2014年10月26日

アカイイト レビュー・感想 傑作百合ゲー、ノベルゲームが到達した最高点の一つ(後編)

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アカイイト

「アカイイト」の五文字が想起するもの
 私は好きな作品について語り尽くすさいに、必ずタイトルについても褒めちぎるようにしています。この作品の『アカイイト』も素晴らしいことこの上ないです。さて、このタイトルが指し示しているものは何なのでしょうか。まず思いつくのは、主人公の桂ちゃんに流れる、口にした人外の者に八千代の力をもたらす「贄の血」のことです。神代の時代から流れ、物語の始まりから様々な登場人物の運命に関わってきたこの血は、タイトルを飾るにふさわしい存在でしょう。また、キャッチコピーにありますが、登場人物たち――使いの蝶を飛ばして瀕死のサクヤさんの元に笑子さんを導いた姫様、自分を抹殺しに来た真弓さんと意気投合して親友になって恩人の息子である正樹さんを紹介したサクヤさん、本来切るはずだった白花ちゃんを匿い、彼の決意に打たれて鬼切りの技を授けた明良さん――が結んだ人と人との縁(絆)のことであり、鬼と鬼、鬼と人、人と人との闘争から生まれた禍根や因縁(呪縛)のことでもあるでしょう。また、桂ちゃんが遠い経観塚の地で将来のパートナーとなる烏月さんや葛ちゃんと巡り会った「運命」のこととも考えられます。あるいは、烏月さんや葛ちゃんを縛り付ける「家(血統)」のことでもあり、サクヤさんを助けるために貧血になるまで血を与えた笑子さんや、桂ちゃんを守るために身を捧げた柚明さんや、桂ちゃんの後を追って首を落とした烏月さんのように、登場人物がたいせつな人との絆を守るために流した「血(犠牲)」のことでもあると思います。そうそう、ノベルゲーム史上の名バッドエンドである「赤い維斗」もこのタイトルに掛けてありましたね。
 このタイトルの何が凄いかって、たった五文字で作品のシナリオから世界観、イメージカラー、思想やコンセプトまでをも表してるのが凄いと思うのですよ。簡潔明瞭でいながら、字面から想起されるイメージはあまりにも豊かで色鮮やかです。もはや『アカイイト』の五文字以外のタイトルが考えられないほどの嵌り具合だと私は思います。いやぁ、本当に「絆の記憶」などという無粋なサブタイトルを付けなかったのは英断でしょう。イメージの矮小化は必至でした。
 この嵌り具合に比べると、やはり『アオイシロ』は、PS2版とPC版で二周させられた今でも「青い……城? 瑠璃宮のことなのか……? それが何故タイトルに?」といささか記憶があやふやで収まりが悪く感じます。


言霊の力について――「満開の花」「鬼切りの鬼」「赤い維斗」「一片の残花」「泡沫」
 『アカイイト』はノーマルエンド、バッドエンドが魅力的な作品だともっぱらの評判です。中でも千羽烏月ルートの悲痛な心中エンド「赤い維斗」、浅間サクヤルートの桂ちゃんが最強の鬼切りに成り、その後の展開を想像させる「鬼切りの鬼」などは、トゥルーエンドを喰ってさえいると言われています。私は他にも、桂ちゃんを残して消える柚明さんの心残りと残される桂ちゃんの悲しみがひしひしと伝わってくる、ユメイルートの「一片の残花」や、コメディタッチながら血と宿命に関する一つの解答を示している、若杉葛ルートの「やりたい放題好き放題」なども好きですね。
 さて、『アカイイト』の分岐エンドがあれほど読み手の心に印象深く残っているのはなぜでしょうか。無論、エンディングの内容が濃密で魅力的なことも大きな一因でしょう。サクヤルートは人の「生」と「性」について考えさせられるストーリーですが、「鬼切りの鬼」はその問いに対する一つの答えを提示しています。このエンディングがあるからこそ、トゥルーエンド「ついのときまで」で二人が選んだ道の尊さがより際だっているし、その逆もまた然りであることは言うまでもありません。また、「赤い維斗」は悲劇としか言いようがない内容ですが、遊鬱さんのレビューにあるように、相手のために自らの血を流す、流した血の量が愛の証だという価値観は他ルートにおける吸血行為と共有しているでしょう。また、このエンディングが存在することで、烏月さんの一本気なところと純粋すぎる危うさがより印象づけられ、彼女の人間的魅力を増しています。そして「満開の花」の展開においては、桂ちゃんとサクヤさんがオハシラサマの継ぎ手となって共に木の下で眠り、柚明さんが代わりに人間として日常生活に還ることになります。生存者の数で言えば最善の結果ではありませんが、種族が異なる二人の関係における一つの終着点とも考えられますし、「鬼切りの鬼」と同様にその後の展開を色々と想像させてくれます。こういった「いくつかの『もし』の未来」(エンディングテーマ「旅路の果て」から引用)を読者に対して提示できることがアドベンチャーゲームの強みなわけですが、『アカイイト』ほどそれを活かしている作品はなかなかありません。
 ことほどさように、『アカイイト』のエンディングは内容自体が充実しているわけですが、私はそれに加えて「言霊」、言葉や名前に宿る《力》を最大限に活かしていることが、マルチエンディングが魅力的だという評判をより盤石なものにしていると考えています。麓川智之御大は言霊に対して並々ならぬ拘りを持っています。みやきちさんのレビューからのいただきですが、本編においては各人のルートを読み進めていくことで「ケイ」「ノゾミ」「サクヤ」などのカタカナの音でしか分からなかった名前の字(真名)が判明し、同時にその人の伝奇的、人格的ルーツが見えてくる、という形で活かされています。そして、この作品には全部で32個のエンディングが存在しますが、その全てに(十中八九麓川御大の手によって)名前が付けられています。私もそれなりにアドベンチャーゲームの数をこなしてきましたが、ここまでエンディングのタイトルが凝っている作品は見たことがありません。
 唐突ですが、人は「名前」というフィルターを通して世界を見ています。言語が違うというのは見ている世界そのものが違うということです。ある人や物の名称、識別子を認識しているかしないかで、それから受ける印象は大きく変わります。目に捉える上でのピントの具合や色鮮やかさがまるで違うのです。それは他者と価値観を共有するさいには特に顕著でしょう。この事象を『アカイイト』に当てはめてみましょう。指している内容は同じだとしても、「烏月ルートのあの首を切って後追いするバッドエンドが心に残った」というあやふやな言葉と「『赤い維斗』エンドが心に残った」とでは、受ける印象が全く異なるのではないでしょうか。鮮明さが段違いです。私なら、後者なら烏月さんが自分の首に維斗を当てている絵が自然と目に浮かび、初見での鳥肌が立つような感覚がまざまざと蘇ってきます。「赤い維斗」についてはタイトルと掛けてあるのも素晴らしいですね。忘れようとも忘れられません。
 この作品は初動が悲しい数字で、口コミで人口に膾炙していった作品です。人から人へと評価が伝播する上で、上記の言霊の力が大きく作用したのは疑いようもありません。
 次は『アカイイト』の楽曲の中でも断トツの人気である「泡沫」について語りましょう。「泡沫」とは、分魂に支配されたケイくんや主との最終決戦で流れる、荘厳でいながら熱い和風曲です。ところで、この作品にはサウンドモードが存在しません。なので、レビューを予め読むか、サントラを同時購入でもしていないと、全ての曲の名前がわからないまま読了してしまいます。今まで語ってきたように「分魂に支配されたケイくんや主との最終決戦で流れる、荘厳でいながら熱い和風曲」という漠然な認識と、「泡沫」という名前と関連づけられた記憶とでは、印象の強さが比較にならないのです。楽曲は視覚で認識できないのでなおさらです。おそらく、スタッフがサウンドモードを実装しなかったのはサウンドトラックを購入してほしいという算段だったのだと思いますが、それで楽曲の印象をぼやけさせてしまうのはあまりにももったいないです。短期の利益に囚われず、全ての読者に対して「泡沫」という言霊を示しておくのが正解だったと私は思います。今日においてあの曲が「泡沫」として認識され、評価されているのは、ひとえに『アカイイト』信者による草の根宣伝活動のたまものでしょう。私もこの作品を褒めちぎるコンテンツをうずたかく積み上げてきましたが、楽曲についてはあまり触れていなかったので(実はサウンドだけなら断然『アオイシロ』派だったりする)一言「えらいっ」と言わせていただきます。
 後は、烏月さん「桂さん」、葛ちゃん「桂おねーさん」、ユメイさん「桂ちゃん」、サクヤさん「桂」と、隠しのノゾミちゃんを除いてヒロインの桂ちゃんに対する呼び名が全員差別化されているのも細かいですね。本編を読破した人間には呼び方からどこなく二人の関係性が見えてくるので、これもちょっとした言霊の魔法ではないでしょうか。この呼称に関する法則は『アオイシロ』でも守られていたので(梢子先輩、オサ、梢ちゃん、梢子、梢子ちゃん)、御大がこだわりを持っているところなのかもしれません。
 この『アカイイト』感想記事は、遊鬱さんとみやきちさんのレビューの強い影響下にありますが、上の二段は特に影響されまくっていることを白状しておきます。お許しください。


