2013年11月12日

照や衣や怜や淡は固有結界の術者だった……?

無聊を託つ

清澄の大将は厄介だと聞いてうきうきしてたけど

乏しいな 闕望したよ

そろそろ御戸開きといこうか

(第36局「満月」)


昏鐘鳴の音が聞こえるか?

世界が暗れ塞がると共に――
おまえたちの命脈も尽き果てる!!

(第39局「運命」)


 全国二千万人の『咲-Saki-』ファンには言うまでもないことだが、『咲-Saki-』は非常に外連味溢れる麻雀漫画だ。卓上で能力者が火花を散らす際には、能力バトル漫画そこのけの派手派手しいエフェクトがかかる。咲がリンシャンカイホウで和了るとどこからか花びらが舞い散るし、衣がイーシャンテン地獄を展開すると他家は深海で溺れるイメージに襲われる。また、時にはアバターによるファンタジーバトルまで展開される。哩さんはやにわに(イメージの)鎖で縛られたまま亦野の(イメージの)ルアーを掴んでフィッシングを阻止しだすし、塞と初美の駆け引きは完全に伝奇バトルと化している。
 このような一見勢い任せではちゃめちゃな演出には、絵面が単調化しがちな闘牌シーンの見場をよくする、麻雀のルールがよくわからない読者でも攻防・駆け引きが一目で分かるようにするという作者の意図があるのは間違いない。『咲-Saki-』の研究史で既に何度となく語られてきたことだろう。りつべはマジなんだかふざけているんだか判断が付かない、絶妙な「シリアスな笑い」を提供してくれる一方で、並々ならぬ拘りと思慮深さも併せ持っている。しかし、今回の記事ではそういったメタフィクション的な意図にあえて目を瞑り、「その大げさな動作に何の意味があるの? そのもったいつけた口上に何の意味があるの?」と大真面目に考えてみようと思う。

 例えば天江衣だ。衣は自分に場を支配して多家の手を止める能力があることを信じて疑わない。衣が言うところの「支配」を強める際には、上掲のような物騒で時代がかった口上を垂れて他家をすくませる。能力を全開させると周囲を停電させて、精密機械を粉砕してみせる。
 例えば園城寺怜だ。怜は自らの未来視が絶対のものであることを前提に手を組んでいる。そして次順で役が完成することを確信した際には、一発でツモることを予言するかのように、リーチ棒から火花を散らせつつ垂直に立たせてリーチ宣言する。
 例えば宮永照だ。照は連続和了で打点を高めて、次順で倍満クラスの和了をすることを確信した際に、卓を片手で抑えつつ、コークスクリューのごとくひねりを加えてツモを行う。その物々しさは纏う風で同卓者を圧倒するイメージで表現される。
 例えば大星淡だ。淡は開局と同時に、髪を逆立てつつ宇宙のようなオーラを展開して他家を威圧する。ダブルリーチの宣言時には牌をブラックホールのごとく回転させながら曲げて、山の切れ目でカン裏ドラを乗せて和了る際には外連味も強く手牌を逆回転させて見せつける。

 この四人にははっきりと「それに何の意味があるの?」という無粋極まりない問いをぶつけることができるだろう。

和の右手打ちは最速・最善手へのロジックか?

