2016年10月30日

NEW GAME! 得能正太郎 レビュー・感想 お仕事も夢もがんばるぞい!

 私が日常系ゆるふわギャグ漫画に設定している期待値をかなり超えて面白かった。

 私は『NEW GAME!』原作1巻を割と早いうち(「今日も一日がんばるぞい!」が熱病のように流行る前)に読んでいたのだが、「なにこれ、オチはどこにあるの? ただパンツを丸出しにすれば喜ぶとでも思ってるの? ふざけてる」と速攻でうっちゃっていた。しかし、いつの間にやらアニメ化されていて、ニコニコ動画での放映をごはんのお供程度にぼけら~っと見ているうちに、次第次第に面白くなってきてしまい、気付いたときには原作を全巻買わされていた。自分の実体験で言うと『ゆるゆり』とだいたい同じパターンである。

コウりんはいいものだ、たぶんなによりもいいものだ
 私と同様に、原作の序盤やアニメの一話は眉間にしわが寄るほどつまらなかったのに、話が進むに連れて一人また一人とキャラクターに思い入れが生まれてしまい、気付けば話にも入れ込むようになった、という人は少なくないだろう。あのフィーリングを表す的確な言葉がないか考えていたのだが、奇しくもDG-Law師匠の『ゆるゆり』評に「わが意を得たり」という表現を見つけたので、引用させてもらおう。「重ね芸」だ。この作品はネタの積み重ねで魅せるのが図抜けて巧いのだ。
 前半に書いたが、コウがやにわにパンツを開陳したところで、さっぱり嬉しくないし面白くもない。特に意味のないサービスシーンと言えばそれまでだが、即物的かつお下劣で官能の表現としては下の下である。しかし、あれが単なるヨゴレ仕事で終わらないのは、常識人枠であるはずのりんが感化されてパンツ丸出しペアルックをしてしまったり、青葉が泊まりの日にある意味パンツ姿よりインパクトのあるくまった寝袋で逆にコウを驚かせたり、入社一年後にはコウのパンツに何の疑問も感じてなくなってしまったことで「変な会社」の立派な一員になったことが表現されたりと、重ね芸の「フリ」として昇華されていくからだろう。また、話を読み進めてコウのずぼらで大らかな人となりがわかってくると、不思議と「この人は本当にしょうがないな」と少し温かい目で見られるものだ。
 りんにしても、相方(コウ)への愛が重すぎて暴走するいう面だけ見れば、萌えアニメに一人はいる「百合キャラ」の量産型でしかなかった。りんがそんな印象を持たせないのは、まず視野が広くて人間の完成度が高いからだ。ディレクターとして管理の仕事もメンバー個人のケアもそつなくこなして、周囲の人間の信頼も厚い。基本的に穏和で優しいが、問題点はきちんと指摘する公平性がある。どのように小さい善でも賞せざるはなく、同様にどのように小さい悪でも叱らざるはなし、といったあんばいだ。そんなほとんど完璧超人に近い人のに、大好きなコウちゃんが絡むとどうしても冷静さを欠き、子どもじみた言動や大人げない行動を取ってしまう。そういったギャップ、コントラストが巧く表現できているからこそ微笑ましく、嫌味がないのだろう。それと、ただただ彼女を盲目的に慕うのではなく、時には叱咤してお尻を叩き、時にはそっと寄り添って相談に乗る、そういった内助の功があるところもポイントが高い。コウがキャラデザのコンペで結果が芳しくなく、思わず青葉を突っぱねてしまったことで落ち込んでいるのを諭すところなんて、長年連れ添った風格が感じられたぞ(あのシークエンスについては記事の後半で掘り下げる)。
 ひふみにしても、極度の引っ込み思案だがネット上では饒舌という性質はありがちで、単体ではあまり目新しさはない。これもキャラデザ班の蒼々たるぽんこつたちの中で発揮されるから面白く、またひふみにコミュ障な自分を少しずつでも変えたいという思いがあるからこそ、テンプレから変化していくのだ。ときに、みなさんが『NEW GAME!』でもっとも笑ったのはどのエピソードだろうか。私は、りんがコウとひふみとのやり取りからいらぬ深読みと嫉妬をして、ひふみんがそれを取りなそうとメッセで悪戦苦闘する話「#46 苦手な人付き合い」(通称肉じゃがメッセ回)がいっちゃんお気に入りだ。この作品はあまりドッカンドッカン笑いを取っていくタイプの作品ではないが、あそこには腹を抱えて笑ってしまった。あの話の何がよいかって、コウちゃんのにぶちんっぷり、りんちゃんさんの焼き餅妬きっぷり、ひふみんのメッセ上での変なテンションという三者三様の性質が影響し合ってコラボレーションし、それぞれの空回りがさらなるカオスを引き起こしているのがよいのだ。重ね芸の極致と言っても過言ではない完成度だったと思う。
 青葉のひとり言や、うみこの話の長さについても同じだろう。2巻表紙裏のおまけ漫画「くまったくまった」を単体で見ても、正直言ってじぇ~んじぇん面白くないが、社員旅行の回で青葉のあれを「いつも皆に気を使って疲れているんですよ…」(うみこ)「ただの素じゃないの?」(コウ)と変な人の代表格たちが自分らを差し置いて品評しているのはどうにもおかしい。うみこの困った性質も、ひふみがコウとりんのケンカ(という名の茶番百合)を取りなしてへばっているところに、追い打ちの形で被せられるとクスッと来る。
 つまるところ、変ちくりんな人がこれまた変ちくりんな人たちと一緒に生きているという、エピソードの積み重ね(BY『咲-Saki-』)による空間表現が心地よかったのだと思う。そういった空気が表現されている日常系漫画は、自然と評価されていくのだろう。

「青(コウ)いいよね」「いい……」プロ同士多く語らない
 この作品のハイライトとして、新作ゲームのキャラデザコンペで評価された青葉が、逆に全ボツを喰ったコウに刺々しい対応をされてぎくしゃくするくだりを挙げるのは私だけではないだろう。あれはもし、青葉とコウが形式的な先輩後輩であり、青葉が単なる(と言っていいのだろうか)実力差によって責任ある立場に抜擢されたのだったら、話は単純であった。何がこの問題をセンシティブにしているかと言えば、青葉にとってコウはその道を志すきっかけとなった憧れの人で、上司としても尊敬できる人間で(コウにとっては慕ってくれるかわいい後輩で)、同時に同じ会社に在籍するクリエイターとして感性で勝負するライバルでもあることだ。それは憧れの人と一緒に働くことを選んだ青葉の宿命とも言える。そして、芸術や創作というのは得てして、一つのひらめき・発想がスキルの差をひっくり返すことがある(あのコンペはその典型例だろう)。だから単純に実力の結果だと納得できない部分はあると思う。コウには当然クリエイターとしての自負や矜持があるだろうし、誰にだってよい仕事でよい評価をもらいたいという欲求はあるはずで、青葉に思わず声を荒げてしまったことを糾弾は出来ないだろう。コンペの直前に、コウの仕事ぶりを見た青葉の「今までずっと好きな絵だったのに、悔しい……」という想いが書かれていたのは、ちょっとした伏線だったわけだ。さらに深読みすれば、あれは青葉が守破離(しゅはり)の守の段階を超えつつあることも表している。
 コウは自分が若くしてメインのキャラデザに抜擢されて先輩たちと衝突した苦い経験を振り返り、りんのさりげない後押しも受けて、自分が成すべきことを今一度考える。コウの歩み寄りによって二人は元の鞘に戻り、キャラデザインの仕事は青葉がメインで行い、コウがサポートしていく形で進めていくことに決める。大げさな表現かも知れないが、「くやしい」「妬ましい」という感情を超克して、社会人としても、クリエイターとしても、さらなる一歩を進めたのだ。「嬉しいこと悔しいこともぜんぜんぶ 力に変えて前向いた」ことで「限界塗り替えてい」くことが出来たのだ。
 ここで、青葉とコウが二人で出した答えを「しょせんお花畑だ夢物語だ、社会も仕事もそんなに甘くない」と思う人もいるだろうし、「であればこそ、二人は人との巡り合わせに恵まれたことを天に感謝するべきであり、互いに信頼関係を築けていたことを何より誇りにするべきだ」と思う私のような人間もいるだろう。それはもう、甘っちょろいフィクションに対するスタンスの違いや、人や仕事や創作といったものに対する価値観の違いでしかないと思う。

