2013年07月03日

スティーヴン・キングの「筆力」とは

ひつ‐りょく 【筆力】

筆の勢い。筆勢。また、文章を表現する力。

筆力 とは - コトバンク


 最近はもっぱら『咲-Saki-』関連記事ばかり更新していたので(記事が伸びるのが楽しくてなぁ……)、ものっそい久しぶりにスティーヴン・キングについて書いてみようと思う。私はKey・麻枝准作品や『咲-Saki-』と同じくらいキングの作品が好きなので、どうにかうちのビューワーにステマをして競技人口を増やそうと思っているのだが、なかなかうまくいかない。さて、今回のテーマはキングの「筆力」についてだ。ちまたではよく「キングの筆力は凄まじい」「キングの筆力はずば抜けている」「ジャンルや洋の東西を問わずキングフォロワーはいくらでもいるが、あの筆力には到底追いついていない」というような言葉を耳にする。筆力……筆の勢い、筆勢ねぇ。私はというと、以下に挙げるような文章にキングの化け物じみたパワーを感じるのだが、他のナンバーワンのファンの方々はどうなのだろうか。

 前にもおれがいったとおりで、アンディーは見えないコートのように自由をはおっていたし、囚人的な精神状態におちいらなかった。やつの目は、けっしてあんなどんよりした目つきにならなかった。一日がおわって、みんながまた果てしない夜を迎えにめいめいの監房へもどるときも、けっしてあんな歩き方――あの猫背を引きずるような足どり――にならなかった。アンディーは胸を張り、足どりはいつも軽やかで、うまい手作りの夕食と、愛妻の待っている家へ帰るようだった。味も素っ気もないびしょびしょに煮くずれた野菜と、ごろんとしたマッシュポテトと、たいていの囚人が謎の肉という、あの脂っぽくすじの多い一切れか二切れの肉のかけらのところへ……そして、壁に貼ったラクエル・ウェルチのポスターのところへ帰るようには見えなかった。
It goes back to what I said about Andy wearing his freedom like an invisible coat, about how he never really developed a prison mentality. His eyes never got that dull look. He never developed the walk that men get when the day is over and they are going back to their cells for another endless night - that flat-footed, hump-shouldered walk. Andy walked with his shoulders squared and his step was always light, as if he was heading home to a good home-cooked meal and a good woman instead of to a tasteless mess of soggy vegetables, lumpy mashed potato, and a slice or two of that fatty, gristly stuff most of the cons called mystery meat ... that, and a picture of Raquel Welch on the wall.

(『刑務所のリタ・ヘイワース(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』)