 前回の記事でも触れたことだが、我々の常識に立脚すれば、リーチをどれだけ派手に宣言しようが、ツモをどれだけダイナミックに行おうが、点数の期待値や牌効率には何の関係もないはずだ。衒学趣味的な言葉遣いや髪の重力を無視した動きで相手をびびらせたところで、ツモ運まで悪くできるでもなし。ならば彼女たちは何ゆえあのような所作を決まり事のように執り行うのだろうか。私が出した一つの答えは、あれがTYPE-MOONで言うところの固有結界の詠唱だから、というものだ。つまり、衣の「昏鐘鳴の音が聞こえるか……?」は「I am the bone of my sword..」なのではないだろうか。
 『咲-Saki-』の能力バトルが各選手の価値観・世界観・ロジックのぶつかり合いだということはいくつかの記事で述べてきた。怜は自分が見た一巡先の未来に従って牌の取捨選択をしている。照は自らのロジックに従い、前の手より点数を高くするという制約を課して連続和了を決めている。その逆も考えられて、連続和了を決める度に点数が漸次高くなっていくことを当然のものと思っている。彼女たちは自らの非論理的な理屈が世界に作用すること、世界がそれに従うことに対して疑いを持っていない。盛大なコークスクリューツモを決めた後にすごすごとツモ切りしたり、次順で和了れずにあせあせしているうちにリーチ棒がぺたんと倒れたりすることなど微塵も考えてもいない。そう、彼女たちは無意識のうちに、自らを「次順でロジックが完成しなくてはならない」という窮地に追い込み、ロジックが瓦解するリスクを斥けた見返りとして、求める結果を引き寄せているのだ。
 別の見方をすれば、あの外連味溢れるデモンストレーションは、自らのロジックの正当性を他家に知らしめる(嫌でも認めさせる、の方が近いだろうか)ための儀式なのだ。「私はこれから自分の世界を展開します。あなたたちはそれに従わざるを得ません」という、他家並びに世界並びに因果律並びに観測者であるわれわれ読者に対する傲慢な宣言なのである。怜の未来視も照の連続和了も、ただ淡々と試合を進めるうちは「なかなかの偶然」という言葉で説明できずともない。あくまで彼女たちの中でしかロジックが展開していないからだ。しかし、彼女たちがもったいつけた宣言通り、リーチ棒が倒れる前に一発ツモを引き、、後には引けないツモで和了牌を掴み、カンドラの裏を乗せ、ハイテイで和了ってみせた瞬間、「偶然」はわれわれの観測によって「能力」として固定化されて、世界を侵食しはじめるのだ。
 余談だが、私の中ではTYPE-MOONの世界観における強者と、咲-Saki-の世界観における強者のイメージはかなり似通っている。固有の世界を構築している奴。自らの世界観を他者に押しつけて一顧だにしない奴、世界が自分の理屈に合わせて変質することに何の疑いもないような奴。そんな身勝手で高慢ちきで頑固な奴が強い、というイメージだ。みなさんはどうでっしゃろか。

 『咲-Saki-』勢にとって「能力が干渉している卓で牌の配置が確定するのはどのタイミングなのか?」というのはいつまでも終わらない議題なわけだが、私はこのような「固有結界の詠唱が始まったとき」が一つの解答になりうるのではないかと思っている。少なくとも何人かの能力には当てはまるのではないだろうか。
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tags: 咲-Saki- 考察 

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当サイトにおける咲-Saki-キャラ能力分類の手引
くろもちです。今回は少々長文になりそうなので長々とした前置きは省略しというか後回しにし本題へ。咲-Saki-作中に登場する能力の分類を特に能力の成長、という点に注目して考えて ...
[咲-Saki-]ロジカルなソウル/ソウルフルなロジック――あるいは,あまりに宿命的な高鴨穏乃と宮永咲の対決
 とっぽいさんがまたもすばらなエントリをうpしてくれているので便乗してみる。  別の見方をすれば、あの外連味溢れるデモンストレーションは、自らのロジックの正当性を他家に知らしめる(嫌でも認めさせる、の方が近いだろうか)ための儀式なのだ。「私はこれから自分

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コメント

Re: タイトルなし
> 神座万象シリーズ
 存じません。

型月より神座万象シリーズのような

Re: 虎姫魂を感じるさん
ご指摘ありがとうございました(全然合っていなかった)。

姫様は降霊中は声に反響エフェクトがかかると予想。背景は桜吹雪。

型月厨としては、「I was born of my sword」ではなく「I am the bone of my sword」だと突っ込まざるを得ない。

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