とてもとても官能的で、だけどどこかほほえましい吸血シーン
 『アカイイト』の魅力の一つに、鬼のヒロイン勢が桂ちゃんから贄の血を吸う、正式名称「吸血シーン」の淫靡さがあります。この作品の伝奇要素やルートデザインやテキストなどの硬派な要素が優れているのは語ってきた通りですが、このお色気要素も作品の重大な構成要素であることは如何とも否定しがたいです。さて、この作品における吸血行為はなぜかくも嘆美でエロチシズムに満ち溢れているのでしょうか。もちろん愛らしい女の子、大人の女性、包容力のあるお姉さん、嗜虐的な鬼の双子というバリエーション豊かなヒロイン勢が、主人公のぽわぽわした少女の服を肌蹴けさせつつ口を寄せる絵面が淫靡だから、またノゾミちゃん、ミカゲちゃんについては身体の自由を奪われて血と共に精気を吸われるゴシックホラー的な妖艶さがあるから、というシンプルな理由もあるでしょう。私はそれに加えて、両義性、アンビバレンスという言葉で、あの得も言われぬエロさを説明してみたいと思います。
 まず、相手の血を吸う行為がセックスのメタファーなのは言うまでもありません。肌に唇を寄せ、牙の痕を残して血を啜る行為には、相手に自分の刻印を付けて命の源を奪い取るという征服欲や支配欲求をくすぐる部分があります。しかし、それと同時に、相手に自分の一部を取り入れさせるというのは、どこか奉仕を強要させるような、マスター・スレイブ的なニュアンスも存在します。サクヤルートで、桂ちゃんがサクヤさんに血を吸わせたせいで夢を共有したことを知り、彼女の中で自分の血が生きていて、繋がりが生まれているのを実感してにやにやするシーンがありましたね。後は、桂ちゃんが痛みを口にしたことでサクヤさんが遠慮がちになってしまい、頭を抱き寄せて血を吸うのを促すシーン。ああいった箇所の凄まじいこそばゆさを思い出してもらえば、私の言いたいことが伝わると思います。また、桂ちゃんはいわゆる「誘い受け」の名手でもあり、彼女の身体を慮って血を吸うことを躊躇するサクヤさんや柚明さんに対して、手を変え品を変え血を飲んでもらおうとします。中でも有名なのは、柚明さんと蛍狩りに行った際、命の短い蛍と存在感が希薄な柚明さんを重ね合わせてしまい、心配に駆られて血を飲ませようとシーンです。あそこの色っぽさは、童謡の「ほたるこい」に準えた名文句「多分、わたしの血は甘いよ?」と一緒に語り継がれています。

「それで桂、あたしに何の用だって?」
「うん……」
 言いたいことを言うために、深呼吸してサクヤさんを見つめる。
「わたしは千羽さんみたいに戦えないけど、サクヤさんの力になりたいから」
「だから、わたしの血を飲んで」
 そうすれば、わたしはサクヤさんの《力》になることができる。
 わたしの身体の一部は、サクヤさんと一緒に戦うことができる。
 わたしからそういう話を持ち出すのが意外だったのか、ぽかんと目を円くするサクヤさん。
 けれど、それもわずかな間で、すぐに犬歯を剥き出しにして人の悪い笑顔を浮かべる。
「おいおい、この堅物で恐ろしい鬼切り役の前で、あんたの血を飲めってかい?」
「でも、合意の上のことだから……」
 そう言いつつも、わたしもついつい千羽さんの顔色をうかがってしまう。

(引用省略、烏月さんは雰囲気にいたたまれず退席)

「ちっ、あんまり離されると追いつくのに苦労するね」
 心配しているとか、頼りにしてほしいとか、そう素直に言えないサクヤさんが何だかおかしくて、ついつい笑ってしまう。
「だけどお腹が減っては戦争できないっていうし、ちゃんと飲まなきゃ《力》が出ないよ」
「あのね、桂。どっかのシリアル食品のCMじゃないんだからさ」
「あはは、だけどわたしの血って栄養ドリンクみたいなものだし」
「まったく、あんたもたいがいムードのない子だねぇ……」

(◇封じの綻び)


 そして、優れた官能小説がそうであるように『アカイイト』も直接的な描写、身体的接触があるところ以上にその前後のやりとりが情感を刺激してきます。私が『アカイイト』の吸血に関連するシーンで最も好きなのは、サクヤルートの◇そこが肝ですからにおける桂ちゃんとサクヤさんの掛け合いですね。お昼を食べに定食屋へ立ち寄ったご一行。サクヤさんは血を少しでも増やしてもらうために、桂ちゃんにレバーを食べるよう強く薦めますが、それが苦手な桂ちゃんは拒否して、自分の払いである限りは偏食も認められるはずだと主張します。そこでサクヤさんは妙な理屈をこねて「それじゃあ、あたしは――この先、桂の血だけで生きていこうかしらねぇ」と桂ちゃんの耳にいたずらっぽくささやきます。こんな冗談を言える時点でサクヤさんは陥落寸前ですが、ここで桂ちゃんが返す刀の鋭いことったらありません。「本当に『だけ』ならいいよ」「それって毎日ごはん食べに来てくれるってことだよね」「三度三度食べに来てくれるんなら、サクヤさんの食事はわたしが提供しましょう。ひとりの食事は寂しいし」と爆弾発言のつるべ打ちです。さらに葛ちゃんの「嫌いな人との食事は味もへったくれもありませんよ」という横やりを受けても「でもサクヤさんのこと好きだからその条件に当てはまらないよ」と追い打ちに転化する始末。慌てて「お母さんのこと好きっていうのと同じ感覚の好きであって、別に深い意味はそのぅ……」と取り繕いますが……本当に深い意味が無いならあえてこんなことを言う必要はないのですよ! サクヤさんは「あ、ああ、わかってるよ」と完全にたじたじです。彼女が決定的に桂ちゃんに対して落ちたのはここだったのではないかと私は予想しています。このシークエンスにおける桂ちゃんからは、相手と一緒にいたいという少女らしいけなげさと同時に、大人の女性が性的接触を匂わせて恋人を家に誘うような、秘めやかなニュアンスも感じられます。こらぁかわいい顔をした鬼ですわ……。このような相反する魔性を兼ね備えているのが、この作品の吸血シーン並びに羽藤桂ちゃんが持つ色っぽさの秘密なのだと思います。
 ときに、このイベントは選択肢で「偏食はんたーい!」を選ぶと回避できてしまいます。そのままトゥルーエンドまで辿り着けてしまうのは構造上の重大な欠陥ではないでしょうか。強制イベントでよいではないですか。


二人を応援したくなる理由と人間関係の妙について
 前段で語ったように、『アカイイト』で執り行われる吸血行為は種族的、肉体的に強い者が血を奪って力を得る、弱い者が血が奪われたり捧げたりして守ってもらう、という単純な図式に落とし込めません。これはそのまま、われらが主人公である羽藤桂ちゃんとヒロインとの関係性にも当てはまると私は思うのですよ。
 桂ちゃんは超自然要素とは無縁の生活を送っていた高校生で、鬼が跳梁跋扈する経観塚においては彼ら彼女らと戦う術を身につけたヒロインに守ってもらう他ありません。これで桂ちゃんがただただ庇護されて持ち上げられて求愛されるだけのか弱いお姫様で、ヒロインたちが桂ちゃんにひたすら尽くして守ってくれる完全無欠の王子様だったら、作品のそのものの魅力が激減していたでしょう。

