う。そうそう、最終話での雪乃の母親に会いに行くくだりもよかった。ゆったりとしていながら地に足を着けた二人の姿は、他人事ながら救われた気分になった。

 さて、『オクターヴ』を語る上でセックスの話題は避けて通れない。まず、掲載誌であるアフターヌーンが青年漫画誌とはいえ、同性間の性行為をタブー視することなく粛々と描写しつづけたことはそれだけで評価したい。思えば、恋愛における到達点の象徴として厳かに性行為が執り行われる百合作品はいくつかあれど、あくまで日々の営みの一部として、特に特別視をせず物語の始まりから終わりまで淡々と描きつづけた漫画はあまり見たことがない。また一口にセックスと言っても、酔った勢いでの刹那的なもの、言いしれぬ不安を紛らすために身体を重ねる切ないもの、心の通じ合いを確かめるゆったりとしたものと、バリエーション豊かに描き分けができているのも素晴らしい。そして、セックス中の細かい描写で雪乃たちの心情や関係性の変化を表現しているのがとても面白かった。やったやらない、一線を越えた越えないでぎゃーすか騒ぐのではなく、あくまで「人間だもの、付き合ってりゃあやるよ」というスタンスで、むしろその内容の変化で語っていく漫画はありそうで意外になかった。
 なお、セックスの内容やロールプレイとパーソナリティや関係性が必ずしもイコールでないことは一応断っておく。あくまでこの作品において何を比喩しているかの話だ。

「ね ガマンして電話しちゃいな
 そしたらごほうびたくさんしてあげるから」
「……真利さん 上がってきたりしないんですか?
 さっき下に――」
「さあ 来るかもね――」
「え」

「ねぇ」
「あっ」
「私は――
 宮下さんが好きだよ」

むかし――
強いライトを初めて浴びた時みたいに
一瞬――視界が 白くとんで

「好きっ 私も好きっ
 岩井さんが好きっ――」

あたまの奥で
なにか はじけた

(第4話 せなか)


 酔わされて前後不覚だった初回を除けば、二人が向かい合って行った初のセックスである。雪乃の自分大好きっぷり(後に自分で語っているように、自己憐憫は自己陶酔の裏返しだ)と承認願望の強さはアイドル志望の過去や痛々しいモノローグからにじみ出ていたが、それを決定づけるのがこのくだりだろう。雪乃は節子にペッティングされながら、面と向かって「好きだよ」と言われた瞬間、アイドル時代における栄光の瞬間を思い出してエクスタシーを感じている。おそらく初舞台でライトを浴びた雪乃はヌレヌレの絶頂寸前だったのではないだろうか。身も蓋もない言い方をすれば、雪乃がこの時口にした「好き」は「(私を好きだと言ってくれる)岩井さんが好きっ――」であり「(私を見てくれる)岩井さんが好きっ――」であり「(私を気持ちよくしてくれる)岩井さんが好きっ――」なのだ。そして節子が何を思って「好き」と言ったのかといえば、雪乃の風呂場での様子や男を悪し様に罵るさまから承認と接触に飢えているのを見抜き、コイツちいとばかし好意を見せりゃあ簡単に落ちそうだと思ってのことだろう。節子は相手のデリケートな部分をずけずけと指摘することは得意だ。このシーンにおける「好きだよ」「好きっ」のやりとりは空疎極まりない。
 しかし、序盤の節子はレズものポルノ小説のような台詞を吐くな。いくらかキャラを作っているんじゃないかと思う。

――――私
今――どうにかしちゃってるのかな……

わかんないけど とにかく
あの人に触りたい 触られたい……

(第5話「シーズン」)


あの時の節子さん…………
すごくかわいかったなぁ……

砂浜に押し倒して
おっぱいに顔埋めたくなっちゃった

(第5話「シーズン」)


 付き合い始めにおける雪乃の性的欲求は、ことさら自分本位の部分が強調されている。雪乃はとにかく“自分が”あの人に触って心地よい感触を味わいたいのであり、“自分が”触られて気持ちよくなりたいのであり、“自分が”押し倒して征服しておっぱいの感触を味わいたいのだ。相手にこうしてあげたい、相手に気持ちよくなってほしいというのは二の次三の次なのである。おぼえたてなもので節子の身体にどハマリして視野狭窄になっているから仕方ない、と言われればそれまでだが。

「ん……あっ あぁっ」
「節子さん こっち向いて」

(第18話「足並み」)


 15話での決定的な衝突を経てお互いに弱さをさらけ出し、また何度も回数を重ねることで、二人のセックスの様子にも変化が現れている。相手の表情を気にする雪乃は、自分の欲求を満たすだけでなく、節子がちゃんと感じてくれているか気にしながら行為に及んでいる。何とも言えずいじらしい。もちろん相手の恥ずかしい表情を見たいのもあってのことだと思うが。