「…私 八神さんには感謝してるんですよ」
「?」
「仕事もたくさん教わりましたけど、いつもさりげなく声をかけてくれて
 それが私… とっても嬉しかったんです」
「昔の八神さんがどんな人だったのか私は知りません
 でも少なくとも…」
「少なくとも今の八神さんは 私の尊敬できる上司です!」

(#25 ステップアップ)


 青葉のコウに対する信頼を端的に表す独白だが、ここは御大の実体験に基づく台詞ではないだろうか。私はフィクションに現実は持ち込まない主義なのだが、この言葉にはうんうんと一人でうなずいていた。そうなんだよ、そのさりげないことこそ人間関係の要であり、人は大人になるに連れて何故かそれが下手になっていくんだよ……。
 これは完全に余談になるが、あのコンペでの衝突のシークエンスが私の心に重くのしかかった理由の一つに、いたるがKeyを退社した一件があった。いたるがインタビューで、退社を決めた要因の一つに、後輩であるところのNA-GAが自分の目標であったオリジナルアニメのキャラデザの仕事を先に取ってしまったことを挙げていたのだが……。
樋上いたるさん、ビジュアルアーツを退社! | アニメイトタイムズ
 私はバ鍵っ子とはいえあくまで作品の信者であり、スタッフの人となりや人間模様は知るところではない。それにしたってアンタ「後から入ってきた原画の人」って……。というわけで、個人的にタイムリーな主題で、いろいろ思うところがある分感慨もひとしおであった。
 もう一つの山場である、会社の宣伝方針でキービジュアルをコウが描くことが決定し、青葉が自分を納得させるために半分出来レースのコンペに挑むところも、胸に迫るものがあった。コンペの数日前とおぼしき深夜に青葉がコウの作品を見せてもらうところは、何を言わせずとも青葉の表情がコウの実力に打ちのめされたのを伝えていて、ストレートに胸を打った。青葉のぼろぼろに泣き崩れる顔も、それでも顔を上げて描ききろうとする屹然とした顔も、真に迫っていた。そしてコウの、泣き崩れる青葉を抱き留める真剣な面持ちや、最後の仕上げに取りかかる青葉を見守る柔和な表情は、彼女らの想いを言葉よりも雄弁に語っていた。コンペの本番の様子がさらっと省略されていたのは、青葉が完膚無きまでに負けたことを表現しているのだと思うが、全力で胸を貸してくれたコウに対してしこりなどあろうはずが無く、二人の表情はこの上なく晴れやかだった。キャラデザのコンペでの諍いを乗り越えて、二人の信頼がさらに強くなっていることを表す素晴らしいエピソードだったと思う。
 『NEW GAME!』はアニメ化された2巻までの内容でも充分に良作のギャグ漫画として認定されると思うが、本格的にシリアスパートにも取り組んだ3巻以降の出来で、もう一つ上の水準に到達したと個人的には思っている。

「一番気に入っているのは」「何です?」「はじゆんだ」
 『NEW GAME!』の美点の一つは、人が人に惹かれるところ、心を動かされるところを説得力を以て描いていることだ。御大が脚本を担当しているアニメオリジナル回の9話でゆんが「ウチが遠山さんやったら、惚れてまうかも~」と言っとったでしょ。あれだよ! ああいうことなんだよ。それは風邪を引いているのに無理をするりんを連れ帰るために自分も早退し、いつものお返しとばかりにまめまめしく看病するコウの姿である。うみこの強引さに困っていたひふみを、いつにない強引さで連れ出して助ける青葉の姿である。青葉がキャラデザの立場に困惑して空回りしているのを察して、普段はお昼を取らないのに食事に誘って親身に相談に乗るひふみの姿である。青葉のことを時にケンカをしてしまうほどに心配していて、バイトの最終日には上司であるコウにしおらしく頭を下げるねねの姿である。ねねの落ち着きの無さに頭を悩ませつつも、着眼点のよさや頑張りについてはきちんと認めて、以後の進路をサポートするうみこの姿である。そして、ムーンレンジャーのイベチケを取るためにサボっていたはじめをたしなめつつ、突き放すのではなく昼食を調達してあげたりイベントの参加を融通してあげたりもするゆんの姿である。はじゆんキテル。
 この作品ほど、カップリングについて「コウりんは原点」「青コウが俺のジャスティス」「僕の見つけた真実は青ひふ」「はじゆんはメガ粒子レクイエムシュート」と気兼ねなく書ける作品もそうそう無いが、その心はこういったエピソードの堅実さに尽きると思う。

私、ねねごん好き! バアァァァァァン
 『ゆるゆり』の感想を読んでもらえばわかる通り、私はドが付くほどの原作厨だ。そんな私でも『NEW GAME!』のアニメはべた褒めするしかない。原作が好きならば絶対に見て損はない、と請け合っておく。私は好きな作品のアニメを見ていると、だいたい演出の過不足や間の表現などが自分の脳内映像と食い違っていていらいらしっぱなしになるのだが、この作品はそういったことがほぼ無かった。原作があまり動きのない形式的な四コマ漫画ということも影響していると思うが、スタッフの手腕と原作愛が一番の要因だろう。
 原作の補完という観点だと、もっとも大きいのはねね、うみこ、葉月といった準主要キャラクターの出番が多くなり、話に絡んでくるタイミングも早くなっていることだろうか(特に葉月)。ねねっちとうみごんのやり取りが増えていたのはよい仕事していたし、ねねの着眼点のよさが強調されていたり、奇っ怪な行動のフォローがされていたりするのもえがった。原作でねねがコウのプリンを食ったのははっきり言って意味がわからなかったが、アニメだと取引先のお中元が余っているから食べてよいというやり取りが挿入されていて間接的なフォローになっていた。葉月がふらふらっと青葉たちのところにやってくるシーンは、毎度毎度エキセントリックさを遺憾なく発揮するのと同時に、ディレクターとして一歩引いた立場から、青葉たちの仕事っぷりから人間関係までをも見守っているのが伝わってきた。イーグルジャンプの「変な人の見本市で困りものだけど、よい人ばかりで働くには悪くないところ」という印象をさらに強めることに成功したと思う。
 映像表現という観点だと、基本的にデスクワークが中心で人の動きがそこまで激しくない分、色んなところに力を入れていると思った。特に印象に残っているのは、若手三人がコウに促されて東京ゲーム展に行くエピソードだ。まず『FAIRIES STORY3』の嘘OPは「誰がここまでやれと言った」という力の入りっぷりで笑った。そして、自分たちの作品のPVで、青葉がデザインしたソフィアちゃんが主人公に守られ、ゆんが作り上げたグロテスクなモンスターが、はじめが付けたモーションでおどろおどろしく動くのを見て感無量になるところ。あそこは動きを得たからこその迫力があり、ひいてははじめたちが受け取った感動が倍増しで伝わってきた。他に何気ないところだと、劇中作の開発画面やデバック画面は本格的に作り込まれていて、見て楽しいだけでなくもっともらしさを演出していた。青葉とゆんが寝坊をして会社まで走る話は、青葉のダバダバ走りが実際の動きを見るとあれだけでちょっと面白かった。それと、最終話で青葉がコウに思いの丈を語り、手をとるのと同時にエンディング曲が入って、二人の髪がドラマチックにはためくところ。あそこで風が吹く必要性も外的要因も無いはずだけれど、ああいったケレン味や遊び心は嫌いじゃあない。
 そう言えば、『NEW GAME!』の知名度を劇的に上げた「今日も一日がんばるぞい!」についてだが、あれの乱用を封印したのはアニメスタッフや原作者の意地だったのかなと。制作の動画工房は『ゆるゆり』の一期を担当したところだと聞いて、「\アッカリ~ン/」のごとく毎週アバンでぞいぞい言うのかと身構えていたが、案に相違してそんなことはなかった。話題性だけでなく内容の充実度で勝負をして、じっさいに(少なくとも私相手には)勝利を収めたことには、心からの賛辞を贈りたい。
 あと、『咲-Saki-』勢としては美少女の作画が最後まで安定していたのは素直にうらやましかった。