「切られた縁をね、結び直したいんだよ」
「そんなことをして何になる。昨夜説明したはずだ。私は警告したはずだ」
「鬼を引き寄せやすいわたしが、鬼切りの烏月さんと関わると辛い思いをするって?」
「その通りだよ。ただの人とさえ関わらないようにしているんだ。ましてやあなたは贄の血の持ち主。それなら――」
「それでもっ!!」
 遮る声が木霊した。
 響きが吸い込まれるまでの間で、ゆっくり大きく息を吸う。
 吸った息をゆっくりと、言葉とともに静かに吐き出す。
「わたしはね、烏月さんみたいに強くないから、『今あれをしないと』とか思っても、何もできないまま時間切れになっちゃうタイプなんだ」
「それで後になって『ああしてれば』『こうしてれば』って後悔するの」
「最近だと、もっとお母さんのお手伝いとかしとけば良かったって……そうしたらお母さん、過労で死んじゃったりしなかったかもって……」
「だからね、わたしはずっとそういうふうに生きてるんだから、後悔するかもしれない予約が今更ひとつぐらい入ったって、全然構わないよ」
「それに烏月さんの話って、やっぱり『もしも』の話だもん。そんな脅しに負けて逃げたら、わたし絶対に後悔する」
「どうして――」
「わたしが烏月さんと仲良くしたいから」
 正面から顔をしっかりと見つめて言う。
「やっぱり、烏月さんはひとりがいいの? わたしと友達になるのは嫌?」
「桂さん、あなたという人は――」

(◇元の鞘)


「確かにわたしは役立たずだけど……」
「だけど、わたしにだってできることがあるよ。わたしにしかできないことがあるよ?」
「……何をするつもりだい?」
「ユメイさんに、血をあげるの」
「わたし自身は弱いけど、わたしが血をあげれば、ユメイさんの《力》は強くなるから」
「あんたが命をすり減らして役に立ったところで、誰かが喜ぶだなんて思ってるのかい?」
「あんたを可愛がっていた笑子さんは? あんたを女手ひとつで育てた真弓は? そして――」
「あんたが血をやろうとしてる、当の本人は?」
 最初に会ったときにすべてを忘れろと言った、ユメイさんの瞳と声が脳裏をよぎった。
 だけど、でも……
「お祖母ちゃんのことは、わたしぜんぜん憶えてないんだけどね」
「お母さんだったら、できることがあるのに逃げるような子にはなって欲しくないって思ってるよ。だから死んじゃっても、きっと許してくれるよ」
「それにユメイさんは……」
ユメイさんの望みは、わたしが他の土地でのうのうと生きて、歳を重ねて朽ちていくことだったのかもしれない。
 でもね、ユメイさん。
「ユメイさんの方こそ、《力》を削ってわたしのこと助けようとしてるんだよ? そんな一方的に助けられてわたしが喜ぶと思う?」
「桂……」
「わたし、自分が間違ってるって思わないから退かないよ? 頑固だよ? こういうところ、お母さん譲りだよ?」
 わたしとサクヤさんは、そのまましばらく視線をぶつけ合った。
 真剣なサクヤさんの目は怖い。
 だけどここで目をそらしたら負けだと思った。この先にあるだろう怖いことには耐えられないと思った。
 だからわたしは目をそらさずに、震えそうになる唇の両端にぐっと力をいれて、サクヤさんが諦めるまで待った。

(◇吸血鬼)


 桂ちゃんはぽやぽやしていておっちょこちょいで、基本的にぽんこつです。しかし、駄目乙女ゲームの主人公のごとくただ守られるだけ、言い寄られるてもったいつけるだけではありません。彼女の行動力の高さと行動原理の確かさと押しの強さを、世にあふれる百合作品の主人公は見習うべきです。まず、桂ちゃんは身体を張ります。自分の代わりに戦ってくれるパートナーに対して自分にしかできないことで力になれるならと、文字通り命を削って贄の血を捧げます。こうした、相手と対等になりたいから自分の出来る範囲のことをしようという姿勢、身体が傷つくことを厭わないひたむきさはとても好感が持てますよね。また、この子はおっとりとした雰囲気に反して差し迫った危機に対したときの胆力が並外れています。眼前にヒロインの危機が迫ったときはわが身を省みず飛び出すし、ヒロインが臥せっているときや挫けているときはには自ら刀を取って――手と膝を震わせながらですが、だからこそ格好良い――鬼に啖呵を切ります。そして何より、彼女はこの人と決めた相手をどんな時でも信じ抜く心を持っています。それは思春期の少女にありがちな、相手に対する幻想や盲信から来る信頼ではありません。自分の人を見る目に対する絶対的な自信、そして相手が見せてくれた誠意から導き出される、全幅の信頼なのです。
 桂ちゃんの頑として譲らないところは、上記引用部や、主要四ルートのクライマックスにおける選択肢において顕著です。

信じると約束した
ケイくんの邪魔をした

(千羽烏月ルート)


忘れたくない
意識が―もう―

(若杉葛ルート)


わたしだけは見捨てない
月は蝕まれる運命なんだ

(浅間サクヤルート)


絶対にお姉ちゃんを助ける
ただ見ることしかできなかった

(ユメイルート)


 彼女の命の瀬戸際においても揺るがない意志の強さがひしひしと伝わってきますね。ところで、ここであえて(みえみえな)正解の選択肢を選ばせるのは、桂ちゃんの覚悟に読者の桂ちゃんとヒロインに対する想いを被せて、より感情移入を深めるためではないでしょうか。こういったゲームシステムと物語への没入をリンクさせた演出、粋だと思います。
 誰が何と言おうと、誰も何も言わなくても、羽藤桂ちゃんは百合作品史上最高の主人公です。
 ヒロインたちもまた、決して完璧超人ではありません。彼女らは社会の中で重要な役割を持っていて、桂ちゃん個人に対する保護者の責任も果たす立派な大人です。一見すると、烏月さんは屹然と独り立ちしていて、葛ちゃんは賢しらでしっかりしていて、サクヤさんはあっけらかんと悟っていて、柚明さんは限りない母性と包容力を備えているように見えます。しかし、その実等身大の弱さや人寂しさを心の底に秘めています。過去の凄惨な事件や重すぎる宿命に深く傷つき、あるいは相手のために自分を殺して本心をひた隠しています(それが本人のルートを読み解くことで見えてくるのは前述したとおり)。ところで、桂ちゃんの寄せる信頼、あるいは桂ちゃんの存在そのものが、贄の血がもたらす以上の力をパートナーに与えうるのは本編で証明されているとおりです。そのことと、彼女らが抱えた孤独や心の傷とは無関係ではないと思います。
 読者の中で『アカイイト』のヒロインらと同等に、家が特殊だったり、関係者に憎悪を向けられる任務やこの世に仇なす鬼を封じるお役目を負っていたり、そもそも人間よりずっと寿命が長い種族だったりする人は稀でしょう。しかし、彼女らの抱える孤独、負い目、コンプレックス、不条理に対する絶望と諦観、そして傷ついてもなお他者との繋がりを求めずにいられない性は、われわれの心にいつか感じたものと同種の痛みを与えてきます。葛ちゃんやサクヤさんや烏月さんや柚明さんやノゾミちゃんは、私です、私たちなんです。われわれ読者が桂ちゃんとヒロインを自然と応援したくなるのは、どちらも好感の持てる人物で、等身大の痛みを抱える二人がお互いに欠けている部分を補うように寄り添って生きていこうとする姿が胸を打つからではないかと思います。
 ことほどさように、『アカイイト』の面白さは単純に主導権を持つ側と受け身の側、強い側と弱い側という紋切り型の構図に収まらない人間関係の妙だと思うのですが、いかがでしょうか。百合作品の枠なら『マリア様がみてる』『ゆるゆり』などにも通じる魅力だと思います。