「――なんか
 ものすごく久しぶりに会ったみたい」
「……私に会えなくて
 さみしくてオナニーしました?」
「うん、した」
「節子さん 自分でするみたいに 私にしてください」
「いつもしてるよ」
「いつも以上に」

「雪乃――好き 愛してる」

(第21話「ささやき」)


 何のことはない言葉責めだが、節子のことを過度に神聖視していて、オナニーに自己嫌悪を覚えていた雪乃が、相手も自分と同じように生理欲求に従って慰めることもあるのを受け入れて、プレイの一環として楽しめるくらいの余裕を得ているのがわかる。節子のことをキレイな偶像や満たされない変身願望を肩代わりしてくれる存在としてではなく、血の通った一人のニンゲンとして認識しはじめている。本当に何気ない描写だが、雪乃のささやかな成長を表していると思う。
 ご奉仕してるのは節子だが、その切羽詰まったような表情が何とも言えず官能的だ。どこの吸血鬼カーミラさんだという雰囲気を作っていた序盤よりずっといい顔をしている。
 それと、こういった考察を抜きにしても、あまり摂生していなさそうな、むちむちした女体と女体が絡んでいるのは絵面としてえろかった。作者のだらしない身体とやぼったい乳首へのこだわりは見上げたものだと思う。
 
 セックス以外の描写についても私の解釈をだらだらと書いていく。

「私のこと好きって――そう言うけど
 私のこと 何も知らないでしょ?
 おととい会ったばっかだもん」
「おとといじゃ……ダメですか?
 だって――もう好きになっちゃったんです」
「宮下さんだって――
 そういうこと あるんじゃないですか?」

第22話「距離」


 しおりは言うなれば、雪乃と出会うことがなかった節子だ。恋の深みにはまって自己防衛のために引いていた線を踏み出し、コミュニケーションに躓くこともなかった節子である。思えば挨拶がわりに好意を伝えて感情を揺さぶろうとする手は節子も使っていた。しおりも雪乃が承認欲求の固まりのような女であることを見抜いていたわけだ。しかし、ここで雪乃の脳裏によぎるのが第4話における節子の「私は――宮下さんが好きだよ」である。つまり、雪乃はしおりの口にする「好き」にはあまり情感はなく、心と体を許させるための方便であることを見抜いているのだ。当時のあっさりその気になり、あっという間に自分も相手も見失った未熟さを自覚しているあたり、少しずつ自己形成が出来ているのがわかる。もっともその後のあれやこれやでぐらぐら揺れてしまうのが雪乃らしいが。
 
 最終話についても解説しておこう。二人は雪乃の母親に会いに行く前に温泉宿に立ち寄っているが、これは情緒不安定だった節子が固執していた海外旅行の計画と、第十九話で節子が語っていた「作曲の印税で儲けたら銭湯ばりのどデカいお風呂を作りたい」という冗談交じりの夢を受けてのものだろう。長期の海外旅行や劇的ビフォアーアフターに比べたら、温泉旅行はこぢんまりとしたスケールである。これは夢に手が届くかどうかはわからないけれど、今はあせらず二人で手に届く範囲のものを共有していこうという「共に歩いて行く」二人の意志を象徴しているのだと思う。
 また、この短い中に「なんかあったかくて眠くなってきちゃった」という睡眠欲、「あ 鍋 そろそろ煮えたんじゃない?」という食欲、「温泉の味がする」という性欲と、人間の三大欲求がさりげなく描かれているのに注目されたし。小旅行の話なのに生活感がにじみ出ていて素晴らしいし、「人間は悲しいくらいにドウブツである」というのはこの作品を貫くテーマでもある。
 早めの生理が始まって苦しむ節子を雪乃が介抱するのは、節子は一人さびしく生理痛に苦しみ、雪乃は押さえきれない欲情と嫉妬を抱えて一人混乱していた12話のリテイクである。あの夜の出来事が二人のすれ違いを決定的なものにしたわけだが、ああして胸の裡をさらけ出してみっともなくぶつけ合ったからこそ、今日という日は歩調を合わせて一緒にいられるのだ、という演出なのではないだろうか。その後に雪乃が節子の布団に入り込んでキスしているのは、手を繋いだだけだった(上にその後節子を疑うような行為に出た)15話より一歩踏み込んだ関係に進んでいることの比喩だと考えても面白いかもしれない。
 また、雪乃の母親は二人の関係を頭ごなしに否定はしていないらしい。雪乃が不安に駆られるたびに脳内にリピートされていた「お母さん あんたのごど信頼してっから」(第29話「痛み」)が彼女を追い詰める言葉ではなかったことがわかって他人事ながらほっとした。雪乃母のスタンスは鴨田の「宮はそういう子じゃないべ」(第9話「空」)や「私は宮のためを思って――」(第20話「現在地」)と対称をなしている。世の中には悲しいことに「(私が思う)あなたと違う」「(私はこんなにも)あなたのためを思って(いるのに!)」という自分論を振りかざして一顧だにしない人間もいるけれど、決してそんな人たちばかりじゃないよ、自分と違うものを受け入れようとしてくれる人もいるよ、ということなのだろう。
 最後に、座りが悪くなるにもかかわらず、最終回にあえて雪乃の転職の一件を盛り込んだのは、二人の人生は何もかも順風満帆とはいかないし、ひょっとするとまた一波乱あるかもしれないことを匂わせているのだろう。しかし、また衝突があったとしても、今の二人なら揺れ幅をずっと小さく押さえられるだろうし、ズレを修正して足並みを揃えていけると私は思っている。
 こうして最終話だけ振り返っても、作者が作品を大事にしているのがよくわかる。