まとめ
 結局、突飛なキャラによる日常系ギャグ漫画が「かわいい」「おバカ」だけで終わるか、はたまた面白おかしさ、暖かさ、切なさ、去りがたさを空間表現できるかどうかは、エピソードの確かさと人との関わりに掛かっていると再認識させられる作品だった。新刊のストックが溜まるのとアニメ二期の一報が入るのを一日千秋の思いで待つ。

NEW GAME! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
得能正太郎
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NEW GAME! 4巻 (まんがタイムKRコミックス)
得能正太郎
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2016年10月01日

『SeaBed』『しずくのおと』 力作同人百合ゲーの紹介

 最近、同人百合ゲーの『SeaBed』と『しずくのおと - fall into poison -』を読んだのですが、どちらもかなりの力作でした。両作品はそれぞれ違った方向性で作り込まれており、ほとばしるパトスと値段を遙かに超えた価値が見受けられました。このような作品がDLsiteで200本ほどしかダウンロードされていないのは損失だ、非合理的だと思ったので、さりげなくステマをしておきます。

しずくのおと - fall into poison - [あいうえおカンパニー] | DLsite Home - 全年齢向け

 ――少女たちを襲う恐怖の水族館

 都内にひっそりと佇む満天水族館。
 真弓と姫乃はある噂を調べにそこを訪れるが、些細なことで喧嘩をしてしまう。
 離れ離れになった二人は、いつしか満天水族館に閉じ込められることに。

 行方不明の妹との再会。
 謎の少女との出会い。
 かつての痛ましい事件の記憶。
 満天水族館に渦巻く様々な想いが真弓へと降り注いでいく…。

 ――そして迫られる救いの決断

 真弓に強いられる選択と決別。
 それはとある少女の未来をも左右することになる。

 運命に翻弄された少女たちが織りなすミステリ・ホラー。
 27のバッドと4つのトゥルー、全31種類のエンディングを収録。



 『しずくのおと』でまず興味深かったのが、サウンドノベル寄りのゲームデザインですね。『弟切草』よりは『かまいたちの夜』に近いでしょうか、ありとあらゆる方法で死ぬのも似ている。プレイの流れは、物語の分岐点で主人公の行動を決定し、いくつものバッドエンドを乗り越えて生存ルートを探し出す……同時に新しいルートが解放されていき、物語はその度に新しい展開を迎える、といったものなっています。最近のギャルゲーはもっぱらキャラクター中心・シナリオ中心で、誰々ルートの並列で構成されているものが主流なので、トライ&エラーで新しい展開を切り開いていく感覚はなかなか刺激がありました。エンディング数はいわゆるトゥルーエンドだけでも4種類あり、即死のバッドエンドも含めると全31種類もあります。作品内容の欄で紹介していることからも制作者の力の入れっぷりが伺えます。
 シナリオの雰囲気も悪くないです。水族館という舞台は海=(異)界のイメージへ繋がり、神秘性、非日常性、閉鎖性といった面でミステリーとすこぶる相性がよいですね。私は『Ever17』をやっていた時を思い出したりしました(ありゃあ水族館ではなく海洋テーマパークですが)。なお、終盤は超展開ゲーマーの血が騒ぎました。
 また、紹介ページやPVを見てもらえばわかるとおり、作品全体のクオリティがかなり高いです。原画と塗りは商業とほとんど遜色ありませんね。背景班もよい仕事をしています。インタフェースも凝っていて、メニューを開くと場面場面に応じたTIPSが自動で表示されるところなんか細かいですね。システム画像やそれを使用したスクリプト周りも頑張っています。
 サークルオリジナルとおぼしきサウンドも、けちの付け所がないですね。BGMはあの曲が飛び抜けて素晴らしい。あの曲ですよあの曲、プレイしたらすぐにどの曲のことを言っているのかわかると思います。主題歌もばっちり完備。んだもんだから、サウンドモードを実装しなかったことについては問い詰めたい。
 ノベルゲームのクオリティを、テキストとビジュアルとサウンドの総合力で解釈するなら、この作品以上の同人百合ゲーは『ととのか』くらいしか私は知りません。


SeaBed [paleontology] | DLsite Home - 全年齢向け
※あらすじにわりとネタバレがあります※

本作は百合要素を含むミステリーノベルです。
物語は三人の登場人物の視点で展開します。

CG枚数/90枚以上
テキスト量/約47万文字

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過ぎ行く時はとてつもなく深い海の底に沈み続けている。
ときに浮かぶあの日の景色と匂いは揺れて泡のように消える。

心療クリニックの精神科医楢崎は、人がものを忘れる仕組みについて研究していた。
人はなぜ忘れるのか、大事なことを忘れない方法はあるのか。
彼女はある患者の心の奥深くを探るうちに、深い深い海の底へと辿り着く。

都内に事務所を構えるデザイナー佐知子は、取り憑かれたようにものを作り続ける。
同僚の心配も他所に、仕事を続けた彼女は心を病み過去の恋人の幻が見えるようになる。
彼女は恋人の跡を追って暗く長いトンネルを見つける。

療養所で暮らしている貴呼は、幼稚園からずっと一緒だった同性の恋人とどのように別れたのか思い出せない。
彼女は恋人に似た女性と出会い、徐々に思い出を取り戻していく。
記憶の扉を開き続けていく彼女は、最後に冷たく静かな部屋へと足を踏み入れる。

それぞれの目的の元、過去を求めさまよう三人が行きつく場所は何処か。
三つの物語は淡々とした日々の中で静かに進行し、やがて同じ場所へと還っていく。


 『SeaBed』は上記作品とは打って変わって、シナリオが主体の作品です。選択肢は全くなしの一本道で、ストイックに脚本で勝負しています。この作品は何を書いてもネタバレになりかねない――公称ジャンルが「ミステリーノベル」であることについて論じても危ないし、三人の主人公について語っても危ないし、正直あらすじを読むだけでも危ない――ですが、47万文字という頭のいかれた分量で、日常は淡々といとおしく、ミステリーは神秘的に、伝えたいことは簡潔明瞭に、脚本が書かれています。

【若干ネタバレあり】
 私がこの作品に対して何より驚異と脅威を感じたのが、心象風景・内的世界といったものを当然に存在するものとして物怖じせず描写していることと、ノベルゲームの特性を活かした叙述トリックをしれっと取り込んでいることです。特に前者について、作者の胆力に盛大な賛辞を送りたいですね。主人公(とわれわれ)が自分の目を通して認識する世界について、語りのテクニックの面でも、唯心論や認識力学といった精神的な部分でも、高度な次元での表現に挑戦しています。
【ネタバレおわり】

 同人ゲームがそういった領域に踏み込んでくる時代になったのか、と驚くことしきりでした。
 また、シナリオとテキストの比重が高いとはいえ、ヴィジュアルノベルの基本要素は手堅く作られています。立ち絵は豊富で、そんなパターンまであるのかと感心するほどでしたし、CGもこの値段帯の作品にしては恐ろしく多いと思っていましたが、作品紹介によると90枚もあるそうです。BGMはフリー素材を使用しているようですが、場面場面に合わせて効果的に使っていると見受けられました。
 あと、誰も聞いちゃいませんが、私は貴呼が好きです。なんですかね、あの圧倒的な存在感は。この子のぶれないキャラクターが、虚実入り乱れる幻想的なシナリオに一本の芯を通していると感じました。
 最後に、百合ゲーとして評価するならば、『SeaBed』に軍配が上がるでしょう。何気ない日常から性的なエモーションまでを丁寧に書いてくれています。全年齢対象の作品ではっきりとリビドーの描写をしてくれているのはポイント高し。あそこにCGがないのはバグじゃないですかね?