百合作品としての『アカイイト』が素晴らしいところ
 『アカイイト』は百合作品の最高傑作としてもその名を轟かせています。私がこの作品を評価しているのは、まず、無粋なことを語らないところです。ほら、駄目な百合作品といえば、やれ「男だとか女だとか関係ない! 私は人間としてあなたのことを好きになった!」だの、「確かに同性同士はおかしいかもしれないけれど、真に相手を思う気持ちがあれば関係ない!」だのと鼻息も荒くまくし立てて、二人の関係性に箔を付けようとするじゃあないですか。ああいったクリシェは偏見持ちでトクベツな関係に憧れている厨房からは安易な共感が得られるかもしれませんが、失うものも大きいです。『アカイイト』はそういった安直で時代錯誤なことは一切行っていません。あくまで人と人との出会い、交流、そして別れを丁寧な筆致で描き、複数のシナリオによって積み重ねていくことで、人の絆が生み出す悲しみと、それを遥かに上回る喜びを説いているのです。その妥協のない姿勢に惚れてしまいます。
 主人公である桂ちゃんとヒロインたちの関係は一筋縄ではいきません。桂ちゃんは鬼に命を狙われる血を身体に流しています。葛ちゃんは家という逃れられぬ宿命を負っています。烏月さんは鬼切りの家に生を受けた業に加えて、兄を自分の手で殺したという十字架を背負っています。サクヤさんは長命な種族に生まれたゆえの悲劇から逃れられませんし、ユメイさんはまつろわぬ鬼神を封じる役目を担っている上に、桂ちゃんは悲しみで封じた記憶をこじ開けないと彼女に近づくことはできません。ノゾミちゃんに至っては当初敵対している存在で、桂ちゃんは主に捧げる生贄でしかありません。桂ちゃんが彼女らと絆を結ぼうとするならば、そこには必ず血が流れることになります。そして、烏月ルートやノゾミルートのエピソードで示されるように、人の絆は時に因縁や禍根を生み出して悲劇を起こすこともあります。それでも、人と人が寄り添いあって生きていくのは素晴らしいことだ、悲しみを上回る価値があるものだ、時には憎悪から生まれた縁がそれを癒すことすらあるのだ、と力強く謳っていることがこの作品の素晴らしいところなんです。
 逆説的ではありますが、『アカイイト』が百合作品の傑作たるゆえんは、人と人との関係における普遍的な価値を表現しているところ、そして今まで語ってきたように、ノベルゲームとして普遍的な面白さを備えているところだと思っています。この作品が提示している価値観こそ、正しい意味で「男とか女とか関係ない!」ものでしょう。
 日本もいずれはつまらない偏見が払拭されて後進国から脱却し、同性愛はありふれたものだという見識が浸透することでしょう。……きっとそうでしょう。……そうでないと困ります。そして、時代が真っ当になった時、上掲したようなホモフォビアが満載された作品は旧時代の遺物として鼻で笑われ、うっちゃられることでしょう。そして、残酷なようですが、同性同士の関係をフェアに書いていること「だけ」が売りの平凡な作品は相対的に価値を失い、新しく生まれる作品の中に埋もれて、やがて忘れられていくでしょう。そんな時代が来たとしても変わらず光り輝きつづけるのは、『アカイイト』や『咲-Saki-』のような普遍的な要素を備えた作品だ、と私は思っています。
 フヘンフヘンとうるさかったかもしれませんが、作品の普遍性とは何かを考えるのが私のライフワークなのでお許しください。


「ふへへっ、百合度が薄いだぁ? 寝言言ってんじゃねぇよ」
 この評判についてはあまりにもあほらしいので、さらっと流します。みやきちさんのレビューに書かれている以下の箇所が真理でしょう。

 桂とルートごとのメインキャラとの関係はどのシナリオでもかなり濃く、胸をドキドキさせたり頬染めたりともう大変です。これでも百合濃度が足りないって人は、単純明快な大告白だのラブシーンだのがないと頭がついていけない可哀想な人なんじゃないかしら。

PS2ゲーム『アカイイト』(サクセス)レビュー - 石壁に百合の花咲く


 例えば、サクヤルートのこのシーン。

「だけどお腹が減っては戦争できないっていうし、ちゃんと飲まなきゃ《力》が出ないよ」
「あのね、桂。どっかのシリアル食品のCMじゃないんだからさ」
「あはは、だけどわたしの血って栄養ドリンクみたいなものだし」
「まったく、あんたもたいがいムードのない子だねぇ……」

(◇封じの綻び)


 こんなことを言うのは、サクヤさんがこの瞬間をムードを大事にしてほしいような、親密で神聖なものだと考えていたからでしょう。続いて、ユメイルートのこんなやりとり。

「ちょっと柚明! 桂がまずいよ! あんたのことお姉ちゃんって、思い出してるよ!」
「ええ、そうですね……」
「そうですねって、柚明! あんた、何とかできないのかい!?」
 必死な様子のサクヤさんに向かって、お姉ちゃんが悲しそうに目を伏せて首を振っている。
「桂ちゃんは思い出したがっていましたから、この家に留まればいずれは――と思っていました」
「そしてわたしも――」
「わたしも心のどこかでは、桂ちゃんがつらい思いをするとわかっていながら、思い出してほしいと――そう思っていました」
「柚明、あんた……」


 あれだけ人間が出来た柚明さんがエゴを抑えることができなかったのは、桂ちゃんに対する感情が親愛や庇護欲だけではないからですよ。
 これくらいは読めないと駄目です。そこまで読めてもまだ「百合度が薄い!」「恋愛まで行っていない! 家族愛の範疇だから駄目!」とおっしゃるなら、価値観が違いすぎます。
 そして、ヒロインが桂ちゃんに向ける想いが恋愛ではなくて家族愛だったとして、それで何が困るというのでしょうか。その二つの間にどっちが尊い、どっちが上という序列が存在するのでしょうか? それは両立しえないものなのですか? もし恋愛を妙に神聖視していて、家族愛を下に見るスイーツ(笑)な価値観を持ってらしたら、窓から投げ捨てたほうがよいですよ。


各ルートの雑感
 ここまでで作品全体のコンセプトは説明できたと思うので、個々のルートのざっくりとした感想に移ります。何も考えずに前半を飛ばしすぎて、似たような表現が多くてくどくどしくなってしまいましたが、あしからずご容赦ください。

1.千羽烏月ルート『爽やかな立ち風』

「桂さん――」
「自分の業は、自分で背負うしかないから」
 わたしには鬼切りの業はわからないけど。
「だけど、あなたが良いというのなら、ほんの少しの間でも私を支えていて欲しい」
 信じる心が《力》になるなら、わたしはいくらでも支えよう。
「業の重さに崩れそうな私を、あなたのその手で支えて欲しい」
 小さな光が希望になるなら、わたしはいくらでも支えよう。
 本当に暗いときにこそ輝いて見える、日常の象徴にわたしはなりたい。
「……うん」
だからわたしは言葉少なに頷いて、戦いに立つ烏月さんの背中を見守る。

(◇鬼切りと鬼)


 千羽烏月ルートの完成度は群を抜いています。唯一の家族だった母親を亡くして天涯孤独になった(と思い込んでいる)主人公が、自分のルーツである生まれ故郷に帰って運命の相手と出会い、別れた直後に偶然の再会をする。敵か味方か謎の人物との邂逅があり、怪異に次ぐ怪異、敵の襲来と攻防があり、ヒロインとの価値観を巡る衝突と決別があり、主人公の意志と押しの強さが勝った和解と縁の結び直しがあり、気の利いたセリフやユーモアがある(三日目夜には涙が出るほど笑わせてもらった)。終盤では、敵味方が入り乱れての立ち回りから、謎の人物は敵の首魁かと一瞬思わせておいての共闘があって、主人公の命の危機とヒロインの挫折を経て、仇敵と思い込んでいた相手との和解と秘伝の継承という王道のイベントをこなし、最後は主人公との絆を再確認したヒロインが再起して獅子奮迅の活躍で締め。エンターテイメントの要素の満漢全席です。かっちりとしたプロットで、スピーディーに展開される王道ストーリーはよくできた二時間映画を見るかのごとくです。
 千羽烏月ルートは一個単体の物語として完結を見ます。しかし、壮大な世界の全容は未だ伺えないままです。果たして桂ちゃんが記憶を失った理由とは? ノゾミちゃんとミカゲちゃんの言う十年前の事件と何か関係があるのか? 彼女らが封印を解こうとしている主とはどんな存在なのか? サクヤさんは目の前の怪異に一切動じず、桂ちゃんの過去や鬼切部の事情にも通じているらしいが何者なのか? ケイくんは鬼切りの関係者らしいが、サクヤさんやユメイさんのことも知っていそうだし、本当に何者なのか? 桂ちゃんがユメイさんに懐かしさを覚えるのはなぜなのか? と、人物描写や物語の過去についていくつもの穴を残しています。この穴は残す4ルートを踏破していくことで段々と補完されていくこと、その際の視界が開けて世界の全容が明らかになっていくさまがすこぶる付きの美しさであることは記事の前半で語ったとおりです。
 当たり前の話ですが、一個の物語としてのパワーを保ちながら読者を煽るほのめかしをするのは至難の技です。世に溢れる情報分散型ADVの序章が得てしてほのめかしや伏線張りに終始してしまう中で、千羽烏月ルートの完成度は異様ですらあります。ほれぼれするほどの職人芸ですね。アドベンチャーゲームのオープニングナンバーとしてこれ以上のものが求められるでしょうか。私は『アカイイト』の名作感のうち三割ほどは烏月ルートの出来に因っていると思っています。
 烏月ルートは良質のエンターテイメントで読後感も爽やかですが、浮ついたファンタジーには決して堕していません。その本質は限りなく重く、われわれの胃の腑を締め付けます。烏月さんは鬼切りの家とお役目に縛られています。「鬼切部千羽党が鬼切り役、千羽烏月が、千羽妙見流にてお相手いたす」という口上に象徴的なように、自分の血統と無辜の人を鬼から守る役目を誇りにする一方で、そのあまりの重責に苦しみあえいでいます。鬼の関係者からぶつけられる憎悪、そして兄を裏切った(と彼女は勘違いしている)ケイ君に対する恨み、自らの手で敬愛する兄を切った罪悪感が、彼女の孤独と自分に対する不信を強めています。そして、彼女を縛るものは自らに流れる血に因っています。それは常に自分につきまとっており、振り切ろうとも振り切れません。生まれた時点で決定されていることがら、替えの利かない身体の一部なのですから。お役目を全うすることは彼女の宿命とも言えます。そんな彼女も、ある意味ではどんな鬼より強い、相手を信じて自分の命を賭ける強さを持った桂ちゃんと絆を深め、憎しみ抜いていた仇敵との和解、明らかになった真の宿的との対決という通過儀礼を経て、己の宿命を受け入れていきます。烏月ルートは彼女が宿命を超克するまでの物語です。
 人生においては抜き差しならないことが存在するのは間違いありません。われわれの世界には変えられるもの、変えていかなければならぬものも多々ある一方、替えの利かないもの、触れるべからずなものも確かに存在するのです(そのもっともたるものが「死」でしょう)。それらとは折り合いをつけて付き合っていくしかありません。それは困難極まりないことでしょう。誰もが思わず目を背けたくなります。しかし、エンディングでの烏月さんの爽やかな立ち姿は、何かとままならないことばかりのわれわれにほんの少し勇気を分けてくれます。生きていく気概を与えてくれるのです。