 それがようやく私を得心させた。この子は死んでいる。病気でもなく、眠っているのでもない。この子はもう二度と、朝起きることもないし、リンゴを食べすぎて腹をくだすこともないし、毒ヅタをつかむこともなしし、むずかしい数学のテストの時間に、タイコンデローガ・ナンバー2の先端についた消しゴムを、すり減らすこともない。この子は死んでいるのだ。死んでしまったのだ。この子は友達と泉の水をびんに詰めに行くこともできないし、ズックの袋を肩に、溶けだした雪から顔をのぞかせた、返却代がもらえる空きびんを回収に行くこともできない。今年の十一月一日の午前二時に目をさまして、バスルームに駆け込み、ハロウィーンの安っぽいキャンディを大量に吐くこともできない。教室で女の子の三つ編みを引っ張ることもできない。誰かの鼻を殴って血まみれにしたり、または、血まみれにされたりすることもできない。この子は、なにひとつ、できないし、しないし、しようともしないし、なにもせずにいることもないし、しなければならないことも、するはずのことも、できるはずのことも、しないのだ。ターミナルが“否(いな)”と告げている装置の側にいるのだ。一セント入れなければならないヒューズ。鉛筆削り機のけずりかすや、朝食時のオレンジの皮の匂いのする、教室の机の横のゴミ箱。窓が破れ、地所に〈進入禁止〉の札が立ち、屋根裏部屋はコウモリの巣となり、地下室はネズミでいっぱいの、町はずれの幽霊屋敷。ミスター、マダム、若き紳士淑女諸君、この子は死んでしまった。わたしは一日中それをそう言いつづけていられるし、地面の上の彼の素足と、茂みに引っかかった彼の汚れたケッズの靴との間の距離については、正確なことを言いたくない。その距離は三十インチ以上、十の百乗光年だ。彼は自分の靴と離れ、すべての希望をあきらめたかなたにいる。彼は死んだ。
That finally rammed it all the way home for me. The kid was dead. The kid wasn't sick, the kid wasn't sleeping. The kid wasn't going to get up in the morning anymore or get the runs from eating too many apples or catch poison ivy or wear out the eraser on the end of his Ticonderoga No 2 during a hard math test The kid was dead; stone dead. The kid was never going to go out bottling with his friends in the spring, gunnysack over his shoulder to pick up the returnables the retreating snow uncovered The kid wasn't going to wake up at two o'clock a.m. on the morning of 1 November this year, run to the bathroom, and vomit up a big glurt of cheap Halloween candy. The kid wasn't going to pull a single girl's braid in home room. The kid wasn't going to give a bloody nose, or get one. The kid was can't, don't, won't, never, shouldn't, wouldn't, couldn't. He was the side of the battery where the terminal says NEG. The fuse you have to put a penny in. The wastebasket by the teacher's desk, which always smells of wood-shavings from the sharpener and dead orange-peels from lunch. The haunted house outside of town where the windows are crashed out, the NO TRESPASSING signs whipped away across the fields, the attic full of bats, the cellar full of worms. The kid was dead, mister, ma'am, young sir, little miss. I could go on all day and never get it right about the distance between his bare feet on the ground and his dirty Keds hanging in the bushes. It was thirty-plus inches, it was a googol of light-years. The kid was disconnected from his Keds beyond all hope of reconciliation. He was dead.

(『スタンド・バイ・ミー(The Body)』)


 クリスは笑いながら歩み去った。わたしのように傷付いていないというように、わたしのように足に豆ができているわけではないというように、わたしのように蚊や、スナノミや、ブヨに悩んだわけではないというように、足取りも軽く、優美な歩きかただった。まるでこの世に悩みは一つもないと言わんばかりの、屋内水道設備もなく、破れた窓にはビニールが貼ってあり、家の前ではたぶん不良の兄貴が待っているにちがいない、たった三部屋の家(小屋、という方が真実に近い)に帰るのではなく、豪邸に帰るところだと言わんばかりのくったくのなさだった。
He walked off, still laughing, moving easily and gracefully, as though he didn't hurt like me and have blisters like me and like he wasn't lumped and bumped with mosquito and chigger and blackfly bites like me. As if he didn't have a care in the world, as if he was going to some real boss place instead of just home to a three-room house (shack would have been closer to the truth) with no indoor plumbing and broken windows covered with plastic and a brother who was probably laying for him in the front yard.

(『スタンド・バイ・ミー(The Body)』)