 以上、同人ゲームの脅威を感じた二作品の紹介でした。作品の紹介ページや、このつたない紹介文を見て興味を惹かれた方がいらしたら、ぜひプレイしてみてください。
 へっぽこ百合ゲーをフルプライスやハーフプライスといったお値打ち価格で売っている商業ブランドは、恐怖に打ち震えるべきだと思います。

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2016年07月31日

つい・ゆり レビュー・感想 二つの禁断で背徳感も二倍だな!

 読む価値無し。これっぽっちも無し。
 世にごまんとある、くちばしが黄色いガキンチョが同性の関係や実姉妹での関係にうじうじう悩み、終いにゃあ刃傷沙汰に至ったり拉致監禁の暴挙に出たりするお話である。月並みもいいところだ。このご時世に、同性愛やインセストを

「受け入れられない」
「越えてはならない一線」
「社会的に、倫理的に許されない」
「ほんとうはダメ」
「両親や親友に隠し通さなくてはならない」


 と頭ごなしに断定されて何の疑問も反発も湧かない人でないと、話の展開について行けないし人間にも一切共感できやしない。同性愛や近親をスキャンダラスでアブノーマルな「事件」として消費する方々に向けて作られているのが随所から伺える。
 いちおう、トゥルーエンドとおぼしきものでは、姉と妹がそれぞれ自分の気持ちを受け入れて、「いつかみんながわかってくれたらいいな」とわずかながらも前向きに歩き出すが、結局具体的な展望は何一つ示されないまま終幕してしまう。私はこの手の玉虫色な落としどころに対して「『いつか』って一体いつなんじゃい! はっきり言え!」と疑問を感じずにはいられない。子どもからお年玉を巻き上げた母親の言い訳かよ、もっと歯切れのよい答えを返しやがれ。

 私は『ついゆり』みたいにネガティブなことをねちねち語るだけの陰気で「情けないフィクション」に触れると、実妹や実姉がどんなに愛おしいか、血の繋がりや積み重ね(BY『咲-Saki-』)がどんなに素晴らしいか、滔々と語る作品がもっと出てきてくれないかとつぶやいておりまする。世の中にはまだまだ「いやっほ~う! 妹(姉)最高!」という百合作品が足りていない!

 作品の本質はタイトルに表れる、というのは私の持論だが、『つい・ゆり ~おかあさんにはナイショだよ~』(「ナイショ」は芸術点を付けたい)という幼稚さと加齢臭が同居するサブタイトルは、作品の程度をこれ以上なく表していると思う。

つい・ゆり ~おかあさんにはナイショだよ~ 豪華版
B01C8IMIBU

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2016年06月18日

合法百合夫婦本 伊藤ハチ レビュー・感想 合法もヘチマもあるか!

 いつにも増してクソリプみたいな記事だが許してください。

 おいィ!? この「合法」百合夫婦本とかいうタイトルはいったい全体何なんすか? その恐ろしくしっくり来ない形容は何の意図があるんですかっ!? じゃあ何ですか、あなたは「違法百合夫婦」や「非合法百合夫婦」や「不法百合夫婦」や「脱法百合夫婦」の存在を暗に肯定しているってことですか!?

 以下は物語の序文からの引用です。

この國の少し変わったところは…
頭に獣の耳を持つこと
そして同性同士の結婚が許されているのでした


そこはずっとずっと遠い國
その國の住人は頭に獣の耳をもち
同性同士の結婚が許されているのでした


 同性同士の結婚は……変わっている、ずっとずっと遠い國のお話だと、あなたはそう言いたいんですかっ!?(超クソリプ視点)
 う~ん、「許されている」ですか……私はこの表現にぷつぷつじんましんが出てしまいます。同性同士の結婚は、出来ないような環境がいまだに存在するのがおかしいのであり、許すも許さないもクソもありません。日本で同性同士の結婚が「許されていない」のは、単に制度的・精神的な後進国だからです。

 『チヨちゃんの嫁入り』『月が綺麗ですね』と併せて読みましたが、どれも特に語ることがない出来でした。これで本編の内容が充実していたら「こんな面白い作品の挙げ足取りをするのは忍びない」としょげていたので、逆にほっとしています。ヤマやオチに期待するのはお門違いとして、日常ものとしては生活感が、ファンタジーや時代物としては異国感がどうにも伝わってこないし、属性をもりもり盛っている割りには作品全体からリビドーやパッションやフェティが感じられなかったです。あと、おねロリのお姉さんの方の造型やバックボーンがかなり類型的だったのが気になりました。

 Pixivで見たことのある絵柄だなと思ったら、思い出しました、「※苦手な方はご注意ください!」の注意書きを載っけてた人でした。さもありなん、というつぶやきが漏れましたとも。劇中の描写では同性の関係をとても肯定的に書いているし、ホモフォビックな表現は(上掲の序文を除けば)これっぽっちも無かったので、そういったところでは大いに損していると思います。

合法百合夫婦本 (百合姫コミックス)
伊藤 ハチ
B01FLJ71CE

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2016年06月12日

東方Project レビュー・感想 無国籍和風伝奇弾幕シューティング/反復の快感

 『東方Project』は私が改めて紹介するまでもない作品……いや、もはや作品という枠に収まりきらない一大「コンテンツ」だが、近代ギャルゲー・エロゲーを語る上で避けては通れないブツなので、ひと言ふた言書いておこうと思う。『東方Project』はZUNの手による、無国籍和風伝奇レトロスペクティブ世界「幻想郷」を舞台にした、弾幕シューティング、弾幕格闘、書籍やCDと言ったマルチジャンル/マルチメディアで展開される作品群の総称である。