2.若杉葛ルート『彼岸の花をつかまえて』
「やっぱりね、ひとりは駄目だよ、葛ちゃん」
「ひとりだと悪い考えがぐるぐる回っちゃって、全部がそういう風に見えてくるから」
「世の中にはひどい人もいっぱいいるけど、いい人だっていっぱいいるんだよ?」
 自分以外は信用できない。だからひとりの方がいいなんて言っているにもかかわらず、その信用できない他人であるわたしを気遣っている。
 冷たい環境で育った葛ちゃんがそうなんだから、温かな環境で育った人たちの中には、もっと多くの割合でいい人がいるんじゃないかと――
 葛ちゃんほど賢い子が、そんなことにも気付かないだなんて。
 自分自身のことはなかなか見えないものだけど、葛ちゃんは自分のこともひどい人の範疇に入れてしまっているのだろうか。
 小さな背中にまわした腕に力を入れて、確かな温かさを確かめる。
 硬くこわばった身体を、わたしの温度で溶かしたい。

(◇コドク)

 葛ちゃんはわたしから身体を放して、オハシラサマの方へと歩きながら首を振って言う。
「ねえ、桂おねーさん」
 人ではないモノの側に寄りながら、言う。
「わたし、まるっきり人間離れしてしまったんだと、ようやく実感沸いてきました」
「あ……」
 吹っ切れたように笑いながら――
 だけど、葛ちゃんは悲しいときに笑うのがきっと上手な子だから――
 目先のことで精一杯で、大事なことを忘れてしまうわたしは大ばかだ。
「そのね、葛ちゃん。気にさわる言い方しちゃったんなら――」
 その《力》のせいで鬼のいる世界から逃げられないなら――
 若杉の当主として、闇を統べる鬼切り頭でありつづけるしかないのなら――
 それならわたしは、ずっと贄の血を引いたままそばにいるから。

(◇漂白夢)


 葛ちゃんが好きな方には割と酷な内容になっているので、あしからずご容赦ください。私は非常にドライな人間です。
 俯瞰して『アカイイト』という作品全体の完成度について考えるなら、どうしても「若杉葛ルートはアカイイトの構想に必要だったのか?」「そもそも葛ちゃんは必要だったのか?」という話題は避けて通れません。少なくとも、葛ルートならびに若杉葛その人が『アカイイト』全体の構成、コンセプトから浮いているのは如何ともしがたい事実です。それは烏月、サクヤ、ユメイルートの三本はおろか、ボーナストラック的位置づけのノゾミルートと比べても顕著です。
 それではなぜ、葛ルートは浮いて感じられるのでしょうか。まず、このルートで張られる伏線のほとんどは、葛ちゃんの家系である若杉のことやコドクでの壮絶な体験に関するものです。それはこのルートの終盤でほとんど回収されてしまい、他のルートにあまり繋がっていきません。一応、烏月さんが語るお役目に関する話、相棒の尾花ちゃんや彼岸と此岸エンドに登場する白花ちゃんの存在、そして丹塗矢の話や経観塚郷土資料館で調べられる経観塚の昔話などは他のルートに関わっていますが、それも葛ちゃん本人にはあまり関連がないのが痛いです。
 そして、葛ちゃんがここ経観塚にたどり着いたのに何の因果もないが重くのしかかります。物語内で起こる事象に全て因果関係が存在する必要はありませんが――そんなものは退屈以外の何ものでもない――登場人物のほとんどが確固たる目的意識、浅はかならぬ因縁でこの舞台に立っているからには、設定にもう一ひねりが欲しかったところです。受け手側の一方的な我が儘かもしれませんが、相対的に彼女のキャラクターや存在意義が弱く映っているのはとにかく残念です。
 もし、葛ちゃんもとい葛ルートの乖離に梃子入れするなら、これはもう白花ちゃんをコドクに巻き込むくらいのことをしないと駄目ですが……そこまでやったら白花ちゃん過労死しますなぁ。
 どうしても歯切れのよい評価は下せませんが、家と女性、宿命の克服というテーマは烏月ルートと共有していて、お互いに真実味を補完しています。また、日本を政治の面でも祭礼の面でも統べるという鬼切部の凄みを見せる役割も担っています。脚本については劇中期間は短いものの、距離を取ろうとしていた葛ちゃんが次第に桂ちゃんの無防備さとひたむきさにほだされていく様子は要点を押さえていますし、「人でないモノ」の世界に戻ろうとする葛ちゃんに対して、自分がその世界に踏み込んででもそばにいてあげたいと思う桂ちゃんのけなげさ、意志の強さにも心打たれます。葛ちゃんが尾花(一言主)の力を取り入れてノゾミちゃん、ミカゲちゃんを撃退する展開も、イヤボーンになる寸前で踏みとどまっているのではないでしょうか。

3.浅間サクヤルート『ついのときまで』

「そうだね、大切な人に置いていかれるのは辛いよね……」
「わたしもお母さんが死んじゃって――」
「ひとりになっちゃったって思ったけど、本当はそうじゃないんだよね」
 あのときだって隣にはサクヤさんがついてくれていた。
「周りに誰もいなくならない限り、ひとりになんかなれないんだよね。生きている限り」
 自分から人を遠ざけない限り、そうそうひとりになんてならない。
 そして――
 大切なひとがいなくなることがあるのと同時に、大切なひとができることもあるのだから。
「それじゃあ――はい、サクヤさん」
 小指を差し出して、無理矢理にからませる。
「サクヤさんは特別に、一番近くにいさせてあげるから、守りたいならべったりでいいよ」

(大切なひと)


