2013年08月04日

原村和の右手打ちは最速・最善手へのロジックか?

のどっちが右手で麻雀を打つようになったきっかけって何だろう? - 私的素敵ジャンク

 しばらくお世話になっているサイトさんへの便乗記事が続く。上掲の私的素敵ジャンクさんの記事で、左利きの和が麻雀だけ右手で打っている理由についての考察が行われている。興味深い記事だったので、私も尻馬に乗ってこの問題に自分なりの答えを出してみた。あれは和の目指す境地『いつも通りに最速で最善手を打つ』により近づくための挑戦なのではないだろうか。
 先日、自宅で友人たちとぬるい麻雀を打ったのだが、その際に左手でツモるのがどんな感触なのか試してみた。私が右利きなのと、うちのちゃぶ台がとても狭いことも関係しているが、それを差し引いても違和感と圧迫感がぬぐえなかった。というのも、和のように高速で打とうとすると、ツモろうとして出した左手が、上家の牌を捨てて引っ込める右手にぶつかるようなイメージがあったのだ。上家が完全に手を引っ込めてから出すにしても、直前まで動いていた物体のすぐ側に手を通すというのは思っていたよりもずっとストレスを感じる行為だった。
 和は手打ちの麻雀でも、ネット麻雀をプレイする時のように、周りのランダムな事象に流されない、機械のように正確無比で高速な打ち筋を目指している。その速さは漫画的にブレた残像で表現され、県予選の一回戦では東福寺の選手に(早打ちでこちらのペースを乱すつもりか?)と勘ぐられるほどだ。彼女がそんな理想を追い求めるにあたって、左手で打つときの圧迫感は大きな障害になるのではないか? というのが私の予想である。無論、利き手でない方の手で打つことの違和感やもどかしさも大きいだろう。例えば、第6局「決意」で、和はツモ切り動作の反復練習を行っているが、痛みのあまり牌を取り落とす描写がある。それでも、彼女は自らのフィーリングとロジックをより最適に近づけるために、利き手ではない手で牌を扱うという困難に挑戦しているのではないだろうか。じっさい、右手によるツモ切り動作の精度を上げて、さらにエトペンを抱きながら打つことで「普段打っているネット麻雀の感覚」により近づいた彼女は、かつては圧倒されたゴミプロ雀士の藤田を驚かせるほどの打ち筋を県予選で見せたのだった。彼女がまこの店で藤田に敗北を喫してから行ったのは、誰かとの特打ちでもなければ、牌符や新しい理論の研究でもない。くだんのツモ切り動作の練習によって、自らが打つ際のフィーリングをより理想型へと近づけただけだ。ただそれだけのことで――「気の持ちよう」に収斂されるような事柄だ――プロをも驚かせるほどの劇的な変貌を遂げるというのだから、やはり和には魔物勢に近いスケール感がある。

悩んでも仕方がありません…
今の私の選択肢――
スゥ

いつも通りのことを いつも通りに…!!
ヒュン
コトッ トン タッ

ヒュッ パシッ
フアッ

(羽…?)
「!」
(これは――)
(末原先輩が言うてたよりえらい早いやん!)

「とーか! ノノカが!」
「ええ… 早くもお目覚めのようですわね!」

おはようのどっち!

第82局「選択」


 今回の議題にしても「ノータイムで打ったところで点数や牌効率が上がるわけでもなし。速くツモって牌を切ったところで和了まで早くなるでもなし。ゆっくりと思考を巡らせてから落ち着いて利き手で打ったらいいのでは?」という疑問を呈する人もいるだろう。確かに、我々の常識に立脚すれば、どんな感触で牌を切ろうが、愛用しているぬいぐるみを抱きながら打とうが、期待値には何も影響しないように思える。しかし、その思考はやはり魔物のそれにはほど遠い。以前の記事で書いた通り、魔物にとっては現実性や一般的な合理性など何の意味もなさないのだ。奴らは傲慢で不条理なロジックを構築して相手に押しつけ、それに合わせて因果律をねじ曲げてしまう。何にもまして重要なのは自らのフィーリングとロジックなのだ。月が満ちることで自らの能力が強まることを信じて疑わず、じっさい満月の夜だった県予選決勝では神掛かった和了を連発した天江衣しかり。靴下を脱いで裸足になり、麻雀を最も打っていた子ども時代のフィーリングを取り戻すことでその衣すら圧倒した宮永咲さんしかり。ダブルリーチの宣言時に外連味も強く手牌を回し、曲げる牌をブラックホールのごとく回転させて、他家に妨害された局以外は(あの卓は史上稀に見る地獄である)宣言通りカン裏を乗せ続けた大星淡しかり。また、園城寺怜のリーチ時にリーチ棒を立てる仕草も魔物のそれと似ているかもしれない。あれは自分の未来視が絶対のものであることを予言し、予告通りに一発で和了ることで他家に自らのロジックを嫌でも認めさせるための儀式なのだと思う。
 和は県予選決勝副将戦で自らの追い求める「最高の状態」(第28局「異変」)へと到達し、デジタルの化身である「のどっち」へと進化した。そして全国区の選手である透華すら翻弄した桃子の「ステルスモモ」を完全に看破し、驚愕する彼女に「見えるとか見えないとか… そんなオカルトありえません(SOA)」と静かに言い放った。あの高慢さすら感じさせる、自らのロジックに対する揺らぎのない自信は、上に挙げた魔物の所業と比べても全く遜色のないものだったと思う。原村和は有望な魔物候補生である。

【関連記事】
穏憧と魔物の数字(100速の穏、高校100年生の淡、100巡先を視る怜)について真面目に語る
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 のどっち魔物説についてはそのうち別記事で補足する予定だ。気付けば『咲-Saki-』関連記事のネタストックが10件を超えていて嬉しい悲鳴である。
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tags: 咲-Saki- 考察 

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コメント

エトペンを持ったりツモ切り動作を特訓したりしたのはネット麻雀の感覚に近づけるメンタル強化であって感性を研いだわけではないとおもうので、咲さんの靴下脱ぎとは全く別物だと思いますよ。
強くなったのはメンタル強化したおかげでミスが減って動作で悟られる隙も減ったということかと。ただこれから自分では気づかないうちにどんな能力者がいても確率に収束する能力とかを手に入れる可能性はあるかもしれませんね。

Re:
> 本来デジタル派を名乗っていた者が本人さえ気付かぬうちに魔物だったのはよくある話です。
 ですよねー。深淵をのぞく時……ではないですが。

本来デジタル派を名乗っていた者が本人さえ気付かぬうちに魔物だったのはよくある話です。

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