同人コンテンツとしての東方
 東方が史上でも類を見ない規模の同人コンテンツであったことは、誰もが認めるだろう。この作品群があれだけの長期間に渡って隆盛を誇った要因については既に語られ尽くしている感があるが、個人的な意見も述べておく。この項はDG-Lawさんの受け売りがかなり含まれているが、許してほしい。
 東方の希有な特徴として、バトルも日常もシリアスもギャグも和風伝奇も西洋ファンタジーも許される風土がある。シリーズを通しての最重要キャラである紫が「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」とのたまっているが、奇しくも東方そのものを言い表していると思う。
 まず、このシリーズには明確な目的・ゴールが定まっていない。他の作品・コンテンツで言えば、聖杯戦争を勝ち残るとか、連続猟奇殺人の謎を解くとか、まどかを死守しつつワルプルギスの夜を撃破するとか、そういったものだ。いちおう各作品単位で言うと、神や妖怪が異変を起こして調停者たちがそれを解決する、というフォーマットがあるものの、「異変」の括りが大きすぎて何でもありに近い。これは15弾を重ねる長期シリーズゆえの特性とも言える。物語のベクトルは自由自在・千変万化で、私はテーブルトークRPGを連想した。そして、シリーズとしての明確な終着点、最終回のビジョンは2016年現在を以て提示されていないし、これからもされない可能性が大いにある。
 作風もシリアスなのかお遊びなのか、ジャッジが難しい。異変の解決において、ゲームの進行に沿った盛り上がりはドラマチックに演出されるが、終わってみればそれが幻想郷の深刻な危機だった試しはほとんどない。杞憂に終わったどころではない、お騒がせ・ずっこけ・出オチ案件は数知れない。そして弾幕シューティングでも弾幕格闘でも、当然ながら熾烈な戦闘が繰り広げられるのだが、スペルカードルールに則ったそれが「弾幕ごっこ」と表現されるのは象徴的だ。私は東方の作風を、ときどきシリアス編やバトル編もやったりする日常ギャグ漫画的、と捉えている。また、原作東方のキャラクターは、わりかし冷淡で皮肉屋、社交性があんまりないとよく言われる。二次創作でのべたべたした描写に慣れていると面食らうこともしばしばある。しかし、原作に情感が全くないかと言われると決してそんなことはなく、キャラクター間の信頼や親愛も描かれている。浪花節なウェットさはないが、からっからにドライとも言い切れない。
 そして、ZUN自らが『三月精』『鈴奈庵』『茨歌仙』といったスピンオフ作品で、幻想郷の日常やどうということもない事件を描いている点も、作風の自由化に拍車を掛けていると思う。日常系ゆるふわスピンオフの展開自体は珍しくないが(『艦これ』も『ガルパン』も『まどマギ』も『ハルヒ』も『咲-Saki-』もやってる)、シリーズの総監督が話を書き、しかもあれだけの量を供給している例はぱっと思いつかない。また、スピンオフ作品群でも『秘封倶楽部』の果たしている役割は特筆するべきものだと思う。近未来の日本を舞台に、(異能持ちではあるが)普通の女学生を主人公にして、幻想郷を外から観測するこの作品の存在が、シリーズにさらなる自由度、神秘性と多次元的な奥行きを生んでいることは主張しておきたい。
 ときに、東方は伝奇作品としても評価が高いが、その名に反してバックボーンは日本や大陸系の神話・奇譚だけでなく、西洋の神話や果てはネット発祥の怪談までをも無節操に取り込んでいる。幻想郷には「われわれの世界で忘れ去られたありとあらゆるものが流れ着く場所」という特性があり(非公式だったら、にわか丸出しで申し訳ない)、これはもう根幹の設定の時点で勝ちと言った感がある。これから先に何が起こって誰が登場しようとも問題ないわけだからだ。
 ……であるからして、その二次創作も、シリアスでもギャグでも何をしてもよいし、何もしなくてもよい、そんな感じになるのだ。原作本編と同様になにがしかの異変が起こって、主人公勢がそれを解決するのもよい。真剣に能力バトルや陣営間の勢力争いをしてもよいし、人妖の重厚なドラマや恋愛があってもよいし、ナンセンスなスラップスティックコメディに終始してもよい。パロディやコラボレーションもどんとこい(東方Projectコラボタグ一覧)。キャラクターを借りる形で、ゲームやスポーツやミステリーをやったり、食や文化や学問のうんちくを語ったりするのもよい。はたまた、霊夢が神社の縁側で、蓮子とメリーが大学近くの喫茶店で、だらだら茶ぁしばいてくっちゃべっているだけでもよい。あのよい意味でのいいかげんさが、同人・二次創作という土壌に恐ろしく相性がよかったのだろう。
 他にも、東方があれだけ流行った要因として、原作者が二次創作に対して非常に寛容であること、間口が恐ろしく広くて弾幕シューティング・対戦格闘、能力バトル、キャラクター、神話・伝奇、音楽、女の子の交流(百合)といったもののどれか一つにでも興味があれば参入できること、キャラクターの作り込みがデザイン・伝奇ネタ・専用のスペルやテーマ曲など多方面からされていること、フレーズを強調した音楽がアレンジとグンバツの相性だったこと、作品の最盛期とニコニコ動画などのネット創作コミュニティ最盛期が被っていたこと、何のかんので「かわいい女の子がいっぱい」というのがシンプルに強力無比であること、なども挙げられる。しかし、あの自由で無節操な作風でなかったら、同人コンテンツとしての東方は全く違った扱いになっていただろうとも思う。

弾幕シューティングゲームとしての東方
 以降、粒度を小さくして東方の作品性やゲーム性について語っていく。
 参考情報として、私の腕前は『紅魔郷』から最新作の『紺珠伝』まで本編をノーマル・ノーコンテニュークリア、エクストラは『紺珠伝』を除いてクリアできる程度だ(へカーティアと純狐のタッグは現在挑戦中。奴ら飛び抜けて強くないすかね)。弾幕アクションのほうはいちおうトライしてみたもののさっぱり動かせなかったので、諦めてストーリーだけ把握している。
 弾幕シューティングゲームとしての東方の面白さは「反復」の気持ちよさではないかとつねづね思っている。所見ではどう見ても避けられないように思えた弾幕が、「繰り返し」プレイすることによって、抜け道が見つかったりトリックが割れたりして、次第に見切れて避けられるようになる。通常弾の難易度やスペルカードの枚数から、とてもじゃないが倒せない! 無理ゲー! としか思えなかったボスが、安全牌のスペルを増やしたり決めボムを仕込んだりすることで、「段々と」太刀打ちできるようになる。それらがいわゆる「パターン」の構築というやつで、練り上げたパターンでさんざっぱら苦戦させられた弾幕・ボスキャラを打ち破ったときの気持ちよさは、言葉に言い表せない。東方は「今まで出来なかったことが出来るようになる」という遊びの根源的な快感を刺激するゲームデザインをしている。プレイヤーの達成感、してやったり感を盛り立てるのがめっぽう上手いゲーム、と言い換えてもよい。
 また、東方の(特にWin三部作に顕著な)特徴の一つである、フレーズと「リフレイン」を強調した音楽も、その「繰り返し」の心地よさをさらに高めていると思う。「ラクトガール ~ 少女密室」のあのフレーズに調子を合わせながら通常弾幕2のレーザーを躱す楽しさ、「広有射怪鳥事 ~ Till When?」のあのフレーズに昂ぶりながら畜趣剣「無為無策の冥罰」を隙間を縫う気持ちよさ、あれは実際にプレイしてもらわないと上手く伝わらないだろう。
 こういったゲームデザインにずっぽし合致した演出、あるいはゲーム展開を盛り立てる演出の数々については、ゲームデザイナー=シナリオ=作曲家=プログラマーというZUN/東方Projectの特異性、強みがもろに出ている部分ではないだろうか。

百合ゲーとしての東方
 始めに断っておくと、私は東方に限らず、ある作品が「百合か、百合じゃないか」という議論をする気はさらさらない。いやね、けっこういるのよ、わざわざ聞いてもいねーのに「アカイイトは百合じゃない。家族愛の範囲!」「『素晴らしき日々~不連続存在~』は断じて百合ゲーではない」とか言いに来る人って。嘘みたいな話だけど。私は「そうなんですか、すごいですね」「あなたがそう思うなら、そうなんじゃあないですか?」(うるせー、知るかぼけ)としか返せない。ただ、「東方は百合ゲーじゃない!」「百合とか二次創作だけ、原作はこれっぽっちも百合じゃない!」と鼻息も荒く主張する人には、ちょっと聞いてみたいことがある。あんた「夜まで待っても、いいのよ」「大丈夫、生きている間は一緒にいますから」を見たのかと(前者:『紅魔郷』霊夢A装備、後者:『永夜抄』夢幻の紅魔組)。ちゃんと自力でプレイして見たのかと。私は初めて本腰を入れてプレイしたシューティングゲームが東方で、ノーマルノーコンティニュークリアを初めて達成したのは『紅魔郷』だったのだが、一からの修練と終わりの見えぬトライ&エラーの先で見た「ねずみの腐ったような嫌な匂いがしますが、ねずみは腐っていません 」「じゃぁ20年分位にしておこう」(前者:魔理沙B装備、後者:霊夢B装備)は、胸に迫るものがあったぞ。
 ただし、何のかんの言ったところで、二次創作あっての東方という側面はある。幸運にもシリーズの最盛期をリアルタイムで追っていたわれわれと、フォロワーの登場でブームも小康状態になった今になって参入する方々では、様々な指標において評価に差が出てくることは想像に難くない。ゆかれいむやレミ霊やマリアリやはともかく、もこけーねやにと雛や勇パルやあやもみやといった字面から受ける印象は全く異なるだろう。
 こと東方に関しては、原作と二次創作を切り離して評価するのは詮無いことだと思っている。