 浅間サクヤルートもまた、烏月ルートと葛ルートの流れを汲んでいます。烏月ルートのようなバトル路線の色合いは薄れ――殺陣があるのはほぼ主との最終決戦のみである――浅間サクヤその人のバックグラウンドの解明(ここが過去パートの中核をなす部分でもある)や人物描写に分量が割かれています。その丹念な描写を軸に、これまでの2つの物語で掘り下げてきた「宿命」「業」というテーマにさらに深く切り込んでいます。
 人の不幸比べなど詮無いことであり、これはあくまで主観にすぎませんが、サクヤさんの宿命は烏月さんや葛ちゃんのものと比べてなお非情で執拗です。サクヤさんは桂ちゃんのことを愛おしく思っています。思ってはいますが、種族の違いによる寿命の差という如何ともしがたい理由ゆえ、そしてその境涯における苦い経験ゆえに、どこか距離を置かずにはいられません。そんな描写はあったろうかと首をかしげる人もいるかもしれませんが、私には他のルートにおけるサクヤさんのちゃらけた態度は、深入りし傷つかないよう自己防衛しているように思えます。しかし、桂ちゃんとサクヤさんは共に困難受難を乗り越え、互いをより深く知りあうこと(過去を知ること、イコールその人のルーツを知ること、痛みを共有すること、という図式はどのルートでも見受けられる)で、再び相手との関係がどれだけ大切なものかを痛感し、再び一歩一歩歩み寄っていきます。そして物語の最後には、その関係の限界を理解した上で、限りある時間をよりよいものにしていこうとさらに深く結びつくことになります。そんな桂ちゃんとサクヤさんの姿は、けなげで、愛おしくて、そして……ああ、例えようもなく美しいのです。胸が張り裂けそうで、それでいて信じがたいほど力強く……筆舌に尽くしがたい思いで、とにかく胸がいっぱいでした。
 サクヤルートの、例えその人との関係が有限であっても、片方が取り残されることが分かっていても、それでも人が互いを守りあって生きていくのは素晴らしいことだ、悲しみを上回る価値があるものだというメッセージは、われわれの心をしたたかに打ちます。桂ちゃんとサクヤさんの場合は特に強調されているだけで、相手に先立たれて残される辛さ、相手を置いて先立つ無念さは、われわれだって何ら変わらないのです。繰り返しですが、サクヤさんの痛みはわれわれの痛みなんです。今でも語り継がれている伝承や童話は、突飛でいながら何かしらの今日性を備えているというのが私の意見ですが、『アカイイト』という現代の異類婚姻譚もわれわれの心を揺さぶってやみません。
 もう一つ、このサクヤルートでは千羽烏月さんの動向に目を向けてほしいです。このルートの最終局面で、神話にその名を刻む鬼神の主が復活を遂げますが、彼女は怯むことなく「人に仇なす鬼を切るのが鬼切り役の務め」という信念の元に、サクヤさんと共同戦線を張ってくれます。おそらくあなたはそこでの彼女が恐ろしく生き生きとして見えて、維斗の太刀を抜いて共に戦ってくれるのにこの上ない頼り強さを覚えることでしょう。
 この現象はわれわれが千羽烏月ルートを観測済みであることに起因します。われわれは既にして、烏月さんの悲痛な境涯を細目に至るまで知りつくしています。彼女の一本気で凛とした性質を理解しています。最終決戦における獅子奮迅の戦いぶりが目に焼き付いていて、己が運命を克服したあとの爽やかな立ち姿に感動を覚えています。このルートでは烏月さんのバックグラウンドが細かく描写されることはありません(当然、サクヤさんの描写に重きが置かれている)。しかし、こちらは語られる以上のことを知っているわけで、それがこのルートにおける彼女のキャラクターに得も言われぬ厚みと奥行きを生んでいます。彼女が太刀を振るって主の猛攻を凌ぐ姿に、烏月ルートでの勇姿が被さって見えるのです。この記事のかなり前の方で「それぞれのルートは隣り合った世界線の物語で、お互いに浸食して影響し合っている」と書きましたが、つまりはこういったことなのですよ。
 これがアドベンチャーゲームの、実際の文字数以上のものが伝わってくる魔法です。この作品は驚くほどこの魔法を使いこなしています。ルートを踏破していくたびに、そして再プレイのたびに、キャラクターや世界に息吹が込められて輝きを増す。その美しいさまに、私はただただ感嘆のため息を漏らすのみでした。それまで慣れ親しんだどの活字媒体や映像媒体にもない、全くの新感覚でした。私はこの時点で、アドベンチャーゲームの魅力に完全に呑まれてしまったように思います。この快楽から一生抜け出せないものと覚悟しましたし、じっさい私はいまでもこの媒体の虜です。

4.ユメイルート『白花の咲く頃に』

「……どうすれば安心させてあげられるかしら」
「わからない?」
 お姉ちゃんが消えずにすむ方法は、今のところたったひとつと言ってもいいのだから、
 わからないはずがない。
「そうね……でも、わたしがこんなことを言ってもいいのかしら」
 頭を撫でてくれていた手が止まった。
 そのことにためらいがあるのはわかるけれど、わたしとしてはそんなに気遣って欲しくない。
 柚明お姉ちゃんが身をていしてわたしを助けてくれるように、わたしにだって身を削る覚悟ぐらいとうにできているのだ。
 だから、あえて、わたしは問うた。
「こんなことって、どんなこと?」
「桂ちゃん、あなたの血を頂戴」
「うん……いいよ、お姉ちゃん」
 空には大きな真円の月。
 蛍のように儚くはない、青白い光を放つもの。
 蛍は水しか飲まないから、短い命しか持たないけれど――
 わたしは柚明お姉ちゃんに月になって欲しい。
 暗い夜道を照らしてくれる、わたしを導く光になってほしい。だから――
 くっと顔を横に向け、首筋を差し出した。
「たぶん、わたしの血は甘いよ?」

(◇蛍の多く)


「それじゃあまた――」
「――縁樹の導きがあるときまで」

(◇代わりの柱)


 壮大な『アカイイト』の物語もここで一応のフィナーレを迎えます。プロットの確かさと息もつかせぬ展開で読ませる烏月ルートも、神話・伝奇路線のサクヤルートもよいですが、柚明さんがまめまめしく桂ちゃんの世話を焼く様子、桂ちゃんが幾度となく血を捧げる様子が丹念に描写されて、思慕の情がしっとりした空気を作るユメイルートもなかなかのなかなかです。また、情報分散型アドベンチャーゲームの最終シナリオとしてもこれ以上のものは臨めません。素晴らしい締めを執り行ってくれます。
 物語の大詰めも大詰め、このユメイルート最終日も半ばに来て、どこか陰のあるキャラクターの中で異彩を放っていたユメイさんが初めて「桂ちゃんがつらい思いをするとわかっていながら、思い出してほしいと思っていました」と(本人すら気付いていなかったかもしれない)本心をさらけ出すことになります。およそどんなちゃらけたキャラクターであれ、心の奥底を吐露する場面では目頭が熱くなってしまうものですが、それが普段自分を表に出さない人間だったりすれば何をか言わんやですね。既にユメイさんと十日余りを過ごしている――このルートの物語時間では三日と経っていないが――われわれは、これまでオハシラサマのお役目を全うし、桂ちゃんを守護する役割に殉じていた彼女の凛とした姿を思い出し、そして桂ちゃんと今生の別れとなってしまった異なる未来のことを思い、涙します。大泣きです。これまでひたすらに尽くして自分を殺す存在であったユメイさんが一人の人間へと帰り(身体を拭いたり髪を梳かしたりする所帯じみた世話焼きの描写は、彼女が人間になるための一種の儀式だと私は考える)、また外(お役目、社会、世界)へと開かれていた物語が内(個人)へと収束する瞬間です。『アカイイト』全体を貫いていたテーマ「宿命」「縛り」から解放される瞬間でもあります。この瞬間のカタルシスたるや凄まじいものがあり……ああ、思い出すだけで目頭が熱くなってしまいます。これも3ルート、3本の物語をもって丹念に描写してきたものがあるからこそです。私は未だ物語の山場を残していながら、いったんプレイの手を止める他ありませんでした。何せにじんだ涙で画面がよく見えなかったのです。
 そしてエンディングの一歩手前、四日目夜の回想において、烏月ルートでは「過去」、サクヤルートでは「大々過去」が判明し、痒いところに手が届かぬようでもどかしかった合間の「大過去」に当たる部分が補完されます。それまでまとまりのないように思えた過去の事象に流れが見えて、ようやっと世界観が完成します。胸に熱いものがこみ上げてきますね。
 ユメイルートはおそらく最後に読まれることが想定されているため、如何せん伏線回収のための過去回想パートの割合が多く、いくらか現在進行の話を妨げているのも事実です。しかし、それを説明・弁解に終始させることなく、次ぐラストシーンへと結びつけているのが素晴らしいですね。過去から現在へと視点が移動し、そして人と人、場所と場所、シチュエーションとシチュエーションとが時を越えて繋がる演出は鮮烈で、中だるみをけろりと忘れてしまいました。御大は大した演出家ですね。
 最終的に、桂ちゃんと柚明さんはほぼ後顧の憂いのない形で結ばれることになります。烏月さん、葛ちゃん、サクヤさんに比べれば段違いにハッピエストに近く、痛みに溢れる『アカイイト』の世界では少々甘すぎるほどです。エピローグの最後における「わたしたちは、ちゃんと幸せに暮らしていますって」という二人の言葉は、悲しき宿命を背負った他のヒロインたち、そして悲劇の結末を迎えた異なる未来の自分たちへの餞の言葉とも取れないでしょうか。今までをペシミズムに徹していたからこその、大歓迎のべたべたハッピーエンドです。我々はほろ苦い味の(そして烏月ルート、葛ルート、サクヤルートと段々と苦みの強くなっていた)口を直され、これ以上ないほど満たされた気分でコントローラーを置くことになります。
 いやはや、全くもって文句のつけようがありません。考え得る限りに最高の締めです。皆さん、万雷の拍手を送ろうではありませんか。