 彼はビー玉で喉を詰まらせてやろうと待ちかまえている。クリーニング屋からもどってきた洗濯物のビニール袋で、窒息させてやろうと待ちかまえている。電気というてっとりばやく致死的なブギー……〈"最寄りのスイッチ板"もしくは"現在使用されていない電灯のソケット"等でいつでもお手に入ります〉……で、黒焦げにしてやろうと待ちかまえている。二十五セントのピーナッツの袋、気管に吸い込まれたステーキの一片、この次に封を切る煙草の箱、どこにでも死がひそんでいる。彼はいつでも身近にいる。人間の世界と不死の世界の間のチェックポイントを、つねにモニターしている。不潔な注射針、毒虫、切れて垂れ下がった電線、山火事。急に向きを変えたローラースケートが、交通の激しい交差点に愚かな子供をとびださせる。シャワーを浴びようと風呂に入ればそこにもオルが待ちかまえている…〈シャワーメイトと楽しいシャワー〉。飛行機に乗れば、オルが搭乗券を受け取る。彼はあなたの飲む水のなかにいるし、あなたの食べる食べ物の中にもいる。一人おっちで、こわくなったとき、あなたは闇にむかって叫ぶ。「そこにいるのはだれだ?」すると、返ってくるのは彼の返事なのだ。こわがらなくてもいいよ。わしさ、わしがいるだけだ。よう、気分はどうだ? あんた、腸癌にかかっているぜ。やれやれ、悪運だね。ごめんソーリー、ひげソーリー! 敗血症! 白血病! 白血病! アテローム性動脈硬化症! 冠状動脈血栓症! 脳炎! 骨髄炎! ヤッホー、やったろじゃないか! 戸口にナイフを持ったペイ患。真夜中に電話。ノース・カロライナのどこかの高速出口では、バッテリー液で血が煮える。どかっと渡される錠剤、これを片っ端からむしゃむしゃやってくれ。窒息して仮死状態になったあとの、爪のあの奇妙な青っぽい色合い――生存のための最後の厳しい戦いのなかで、残った酸素を脳髄がすっかり使ってしまうのさ。爪の下のそれらちっぽけな細胞のなかのものまでも。いよう、みんな、わしの名は《オルのらいまおう》、なんなら"オル"だけでもいいぜ。なんせ、もう今じゃ古なじみの親友同士だから。なに、ちょっと立ち寄っただけさ、あんたにすてきな鬱血性心臓麻痺か、脳血栓か、なにかちょっとした贈り物をあげるために。いや、長居はできないんだ、ある女性と異常分娩のことで会わなくちゃならんし、オマハでは、煙を吸わせてやるというささやかな用事も待ってるんでね。
 われわれはパトロールをつづける……息子とおれは……なぜなら、いきることの要諦は戦争でもセックスでもなく、もっぱら《オルのらいまおう》を相手にまわしての、その気高い、絶望的な、うんざりするような戦いにのみあるのだから。

(『ペット・セマタリー』)


 私が「キング節」としてイメージしているのがこのような文章だ。
 スティーヴン・キングはデビューから一貫して、高尚な批評家から「文学的価値がなく」「品のない」「大衆作家」と苦言を呈されてきた。キングその人ですら『恐怖の四季』の前書きなどで、自分の作品を「マクドナルドのビッグマックとフライドポテトの大と同じ文学的価値」と卑下している。なるほど、如何に余計なことを書かずして読み手に情景や情感をかき立てるかが文学のお作法だとしたら、キングの文体はあまりにもごてごてしていて、写実的すぎて、それとはかけ離れている。脳炎! 骨髄炎! バビロンの淫売婦! すすぎ洗いだ! ポール、すすぎ洗いの時間だよ! こういった表現も社会通年上一般的に見て、純文学と称される作品とはあまり噛み合わない類のものだ。それにこのオッさんはどんだけ固有名詞が好きなんだ。
 上掲した『スタンド・バイ・ミー』のシークエンスを文学的見地から添削するとこうなるのだろうか。

 クリスは笑いながら歩み去った。わたしのように傷付いていないというように、わたしのように足に豆ができているわけではないというように、わたしのように蚊や、スナノミや、ブヨに悩んだわけではないというように、足取りも軽く、優美な歩きかただった。まるでこの世に悩みは一つもないと言わんばかりの、屋内水道設備もなく、破れた窓にはビニールが貼ってあり、家の前ではたぶん不良の兄貴が待っているにちがいない、たった三部屋の家(小屋、という方が真実に近い)に帰るのではなく、豪邸に帰るところだと言わんばかりのくったくのなさだった。