『東方Project』の最高傑作は?
 この問いは人によって全く異なる答えが返ってくると思う。私はゲーム全体を通した壮快感、歯ごたえ、単純明快さ、反復の心地よさが極まったゲームデザイン、サウンド以外は完ぺきな音楽、キャラクターの異常な存在感、センスがあるんだかないんだかナンセンスなんだかわからないテキストなどを加味して、リブート後の一作目『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』がベストだと思っている。異論は大歓迎。圧倒的な遊びやすさと作り込みっぷり、伝奇要素で『永夜抄』が次点かな、『輝針城』も道中が楽しくて捨てがたい。
 『紅魔郷』の音楽の何が凄いかって、すべての楽曲が「ここしかない!」という箇所に収まっているのが凄いんだよ。一枚のコンセプトアルバムのように完ぺきな流れが出来ていて、一箇所たりとも入れ替えられない。勇ましくてコミカルな「ほおずきみたいに紅い魂」はこれ以上ない1面道中曲だし、お間抜けな「おてんば恋娘」は2面ボス曲にちょうどいいし、一転してダウナーな「ラクトガール ~ 少女密室」は物語が終盤に差し掛かる4面ボス曲にふさわしいし、激しすぎる「月時計 ~ ルナ・ダイアル」は陣営のナンバー2である5面ボス曲にしか使えないし、壮大な展開の「亡き王女の為のセプテット」は言うまでもない、これが最終6面ボス曲でなかったら何だというのだ。「魔法少女達の百年祭」と「U.N.オーエンは彼女なのか?」のお祭り感も、エキストラモードのハレの雰囲気をこれ以上なく出している。

マイベスト東方
 私は熱心な信者でないので人気投票には参加していないが、もし入れるならこんなラインナップである。

□人妖部門
 八雲紫(ラスボス・黒幕としての完成度の高さ、強キャラ厨)
 藤原妹紅(もこけーねももこすみも好き、アカイイト厨)
 マエリベリー・ハーン(ちゅっちゅ)
 宇佐見蓮子(ちゅっちゅ)

□音楽部門
 ネクロファンタジア(やはりフレーズとリフレインに弱い)
 広有射怪鳥事 ~ Till When?
 ハルトマンの妖怪少女
 赤より紅い夢(タイトル画面曲愛好家)
 プラスチックマインド(旧作は未プレイですまぬ、でも好きッ)

まとめ
 さっぱりレビューの体裁を成していないが許してやってほしい。弾幕シューティングか神話・伝奇のどちらかに興味があれば絶対に元は取れるので、今からでも遅くない、あのフリーダムでカオスな世界にぜひ触ってみていただきたい。ある要素に釣られて入ったら、別の要素にも興味が出てきてずるずる泥沼にはまる、というのが先人のパターンなので、あなたもそうなるかもしれないでよ。
 『アカイイト』『咲-Saki-』『東方Project』の三本立てトークが出来る方を増やしたい今日この頃だった。

【関連記事】
東方Project ノーマル難易度比較 とっぽいとっぽい。

東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.[同人PCソフト]
B0041OF1WI
東方紺珠伝 ~ Legacy of Lunatic Kingdom.[東方Project]
B01BDCHGF0

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2016年04月30日

サガフロンティア レビュー・感想 わからない! 文化が違う!

 ギブアップした。

 はじめに断っておくと、私はゲームを始める前に説明書の類は一切読まない。説明書や攻略サイトを見ながらでないと遊べないゲームなんざ七面倒でやってられないし、そんなものは欠陥品だとすら思っている。ゲームに対するそうしたスタンスが許せない方には、以下のレビューは何の意味も成さない。
 総プレイ時間は4、5時間程度。言うまでもなくアセルス編以外は全くやっていない。スタート地点のお城から、やたら暗い画面に目を凝らしてマップの境目を探り当てて脱出。次の町で人魚のSOSに応じてお偉方の館に侵入、シナリオ上の必然性がようわからんのにべらぼうに強いイカをどうにかやりこめて彼女を解放。主人公が家に帰ってみようと言うので従ったところ、理不尽な強さの騎士に襲われるもどうにか退ける。実家の後はどういった目的で何をどのようにすればよいのかさっぱりわからず、意味ありげな古墳や研究所を探索してみたものの、話が進まない。その後は行き当たりばったりで移動した近未来中華街で路地裏に迷い込み、雑魚敵に追い回されて全滅するのを繰り返す。半分くらい詰みになったこの時点で、これ以上苦痛に耐えても楽しく遊べないし、得られるものは何もないと判断し、ぶん投げた。
 前回のレビューでも書いたが、私は生粋のゲーマーではない。ローグライク(『トルネコ』など)やアクション寄り(『カエ鐘』など)は除き、オーソドックスなコマンド選択式RPGでプレイしたことがあるのは『ドラクエ』『ポケモン』『MOTHER』『マリオRPG』、エロゲも含めると当初いかがわしい目的だった『Succubus Quest短編』『レディナイト・サーガ』シリーズくらいだ。列挙するのも楽ちんである。RPGは好きか? と聞かれても、特別好きとは答えられない。しかし、今挙げた作品はどれも最後まで楽しく遊ばせてもらったのだ。どれも名作と呼ばれるだけある。本筋は当然エンディングまでやったし、エクストラダンジョン・裏ボス撃破その他のやり込みも大部分の作品でやり切っている。
 『サガフロンティア』には今まで遊んだRPGにあった楽しさがこれっぽっちも見出せなかった。シナリオの面白さ、テキストの面白さ、キャラクターの面白さ、探索の楽しさ、育成・成長の楽しさ、蒐集の楽しさ、そういったものが露ほども感じられなかった。脈絡がなくて唐突な上に、大筋の目的すら提示されずに放り出されるシナリオ展開。無個性で行動原理も不明なキャラクター。バランスブレイカーな武器や技、インフレレベルで理不尽に強くなる敵から算出される大味なゲームバランス。意味ありげでだだっ広く、敵もトラップも満載なのに存在意義の薄いダンジョン。ぶつ切れで一人称すら安定せず、こだわりが感じられないテキスト。敵シンボルがやる気満々に追跡してくる上に、もたくさした演出でテンポが悪い通常戦闘(逃走不可)。強くなっている実感が薄い成長システムとようわからん敵のランクシステム。最大限好意的に捉えれば「自由度が高く、プレイヤー主体で、想像の余地を残している」、個人的には「全般的に雑で投げやり、未完成品くさい」としか思えないゲーム全体のコンセプトが、致命的なまでに私の肌に合わなかった。いったい、こんなものの何が面白いんだ? 何を楽しめばいいんだ? 私が普段遊んでいるノベルゲームからも、遊んだことのある名作RPGからも、文化の違いを感じた。

 『サガフロンティア』は私が参考にしているレビューサイトでも毀誉褒貶が激しい作品だが、私は否定の側にすっくと立っている。面白い要素が1コもなかった。えっ、百合ゲーとしての評価はどうかって? 知らん知らん、論外!