5.ノゾミルート『光は風に』

「桂! 私は自由になりたいのよっ!」

(◇鏡開き)


 位置付けとしては本編クリア後のおまけシナリオに近いです。分量は主要三ルート(烏月、サクヤ、ユメイ)の三分の一もありません。物語の導入部は強引で、展開もなかなかの急勾配です。しかし、明かされるノゾミちゃんの壮絶な過去は彼女の歪んだ性格を悲痛なものに見せるし、彼女が意外に弁の立つ桂ちゃんに丸め込まれてほだされていくさまは感情移入できるし、ミカゲちゃんが従順な妹の仮面を捨てて襲ってくる展開も、今まで敵対していたノゾミちゃんが共闘してくれる展開も熱いし、最後の笑顔がぼやける一枚絵は涙を誘うし、ラストへの着地も見事だし、エピローグで見せる二人のやりとりもほのぼの身に沁みます。なかなかどうしてうまく纏まっているのではないでしょうか。
 また、全体に占める割合こそ少ないものの、このノゾミルートも『アカイイト』世界の一端を担っています。一見完璧に思えたサクヤルートとユメイルートでの伏線回収に取りこぼし――巧妙に隠されていて、このルートを目にしなければ伏線として認識できないであろう凝った代物―― が発覚します。サクヤルートで語られる事件と、ユメイルートとの間にある空白期間に暗躍する存在がいたことが判明するのです。それはこの物語内できっちりと補完され、あなたの頭の中の『アカイイト』世界にさらに一本骨を入れることになるでしょう。
 何より、このルートはノゾミちゃんという人間を立てる上で殊に重要です。本筋の四ルートを読み終えて、おそらくあなたは高慢かつ残忍、なのに思慮浅薄な彼女に対してあまりよい感情を持っていないことでしょう。ここで明かされる彼女の出自は、そんなあなたの認識に何らかの影響を与えるはずです。少なくとも同情の余地は生まれるだろうし、もしかすると彼女を愛おしいとさえ思うかもしれません。現に私はそうなりました。
 そして、元々恨み辛みから始まった因縁が(ノゾミちゃんの場合は、完全に逆恨みである)時には生涯のパートナーとの出会いにもなり得る縁の妙は、この作品全体を貫くメッセージだと思います。言うなれば、ノゾミルートのシナリオは『アカイイト』の縮図なのです。また、依代の良月を破壊したことで消えるはずだったノゾミちゃんが青珠のお守りに取り憑くことによって救われるオチも、本来お守りが彼女のような鬼を寄せ付けないための呪物であったことを考えると、運命の皮肉を感じさせますね。
 おまけのシナリオとしては100点満点です。欲を言えば、烏月ルートの中途半端な地点から分岐させるくらいなら、番外シナリオとして完全に独立させて、タイトル画面から直接飛べるようにしてもらいたかったですが。

 ことほどさように、各ヒロインのルートで繰り返し登場するフレーズ、提示される価値観があることが分かっていただけたかと思います。『アカイイト』のルートに横の繋がりが強く感じられるのは、年表作成型のデザインやルート間を渡り歩くサブキャラクターの存在に加えて、共通するメッセージ性も大いに影響していると私は考えています。


アカイイトの真髄は再プレイにあり
 これはもう、タイトルそのままです。『アカイイト』の真髄は再プレイにあります。せっかく全てのルートを精読したのに一度も再読をしないのは、この作品をそもそもやらないのと同じくらいもったいないことをしています。トゥルーエンドをコンプリートした直後のあなたは、どれもが濃ゆい5本の物語を鑑賞して、フルコースを平らげたような充足感で満たされていることでしょうが、どうかどうか、ディスクを入れ替える前に千羽烏月ルートだけでも再プレイしてもらいたいです。脳内の『アカイイト』世界が完成を見た後に読む烏月ルートは、途方もない破壊力です。
 上記の5ルートを通過し、皆さんの頭の中には完全なる世界が組み上がっています。物語の背景からキャラクターの人となり、動機、過去にいたるまで細目をインプットされています。おそらくあなたは、初回プレイとのあまりの印象の変わりように度肝を抜かれるはずです。 五本のルートに分けて丁寧に描写されたキャラクタはぎらぎらと光を放ち(サクヤさんやユメイさんやノゾミちゃんやケイくんが何と生き生きしていることか!)、バックグラウンドはぐんと奥行きを持ち(「あなたは確か、10年前の?」 10年前! あの事件のことね! 俺にはわかってるぜ!)、登場人物の何の気なしと思えた一言が重大な意味を帯びてくる(「鬼が出るか、蛇が出るか、果ては両方か」ねぇ。白花ちゃんめ、うまいこと言いやがって)のです。当然のことですが、テキストの分量は一文字たりとも変わっておらず、烏月ルート本来のスピーディーな展開とドラマの魅力は一切損なわれていません。なのに世界の色鮮やかさは段違いなのです。まるで魔法のようではありませんか。
 千羽烏月ルートは単体でも十二分に読ませるシナリオです。そこに四ルート十一日分(ノゾミルートは一日で計算)もの情報が覆い被さってくるわけですから、その密度は推して知るべしですね。私は外(画面)と内(脳内)から押し寄せる怒濤のような情報量に圧倒されてしまいました。ナチュラルトリップとはあの時のような感覚を言うのではないでしょうか。


あえて不満点を上げるなら
 この作品についてこれだけ……ありとあらゆる角度から褒めちぎったのですから、いくつか不満点や要望点を書いても許してもらえるでしょうか。
 まず、システムやインターフェイスが時代相応に使いづらいです。特にセーブスロット数が24個しかないのとスキップが鈍重なのは、分岐が細かくて攻略無しだとある程度のトライ&エラーも必要なゲームデザインなので割と気になります。
 予算がなかったのでしょうが、CGの枚数が物足りなく感じます。足りない分を視点の移動や一部拡大で多く見せよう、動きを表現しようという工夫の跡はうかがえますが……。名シーンが山ほどある分「なぜここに一枚絵がないのじゃあ!」と叫んだ箇所が複数ありました。とりあえず、羅ごうの力を得たサクヤさんの攻撃モーションは専用のものにしましょう。
 これも予算の都合でしょうが、効果音のいくつかが安っぽい上に、場面にマッチしていない箇所があります。桂ちゃんが携帯電話を開くときの「ガジャリッ!」という刀の鍔鳴りのような物々しい音は、ファンの間でネタになりつつありますが、主の本体が火雷を放ったときの効果音が、冬場の静電気みたいな「パチィ」という音だったのはちょっと腰砕けになりました。
 マルチエンディングがこの作品の魅力の一つであることは間違いないですが、個人的に32個は若干多く感じられます。いくつか代わり映えしないものも存在していて(『アオイシロ』ほど酷くはありませんが)、特に桂ちゃんが崖から転落する死亡エンドはいくら何でも多すぎます。桂ちゃんがワンパターンで死にすぎるとサクヤさんやユメイさんの保護者責任に疑問が生じますし、脚本家の作為を感じてしまいます。類似のバッドエンドは剪定して、20個前後に絞ってもよかったのではないでしょうか。
 描写の書き込みについて、気になるところがいくつかありました。劇中の期間が四日しかないことを不満に思う声も聞こえてきますが、私はその点に関しては特に気にしなかったですね。むしろ残念に思ったのは、鬼と切り結ぶ殺陣の描写や、封じの柱の儀やオハシラサマのお祭りなどの呪術、祭礼的な描写が割とスキップされているところです(通称「そしてキングクリムゾン」)。例えば、ユメイルートの回想シーンで真弓さんがノゾミちゃんたちを切り伏せるシーンがありますが、刀を振るうSEと共にノゾミちゃんが消滅してあっという間に終わってしまいます。あれは引退していたレジェンドが再び剣を取るという非常においしいシチュエーションなのにもったいないです。あそこに真弓さんの一枚絵や立ち絵を用意して、当代最強と言われた鬼切りの業をノゾミちゃん、ミカゲちゃん相手に遺憾なく見せてもらえば、シナリオとしても盛り上がった上に真弓さんの人気、知名度共に上がったのは間違いありません。バトルと呪術をもっともらしく書くのは骨が折れるでしょうが、伝奇ゲームの華なので頑張ってください。後は、完全に好みの範疇ですが、エピローグなんかはもうちょっと分量があったほうがより余韻に浸れてよかったと思います。
 サクヤルートの◇そこが肝ですからにおける重要なイベントをスキップ出来てしまう不備については上で書きましたが、他にも烏月ルートで一緒の布団で寝てからの「お母さん、わたし大丈夫だよ……」も回避してトゥルーエンドに到達できてしまったような記憶があります。誰もが全分岐を網羅するわけではないので、ドラマにおいて殊に重要なシーンは必ず通過するデザインにしてほしかったです。分岐はもっと減らしてくれてもよいです。
 誤字が多い! 特に一番最後に書いたとおぼしきノゾミルートがひどいです。
 タイトルの「和風伝奇『ホラー』アドベンチャー」の部分はこっそり消しましょう。
 吸血ゲージシステムの存在は抹殺してください。邪魔です。
 ノゾミルートは分岐する箇所が中途半端なので、タイトル画面から飛ばしたほうがよいと思います。
 後述しますが、『髪長姫』は補完話としてあまりにも面白すぎるので、クリア後のエクストラエピソードとして実装してほしいです。あれの存在を知らない読者、特に柚明さんと白花ちゃんのファンがかわいそうでなりません。
 ドラマCD『京洛降魔』はカットした台本を復元して、ファンディスクに仕上げてください。お願いします!
 細かいところが気になって仕方がないのは、本編がこれ以上ないほど気に入っていることの裏返しです。玉に瑕、というやつです。以上の点を直してもらえるなら、超私的エロゲーオールタイムベストの一位にするのにやぶさかでないです(キリッ)。というわけで、若杉組の皆様方、十周年を期に『アカイイト for Windows 改訂増補版』の開発を検討していただけないでしょうか。