 ふんふむ、冒頭の文章以外はまるっと削っても支障はないかもしれない。「笑いながら」「去った」という表現だけでクリスの颯爽としてくったくがない様子は伝わってくる。後に続く描写は見方によっては「過剰」「蛇足」と言える。四角四面に文学的価値を考えれば、ばっさりと削除してしまうのが正解なのだろう。しかし、私はキング節のこういった余りある「過剰さ」が素晴らしいと思うのだ。私はまず、まるでその人の生活を子細に観察してきたような恐ろしい情景喚起力に圧倒される。加えて、読み手の五感に訴えかけてくる描写力、ガジェット選びの繊細なセンスに惹き付けられる。茂みに引っかかったケッズの空虚なさまや、スナノミやブヨの噛み痕の痛がゆさや、びしょびしょに煮くずれた野菜のからえずきしそうなまずさや、教室のごみ箱から漂うオレンジの皮の、不快であると同時に甘ったるい匂いがまざまざと感じられるではないか。そして、この畳みかけるような独特のリズム感がやみつきになる。「言葉の奔流」という言葉はこんな文章のために用意されているのだろう。こういった、批評家の評価も文学的価値も何のその、てめぇの書きたいことを思いのまま書き殴る「胆力」が、キングその人と世にあふれるキング・チルドレンの一線を画するところだと思う。
 また、文章に書かれている以上のことが伝わってくる、語り手の秘めた感情が伝わってくると言う点に限れば、キングの小説は文学の王道を貫いていると言えずともない。ゴーディがクリスの惨状、小旅行を終えてぼろぼろに傷ついた身体の様子から掃き溜めのような家の状態までを淡々と語りつづける様子からは、酸鼻を極める状況でもクールに振る舞うことのできる彼のタフさに対するあこがれが読み取れないだろうか。同様に、レッドが独房に戻るアンディーを待ち受けるみじめでみすぼらしい物事をつらつらと書き連ねる様子からは、そんな状況でも自分自信を見失わない彼の資質に対する畏敬の念、賞賛の念が伝わってこないだろうか。行き着くところまで行ったルイスが、オルのらいまおうの所業……思いつく限りの事故死や病死について陽気にまくし立てる様子から、彼と息子を取り巻く「死」の影に対する病的な恐怖がひしひしと感じられないだろうか。
 そんなこんなで、キングの余りある描写力、彼の言うところの「文学的象皮病」は誇るべき資質であること、彼の文体から作品全体を非文学的だと決めつけるのは早計であること、この二点を私は訴えつづけていくつもりである。

刑務所のリタ・ヘイワース 感想・レビュー スティーヴン・キング
 長ったらしい『刑務所のリタ・ヘイワース』のレビューだが、後半部でこの作品における文学的要素について触れているのでこちらもどうぞ。

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)
スティーヴン キング Stephen King
410219312X
スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)
スティーヴン・キング Stephen King
4102193057
ペット・セマタリー〈上〉 (文春文庫)
スティーヴン キング Stephen King
416714803X
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Re: mukkeさん
あー、あのゲロパニックの描写はすえた匂いが伝わってきそうで凄まじかったですね。
>物理で殴ると言わんばかりに過剰な描写をブチ込んで読者を酔わせる
キングの描写力は一部、天下御免の「脳内映像」を超越しているところすらあると思います。だからこそ実物の映像ですら物足りなく感じられて、映画の評価が軒並み低いのかなと思ったり。

キングは『スタンド・バイ・ミー』しか読んだことがないのですが,パイを吐く描写が鮮明に印象に残っています。確かに圧倒的な生々しさで迫ってきたなあと。淡々と思いを秘めるように描写して読者に深読みさせて考えさせるのと,物理で殴ると言わんばかりに過剰な描写をブチ込んで読者を酔わせるのと,どちらも小説的描写力の完成形なのだろうなあとはこの記事を読んで思いました。

文体の好みということでいえば,個人的には円城塔の,シュールな屁理屈を流れるようにまくし立てながら肝腎なところでは真顔でゆっくりと喋り出す文体が非常に好きだったりします。

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