サガフロンティア
B000069SXA

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2016年03月06日

蒼い海のトリスティア レビュー・感想 意外にシビアスなお話はよし、ユーザビリティは素人目にも不十分

 はじめに、私は今までの人生において『シムシティ』『どうぶつの森』といった箱庭シミュレーションゲームとはさっぱり縁がありませんでした。少ないこづかいをやりくりして買ったのは主にRPG(ポケモン世代ど真ん中)や育成シミュレーションで、カネを自由に稼いで使える頃には既にノベルゲームひと筋だったのです。そういうわけで、このゲームジャンルにはまともな経験値もなければ深い愛着もないので、この感想文もトーシロのたわごとだと一笑に付してもらって構いません。おまけに、私は人一倍こらえ性が無い人間です。
 こんな感じで姑息に逃げを打っておきましたが、『蒼い海のトリアスティア』の率直な感想は、ストレスフルでした。ゲーム性がどうだ脚本がどうだキャラクターがどうだという感想の前にこんな言葉が出てきます。ユーザインタフェースの根本的な不備や、確率に振り回される不毛なゲームデザインは素人目にも(いや、素人だからこそ?)気になって仕方がなかったです。痒いところに手が届かない、と言う表現がありますが、この作品の総合的な遊びやすさは痒くて全身掻きむしりたくなるレベルでした。

完成度の低い操作性
 2002年に発表された作品なので仕方ない面もありますが、操作性が劣悪です。私が本当に嫌で嫌で仕方なかったのが、何でもかんでもマウスの左クリックで操作させるところです。キーボードでの操作はメッセージ送り程度のお飾りレベルで、右クリックは機能していません。アイテムの研究・開発・売買、ステータス、セーブ・ロードといった子ウィンドウは、ページ送りには「次のページ」「前のページ」(「最初のページ」「最後のページ」は無い)、閉じるには「閉じる」という小さな小さなボタンをいちいちいちいちクリックする必要があります。
 主人公の移動に関しても、もの凄く面倒くさいです。スタートの画面である工房の画面からある店へ移動しようと思っても、ワンアクションで行えません。いちいち工房の外に出て、そこから全体マップに移動し、地区へ移動して、そこから店を探してクリックしてようやく移動が完了します。私はあるアイテムを作るために「タンポポ」が必要だと分かり、どこかで見た記憶のある花屋を探すため地区を移動して店をしらみ潰しに探し、結局その花屋がつぶれていたと分かったときに、ギブアップという言葉が頭をよぎりました。
 他にも、バックログ未実装、未読・既読問わずスキップ未実装(エンターキーをひたすら押しっぱなしでそれっぽく動く)、セーブは工房以外では不可です。

確率に振り回される嫌なゲームデザイン
 このゲームは確率との不毛な戦いを常に強いられます。アイテムの制作の成功・失敗も、アイテム研究の進捗度合いも、試行回数で改善されるとはいえ基本的に運次第です。乱数の仕様なのか、結果は何度ロードしなおしても変わりません。私はダイヤモンドのこぎりという、材料の人工ダイヤ三個を揃えるのが一苦労で、時間と金を盛大に食い潰してくれたアイテムが、一回の制作失敗でロストしたときに、ギブアップを真剣に考えました。
 また、このゲームには取り返しが利かない時限イベントが多数あり、そんなもん初見で分かるかいという発生条件のものもあれば、締め切りが非常にシビアで一回の失敗が致命的になる(上記のダイアモンドのこぎりがまさにそうだった)ものもあり、いくつかはヒロインとのベストエンドを見るための条件になっています。そういうわけで、半ば必然的に攻略やメモを駆使しての再プレイが要求されます。

 上述した操作性とゲームデザインの何が悪いかって、このゲームの基本方針である、材料を仕入れてアイテムの研究・開発を行い店へと売りこむ、という流れと密接に絡んでいるのが最悪なんですよ。ちょっとしたストレスでも、繰り返し繰り返しやらされるにつれて加速度的にマッハになるのは言うまでもありません。
 例えば、これからあるアイテムを開発して、ある地区の店へと売り込み行きたいとします。その場合に必要な実際の操作は以下の通り。

 まずは素材を買いに行きます。
01.工房画面の玄関マットへカーソルを動かしてクリックし(職人通りの外観図に移動)
02.(境目のよくわからない)道の切れ端へカーソルを動かしてクリックし(全体マップに移動)
03.対象の店がある地区へカーソルを動かしてクリックし(そこの外観図に移動、ナノカちゃんアイコンがのそのそ移動するのを見守る必要有)
04.対象の店へカーソルを動かしてクリックし(店ウィンドウ起動)
05.「買い物」へカーソルを動かしてクリックし(買い物ウィンドウ起動)
06.対象の商品へカーソルを動かしてクリック
07.注文個数へとカーソルを動かしてクリックで調節し
08.「買う」へカーソルを動かしてクリック
09.「やめる」へカーソルを動かしてクリックし(買い物ウィンドウ閉じる)
10.「とじる」へカーソルを動かしてクリックし(買い物ウィンドウ閉じる)
11.(境目のよくわからない)道の切れ端へカーソルを動かしてクリックし(全体マップに移動)
12.工房のある職人通りへカーソルを動かしてクリックし(そこの外観図に移動)
13.工房へカーソルを動かしてクリック(工房画面へ移動)

 次にアイテムを制作します。
14.炉へカーソルを動かしてクリックし(制作アイテムの一覧ウィンドウ起動)
15.「次のページ」へカーソルを動かしてクリックし、目的のアイテムのページまで移動して
16.「アイテム制作」へカーソルを動かしてクリック
 乱数の神様が微笑んでくれたら制作成功! 失敗した場合、材料は塵芥と帰します(炉などの設備のみ除く)。
 材料が無くなった場合は再び01の操作からやり直してください。

 次にアイテムを売り込みに行きます。
17.工房画面の玄関マットへカーソルを動かしてクリックし(職人通りの外観図に移動)
18.(境目のよくわからない)道の切れ端へカーソルを動かしてクリックし(全体マップに移動)
(省略)
19.対象の店へカーソルを動かしてクリックし(店ウィンドウ起動)
20.「売り込み」へカーソルを動かしてクリックし(売り込みウィンドウ起動)
21.対象の商品へカーソルを動かしてクリック
22.「売る」へカーソルを動かしてクリックして
 売り込みが完了になります。ここから工房へ戻るには(省略)です。

 この字面で、私の右手のすじに残るぴきぴきした痛みのいくらかが伝われば幸いです。
 なお、この操作手順は材料を取り扱う店やアイテムの売却が可能な店が完ぺきに把握されていた場合のそれであり、その店が何処にあったか忘れた場合はさらにマウスを握る右手にウロウロカチカチしてもらうことになります。
 ……なぜ右クリックやエスケープやウィンドウ外のクリックでウィンドウ閉じないんですか?
 なぜページアップ・ダウンやタブでウィンドウ間のページ移動が出来ないんですか?
 なぜカーソルキーでマウスポインタが(そのまま、あるいは選択箇所にジャンプで)動いて、エンターで決定という操作が出来ないんですか?
 なぜゲーム時間を進める操作は工房でしか行えないのに、「工房に戻る」ボタンを用意しなかったんですか?
 工房画面で都市全体の店舗が一覧で見られるウィンドウを用意して、地区や店の種類ごとにソートや絞り込みが出来て、店のレベルや来客数、扱っている商品が一目で分かって、直接そこに移動できるようにする、そんな発想は出てこなかったんですか?
 なぜこんな操作性とユーザインタフェースにGOサインを出してしまったんですか?

シビアでシリアスなシナリオ、テキストはよし
 評判通り、こつえーのぱんつはいていない絵柄からは思いもよらぬ、シリアスでシビアなシナリオはけっこう面白かったです。浪花節の人情・友情話だけでなく、外様の人間に対する非情な仕打ちや損益による掌返しも盛り込まれていて、だからこそ前者にほろりとさせられます。基本的に純粋な善意だけで働く主人公が、政治的陰謀に巻き込まれていき、都市の復興や独立自治の旗印として担ぎ上げられていく展開もなかなか読ませてくれました。
 あと、私が気に入ったのは言葉遣いのセンスのよさ。私はノベルゲームをプレイする際に、知らなかった単語や自分でも使ってみたい表現をメモするようにしているんですが、この作品はプレイしていてなかなか収穫が多かったです。メモを見ると、「宵っ張り」「裸足で逃げ出す」「売り物にするには足が早すぎる」「へんぺんたる資本の多寡」「こまったときは、相身たがい!」「のんべんだらり」「出来星財閥」「造次顛沛にも」「言わば言え」「しつけのいい料理」「料理の腕は玄人はだし」「男が鈴なりになるだけの素材」「闇夜に霜のおりるがごとく」なんて言葉が書いてありました。
 台詞回しは、司祭さんの表現が愉快でした。私はこういった表現を見ると思わず口角が持ち上がります。何というか、外国文学のような味わいがありませんかね?