番外編『髪長姫』を読もう

●アカイイト●

 公式が音信不通になって久しい上に、今ではこの作品について語るサイトも少なくなってしまったので、公式サイトに原作Web小説(そう、この作品はそもそも「話題のWeb小説のゲーム化」という触れ込みだったんですよ。実際はただの宣伝でしょうけど)と番外編の短編小説が載っていることを知らない人も多いのではないでしょうか。このうち、原作Web小説についてはあまり語ることがないです。これはゲーム本編での葛ルートに相当する内容なのですが、シナリオの大筋は全く変わらないので本編を読破した人はいまさら読むまでもありません。その上、第三者によるテキストの手直しが入っているようで(噂によると、Web小説版に麓川御大のクレジットが入っていないのはこのため)、分かりきったことをわざわざ付け足すような改悪が散見されるため、体験版代わりとしてもあまりお奨めできません。そちらはうっちゃっておいて、私が是が非でも読んでほしいと思っているのが、麓川御大その人による書き下ろし番外編の『ひととせのひとひら』『吾輩は狐である』『髪長姫』です。この中でも『髪長姫』の出来は白眉です。時間軸としては、笑子さんが亡くなってお葬式を挙げてから、桂ちゃんたちが良月の封印を解いてしまうまでの間の出来事で、幼き日の桂ちゃんと白花ちゃん、まだオハシラサマに成る前の学生時代の柚明さんが登場します。この話は時間軸から分かるとおり、サクヤルートで判明する過去とユメイルートのそれの間にある空白期間を埋めるような内容で、パズルの最後の一ピースがはめられるような快感がありました。頭の中にある『アカイイト』年表の完成度を更に高めてくれます。これを後付けで考えたのならすげーなすごいです。内容としては、幼き日の桂ちゃんが伸ばしていた髪を男の子の白花ちゃんと同じくらい短くした経緯が語られるのですが、その事件に至る動機や事件後の様子に、その登場人物らしさがこれでもかと表れています。何と言いますか、昔日の登場人物がまっこと生き生きしているのですよ。本編で見せる姿に違和感なく繋がるような、巧みな過去描写です。桂ちゃんは小さい頃から柚明お姉ちゃんのことが本当に好きで仕方ないのがよく分かるし、柚明さんは柚明さんで全くもってまんざらじゃあないことが伝わってきます。そして、極めつけは白花ちゃん。彼は年相応に子供らしいところがある一方で、不測の事態には桂ちゃんの兄らしい振る舞いを見せます。子供のときから出来た人間だったことが分かって、私はますます彼のことが好きになってしまいました。

 切るもんと、双子の兄に向かってわたしは言った。小さなわたしは顔を真っ赤にしながらそう言った。
 手にははさみ。ぷくぷくと幼い手にはそぐわない、柚明お姉ちゃんの裁縫道具の古びた形の無骨なはさみ。お祖母ちゃんの形見でもある裁断ばさみ。
 わたしはぷりぷりと怒っていたけれど、別にそれを使って切った張ったの大立ち回りを演じようとしていたわけではない。人に刃物を向けてはいけませんと教えられていたし、そういった物の扱いに関してお母さんは厳しかったのだ。はさみはわたしに向いている。更に詳しく対象を絞るなら、根元で握ったわたしの髪を二本の刃で挟み込もうといているところだった。

(『髪長姫』)


 この記事を書くために読み直して、目を惹いた箇所をぱっと引っ張ってみました。反復のリズム感や時代劇のような言い回しを混ぜるあんばいが完全に麓川節ですね。

「桂ちゃん、わたしをお嫁さんにしてくれるんでしょう?」

(『髪長姫』)


 この台詞に、ピンときたら、即アクセス。

●アカイイト● 「髪長姫」 1ページ

 こんな代物を無料で公開してしまうのですから、当時の御大およびアカイイトスタッフの士気の高さが伝わってきます。


ドラマCDの『京洛降魔』もよいでよ
 ゲームの発売一周年に発表されたドラマCD『京洛降魔』もなかなか面白いです。まず注目すべきは伝奇要素の練度。これをドラマCDで消化するのはもったいないと思うほど設定が練られていて、展開や鬼との決着の付け方も非常に麓川的です。桂ちゃんとヒロイン勢との交流については、何と言ってもノゾミちゃんの八面六臂の活躍が目を惹きます。本編をプレイしてノゾミちゃん派に転がった人は、万難を排して聞くべきです。私はやりたい放題し放題しているノゾミちゃんに腹を抱えて笑うのと同時に、元々は目的のために血を狙う鬼と狙われる生贄という関係だったのに、思えば遠くまで来たものだ、人の縁は分からぬものだとしんみりしてしまいました。
 このファンアイテムに関しては詳細な解説記事を作成済みなので、一度聞いて腑に落ちないところがあったらご参照ください。
アカイイトドラマCD「京洛降魔」考察・解説


落ち穂拾い
 私がもっとも好きな一枚絵は、「ついのときまで」の最後に表示される「羽藤桂 浅間サクヤ」の表札です。あと、笑子さんがサクヤさんにほほえんでいる絵も好きです。
 もっとも好きなBGMは、エロゲーのタイトル画面曲蒐集家なこともあって「夢の苧環」です。夜の幻想的なオハシラサマのご神木をバックに流れるこの曲は、読者を開始一分で和風伝奇の世界に引きずりこみます。ピアノ曲の「いつかのひかり」も郷愁を掻き立てられますなぁ。
 経観塚の長閑としていて緑の多い風景に癒されます。地味に美術がいい仕事してますよね。
 この作品を読んでやたら耳に残った表現は「許すのにやぶさかじゃない(おもちゃにしたことを平謝りする陽子ちゃんに)」「普段の伝法さ加減はうかがえない(折り目正しいサクヤさんに)」です。どっちも実生活ではなかなか使う機会がありません。落語や時代劇が好きとはいえ、こんな言葉を使う女子高生がいるのでしょうか!?


終わりに
 長々とお付き合いいただきありがとうございました。妥協は一切なしに持てる全てを出し尽くしたつもりです。『アカイイト』の筆舌に尽くしがたい魅力の何割かでも伝わればと思います。
 本文中でも書きましたが、この記事を書くにあたって遊鬱さんとみやきちさんが書かれた『アカイイト』紹介文を大いに参考にさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。両氏はおそらく全世界に先駆けてこの作品を評価していた御仁です。


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『咲-Saki-』(不世出の百合作品枠と和風伝奇枠)
『痕』『月姫』『久遠の絆』(リスペクト元枠)
『ONE~輝く季節へ~』『Kanon』『AIR』『CLANNAD -クラナド-』『リトルバスターズ!』(王道ギャルゲー枠)

アカイイト
B0002ONEM0

PS2アーカイブス『アカイイト』

2006/03/20
作成
2014/10/21
加筆修正
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