2015年05月17日

マリア様がみてる(1) 今野緒雪 レビュー・感想 王道の少女小説、ヒエラルキーをぶっこわせ

 今さらもいいところだが『マリア様がみてる』の1巻を読破した。私が改めて説明するまでもない、百合作品の代名詞的・金字塔的位置を確立している作品だが、その評価もうなずける面白さだった。もの凄く密度が濃かった。私は現在1巻だけしか読んでいない浦島太郎で、そんな状態で言うのも何だが、この話単体で評価しても出色の出来だと思う。この作品の凄いところは、少女小説や学園青春ものの王道をまい進して期待に応えるのと同時に、紋切り型のプロットや陳腐な価値観に囚われずに、予想を裏切りつつ普遍的で力強いメッセージを打ち出しているところだ。王者の風格と破天荒なパワーが同居している。
 中流家庭の平凡な女の子だった主人公がひょんなことから憧れの存在であるお姉さまに見初……目を付けられて、雲の上の世界であった生徒会の祭ごとに巻き込まれていくというシンデレラ的舞台設定。別世界に放り込まれて戦々恐々、てんやわんやしつつも、徐々に頭角を現して自分を確立していく展開。お姉さまとの恋愛めいた駆け引き。ひと癖どころではないアクのあるキャラクターが織りなす多層的な人間関係。このあたりは実に少女小説の王道だ。王道というのはすなわちありがちということでもある。にもかかわらず、読み手をわくわく、やきもきさせて一気呵成に読ませるのは、ひとえに丁寧な描写のたまものだろう。主役級の二人で言うと、祐巳は少女小説の主人公らしい部分がありながらも、譲れない一線があって芯が通っているし、土壇場での胆力の強さも持ち合わせているのがよい。祥子は祥子で、横暴なところだけでなく、見惚れるような可憐さとぶっきらぼうな優しさが描かれていて、憧れのお姉さまという設定に人物像が負けていない。
 予想を裏切られた点は、何と言ってもドラマの導入部だ。私も実際に読んだことがなかったとはいえ、あれだけフォロワーもといエピゴーネンが存在する作品なので、『マリみて』の「だいたいこんな話だろう」というぼんやりしたイメージを持っていた。何の取り柄もない主人公が何だかよくわからないが殿上人のお姉様に一目惚れされて、ロザリオを渡されて、スールの契りを交わして寵愛を受ける、というものだ。本当にこうだったらへっぽこ少女小説のテンプレートである。しかし、案に相違して、実際に祥子が祐巳を選んだ理由は、「タイが曲がっていてよ」のところは「たまたま目に付いたから」、妹に抜擢した理由は「その場しのぎに妹が必要で、たまたま近くにいたから」だった。あれは ひどい、ロマンもへったくれもありゃあしない。だがそれがいい。それに祐巳は「好きだからこその最後のプライド」で、祥子の申し出を一度突っぱねるんだな。ここでまずぐいっと惹きつけられた。白薔薇さまがこのシーンで「面白くなってきた」と言っていたが、実に同感だった。憧れのお姉さまに「覚えていらっしゃい」とまで言わしめてしまったところから始まる、女の意地と意地がぶつかるドラマが非常に熱かった。ここは本当にいい意味で予想を裏切られた。
 このエピソードにおけるドラマの構造やメッセージについてもひと言ふた言。この話には敵役としておのれ柏木が登場するのだが、われらがお姉さまであらせられる祥子は彼と同じ穴のムジナなのである。自分が自由に生きたいが為に、祥子の好意を踏みにじって偽装結婚を持ちかける柏木と、自分が柏木と競演をしたくないが為に、祐巳の憧れる気持ちを傷つけてやっつけなスールの契りを申し出る祥子。この二つの関係の構図は全く一緒だ。この類似性に気づければ、この物語の言わんとすることが自然と理解できるのではないだろうか。
 人はみな平等であるというのは綺麗事だ。世の中には容姿、才能、家柄などの生まれ持った魅力のある人間とそうでない人間がいる。しかし、人間それだけで全てが決まるのか? そうじゃないだろう! 人間、それだけじゃないだろう! 人と人との関係においては、上述したような要素や年功序列などから導き出される優劣が厳然と存在する。それを人はカーストともヒエラルキーとも言う。しかし、だがしかし、序列の上にいる人間は下の人間を恣意的に扱うだけなのか? 下に付く人間は甘んじてそれを受け入れるだけなのか? そういった扱いを受けた人間は、いずれ上に立ったときに同じことを下の人間に強いるのか? 本当にそれでいいのか? いいわけがないだろう! 努力で、コケの一念で、ぶっ壊していかなきゃだめだろう! 『マリみて』はこのような口に出してしまえばいささかこっぱずかしいメッセージを、高らかに謳っているところが素晴らしいのだ。多くの人の心を掴む百合作品は、王道の面白さと普遍的なメッセージを持ち合わせている、というのは私がずっと前から主張していることだが、この作品はまさにそうであった。
 私が本格的にサブカルを専攻するころには『少女セクト』『アカイイト』といったマリみてフォロワーが既に登場していたもんだて、何となく原典を読むタイミングを失っていたのだが(ちょうどアカイイトにとっての『痕』『月姫』と似たような感覚だ)、これは重い腰を上げて正解だった。続きもそのうち読む予定でいる。シリーズを通しての感想はまたその時にでも。

マリア様がみてる (コバルト文庫)
今野 緒雪 ひびき 玲音
408614459X
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少女小説と言えば思い出す、90年代に作家・森奈津子が書いた「お嬢さまとお呼び!」から始まる通称「お嬢さまシリーズ」。
同性愛と言えば何かにつけて暗くじめじめとした悲恋ばかりが描かれていた時代のまっただ中でも、
自らセクシュアルマイノリティを公言している彼女の描く小説の中では、同性愛者も異性装者もマゾヒストもサディストも明るく生き生きとした活躍をみせてくれる。

そんな森奈津子が90年代に出版したある小説のあとがきで、
ライトノベル作家の高瀬美恵と対談したときの事が書かれており、そこで互いに「90年代はお姉さま小説を流行らせたい」(うろ覚え)と語り合ったという記述がある。
そして時は流れ98年、後に少女小説の金字塔となる『マリア様がみてる』の記念すべき第一巻発刊、そのあとがきに、

>まずは、同業者で先輩のK川センセ、S島センセ、T瀬センセ(五十音順)。
>お三人方にこの物語を無理矢理捧げます。
>(中略)皆さんがあおってくれなければ、『マリア様がみてる』は生まれませんでした。」

との記述が。

明るく笑えるレズビアン・コメディの先駆け的存在だった森奈津子の語る「お姉さま」が、
高瀬美恵との対談を経て、今野緒雪の筆によって実現し、後に百合ブームの火つけ役になったのかもしれないと、
そのきっかけの一つになったかもしれないと想像すると、両者のファンである自分としてはとても楽しい気持ちになる。

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