「聖誕祭の七面鳥だけを家に残されてる猫みたいに幸せだわ」


「税金みたいにたしか」


「カカトの皮までぶんどられます」


「生まれたての子犬みたいに、ピュアな気分」


 謎の少女の恋愛に関する格言は、調べてみると外国文学やことわざからのいただきだったみたいです。文章が主体のゲームというわけではありませんが、テキストの質は全体的に高かったです。
 他には、都市が復興するに連れて外観マップでの人通りが多くなったり、自分が売り込んだ開発品の体系(工芸品、食品、工業製品など)に応じて都市がその方面に成長していったり、そういった視覚的な面もよく出来ていると思います。

百合ゲーとしての所見
 悪くないんじゃあないですか。全年齢対象の作品ですが、愛のある告白やキスまでの流れがわりと丁寧に書かれています。
 「そういう世界」とかいう表現や、ハンプデンの娘さんの意中の人へは心酔崇拝、それ以外の人間は眼中に無しというコテコテ造型はどうかと思いましたが。

まとめ
 シナリオや言葉使いはまずまずよかったですし、百合ゲーとしてもだいたい違和感なく読めましたが、あのわずらわしさと不条理さに耐える価値があるかと聞かれると「別にない」としか答えられません。SLGとしての比重の高さに対してこの操作性は致命的すぎます。まして繰り返しプレイ、そこまで行かなくともトライ&エラーを強いるゲームデザインなら、相応のユーザビリティを実現してくださいな。
 このブランドの過去作『リトル・ウィッチ・レネット』『リトル・ウィッチ・パルフェ』は百合ゲーの古典との呼び声が高いですが、この『トリスティア』よりさらにシステムが悪いならば到底プレイできる気がしません。積んだままでもいいかな、と正直思っています。『ネオスフィア』はどないすべい。

蒼い海のトリスティア ~発明工房奮闘記~
B00006FDJI

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2016年02月04日

凍京NECRO レビュー・感想 絶望と死の渦中で希望と生がひかめくダーク・スチームパンク

 『凍京NECRO〈トウキョウ・ネクロ〉』は空恐ろしいほどの名作でした。無茶苦茶面白かったです。私はNitro+の熱心な信者とはとても名乗れませんが(『Phantom』『デモンベイン』『ヴェドゴニア』『鬼哭街』『沙耶の唄』『まどマギ』おまけで『塵骸魔境』しかやってない)、このブランドの作品で三傑に入ると思いました。百合ゲーとしても、ほとんど完ぺき。
 この作品はまずもって、ダークファンタジー、武装アクション、スチーム&サイバーパンクといったジャンルものとしてよく出来ています。先が全く読めない脚本と、生と死、生者と死者、愛と憎、絶望と希望が激しく明滅するドラマ。ひと癖ふた癖どころでは効かない、強烈な個性揃いの味方陣営。憎んでも余りある下劣漢なのに、歪んだ美学や哀れさも持ち合わせた敵陣営。士郎正宗(『攻殻機動隊』への言及は二、三回あった)を引き合いに出したくなるほどの無駄な情報量の多さ(褒め言葉)。近未来でカオスでどこか勘違い日本チックでパイプ地獄な凍京のビジュアル。ニトロのお家芸である3Dモデルで描かれる、チンポ触手槍、3Dプリンタ特殊銃弾(開発時期を考えるともの凄く手が早い)、銃剣ならぬサイ・ピストルといった奇怪奇天烈な武装。奇手また奇手の応酬でぐいぐい引き込まれる殺陣。主観カメラで視点と手元が面白いほどよく動く、疑似3Dの戦闘パート。ついに時代もここまで来たかという、ぐりぐり動く完全3Dの戦闘パート。才気や技術力や金や手間暇がこれでもかと注ぎ込まれています。延期を辛抱強く待った甲斐はありました。最終的にこんなモノを出力してくれるなら、むしろがんがん延期してください。
 『凍京NECRO』が並じゃあないところは、上記のような完成度に加えて、マルチシナリオのアドベンチャーゲームとしての完成度も両立されているところなんですよ。この作品ほど、読み物としての面白さとそれとが高い次元で結合している代物はなかなかありません。縦軸の脚本の面白さもさることながら、横軸の世界線をまたぐ演出が白眉なのです。まず、一つのルートだけでは全ての謎、全ての人物の真意が判明せず、全ルートを読み解くことで初めて世界の全体像が確認できるデザインが秀逸です。そしてマルチシナリオは、ルートの違い(フラグの違い)によってそれぞれ全く異なる展開と結末を見せるのが素晴らしいですね。ルートによって、妙な巡り合わせから呉越同舟する敵がいるかと思えば、悲劇の末に立ちはだかるかつての味方がいます。エクスブレイン、メッシュネットワーク(ハイウェイコマンド)、仮想環境、都市といったガジェット・概念は展開によって発展・拡大解釈され、時には他の要素と結びつけられて、枝分かれした物語をあらん限りの力で牽引していきます。その発想力、応用性には度肝を抜かれました。あるエンディングを迎えても「早く次のルートを読みたい」と思わせる訴求力は、結局コンプリートまで衰えることはありませんでした。率直に言って、いかれた構成力だと思います。
 他にも、本編におけるある人物の進化とリンクする、タイトル画面とエンディング曲の演出や(ああなることは予測できていたが、最初の一語が聞こえた瞬間涙がちょちょぎれた)、シーンを盛り立てる高品質の楽曲(ニトロのサウンドは本当に安定してるなぁ)など、美点を挙げればキリがないです。全方位において隙がない作品、という賛辞を送らせてください。画面演出やサウンド、そしてプレイヤーとのインタフェースまでを含めた総合芸術、と言い換えてもよいです。
 あえてケチを付けるなら、この期に及んで同性愛を「嗜好」と表現しているとか(深見真はずっと前からこう書いている)、テキストが、食い入るように読んだ虚淵のそれに比べると若干見劣りして感じられるとか、場面転換の演出で毎回ご丁寧にネタバレするのはどうなのよとか、完全3DのモデルがPS2レベルのローポリであるとか、それぐらいでしょうか。こんな漠然とした指摘や挙げ足取りしかできないことから、完成度の高さを察してください。
 最後に、この作品が非常に人を選ぶ作品であることは断っておきます。それはもちろん、深見真イズムさく裂な暴力・欠損描写、拷問描写、果ては生命倫理や親しい人の人間性が冒涜される描写があることの注意でもあります。しかし、この作品の何が一番おぞましいかと言えば、人間の浅ましさ、絶望への弱さをこれ以上ないほど克明に描いている点です(この点が低俗なサイコスプラッタと一線を画す理由でもある)。少なからぬトラウマを植え付けられる可能性もありますが、同時に愛と希望の限りない尊さを謳う、どこか甘っちょろくてヒューマニスティックな作品でもあります(この点が皮相な露悪を超越できた理由でもある)。なので、最終的な判断は自分自信で下すべきでしょう。

「生きている限り、希望はあるよ」


 希望ってやつは、少しだけ、残酷だ。


 生きるとは、死ぬことだ。
 人間は、種をそうやって繁栄させてきた。
 願わくば、悲しみの感情よりも、喜びの感情が多いことを。
 憎しみよりも、愛の感情が多いことを。


 生きるってことは、死ぬってことで。
 だから、胸を張って言おう。
 あたしは精一杯、生きたんだ。


 ――よし、決めた。
 とことんまで楽しんでやる。
 とことんまで暴れて、とことんまで――生きてやる。
 最後の最後まで、謳歌してやる。
 それがあたしの生き様で――
 死に様だ。


 一年半と少し前、『NECROMANCER ネクロマンサー(仮称)』のティザーサイトを見て、私のエクスブレインは「深見真か。銃器とレズビアンと拷問だな」「発売日に買って、やる」とサジェスチョンを出していたのですが、大正解だったと胸を張って言いましょう。

凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ> 通常版
B01070FIEK

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