2014年07月20日

黒いスーツの男 スティーヴン・キング

The Man in the Black Suit / Stephen King
池田真紀子 訳

85
 この二十年ほど、『キャッスルロック・コール』に“遠い昔、遠いどこかで”というタイトルのコラムを連載してきた。

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 三年前の冬に妻と子どもをめった切りにして殺害し、法廷に引き出されると、亡霊に命じられてやったと言い張ったあのキャッスルロックの農夫

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 あの日、西の野原から帰ったとき、父は泣いていた。上半身は裸だった。シャツを脱ぎ、腫れ上がって色の変わったダンの顔にかけていたからだ。ダンが! 父はそう叫んでいた。ああ、どうしたらいい?ああ、くそ(ジーザス)、どうしたらいいんだ? まるで昨日のことのようにはっきりと思い出せる。

91
 犬は土埃が舞い上がる中防雪柵の傍らに立ち止まってわたしを見送った。わたしは名前を呼んだが、キャンディ・ビルは来ようとしなかった。一度か二度、わたしを呼び戻そうとするようにけたたましく吠えたものの、それだけだった。(……)
 わたしが釣りに行くとき、キャンディ・ビルはいつもかならず一緒に来ていた。

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 鼻の先に何かが止まっている。両目を寄せて見ると、それはハチだった。心臓が鼓動をやめたように感じた。

96
 恐ろしい考えが頭に浮かんだ――このハチは、まさに兄を殺した一匹であるに違いないという考えが。そんなはずはないことはわかっていた。(……)それでも、その考えを振り払うことはできなかった。このハチは特別なのだ、悪魔のハチなのだ。アルビオンとロレッタの二人の息子のうち残った一人を片づけるために、この世に戻ってきたのだ。

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 しかし目頭が痛くなるほど両目を寄せてハチに焦点を合わせようとしていたそのとき、道理は存在しなかった。存在しているのは、そのハチだけ、兄を殺したハチだけだった。父にオーバーオールの肩紐を下ろさせ、シャツを脱がせて、ダンのどす黒く腫れ上がった顔を覆わせたハチ。悲嘆の底にあっても、父は兄の顔を覆い隠した。初子の変わり果てた姿を妻に見せたくなかったからだ。いま、そのハチが戻ってきて、今度はわたしの命を奪おうとしている。ハチはわたしを殺し、わたしは土手の上をのたうち回って死ぬのだ。口から釣り針を外されたカワマスがぱたぱたと身をよじるように、手足をばたつかせて。

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 すると森のはずれに男が一人いて、こちらを見下ろしていた。男の顔はやけに長く、青白かった。(……)背はとても高く、黒いスリーピースのスーツを着ている。人間でないことはすぐにわかった。男の目は、蒔ストーブの炎と同じ橙がかった赤い色をしていたからだ。(……)揺らめき、ちらつく橙色。どういうことか、今さら言うまでもないだろう。男の内側は燃えていた。

103
「悲しいニュースだ、釣り少年」男は言った。「きみに悲しいニュースを伝えに来た」
(……)
「きみの母さんが死んだ」
「嘘だ!」わたしは叫んだ。(……)
「残念ながら嘘ではないよ。兄さんの時と同じことが起きたんだ、ゲイリー。ハチに刺されたんだよ」

105
「(……)きみの兄さんのダンに、命に関わる弱点が遺伝したのは母さんからなんだ」

106
「というわけで、死んだ人間のことを悪く言うのは気が進まんが、今回のことは自業自得といったところじゃないかね? 何と言っても、きみの母さんは兄さんのダンを殺したわけなんだから。兄さんの頭に銃口を突きつけて、引き金を引いたようなものだよ」
「嘘だ」わたしの声はかすれていた。「嘘に決まってる」
「いやいや、本当の話さ。ハチは窓から入ってきて、母さんの首に止まった。母さんはとっさに平手でハチを叩いた――さっき、きみはそこまで愚かなことはしなかった。そうだな、ゲイリー? 叩かれたハチは、母さんを刺した。母さんはたちまち息が苦しくなった。ハチの毒にアレルギーを持っていると、そうなるんだよ。喉がふさがって、窒息する。ダンの顔があんなに腫れて紫色になっていたのは、そのせいだ。きみの父さんが兄さんの顔をシャツで覆ったのは、そのせいだ」

109
「でっかい魚だ!」黒いスーツの男はしゃがれた意地汚い声で叫んだ。「でええええっかい魚だ!」

128
 わたしは老い、わたしの魚籠は空っぽだ。いまここで、悪魔がふたたびわたしの前に現れたら?
 そして、あいつはいまでも腹を空かせているとしたら?

130
 この小説は、作家とはしばしば自分の作品のもっともお粗末な批評家であるという証拠だ。

第四解剖室 (新潮文庫)
スティーヴン キング 白石 朗
4102193359

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