 さて、あまり褒めてばかりでもしょうがないので、この作品のあまり好きじゃあない点についても語っておきたい。まず、いくつか露悪が過ぎるところが目に付いてしまった。後述するしおりの糾弾はその尤もたるものだし、雪乃の行きずりの男との一件を何度もほじくり返すのもどうかと思った。行きずりはしょせん行きずりでしかないし、男だちんこだでそんなに変わるものなのだろうか。あれは雪乃の極度なミサンドリーの裏返しであるとか、罪の意識を表しているという考え方もあるが、どちらかというと『マブラヴ オルタネイティヴ』のまりもちゃんぱっくんちょのPTSDに近いものを感じた。次に、私はしおりというキャラがあまり好きになれなかった。この人の存在はいささかご都合主義的というかメアリー・スー的だと思う。確かにこの人の雪乃を糾弾する台詞は当を得ているが、いちいち説明的で面白味に欠ける。今まで書いてきたとおり、あえて描かずともモノローグやセックス中の些細な描写で充分伝わってくるレベルの内容を、ことさら露悪的にくどくど説明してくるのは少し興ざめだった。作品のブンガク性を不必要に落としていてもったいないと思う。しおりはひょっとすると、作者が読者の「二人(特に雪乃)が何を考えていたのがよくわからない」という声を受けて登場させた説明役だったのではないだろうか。先述したとおり、この人は「もう一人の節子」のような存在であり、この人がいるからかつての節子と雪乃が空虚に言葉を交わしていたのがわかる。だから存在を全否定するつもりはないが、あの噛んで含めるような説明口調はもうちょっとどうにかならなかっただろうか。
 最後に、私は鴨田の野郎が死ぬほど嫌いだ。しおりとは違って単純に嫌いだ。この腐れ外道がいないと『オクターヴ』と言う物語が成立しないのは理性ではわかっているが、それでも反吐が出るほど嫌いだ。作者が憎まれ役としてコイツを用意したならこれ以上ないほど成功しているよ。

 『オクターヴ』のほぼ全編に流れる沈痛でめそめそした空気、露悪性、少しヘテロノーマティブなところ(最終話の後半がなかったらちと苦しかった)はあまり好きじゃあない。それでも、単なるホモフォビアからの脱却に終始せず、取り入れたはずだった他者からの断絶と自我の構築という普遍的なもの描いている点、ブンガク性やだらしない女体へのこだわりなどは評価したい。そして苦しみ抜いた末に自我を勝ち取り、自分も相手も尊重することができた元おばかの二人にはささやかな拍手を送りたい。

オクターヴ 1 (アフタヌーンKC)
秋山 はる
4063145182
オクターヴ(6) <完> (アフタヌーンKC)
秋山 はる
4063107272
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> 読んでてハラハラしたわー
> こういう、ちゃんと生活感のあるリアルな恋愛描写に徹した百合漫画って少ないから本当によかったこれは 感動した
 そうですね、私も閉鎖的で刹那的な学生の恋愛話だけじゃなく、どろくさい社会人の話ももっと増えればいいのにと思っとります。

> 序盤からずっと出てきた地元のメガネ女のホモフォビアもめちゃくちゃリアルだったな
> 最終的に行き着いたところが「もう二度と会いたくない」っていうモノローグなところも併せてリアルすぎて胸にズキズキ来るほど重たいエピソードだった。
> 久しぶりにガツンと来る面白い漫画で素晴らしかった。
> 次回作に期待
 あそこは私も読んでいて色々胃に来たり目に来たりで大変でした。あそこで大人の対応をしつつも最後にきっぱりと心の中でああ言えたのも雪乃の成長でしょうね。同じく次回作に期待です。

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読んでてハラハラしたわー
こういう、ちゃんと生活感のあるリアルな恋愛描写に徹した百合漫画って少ないから本当によかったこれは 感動した
序盤からずっと出てきた地元のメガネ女のホモフォビアもめちゃくちゃリアルだったな
最終的に行き着いたところが「もう二度と会いたくない」っていうモノローグなところも併せてリアルすぎて胸にズキズキ来るほど重たいエピソードだった。
久しぶりにガツンと来る面白い漫画で素晴らしかった。
次回作に期待

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